台湾社会の成熟と閉塞感がもたらした政権交代――民進党・蔡英文政権誕生と中台両岸関係の行方

20160502 05
今年1月16日に投開票が行われた第14代中華民国正副総統選挙は、野党『民主進歩党(民進党)』主席の蔡英文が689万4744票(得票率56.12%)、与党『中国国民党(国民党)』主席の朱立倫(381万3365票・得票率31.04%)、野党『親民党』主席の宋楚瑜(157万6861票・得票率12.84%)を下した。大量の票差で圧勝が確定した瞬間、台北市北平東路の選挙事務所前に詰め掛けた支持者から大歓声が上がり、直後に街頭で配られた号外には「蔡英文当選 華人初の女性総統」と書かれていた。同日投開票の第9期立法委員(国会議員)選挙でも、民進党が113議席中68議席(60.17%/内訳:地方区50議席、得票率44.58%、政党票18議席、44.06%)と過半数を占め、一方の国民党は35議席(30.97%/地方区24議席、38.88%、政党票11議席、26.91%)と大きく減らした。2014年の『ヒマワリ学生運動』の流れを継承する新政党の『時代力量』は、民進党との選挙協力が奏功して5議席(4.42%/地方区3議席、2.89%、政党票2議席、6.10%)、宋楚瑜派政党の親民党は3議席(2.65%/地方区議席無し、1.28%、政党票3議席、6.52%)だった。改選前は3議席だった李登輝派政党の『台湾団結連盟』は、議席を失った。国民党を中心に与野党のベテラン議員が多数落選し、その一方で青年層の支持を集めたとされる時代力量が躍進する等、議会は若年化が進んだ感が強い。大敗した朱立倫は党主席を辞し、行政院長(首相)の毛治国も辞意を表明した。民進党による政権担当は、2000年に発足した陳水扁政権に次いで2度目だが、国会で過半数を占めたのは初めてだ。行政と立法の双方を制したことで、名実共に民進党政権が発足する。これまで、青(国民党系政党、同党旗の色に因む)が緑(民進党系政党、以下同)をやや上回る比率で拮抗する構造にあった台湾政界の勢力図は、民進党と時代力量の躍進により大きく塗り替えられたことになる。一方の国民党は、一旦決まった女性の総統候補を間際で替える等、終始混乱続きで、選挙後も党分裂の可能性を残す厳しい状態にある。蔡英文は1956年、台北市出身。父親は屏東県出身の客家系台湾本省人で、駐台アメリカ軍向けの事業で財を成したという。国立台湾大学法学部を卒業後、コーネル大学で法学修士、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで法学博士を取得し、帰国後は国立政治大学や東呉大学の教授を務めた。李登輝政権時に経済部や行政院大陸委員会の要職を歴任し、1999年に李登輝が台湾海峡両岸関係を「特殊な国と国の関係」と語った、所謂“二国論”の論述にも関わった。陳水扁政権下では大陸委員会主任委員と行政院副院長(副首相)を務め、立法委員も経験した。民進党が下野した2008年に民進党主席に就任したが、2012年の総統選挙で馬英九に敗れ、2014年に党主席に再任し、今回の選挙に臨んだ。

略歴が示すように、『美麗島事件』(1979年に雑誌『美麗島』が主催したデモが警官隊と衝突した事件。台湾の民主化を促した)を経て政界入りした陳水扁・呂秀蓮(元副総統)・謝長廷(元行政院長)らと異なり、蔡は学術界から政務を経験した後に政界入りしており、物静かで都会的なキャラクターは党内で異彩を放っていた。開票結果を踏まえた与野党双方の関係者や有権者の反応を総合すると、“概ね予想通り”だったと言えよう。各社の支持率調査でも蔡独走の状態が続き、昨年末の段階で与野党双方・地元メディアの間で、総統の得票率は“蔡六・朱三・宋一”、立法院の議席は“民進党60~68・国民党30~40”の観測が出ていた。国民党の関係者は「投票率が低いほど厳しい」と警戒していたが、今回の投票率は66.27%と、1996年の総統直接選挙実施以来、最低の数値となった。投票率は、初の政権与党交代が実現した2000年の82.69%をピークに、2008年の76.33%、2012年の74.38%と減少を続けていた。台湾の選挙と言えば、音楽や爆竹が派手に鳴り響く賑やかなイメージで知られるが、今回は選挙結果が早くから見えていたこともあり、全般的に静かだった。しかも、これまで2回の政権与党交代を経て、相当数の有権者が選挙に過度の期待を抱かなくなった点もある。投票率の推移からも、台湾の民主政治が選挙を重ねる毎に成熟を深めていることが窺える。当初から“蔡当選”が確実視された今回の選挙の焦点は、蔡の得票率と共に、議会における青と緑の消長だった。蔡が前回の得票から80万票上積みしたのに対し、朱立倫は馬英九の得票から300万票も落としている。民進党は蔡の得票目標として、馬英九が2008年の選挙で記録した史上最高得票率の58%を目指したが及ばず、今回の得票数689万は、馬の2012年時の数とほぼ同じだった。立法委員選挙でも、民進党の得票は地方区・政党票何れも4割半ばで、政党票に限定すれば、時代力量等緑系の得票を加えて5割強になる。ここ数年の得票が同党にとってのピークになるか否かは、蔡政権の今後次第だろう。民進党の関係者は、「初めて有権者となった青年層の政治参与での熱意が高く、その多くが民進党や時代力量に投票した。以前は青に投じた若い世代の中間票の一部も蔡に流れたのではないか」と分析する。一方で国民党の選対幹部は、「馬政権に失望した多くの国民党支持者が棄権、若しくは親民党や新党の候補に投票したようだ。青年層にも支持を訴えたが、相手にされなかった」と嘆く。棄権の全てが国民党支持票とは限らないが、両者の分析を総合すると、相当数の国民党の支持者が棄権、或いは親民党や新党、そして一部が蔡に流出し、その一方で民進党が若い有権者の支持取り付けに成功した構図が浮かび上がってくる。国民党一人負けの選挙結果は、馬政権の自滅を反映したものだった。この他に、若年層の支持と民進党との選挙協力で議席を得たとされる時代力量が、青年層の意見を反映できる第3の力として根付くか、それとも民進党の翼賛勢力に終わるかも興味深い。国民党という共通の敵が下野した今後、支持層の重なる民進党との棲み分けが課題になるのではないか。

