【タブー全開!政界斬鉄剣】(47) 霞が関が造った会見用原稿を新大臣が棒読みする本当の理由

池田「地味な内閣改造も終わりましたね。今週は、大臣に就任した人が味わう高揚感と現実について解説しましょう。私自身も、秘書時代に長年仕えた松岡利勝さんが農林水産大臣を務めたので、その前後の舞台裏を間近で目撃してきました」

――「入閣濃厚だ」と噂されても、実際には指名されないパターンもあるんだよね?
池田「まさに。“郵政解散選挙”の直後、第3次小泉内閣の時がそれでした。当時、松岡さんは農水大臣就任が確実視されていました。報道だけではなく、松岡さん本人が親しくしていた農水省の官僚からも『ほぼ間違いない』と聞かされていた。最後まで安心はできないのですが、周囲以上に本人の期待感は膨れ上がっていきましたね」

――どんな風に?
池田「例えば、大臣指名に備えて新調したモーニングを、未だ一度も着ていないのにクリーニングに出したりとかですね。内閣改造人事の発表が行われる当日は、官邸からの電話を待つしかありません。しかし、松岡さんは大物の族議員だったので、通常時でも1日300本以上の電話が事務所にかかってくるんです。大臣指名の日も、他の電話は鳴り続ける。その度に本人から『俺にかっ!?』と大声で問われ、秘書たちは『違います…』と返す重苦しいやり取りが数時間続きました」

――自分が大臣になれないことを知るのは、どの段階で?
池田「官邸から、大臣に指名しない旨の連絡が来ることは無い。松岡さんの場合、官房長官が新閣僚名簿を持って記者会見場に入る様子がテレビに映し出された瞬間でしたね。本人が『今回は無いな…』と呟き、大臣指名の電話を受ける瞬間を撮影する為に集まった取材陣に『待たせて悪かったね…』と話しかける背中は、明らかに意気消沈していました。今でも鮮明に覚えています」

――逆に、大臣になれた瞬間は?
池田「翌年の第1次安倍内閣の時、官邸の塩崎恭久官房長官から電話があり、『農水大臣に』と打診がありました。勿論、その瞬間は親分も私も喜んだ。しかし、驚かされたのは、その電話から5分も経たない内に、農水省の官房長や秘書課長等の幹部たちが、事務担当の大臣秘書官を伴って議員会館の事務所にやって来たことだった。本人でさえ5分前に大臣就任を知ったのに、官僚たちは随分前から知っていた訳です」

続きを読む

スポンサーサイト

テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも
ジャンル : 政治・経済

【カオスを飲み干せ!挑発的ニッポン革命計画】(75) 「世界文化遺産の美術館を建てたのはファシスト」って不都合な真実?

上野公園の『国立西洋美術館』を含む、フランスの建築家であるル・コルビュジエが手がけた7ヵ国・17作品が世界文化遺産に登録されることが決まりました。ル・コルビュジエは“住宅は住む為の機械”という思想の下、鉄筋コンクリートを使った建築作品を数多く発表しており、近代建築の礎を築いた20世紀の偉人として、その評価は揺るぎないものになっています。一方、欧米のメディアが注目しているのは、「ル・コルビュジエはファシストだった」という“不都合な真実”。第2次世界大戦中のドイツ占領下のフランスにおいて、ル・コルビュジエは対独融和を推し進めたフィリップ・ペタン元帥率いるヴィシー政権に非常に協力的だったのです。因みにペタン元帥とは、フランス国内ではナチスへの協力者(=フランスから見れば裏切り者)として度々批判される人物です。