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テーマ : 台湾
ジャンル : 政治・経済

メキシコ失踪者3万人の真実――学生43人失踪の衝撃、社会変革を求める市民の連帯

20160502 01
今年1月2日、首都の南約66kmにある町で、組織犯罪の撲滅を掲げて就任したばかりの市長が犯罪組織に殺された。同月8日には、昨年7月に脱獄した“麻薬王”ホアキン・グスマンが逮捕された。どちらも日本でニュースになったメキシコでの出来事だが、その背景にある根深い問題は十分に伝えられていない。「政府が自らを批判する人々を黙らせ、怯えさせる為に、強制的失踪という手段を用いる傾向は、世界中で依然として続いている」。昨年、国際人権NGO『アムネスティインターナショナル』は、8月30日の“国際失踪者デー”に際し、世界各地で起きている強制的失踪について、そう報告した。そして、シリアやスリランカ等と並び、状況が深刻な国の1つにメキシコを挙げ、ペニャ・ニエト大統領に対し、失踪者の捜索と人権状況の改善を訴えた。メキシコでは、2006年12月にカルデロン前大統領が麻薬カルテル撲滅の為に、軍や連邦警察を投入して“麻薬戦争”を始めてから現在に至るまでに、3万人近い人が行方不明になっている。死者は約15万人だ。社会派の現地週刊誌『プロセーソ』は、2015年2月7日掲載の記事の中で、カルデロン前政権とペニャ・ニエト現政権其々の失踪者に関する公的データを分析し、「カルデロン前政権下では1日平均6人が失踪していたが、ペニャ・ニエト政権下ではその倍以上、平均13人だ」と指摘した。これらの事実は何を意味しているのか?

「犯罪組織は今、手下に『何をしてもいいが、出したゴミは片付けろ』と指示しているんだ」――。カルロス・クルス(39)は、そう切り出した。彼はギャング団の元リーダーで、2000年にギャングを辞め、貧困層の子供や若者に非暴力の精神を広めるNGOを率いてきた。彼の許へ集まる若者たちの中には、麻薬カルテルと繋がる者もおり、犯罪組織の動向に詳しい。「つまり、『数年前までのように、町中に死体が転がっているような状況は避け、殺した相手も理めるか焼くかして、兎に角、証拠を消せ』ということなのさ」。その背景として彼は、犯罪組織と政府関係者の繋がりの緊密化を挙げる。「誘拐や殺人の裏には、麻薬カルテルのような犯罪組織だけでなく、彼らと繋がっている警察・軍・司法・行政関係者がいる。だから、遺体という証拠が残る殺人事件ではなく、犯人の特定と逮捕が難しい失踪事件にしたいのさ」。確かにその見解は、実際に起きていることを上手く説明している。政府機関によって正式に集められたデータに基づいてみても、失踪者は現政権になって急増しているのに対し、殺害された人の数は、前政権最後の年である2012年に年間2万6037人だったのが、現政権下の2014年には1万4413人に減っている。遺体が発見されるケースは、現政権になってからぐっと減っているということだ。若しそれが、カルテルやその下部組織といった犯罪組織と、様々なレベルにおける政府関係者との繋がりに関わっているとすれば、何故前政権と現政権とで、その違いが生まれているのか? その裏には、本誌2015年12月号に書いたハビエル・シシリアのインタビューでも触れられた“PRI(制度的革命党)という政治文化”があると考えられる。詩人でジャーナリストであるシシリアは、2000年から2012年まで続いた国民行動党(PAN)政権に代わり、2期ぶりに与党に返り咲いたPRIの統治スタイルについて、こう語っている。「大統領という名の大ボスが、マフィアも政治腐敗もコントロールする」。PAN政権期は皮肉にも、それ以前の70年余り続いていたPRI的政治スタイルが崩れ、麻薬戦争が激化し、大勢の血が流れることになった。各地方及び国家レベルで築かれていたPRI関係者と犯罪組織との共存関係が機能しなくなり、目立つ殺人事件にせずに、“取り引きで事を穏やかに収める”ことができなくなった為と推察される。ところが、PRIが政権に復帰すると、物事が再びPRIスタイルへと収まり始めているようだ。但し、実際に殺人の犠牲者が減ったかどうかは、行方不明の人たちの実状が明らかにされない限りわからない。

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「中国国民を証明するものが無い」――“一人っ子政策”の歪みが生み出した1300万人の“闇っ子(黒孩子)”

中国が人口抑制の為、36年に亘り実施した『一人っ子政策』が昨年末で廃止され、今年から全ての夫婦が第2子まで持つことが可能となった。だが、女児の中絶が相次いだことによる男女比の著しい偏りや、1300万人に上る戸籍を持たない人の存在等、社会に生じた歪みは、容易に解消できない負の遺産だ。 (北京支局 中川孝之)

20160425 09
北京市東城区。低所得者の平屋が密集する集落に、母と2人で暮らす李雪さん(22)には戸籍が無い。第2子の李さんが生まれた際、“社会扶養費”と呼ばれる超過出生の罰金5000元(約8万5000円)を両親が払えなかった為だ。李さんは、「私も中国の国民なのに、存在を証明するものが無い」と嘆く。李さんのような無戸籍者は“黒孩子(闇っ子)”と呼ばれる。政府は全人口の1%近い約1300万人いると推計するが、数千万人に上るとの見方もある。大半が社会扶養費を払えなかったことが原因だ。李さんは一度も学校に通えず、8つ上の姉に読み書きを教わった。「近所の幼なじみも小学校に入ってからは遊んでくれず、毎日泣いていた」。中国では、鉄道や長距離バスの切符を買う時に身分証の提示を求められる。戸籍を持たず身分証も無い李さんは、北京を出たことも無い。医療機関で診察を受けることもできない。妊娠がわかった時、母(56)は中絶しようとしたが、医師に危険と警告され、出産した。その結果、職場の工場を解雇された。李さん一家は「止むを得ぬ事情で出産した」と訴え、李さんの戸籍を認めるよう政府に陳情を繰り返してきた。損害賠償を求めて提訴もしたが、却下された。公安当局は一家を危険視し、自宅周辺に監視カメラを設置。皮革工場の工員だった父は一昨年、李さんの将来を案じつつ病死した。中国政府は今年1月、全ての無戸籍者に戸籍を取得させることを発表したが、李さんには未だ何の連絡も無い。「私たちの訴えを無視してきた公安当局が憎い」と言う李さんは今、法律関係の書籍を読んで猛勉強中だ。「戸籍が回復したら資格を取って、社会の役に立ちたい」と語る。

20160425 10
■花嫁の来ない村
中国で“独身村”と呼ばれる農村が増えている。陝西省の西安から車で3時間の柞水県竜潭村もその1つ。「仕事も妻も無い。毎日退屈だ」。馬明さん(仮名・43)はぼやいた。約270人の村民の内、30人ほどが50歳までの独身男性だ。数少ない若い女性は都会へ去った。馬さんは昨春まで、青海省での肉体労働で日銭を稼いだが、父が亡くなり、病気がちの母(64)と暮らす為に村に戻った。母は、「息子は内気な性格。お金も無い田舎に誰も来てくれない」と焦りを滲ませた。新生児の男女比は、女児100人に対し男児105人前後が正常とされる。しかし、一人っ子政策の開始後、1980年代から男児の割合が増え続け、一時は120人を上回った。中国は男尊女卑の伝統が根強い。本来は違法である胎児の性別判定を行い、女児なら中絶するケースが相次いだからだ。西安交通大学の李樹茁教授は、一人っ子政策の実施期間に「(人工中絶等で)生まれる筈の女児2000万~3000万人が誕生しなかった」と推定する。この間の新生児は男児が約3000万人多く、今後、続々と“結婚適齢期”に入る。竜潭村の馬さんら40歳代の男性を含め、嫁不足が更に深刻化することが指摘されている。李教授は、「男性余りの状況は社会不安や犯罪を誘発する」と警告する。江西省では昨年8月、農村に“花嫁”として売る為に誘拐された知的障害の女性10人が、警察に救出された。河北省で一昨年、ブローカーを通じて農村に嫁いだ約100人のベトナム人花嫁が、現金を受け取った後に集団脱走する事件も起きた。竜潭村の馬さんの知人男性によると、村でも障害を抱える女性を現金を支弘って迎え入れたものの、暮らしが上手くいかずに離婚した人がいるという。

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「北朝鮮は今、覚醒剤とセックスで狂っている」――脱北者が独裁政権暴走の実態を激白!

水爆実験に続き、事実上の長距離弾道ミサイルの発射に踏み切った北朝鮮。世界から幾ら村八分にされようが暴走を止めないその国で今、何が起きているのか。命懸けの逃避行を決行した脱北者が、遂に実態を語った――。 (取材・文/フリーライター 柳邦男)

20160419 05
「前政権に比べて食糧事情は改善するところか悪化し、物価も上昇している。生活は酷くなる一方だ」――。苦渋の色を浮かべながら、男はこう訴えた。刻まれた深い皺、虚無感さえ感じさせる鈍い眼光。その顔が、壮絶な人生を雄弁に語る。男の名前は李相峯(イ・サンボン)、61歳。金正日政権時代の2000年代末期、家族を残して北を出奔した。日本での生活を始めて随分経つが、今でも現地の家族らと年に数回連絡を取り合っている。漏れ聞こえるのは、荒廃していくばかりの同胞たちの悲惨な暮らしぶりだ。「通常の仕事の合間に“社会奉仕活動”と称する農村支援や、“社会労働”との名目での建設作業に駆り出されることが増えた。勿論、全て対価はゼロだ。外貨稼ぎのノルマも課せられ、薬草や木の実、1人当たり2kg分の松茸を収穫すること。カニ等の水産物も取らされる」。昨年秋以降、北海道から兵庫県にかけての日本海側では、北朝鮮船籍と見られる木造船が漂着するケースが相次いだが、「漂着した船に乗っていた人の多くは、正恩の命令で漁に出た北朝鮮人民だろう」(李氏)。過酷な暮らしを余儀なくされる北の人々の暮らしを支えるのは、様々な“闇商売”だ。「物資は闇営業の市場で仕入れることが多い。販売されているのは、中朝国境から持ち込まれる密輸品だ。北のものを中国に密輸して外貨を得るケースも多い。最も人気なのはオルム(氷=覚醒剤の隠語)だ」。李氏によると、国家ぐるみで覚醒剤の生産を行っているという。原料は主に中国から持ち込まれ、郊外の都市や咸興(咸鏡南道)・平成(平安南道)・羅南(咸鏡北道)等にある製薬工場で製造されるという。「国が製造したオルムの一部が、我々市民にも流れてくる。それを中朝国境を行き交うブローカーを通じて中国に密輸する。余った分は自分たちで使う。風邪薬や鎮痛剤の代用品にしたり、ストレス解消や頭痛・下痢にも効果がある。国から1kgの製造指示が出たら2kg作り、残りの1kgは闇に流す。簡単だ」。中国との密貿易を行うブローカーを通じて、主婦や学生らの間にもシャブは浸透している。当局も黙認している状態だというが、原則として一般市民の間での取り引きは禁止されており、隠し持っていたことが発覚すれば過酷な刑罰を食らうことになる。「見つかれば直ぐに教化所(刑務所)送りになる。それでも、食べていく為には背に腹は変えられない。私自身も、北にいる時はkg単位で取引していた」。