抑々、ル・コルビュジエの“美しい世界観”を実現する為には、個人の価値観等というものは邪魔でしかありませんでした。例えば、1925年に彼が提案した都市計画は、パリの歴史的な街並みを悉く破壊し、全く新しいものにするもの。これは実現に至りませんでしたが、彼のビジョンは巨大で独裁的な力を借りることで、初めて成り立つものだったのです。言い換えれば、ル・コルビュジエは自分の“仕事”を遂行する為なら、たとえナチスの側に就くのも厭わなかった。ある専門家によれば、彼は約20年間に亘ってファシズムに漬かり、権力者に住宅建設や都市開発の助言をする等しながら活動していたとのことです。しかし、彼を崇拝する人たちは、そうした報道を「単なるセンセーショナリズムだ」と切り捨てます。昨年、パリのポンピドゥーセンターで開催されたル・コルビュジエの特設展でも、そういった事実には一切触れられていません。恐らく、“信者”たちは「彼の政治的思想や自国に対する裏切り行為が、建築家としての業績に傷を付けてしまうものだ」と思っているのでしょう。

続きを読む

テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも
ジャンル : 政治・経済

【私のルールブック】(63) 親父から教わったいくつかの大切なこと

数日前に、ご近所さんに鯵の干物を頂いた。めちゃめちゃ美味しかった。因みに、自分で言うのもなんですが、私は魚の食べ方が結構巧いのである。何故かというと、子供の頃に親父に煩く躾けられたから…。魚は種類によって骨の硬さは勿論、骨の入り方が異なる。釣りキチの親父はとても詳しく、食べ終わった後は見事に頭と骨と尾が残るだけ。そんな作法を知る由もない幼き時分の私は、毎回身をかき集めるように食べ散らかし、親父から「魚に失礼だ」と言われ、一から食べ直しを命じられていたのである。正直、嫌でした。面倒臭いったらありゃしない。食べた気が全然しなかった。でも今思えば、教わっておいてよかったかなと…。そんなことを、鯵の干物をつまみに焼酎をやりながら、何とな~く思い出しちゃったのよね~。で、「他にも親父に教わったことってあったかな~」と記憶を辿ってみると、これが意外とありまして…。

食繋がりでいうと、味噌汁ですかね。親父が作る味噌汁で一番驚いたのは、オカラをしこたま放り込んだ味噌汁。初めて目にした時は「ウチってそんなに貧乏なのかな?」と暗い気持ちになりましたが、食べてみると美味いのなんの。何とも言えないトロトロ感とザラザラ感が舌の上で絡み合って、その上、かさましではないですが、オカラですから満腹感もあり、今でも偶に作るほどの美味でございます。後は…そう、親父は下駄や雪駄を履いていたので、鼻緒が切れた際の応急処置の仕方も教わったな。それと物書きだった為、万年筆のインクの入れ替え方や筆先の走らせ方も…。日本酒の燗のつけ方も教わりました。「特級はぬる燗で充分だけど、2級酒は熱めがいい」とかね。それと…「お酒が行き過ぎると女性に手を挙げる腐った男もいるんだな」ということを、実演でも見せて頂きました。勿論、加害者は親父で、被害者は私の母でございます。競艇行って勝てば焼肉、たとえ負けても母に無理矢理お金を出させて、寿司屋の暖簾を潜る。「勝っても負けても変わんねぇじゃねぇか!」ってね。

続きを読む

テーマ : 俳優・男優
ジャンル : 映画

【タブー全開!政界斬鉄剣】(46) 霞が関がこの国の閣僚人事を事実上コントロールしている!

池田「今回は、今週に行われる予定の内閣改造人事の解説をします。このコラムが読まれている時には新東京都知事が決まり、その動向ばかりが報道されていることでしょう。しかし、日本人全体に与える影響で言えば、内閣改造のほうが断然大きいからです」

――でも、安定軌道に乗った安倍政権は、特に思い切った人事をやらないんじゃないの?
池田「今回注目したいのは、人事の内容ではなく、人事の決定プロセスです。今も昔も、内閣改造の噂が流れ始めると、そわそわと落ち着かなくなる議員がいます。当選5~6回(衆議院の場合)の“大臣待機組”と呼ばれる人たちです。嘗ては首相と派閥の親分たちが話し合って人事を決めていたので、派閥の親分に気に入られるか否かが重要だった。だから、大臣待機組議員の中には、親分のご機嫌を取る為に、1日中ついて回る露骨な人も珍しくなかった。しかし小泉政権以降、派閥の影響力が著しく減退した。現在は、首相が単独で決定する官邸主導の人事が定着してきました」