20160419 06
独裁者の圧制下では、多くの一般市民の命の犠牲になってきた。政治犯の摘発を行う秘密警察『国家保衛部』や『国家安全部』(警察)が住民の動きに目を光らせており、その手に落ちれば過酷な運命が待ち受けている。「処刑は日常茶飯事で、正日政権時代には3ヵ月に1回のペースで公開裁判と称する銃殺刑が行われていた。郊外の山の麓や河原等に地区の住民を集め、衆人環視の中で銃殺する。見に行かないと当局に危険人物としてマークされる為、見に行かざるを得ない」。住民が圧政に苦しめられる一方で、朝鮮労働党や朝鮮人民軍の幹部たちは自らの欲望を満たすべく、腐敗の限りを尽くしている。「映画撮影所で密かにポルノビデオを作る幹部もいる。自分で楽しむのと同時に、この“北朝鮮ポルノ”を香港やマカオで売り捌く。結構な外貨残ぎになるようだ」。2013年12月に元ナンバー2の実力者・張成沢氏が処刑された時にも、この“北朝鮮ポルノ”の存在が取り沙汰され、張氏が作ったポルノビデオが正恩の怒りを買ったという話が実しやかに囁かれた。「全国の舞踊団や歌劇団、劇団に所属する女性を愛人として迎える党や軍の幹部は多く、夜な夜な乱痴気騒ぎを繰り広げる。正恩自身も、女優を自らの妻として迎えている。だが、一般市民の性生活は厳しく制限されていて、アダルトビデオを隠し持っているところを見つかれば、下手すれば処刑されてしまう」。ある若者は、日本のAVに感化されて恋人と行為に及んでいたところを見つかり、恋人と共に処刑されたという。労働・思想、果ては“下半身”まで――。市民から全ての自由を奪い、核武装への道を直走る正恩。気になるのは、その暴走が不測の事態を招くことになりはしないかということだ。「北からアメリカや日本・韓国に先制攻撃を仕掛けることは考え難い。ただ、有事になれば女子供まで動員する予備部隊のシステムも作り上げており、魚雷や戦闘機を使った自爆攻撃の訓練も行っているという話だ。何を仕出かすかわからない」。狂気じみた独裁者の存在で、朝鮮半島が火の海になる危険が日に日に高まっている。


キャプチャ  2016年4月号掲載




テーマ : 中朝韓ニュース
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台湾総統選、国民党敗北でどうなる?――プロレス化する中国・台湾対立の今後

中国と台湾は何故、いつも対立し合い、仲が悪いのだろうか? 近親憎悪か、それとも根深い歴史があるのか? 今更、人に聞けない中国と台湾の対立を丸分かり解説する。

20160413 04
今年1月中旬に行われた台湾総統選で、野党『民進党』の蔡英文主席が与党『国民党』の候補に大差をつけて圧勝した。南部・高雄市の地震によって被害が広がる台湾だが、この選挙結果が台湾と中国の間で新たな火種となっている。民進党は台湾の独立を主張してきた政党で、中国との“統一”を主張する国民党と政争を繰り広げ、罵り合い、両党の議員が殴り合ったりしてきた。主席の蔡英文も、今回の総統選で表立って台湾の独立を主張しないが、本来はバリバリの独立派として知られる。しかし、中国(中華人民共和国)の言い分は、「台湾は国家ではなく、飽く迄も“台湾省”という中国の一部だ」というもの。抑々、台湾の住民たちが自分たちで総統というリーダーを直接選ぶこと自体が、中国政府にとっては面白くないというのである。総統というのは、英語で言えば“プレジデント”のことだ。台湾は『中華民国』を名乗っており、台湾総統は中華民国の大統領ということになる。これは、台湾を国と認めない中国にとって許し難いことらしい。実際、中国側は早速「誰が当選しようと、如何なる形式の台湾独立も許さない」「若し台湾が独立しようとするなら、武力の使用も辞さない」と牽制し、咋に不快感を示している。総統選を機に、台湾と中国の対立が俄然、きな臭いものになってきたのだ。中国は2005年に『反国家分裂法』という法律を作り、台湾が独立宣言等に踏み切った場合、武力を行使する可能性も明記している。中国の軍事費の増大、特に海軍増強の目的は、台湾有事を睨んだものだ。中国の国防戦略は、強大な軍事力でアメリカと対等に渡り合うこと。アメリカと戦争して勝とうというのではなく、台湾独立等の重大な問題が起きた時、アメリカの圧力を跳ねのける力を持つことを目標としている。東シナ海や南シナ海での中国の海洋進出も、そういう目的が含まれている。中国にとって、台湾はそれくらいナーバスな問題らしいのである。一体、台湾と中国は何故対立しているのか。

抑々、台湾と中国の対立には日本が大きく関係している。1894年から翌年まで続いた日清戦争で、清、つまり当時の中国に勝った日本は、下関条約によって台湾を清から奪い取った。ただ、当時の台湾は人口が少なく、産業も無く、清朝にとっては取られてもどうってことのないものだったのである。日本はインフラや農地を整備して、台湾に産業基盤の基礎を作り、義務教育を導入して住民が読み書きできるようにした一方、植民地化する際に、軍が抵抗する住民を武力によって鎮圧し、1万人以上を殺害。警察力による強権政治によって台湾を支配した。因みに、この当時から台湾に住んでいた人たちを“本省人”と言い、現在も台湾の人口の約85%を占めている。その後、太平洋戦争で連合国に敗れた日本は植民地を放棄し、台湾は大陸の中華民国に返還された。しかし、問題は台湾が返還されたのが『中華人民共和国』ではなく、蒋介石率いる国民党の『中華民国』だった ことだ。当時、毛沢東が率いる中国共産党は未だゲリラ組織に過ぎず、中国大陸は中華民国の支配下にあった。ところが、国民党と共産党の内戦が始まると、日本軍の兵器を接収したソビエト連邦が中国共産党を援助し、力関係が一気に逆転。中国共産党は内戦に勝利し、1949年10月1日に北京の天安門から中華人民共和国の成立を宣言する。この時、敗れた国民党が逃げ込んだのが、彼らに唯一残された支配地域の台湾だったのだ。当時、大陸から台湾に移民した国民党の官僚や軍人、その家族は200万人以上に上り、この人たちのことを“外省人”と言う。国民党は台湾の政治・経済の実権を握り、その前から台湾に住む本省人を徹底的に抑圧。住民が蜂起して暴動を起こすと2万人以上を虐殺し、日本の植民地時代に教育を受けた知識人たちも根こそぎ殺されたという。同じ日本の旧植民地でも、韓国に比べて台湾には親日の人が多いが、それは「当時の国民党に比べれば日本のほうがマシだった」ということもあるだろう。国民党が支配する台湾の中華民国と、大陸の中華人民共和国という“2つの中国”は、こうやって生まれたのだ。しかし、この時、毛沢東が直ぐに台湾を攻撃して軍事的決着を付けていれば、現在のような問題にはならなかった筈。それをしなかったのは、当時の中国共産党に海軍が無かったことに加え、1950年6月に朝鮮戦争が勃発した為だ。北朝鮮に肩入れする社会主義勢力のソ連や中国に対し、アメリカは台湾を経済的・軍事的に援助することで対抗した。台湾と中国の対立は、“冷戦構造”が生んだものでもあったのである。