――それの何が問題なの?
池田「本当に首相が決めているのか否かが問題なのです。その答えは、イエスでもありノーでもある。勿論、最終的な決定は首相が行いますが、決断の為の判断材料は霞が関の省庁が提供しているのです」

――政治家の人事を決める為の判断材料を、何で霞が関が?
池田「第一に、政治家は政治家同士で評価し合うことに不向きだからです。同じ党に所属する議員同士は、仲間でもある半面、政敵でもあります。当選回数が同じくらいの議員に人物評を聞いても、それが正しい評価なのか、ライバルを蹴落とす為の評価なのかわからない。好き嫌いで選んでしまうと、嫉妬・怒り・恨みを買う原因になる」

――なるほどー。
池田「また、どの議員がどの分野の政策に精通しているのか、首相にもなると、大臣候補者たちと“格”が離れ過ぎていてよくわからない。各ジャンルの政策を議論する場は、党内の各部会です。小泉進次郎氏が農林部会の部会長をやっていますよね。部会には、主に当選1回から4回くらいまでの議員が参加します。つまり、首相と大臣候補者たちとは当選回数に開きがある為、同じ時期の部会に居合わせていないのです」

続きを読む

テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも
ジャンル : 政治・経済

【カオスを飲み干せ!挑発的ニッポン革命計画】(74) 芸能界に蔓延りそうな“ビジネス媚中”は資本主義が生んだカルマ

先日、日本のある女優が「過去にインターネット上で中国を侮辱していた」として、中国のSNS上で謝罪動画をアップしたことが話題となりました。報道等を見る限り、彼女がやったのは「知人が投稿した天安門に中指を立てた写真に、よく見ないまま“いいね!”をした」だけ。とても“侮辱”とまでは言えず、晒し者のように謝る必要があるとは思えません。ただ近年、こういった話は珍しくありません。今年頭には、台湾出身のアイドルが韓国のインターネット番組で、台湾独立派の象徴とされる“中華民国旗”を振ったとして謝罪動画を公開。また、少し古い話ですが、2008年には四川大地震に関して、ハリウッド女優のシャロン・ストーンが「チベット弾圧に対するカルマだ」と発言したとして大炎上。彼女を広告に使っていたブランドの不買運動が起こり、中国国内での広告から外される結果となりました。

何れも不用意といえば不用意だったのかもしれませんが、構造は同じです。ある言動が魔女狩りのように部分的に切り取られ、言いがかりのような怒りを浴びせられ、過剰な対応を余儀なくされる…。外国の有名な女性がカメラの前で“俺たち”に謝っているという“ショー”は、まるでポルノのように溜飲を下げてくれるのでしょう。何故、こんな馬鹿げた問題が続出するのかといえば、中国という巨大市場を誰もが無視できなくなったから。モンスター化した客に媚びてでも市場を失いたくないから。これからも益々“ビジネス媚中”は横行するでしょう。日本では今後、アイドルは予め“中国の歴史観”や“中国の人たちが怒る地雷”を養成時代に叩き込まれ、“お客さまサービス”を事前に体得することになるのかもしれません。ただ、これを「中国の民度が低いから」等と上から目線で片付けるのも理屈に合いません。ここまで中国をモンスター化させたのは、何十年間も中国の安い労働力をコンビニエンスに利用してきた西側資本主義陣営だからです。