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【特別寄稿】 「世界の真の敵はイスラム恐怖症である」――“現代最高の知性”エマニュエル・トッドが読み解くヨーロッパの病理

20160405 01
昨年、フランスでは社会を揺るがす2回のテロがありました。1月7日の『シャルリーエブド』襲撃事件と、11月13日の『パリ同時多発テロ』です。現在、フランスは“闇の中”に沈没しつつあります。それを齎しているのは、多くの犠牲者を出したテロそのものではありません。非常に力を持っている中産階級(社会全体の上位半分)が、移民や若者といった下位の階級の人々に対して利己的な態度を取ることによって、社会がそういった人々を吸収・統合する能力を失っている現象に他なりません。“自由・平等・友愛”というフランス革命以来の標語に基づく共和国の在り方は消えつつあるのです。フランスを始めとするヨーロッパの中産階級には、ヒステリックなイスラム恐怖症が蔓延しています。しかし、そこで悪魔のように語られるイスラム教徒は、実像を反映したものではなく、人々が極めて観念的に作り上げたフィクションです。失業率が10%を超えているフランスは、経済的な苦境に立たされています。そして、全ての先進国に共通する特徴の1つは、若者たちが社会的にも経済的にも押し潰されようとしていること。中でも厳しい状況に置かれているのが、イスラム圏を出身地とする若者たちです。イスラム恐怖症は、経済的に抑圧された若者を社会から疎外させ、事態をより深刻にしています。フランスの社会的メカニズムの一部となりつつある不平等さ・不寛容さが、フランスの若者をテロリズムに導くことに繋がっているのです。シャルリーエブド事件の直後、パリ市内、そしてフランス各地の街角で「私はシャルリー」(Je suis Charlie)とメッセージを掲げる数百万人の市民が繰り広げたデモ行進は、まさにそうした無自覚な差別主義の発露でした。差別されている弱者グループの宗教の中心人物であるムハンマドを冒涜することは、宗教的・民族的・人種的憎悪の教唆と見做さなければなりません。大いに美化された“表現の自由”を訴える。“シャルリー”たちの主張からは、観念的なイスラム恐怖症が見え隠れし、平等や友愛の精神は置き去りにされていたのです。ヒステリックな反応の嵐が吹き荒れる中、シャルリー現象への僅かな疑いすら述べることが許されない風潮がありました。いつの間にか、「私はシャルリー」という決まり文句は「私はフランス人」と同義になり、ムハンマドへの冒涜はフランス人の“権利”ではなく“義務”となっていたのです。ムハンマドの風刺をフランス社会の真の優先事項と見做さなかった私は、昨年1月の事件の後、演出された挙国一致の世情に嫌気が差して、数ヵ月間に亘ってフランス国内メディアからのインタビュー依頼を全て拒否しました。尤も、「私はシャルリー」と声高に叫ぶ人々は、「自分たちこそがフランス革命の理念の体現者である」と信じて疑わなかった訳ですが。

こういった一連の事象の背景にあるものとして、現代フランスにおける宗教的危機の状況を強調しない訳にはいきません。つまり、集団的信仰としての宗教が消えてしまったということ。嘗て、フランスにおいて中心的だったカトリックは、すっかり社会の本流からは消滅してしまいました。結果として、個人は益々超個人主義的になって孤立しています。こうした精神的な空白から、拠り所を失ったフランスの支配階級は、自己陶酔的な肯定の場を“反イスラム”に求めているのです。都市郊外の若者や一般の労働者は、昨年1月11日にフランス各地で行われた巨大デモには殆ど参加しませんでした。逆に、シャルリー運動に高いパーセンテージで参加していたのは、最近までカトリックだったが今はそうでない諸地域の人々だったことが、各種の調査から明らかになっています。宗教的危機と経済問題で顕著になっている社会の統合能力の低下を前にして、指導者だけではなく、中産階級全体が本来取り組むべき問題を解決しようという気持ちを失っています。寧ろ、危機の本質から逃れる為に、「フランス全体がイスラムに対して戦争状態にある」と信じさせようとしています。「イスラム教をスケープゴートに仕立て上げることで統治をしよう」と政府が(無意識かもしれませんが)動いており、国民もある程度は追随している状態にあります。1年前のテロの際には、宗教的危機に便乗する形で、政府が心理的ショックを利用して一致団結を演出しました。オランド大統領は大規模なデモの実施を決め、全国的な動員へと繋がりました。そして、休刊を余儀なくされたシャルリーエブドは、政府の助成金によって特別号を発刊しました。再びムハンマドを冒涜する表紙と共に――。“自由の国”フランスは、暗い歴史を背負っています。例えば、第2次世界大戦中にナチスドイツに協力したヴィシー政権は、それまでの共和国的な価値観を放棄して全体主義的な政体を築きました。このままの歩みを続ければ、フランスは近い将来、再び同じような変容を迎えることになりかねません。これは誤解してほしくない点ですが、私は決して心楽しく、「祖国が夜の闇にのめり込んでいる」と指摘している訳ではありません。こう発言せざるを得ないことは、自分にとって気持ちの上でとても辛いことです。自分の知っているフランス、そして自分の愛する世界が失われてしまう訳ですから。

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テーマ : 国際政治
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現在でも亡命者は毎年数百人、ヒマラヤを越える命のリスク――中国に抑圧されたチベット亡命社会の中心地・ダラムサラの知られざる現実

これまで140人もの僧侶が焼身抗議している中国のチベット人。僧侶のみならず、命懸けの亡命者も絶えない。彼らを待つのは、インド北部のダラムサラにある亡命政府だ。だが、その現実は殆ど知られていない。ダラムサラは今、どうなっているのか?