続きを読む

テーマ : 中国問題
ジャンル : 政治・経済

【思想としての朝鮮籍】第5部・金石範(下) 文学は政治を凌駕する

20160807 01
国家の裏付けを持たぬ記号“朝鮮籍”で、“統一”を希求する。それは、“虚構を以て現実を否定する”金石範文学そのものだ。その思想の成り立ちを手繰ろうと、昨年9月、金に会った。上野のカフェで落ち合うと、嬉しそうに切り出した。「いや、このタイトルいいよ。“思想としての朝鮮籍”って。まさに、私の朝鮮籍は1つの抽象化された“思想”なのよ。思想の表出として使ってるんです。“思想としての朝鮮籍”は統一を求める、南北分断を否定するんです! 植民地時代でさえ1つだったのに、何で独立して分断なんだと。現実にそうでなくても、そうと思うのが思想ですよ。実態が無くても構わないんだから。思想観念で政治とぶつかるんです」――。政治との関係は、少なくとも1980年代まで在日作家が避けて通れぬ問題だった。南北双方から“従属”を迫られるばかりか、時に双方から“敵”とされる。記号としての朝鮮籍に拘り、分断の現実を否定する金石範にあっては尚更だ。“鋼鉄の臭いのする悍ましい政治の網”の中にあって、権力との一切の取引を拒む。この間断無き闘いを、彼は創作力に転化してきた。小説という形式を選ぶ大きな理由も、金はそこに、権力と対決する上での“優位性”を見るからだ。「観念は言葉で表明されるから、小説はあらゆる芸術の中で最もイデオロギーを反映し易い。権力と真っ向からぶつかるのに一番適しているのは小説です。同じ言葉でも、ある意味で詩は誤魔化しが効くんです。これ言うと『詩がわかってない!』って、(金)時鐘が怒って、何度も喧嘩したけどね(笑)」。思想に揺るぎはない。筆名の“金石範”は、まさに体を表している。その由来を訊くと即座に「忘れた」と躱し、「私はそんな堅物じゃないんだけどね、でも、この字体がまた田村義也(編集者・装丁家)の装丁に映えるんだよ」と笑った。

“思想としての朝鮮籍”を武器にして金が希求する統一祖国とは、単なる政体の実現ではない。アメリカ軍政と親日派が“4.3”を経て建国した『大韓民国』の歴史を再審し、奪われた“解放空間”を取り戻すことである。そのイメージは、『火山島』の主人公で、筆者の分身の1人である李芳根の一言に凝縮されている。ブルジョワの息子でニヒリスティックな放蕩者、謂わば“英雄”とは対極の李が口にした譲れぬ一線、即ち思想が“支配せず、支配されない”なのだ。自身の自由が他人の自由を侵害しない。それが、李芳根の求める“自由”である。相互不干渉の“断絶”ではない。関わりの中で生きる人間の実存を前提とした上で、互いを尊重する。その前提は徹底した平等だ。「人間は、純粋な個ではあり得ない。社会無くして人間は存在しない」。私小説批判にも繋がる金石範の人間観である。他者との関係で人間は存在している以上、個人の目指す自由とは全体の自由の下で可能となる。“自由と平等”――。それら普遍的価値を求めつつ、それとは程遠い現実(常に“外部”を生み出す統治形態“国民国家”はその典型だ)を造り出してしまう人間という“問題”に照らせば、それは見果てぬ夢なのかもしれない。だが、夢だけが人間を人間たらしめ、今を超える契機になり得る。今ある現実を否定し、あるべき姿を想うとは、全てを奪われても尚残る人間の最後の自由であり、瓦礫の中から掴み出された理想は、もう1つの世界を希求する思想となり、現実を否定する意志は、行動として表出される。その意味において、まさに文学は政治を凌駕し得るのである。ただ想像する力のみが、人を“順応”という底無しの闇から救い出す。例えば、『万徳幽霊奇譚』。主人公は“うすのろ”と蔑まれ、理不尽な打擲に晒される寺男の万徳である。“ゲリラの親”として捕まった老人と共に警察へ連行された万徳は、息子の射殺を命じられた老人が進退窮まり、自らを撃ち果てる姿を目の当たりにする。代わりに息子の処刑を命じられた万徳の頭に、徴用された北海道の鉱山での記憶が過る。脱走に失敗した若者への懲罰として、日本人監督の命令に従い、同胞たちが列をなして次々と根棒を全力で打ち下ろす。軈て万徳の順番が来るのだが、愚鈍な彼の心だけが、目前に吊るされた血塗れの球体を人間と認識し、打擲を拒んだのだ。「殺せ! あれはアカだ。アカは人間じゃねぇんだぞ!」。逃げ場の無い血塗れの室で、全能感に酔う人殺しの怒号に気圧されながらも、万徳は「わっしの目には人間に見える」と抵抗し、自らが処刑場に送られていく。考えること・良心を持つことが死に繋がる状況下で、無学な“うすのろ”が、その想像力を基に示した拒絶こそ、人間にとっての“究極の自由”であり、“夢”だった。だからこそ、彼は“幽霊”となる。合理的思考ではあり得ないが、この世に真実を告げに来る“幽霊”に。