20160329 05
「思ったより都会だな」――。ダラムサラを訪れたのは2003年の夏。12年以上前のことだが、街の第一印象はよく覚えている。インドの貧しい農村を巡った後に訪れたからかもしれない。或いは、「ダラムサラは亡命者の集う悲劇の街だ」と思い込み過ぎていたからかもしれない。外国人向けのゲストハウスは雨期にも拘らず満室で、管理の行き届いた良質なレストランが何軒か。抑々、このような施設があること自体、インドの周辺の街と比べれば洗練されていた。とりわけ、ここは確かにインドなのに、買い物に「値段交渉が必要ない」ことに驚いた。とは言え、メイン道路の一部を除けば道は未整備。外出すれば泥だらけになったが、交差点の角にはそれ以上に泥だらけで物乞いをする亡命者がいた。彼らの殆どが凍傷で、手足の指が無かった。チベット人が経営するゲストハウスのドミトリーでは、不良イスラエル人の男女3人と相部屋になった。彼らは夜な夜な音楽をかけ、騒いでいた。ホテルの人は、「1990年代中頃までは物好きかトレッキング客しか来なかったが、最近は欧米人バックパッカーが増えた」と話す。併設のレストランのメニューはチベット語と英語の表記で、ウェイターの女の子も英語を話せた。ピザやパスタを出す店もあり、旅行者の多さを物語っていた。「1週間後にダライ・ラマ法王のティーチングがある」と聞き、申し込んだ。その当日は、外国人ということで最前列に座らせてもらった。法王は身振り手振りを交えながら英語で優しく語っておられたが、こちらの語学力のせいで話の細かなニュアンスは理解できなかった。それでも慈悲と愛、平和の心は伝わってきた。法王は、よく笑った。何より、それまで会った誰よりもオーラを纏っており、正視できなかった。チベット人と同様、恭しく下から仰ぐことしかできなかった。前年、チベット本土のギャンツェを訪れた時、白居寺の釈迦牟尼像の前で五体投地をする巡礼者が、金色の像を一瞥もせず、只々真言を唱え続けていた姿が脳裡に過った。会う人会う人、亡命者はあまりにいい人ばかりで、寧ろ「いい人でい続けなければならない」宿命を背負っているようにも見えた。街外れに「チベット仏教を修めた」というドイツ人が瞑想教室を開いており、何やら盛況そうだった。「ダラムサラは、中国の迫害を逃れたチベット人ばかりが住む街だ」と思っていたが、どうやらそのイメージとは違っていた。

先ずは街の基本情報を紹介しよう。ダラムサラはインド北部のヒマーチャル・プラデーシュ州に位置し、パキスタン国境が近い避暑地。人口は、インド政府の国勢調査に依ると、2001年時点で凡そ2万人。一方で6万人とするデータもあり、亡命者の流動性の高さや避暑地という立地から、人口推移の激しさが見て取れる。地元のインド人を始め、出稼ぎのインド人やネパール人も住んでいる。中長期的に滞在する欧米人も多い。高所に拓かれた地を“アッパーダラムサラ(マクロードガンジ)”、稍低い地は“ロウワーダラムサラ”という。標高は1300~2000m。アッパーダラムサラは1700~1800m付近が中心地で、街は500m四方のエリアに集中する。マーケットや主要機関はメイン道路沿いだが、居住地は山腹に築かれている。気温は夏季でも30℃を超えることは少ないが、冬季は氷点下まで下がる。ダライ・ラマの公邸や政府関係施設があり、亡命者の多くが住んでいる為、一般にダラムサラとして知られるのはアッパーダラムサラ(以下、ダラムサラ)だ。ロウワーダラムサラにはインド人が集住する。尚、国家ではないので、特別な許可証やビザは不要。インドに入国さえすれば、気軽に行ける。アクセスは、デリーからは1日数本の直行バスがあり、片道10時間から12時間。電車ならデリーからパタンコットまで10時間ほどで、そこからバスかタクシーを利用すれば2~3時間で着く。何れのルートを利用しても半日ほどかかる。観光シーズンはチベット暦の旧正月に当たる2月から4月、雨期前の5月から6月、雨期後の10月から11月。統計データは無いが、年間2万人以上の観光客が訪れると言われ、旅行誌では北インドエリアの観光地の1つとして紹介される。では何故、この街に亡命政府が設立されたのか。その歴史や亡命の経緯は、亡命政府の宗教文化省にも勤めていたイギリス人のジェレミー・ラッセル著『Dharam-sala: Tibetan Refuge』やダライ・ラマ著『ダライ・ラマ自伝』に詳しい。以下、簡潔に紹介する。ダラムサラはイギリス領インド時代に、植民地行政官が過ごす避暑地として拓かれた。1905年に、北インドを襲った地震で壊滅的被害を受け、行政官が土地を離れた為、街は急速に衰退した。加えて1947年、インドとパキスタンが分離独立。残っていたイスラム教徒がパキスタンに移民した為、ダラムサラは地元のインド人が住むばかりの山村になっていった。

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「私はイギリス国王の良き妻であれば満足」――チャールズ皇太子の妻となって10年、飾らない姿で慈善活動に努めるカミラをイギリス国民は“王妃”と認めるだろうか?

2005年にイギリス王室・チャールズ皇太子の妻となった後も、ダイアナ妃(故人)を苦しめた元愛人として厳しい目に晒されてきたコーンウォール公爵夫人のカミラ。明るく出しゃばらない人柄に好感を抱く国民も増えてきたが、チャールズが国王になった時に“王妃”になれるかはわからない。 (取材・文/フリージャーナリスト アンジェラ・レビン)