続きを読む

テーマ : 中朝韓ニュース
ジャンル : ニュース

【異論のススメ】(17) スポーツと民主主義…“停泊地”失った現代世界

昔、ある人から「君、スポーツの語源を知っているかい。これは相当に酷い意味だよ」と言われたことがある。実際、スポーツとは“ディス・ポルト”から出た言葉である。“ポルト”とは“停泊する港”、或いは“船を横づけにする左舷”という意味だ。“ディス”はその否定であるから、“ディス・ポルト”とは停泊できない状態、つまり秩序を保てない状態であり、“破目を外した状態”ということになる。“ポルト”にはまた“態度”という意味もあるから、“真面な態度を保てない状態”と言ってもよい。どうみても、あまり褒められた意味ではなさそうである。事実、英語の“スポート”にも“気晴らし”や“悪ふざけ”といった意味があり、これなどまさしく語源を留めている。その“スポーツ”の祭典が、6日からリオで始まる。ロシア選手の組織的なドーピング問題や、大会会期中、不測の事態に要注意等と言われる今回のオリンピックを見ていると、ついその語源を思い起こしてしまう。ロシアのドーピング等、破目が外れたのか箍が外れたのか、確かに停泊すべき港から外れてしまった。ところで、スペインの哲学者であるオルテガが『国家のスポーツ的起源』という評論の中で、国家の起源を獲物や褒美を獲得する若者集団の争いに求めている。その様式化されたものが争い合う競技としてのスポーツであるとすれば、確かに、ここにもスポーツの起源と語源の重なりを想像することは容易であろう。

言うまでもなく、オリンピックは古代ギリシャ起源であり、ギリシャ人はスポーツを重んじた。争いを様式化し、競技を美的なものにまで高めようとした。そして、ギリシャでは“競技”が賛美される一方で、ポリスでは“民主政治”が興隆した。民主主義とは、言論を通じる“競技”だったのである。肉体を使う競技と言語を使う競技が、ポリスの舞台を飾ることになる。古代のギリシャ人を特徴付ける特質の1つは、この“競技的精神”なのである。「スポーツと政治は切り離すべきだ」等と我々は言うが、元々の精神においては両者は重なりあっていたのであろう。ということは、その起源(語源)に立ち返れば、両者とも一歩間違えば“破目を外した不作法な行動”へと崩れかねない。競技で得られる報酬が大きければ大きいほど、ルールなど無視して羽目を外す誘惑は強まるだろう。それを制御するものは自己抑制であり、克己心しかなかろう。その為にギリシャでは、体育は徳育・知育と並んで教育に組み込まれ、若者を鍛える重要な教科と見做された。その三者を組み合わすことで、体育はただ肉体の鍛錬のみならず、精神の鍛錬でもあり、また、自律心や克己心の獲得の手段とも見做されたのであろう。その上で、運動する肉体を人間存在の“美”として彫像に刻印しようとした。問題は言論競技としての民主主義のほうで、寧ろこちらのほうが成功したのかどうか怪しい。“民主主義の精神を鍛える”等ということは不可能に近いからである。ただ、我々が垣間見ることができるのは、ポリスのソフィストたちの“言論競技”の中からソクラテスのような人物が現れ、“哲学”を生み出したことである。しかしその為には、ソクラテスは“言論競技”を切り捨て、それを“言論問答”に置き換えねばならなかった。彼は、政治よりも真の知識(哲学)を優位に置き、それを教育の根本にしようとした。そうでもしなければ、スポーツも政治も只々“破目を外す”ことになりかねなかったからであろう。