20160206 13
何れイギリス国王となる男の妻が、ロンドン郊外の『性暴力被害者支援センター』に裏口からこっそり入っていく。「正面から入って写真を撮られたら、この施設の場所が公になりかねない。それは困る」と、コーンウォール公爵夫人のカミラ(10年前にチャールズ皇太子と結ばれるまではカミラ・パーカー・ボウルズ)は考えていた。裏口から入れば、待ち受けているであろう取材陣の姿も人目に付かず、建物の場所が部外者に知られることを防げる。自分に性的虐待を加えた者から身を隠すことは、施設内の女性たちにとって極めて重要なことだ。施設内での彼女は、職員や性暴力の被害者を紹介される度に身を屈めて握手をした。普通、王室のメンバーが一般人と握手する時よりも、ちょっと心の籠もった態度だ。地味なブルーグレーのスーツを纏い、襟に繊細な蜻蛉のブローチを着けたカミラは、一部の女性が着けている鼻ピアスにも腕のタトゥーにも動揺しなかった。彼女たちの多くが膝を曲げてお辞儀をしないのも、規則通りにカミラを“マダム”と呼ばないのも気にならないようだ。「有名人も王族も、性暴力の問題には距離を置きたがる。悲惨過ぎるからね」と言うのは、同センターの責任者であるイボンヌ・トレイナーだ。「でも、彼女は違う。誰とでも直ぐに打ち解けるし、怯むこともなく、妙に犠牲者を哀れんだりもしない。あの人は私たちと同じで、急にスポットライトを浴びてしまったけれど、普通の人。その証拠に、自分のお金も自分で持ち歩いている」。トレイナーだけではない。カミラに好感を抱くイギリス国民は増えてきた。何しろ、彼女は極自然に、支配層のエリートではなく普通の人として振る舞える。だから、ダイアナ妃との結婚当時からチャールズ皇太子と関係があったとされるカミラに対する国民感情も、劇的に変化しつつある。生前のダイアナは『BBC』のインタビュー(1995年11月放送)で、名前こそ挙げなかったものの、カミラの存在について「私たちの結婚には3人の人間がいた。だから、少し窮屈だった」と語っている。美しく、か弱そうで、しかも1997年の突然の事故死で悲劇のヒロインとなったプリンセスにそこまで言われた女性が名誉を回復するのは、大変なことだったに違いない。しかし、チャールズと結婚してから10年が経ち、カミラに対する世論の風向きもかなり変わった。但し、チャールズが王位を継いだ時、カミラを“王妃”と呼べる保証は無い。

王室に近い筋に依れば、チャールズは「自分が国王となる日に、カミラにも載冠させたい」と切に願っている。“愛人”として非難されてきた過去に区切りを付け、生涯の伴侶として国民に完全に受け入れてほしいのだ。チャールズは、「何れ国民も受け入れてくれる」と期待しているようだ。しかし彼は、自分の願いが叶わない可能性も承知している。2015年4月、2人の結婚10周年を前に発表された世論調査に依れば、カミラを“王妃”と呼ぶのに反対と答えた人は全体の35%に上った。国王の妻の呼称については正式な規定が無く、どのような呼称を用いるかを決めるのは議会ではなく国王だ。言い換えれば、妻を“カミラ王妃”とするかどうかを決める権限は、王となったチャールズのみが持つ。法的には、チャールズが即位すればカミラも自動的に王妃となるが、問題はそう単純ではない。2人の結婚に際して王室は、「チャールズが王位を継承した場合のカミラの称号を“王配殿下”とする」と正式に発表しているからだ。カミラに近い人たちに依れば、本人は呼称のことなど気にしていない。「彼女には『王妃になりたい』という野心は無い。ただ、夫を支えたいだけだ」とカミラの甥であるベン・エリオットは言う。彼女が王妃になれるかどうかは、ダイアナが残した2人の王子との関係を国民がどう見るかに左右されるだろう。ダイアナが他界した後、国民の間に深い悲しみよりも強い感情があったとすれば、それは1997年9月6日の葬儀の際、ウェストミンスター寺院に向かう母の棺に従って、涙を堪えて歩いていた当時15歳と12歳の王子を「守らなければ」という共通の思いだった。世界中が涙したあの時、カミラは賢明にも(他に選択肢は無かったのだが)できる限り人目に付かないようにしていた。だが、それから数ヵ月後、ダイアナの長男は、10代の少年にしては考えられないような“大人の判断”をして、その悲しみに対処することになった。母の死から1年と経っていない1998年6月のある日、ウィリアム王子は自室があるセントジェームズ宮殿へ予告無しに帰った。バッキンガム宮殿に近い同宮殿には、王族の中の高齢者や独身者が住んでいるが、その日はカミラがチャールズの部屋を訪れていた。この機を捉えて、チャールズはウィリアムに「カミラに会う気があるか?」と尋ねた。ウィリアムは同意した。チャールズはウィリアムの部屋にカミラを連れて行き、その場を去った。

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【インタビュー・明日を語る2016】(03) テロ対策“非軍事”も重要、難民受け入れは長い目で――前ドイツ首相 ゲアハルト・シュレーダー氏

20160108 04
昨年11月のパリ同時テロは、人類にとって恥ずべき行為だった。私は必要な限り、テロとの戦いを支援したい。この事件の背後にいるイスラム過激派組織『ISIS』(別名:イスラム国)に対し、軍事作戦を展開せねばならない。ただ、ISISのような組織との戦いは、軍事作戦だけでは十分でない。(ISISが拠点にする)シリアで起きている紛争には、平和的な外交手段に依る対処も必要だ。3つの対処法が挙げられる。先ず第1は、シリアの政治問題の解決だ。(米欧やロシア・中東等の関係国がシリア和平への工程表で11月に合意した)ウィーンでの協議が小さな希望となっている。(シリアのアサド政権を支える)ロシア抜きで、協議は成立しない。アサド大統領との対話も必要だと確信している。2番目に重要なのは、ISISに対する軍事作戦。3番目は、西欧諸国が警察や司法の力でテロ攻撃を封じ込めることだ。こうした手段の一方で、ヨーロッパで暮らす移民出身の若者に、将来への展望を与えることが重要だ。若者が良い職業に就き、経済的な恩恵を感じられる機会が無ければ、(テロ事件への関与等)深刻な問題を生む。このことは、テロ事件の起きたフランスで明白になった。教育や福祉政策を充実させ、移民出身の若者を上手く労働市場に組み込んでいくことが必要だ。私が首相在任中の2001年、国際テロ組織『アル=カーイダ』に依るアメリカ同時多発テロが起きた。当時、私は『北大西洋条約機構(NATO)』での決定に基づき、決断をした。アメリカが(空爆を始めた)アフガニスタンでの支援を要請し、我々は軍事的手段でそれに応えた。NATO加盟国としての義務であり、派兵の判断がぶれることはなかった。今も、この時の決断は正しかったと考える。2016年5月に三重県で開催される主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)、更に2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向け、日本はテロの脅威と向き合うことになる。だが、国民の“自由の権利”を侵してはならない。国内の安全保障とのバランスを保ちながら、対処することが重要だ。

ドイツでは今、難民危機への対処が最重要課題として論議されている。2015年だけで約100万人が入国しており、対処できるかが問題だ。メルケル首相は昨年9月、難民を喜んで受け入れる意向を示した。当時、これ以外の選択肢は無かっただろう。問題は、急激な流入を管理できなかったことだ。収容施設の確保を最優先すべきだ。紛争を逃れてきた難民と、経済目的でやって来る移民を(入国段階で)明確に区別する法が整備できていないことが問題だった。受け入れは、人道主義の立場からは正しい選択だったが、計画性を欠いた。政治的な迫害に加え、宗教や性差別に関わる人権侵害から庇護を求める人々が、安全にドイツに来られるようにせねばならない。就労までサポートできる体制を整えることが肝要だ。現在、バルカン半島等から難民ではない人々が紛れ込んで入国しているが、ドイツは全ての人々を受け入れることはできない。「政治難民以外は、出身国に送還されるべきだ」と考える。ヨーロッパ各国が早急に政治決着を図り、分担して難民を受け入れる必要がある。難民たちには、一刻も早く落ち着ける場所が必要だ。『ヨーロッパ連合(EU)』が難民の受け入れ人数を加盟国に割り当てたことについて、一部の東欧諸国が反発していることには納得できない。EUは『ダブリン協定』で、「難民が最初に入国したEU加盟国が難民申請手続きを行う」という取り決めを定めたが、協定に反する行動が相次ぎ、問題を起こした。「メルケル首相が寛容に難民を受け入れる姿勢を示した為に、ドイツを目指してEU入りする難民が殺到した」という批判は間違っていない。将来的に、この難民問題をドイツは克服できると考えている。高齢化社会を迎え、人手が必要だ。(難民として)若い人が大勢やって来ることはチャンスでもある。勿論、不安を抱く人はいる。だが、反イスラム団体が行うデモに参加する人は多くない。ドイツには、市民が難民を手助けし、彼らを温かく迎える土壌がある。1950~1970年代、トルコから迎えた労働者はドイツに留まり、その第2・第3世代が今、社会の第一線で活躍している。難民が社会に溶け込むには10年・15年と時間がかかる。それでも、実現は可能だ。 (聞き手/ベルリン支局 井口馨)


≡読売新聞 2016年1月4日付掲載≡


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「メキシコはもう一度、革命を必要としている」――ハビエル・シシリア(詩人・ジャーナリスト・作家)インタビュー

メキシコシティ生まれの詩人であるハビエル・シシリアさん(59)は2011年3月28日、息子(当時24)を犯罪組織に依って殺害された。それ以来、「息子は呼吸を奪われ、私は言葉を殺された」と詩作活動を停止。『正義と尊厳ある平和のための運動(MPJD)』を率い、活動家とジャーナリスト、両方の立場から国に蔓延る暴力の停止と正義の実現を訴えている。ハビエルさんが現在住んでいるモレーロス州クエルナバカ市(息子さんの遺体は隣町のテミスコで発見された)にある行きつけのカフェで話を聞いた。 (聞き手/フリージャーナリスト 工藤律子)

20160105 03

――息子さんは何故殺されたのですか?
「国家が分断され、混乱しているからです。以前、ここモレーロス州には(マルコス・アルトゥーロ)ベルトラン・レイバというマフィア (ベルトラン・レイバ・カルテル)の大ボスがいました。ところが彼は2009年12月、(海軍に)殺害されました。途端に州内の犯罪組織は分裂し、統制が取れなくなり、麻薬密輸に直接関与できない殺し屋グループで、誘拐・強請り・人身売買等で稼いでいた連中が力を振るい始めました。その日、息子の友人2人はバーにいました。1人は近所の、子供の頃から兄弟のように仲の良かった青年です。デザイナーだったのですが、飲んでいる間に、バーが管理する駐車場に駐めた車の中から仕事用パソコン等が盗まれました。連絡を受けた息子は彼らと共に、友人の叔父である元軍人に相談に行きました。それを知ったバーの主人は犯罪組織の一味だった為、焦ってそのことをボスに連絡し、『軍が来たら拙いから』と息子たちを殺すよう頼みました。するとボスは、『何で盗みなんかしたんだ!』と叱りつけた上で、30万ペソ(約240万円)とトラック2台を報酬に彼らを誘拐し、殺害したのです。犯人は既に全員逮捕されましたが、この事件の後、息子を含む犠牲者の為の十字架が置かれた町の広場(モレーロス州クエルナバカ市)で、MPJDは生まれました」

――この4年半の間、貴方は犯罪組織・軍・警察に依って殺害されたり、誘拐されたまま行方不明の人々の家族と共に、国家に暴力停止と平和と正義の実現を要求する為に、運動を展開してきました。
「カルデロン(大統領。2006年12月~2012年12月)のしかけた戦争は、(軍や連邦警察を使って)麻薬カルテルのトップを逮捕・殺害しましたが、それは真の犯罪の激化と更なる暴力を誘発しました。カルテルは麻薬を販売する企業です。彼らの商売は違法ですが、彼らにしてみれば、商売を邪魔され命を狙われたら当然自衛する。その為に独自の軍隊を作る。軍隊になるのは手下である犯罪グループで、盗みや強請り等をしていた連中です。麻薬戦争が進行するに連れて、彼らは次第に単なるカルテルの軍隊ではなく、凶悪な犯罪組織に変身していきました。つまり、違法薬物との戦いが本当の戦争になってしまったのです。軍がベルトラン・レイバを殺していなければ、私の息子は生きていると確信しています。ベルトラン・レイバは、一般市民の殺害等を許さなかった。彼の家業ではないからです。麻薬取り引きを担えない、冷酷で残忍且つ非人間的な犯罪者たちが、殺人を行っているのです」

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