続きを読む

テーマ : オリンピック
ジャンル : スポーツ

【私のルールブック】(62) 困難な人生もいつか笑い話にできればよし

この4月から『バイキング』(フジテレビ系)がリニューアルされ、トーク中心の構成となった。その中で、著休めではないが唯一のVTRコーナーがあり、全てのロケを私が担当させて頂いている。正直、体力的にはしんどいっす。だって、生放送が終わって速攻着替えて、そのままロケへって日々ですから。ですが、メインの立場の者こそ誰よりも労力を払わなければならないというのが、私のスジ論。しんどいなんて言ってちゃダメな訳ですよ。とはいえ、抑々私はロケが好きなタイプで、何より様々な方にお会いできるというのが、疲れを忘れさせてくれると言いますか…。やはり、スタジオで会うのとは明らかに違うんですよね。スタジオだと、ほぼ仕事モードになる訳です。仕事モードということは、CMの間に雑談こそすれ、飽く迄もゲストの方々にリラックスして頂く為の会話となります。

ですが、ロケの場合は若干空気が緩む訳です。生放送でもありませんから、よりリラックスした状態でお話ができる。ということは、より相手の人柄を感じることができる環境に繋がるということ。だって、折角お会いすることができた訳ですから、その人を感じたいし、知りたいですしね。1つの仕事として割り切って熟すことは容易ですが、それでは視聴者の皆さんも面白味に欠けるかもしれませんし、私だってつまらない。ほんと、面白いんですよ。そして、時に考えさせられる。旬の方から、これから売り出そうとしている若手から、元旬の方まで…。その中で、私が特に共鳴するのは元旬の方々ですかね。暫く画面から遠ざかっていたような方々が、知らぬ間に結婚・再婚していて、芸能活動と並行して飲食店をやっていたりする。お話を聴くと、充実感を持っている方もいれば、「充実してますよ」と笑顔で言いながら、どこか納得し切れていないような方もいたりして…。

続きを読む

テーマ : 俳優・男優
ジャンル : 映画

【タブー全開!政界斬鉄剣】(45) 東京都知事選を費用対効果抜群の広告だと考える泡沫候補者たち

池田「皆さん、東京都知事選の立候補者数が異常に多いと感じたことはありませんか? 所謂“泡沫候補”と言われる人たちです。彼らの狙いは何なのか? 今週は、そんな疑問を解消したいと思います」

――確かに、最初から当選を狙っていない感じだもんなぁ。
池田「今回の都知事選では、主要3候補を含め、実に21人もの立候補者が出馬しています。泡沫候補者たちは、勝つ筈もない選挙にメリットを感じている。それは、特定の人たちに向けた広告効果なのです」

――“特定の人”って?
池田「候補者によって、特定の人は変わります。先ずは、色々な選挙に立候補することで有名なマック赤坂氏を例にとってみましょう。彼は企業経営者で、それなりに有能で商才もあり、会社をそこそこの規模にまで押し上げた人です。でも、東京にはもっと大成功した企業家が無数にいるので、彼の企業家としての“格”は低いまま。“財界人”と呼ばれることも無い。彼の狙いは、彼が手がける事業の顧客に対して『自分は都知事選に出るくらいの大物だよ』とアピールすることなのです。知名度が上がれば商売相手からも興味を持たれるので、商談に持ち込み易い。話のツカミも選挙ネタで鉄板です」

――他の泡沫候補も同じような目的なの?
池田「政治ジャーナリストなら、自らが運営するメールマガジンの有料会員を増やせるでしょう。年老いた元大臣は、『自分はまだまだ健在だ』と支援者にアピールして、自分の価値を高めたい。謎の団体の代表者なら、街中で堂々と持論を訴える姿が存在価値を高め、構成員の結束力も増し、新規メンバー獲得にも繋がる」

――でも、選挙ってお金がかかるから、コストパフォーマンス的にはどうなの?
池田「都知事選の費用対効果は抜群です。若し東京のテレビ局でCMを流そうとすれば、安価なスポット料金でも15秒で30万円から70万円くらいは必要です。しかし都知事選の場合、全国ネットの報道で連日取り上げてくれるんです。朝・昼・タ・夜のニュースで、必ず一度ずつは名前や写真が放送される。全国版の新聞にも名前が掲載される。全て無料です。仮に、選挙期間中の18日間、主要テレビ局5局で1日3回、自分の名前が読み上げられたとします。仮に1回当たりの広告料を50万円で計算すると、何と1億3500万円にもなるのです」

続きを読む

テーマ : 選挙
ジャンル : 政治・経済

【カオスを飲み干せ!挑発的ニッポン革命計画】(73) “白人vs黒人”は対岸の火事に非ず! 絶望の準備はあるか?

アメリカで黒人と白人の“人種間対立”が深刻さを増しています。今月5日にルイジアナ州、6日にはミネソタ州で白人警察官が黒人男性を射殺する事件が起き、全米で黒人差別に対する抗議活動“Black Lives Matter”が過熱。一方で、そうした集会の最中に、現場を警備していた複数の白人警察官が黒人スナイパーに射殺される悲劇も相次ぎました。今回の警察官射殺事件と関係しているかどうかはわかりませんが、近年、アメリカ南部を中心に“黒人国家”の樹立を目指す『ニューブラックパンサーズ』等の黒人過激派グループの活動も活発化しています。そのメンバーの中には退役軍人もおり、軍事的な力を持った“革命予備軍”が生まれ始めている訳です。こうした潮流の背景にあるのは、分断と格差、そしてそこからくる“絶望”。これは、何もアメリカの人種間対立に限った話ではなく、世界中の様々なテロや紛争も、同様に“絶望”が一因になっていることは認めざるを得ない事実でしょう。

貧困が更なる貧困を生み出す構造。それに伴い加速する暴力の連鎖。教育機会・雇用・所得、そして“暴力に晒されるリスク”の格差…。国家や資本主義という枠組みが限界に近付くにつれ、先進国・後進国を問わずあらゆる場所でハレーションが起きる。イスラム原理主義がどうの、黒人と白人の歴史がどうの…という個別の事情は勿論あるにせよ、そこに通底しているのは“絶望”という感情なのです。多くの日本人は、そんな世界の混乱を他人事のように眺めているでしょうが、既にこの“平和と安心のガラパゴス”にも、“絶望”というグローバルスタンダードの波は目の前まで押し寄せています。無理に危機感を煽ろうという気は更々ないけれど、客観的に見て、確度の高い予言をしようと思えばこういう表現にならざるを得ません。はっきり言います。日本は何れ、移民の大規模受け入れ・大増税・大幅な社会保障のカットを“絶対にやらなければいけない”。しかし、メディアも政治家も不都合な未来について多くを語らない。「格差は解消しなければいけません」等と、寧ろ危標感を鈍らせる麻酔のような言葉を発し続けている。「余計なパニックを起こすまい」という優しさなのかもしれませんが。

続きを読む

テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも
ジャンル : 政治・経済

Categories
Profile

Author:KNDIC
Welcome to my blog.

Latest articles
Archives
Counter
I'm participating in the ranking.

FC2Blog Ranking

information
Search
RSS Links
Link
QR Code
QR