【殺人事件からわかる子供の生と死】(下) 子供の「死にたい」という欲動が現実行動に繋がるのは何故か?

思春期には多くの場合、自殺願望を抱く子供がいるものだが、それが現実行動になるのはどういう場合か。子供たちを襲う“死にたいという欲動”と他者を破壊する殺人とは、どのように繋がるのか。 (評論家 芹沢俊介)

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広島県呉市の男女7人による集団暴行事件を考えてみよう。2013年6月28日、1人の16歳少女を、同じ16歳の男女7人(21歳の男性が1人交じっている)が集団暴行によって殺害し、その遺体を広島県呉市の灰ヶ峰の山中に遺棄した事件である。先ず確認しよう。暴行事件の主人公は2人、暴行を企て実行した中心人物の16歳加害少女と、被害者となった16歳少女である。両者は共に、嘗て在学した専修学校時代の知り合いである。伝えられている事件の原因のうち、動かし難い要因は1つである。即ち、2人の関係が修復し難く、拗れたことである。報道が拗れの原因として挙げているのは、インターネットのLINE上における2人のやり取りである。2人はLINE上で、お互い口汚く罵りあったのだという。加害少女は、その相手の言葉に殺したいほど立腹し、愚行を思い立った――。それが動機だというのである。他の見方もある。2人は接客業に従事しており、それに関わる金銭上のトラブルが生じたというのである。男女関係の縺れを取り沙汰する報道もあった。2人の間だけのトラブルであるにも拘らず、加害少女は、暴行を決めると直ぐに援軍を思い立っている。一緒に暴行に加わる“友人”を求めたのだ。加害少女の意図は、相手の少女に対する暴力による完全制圧であり、それは、「相手を死に至らしめるまで破壊したい」という願望と結び付いていた。扨て、加害少女の暴行への加担の呼びかけに応じて集まった“友人”たち6人に関して、興味深い事実が明らかになっている。興味深いことの第一は、16歳の男女5人と21歳の男1人の計6人を横に繋ぐ紐帯は何ひとつ無いということ。6人は普段からの仲間でもなければ、知り合いでもなく、住まいも広島・鳥取・住所不定等というように分散しており、加害少女の要請が無ければ顔を合わせることは無かったのである。即ち、俄か暴行集団だったのである。興味深いことの第二は、6人には、被害少女との間に直接的な接点は無かったということ。従って、利害関係や感情面での拗れ等も無かったということである。つまりは、6人が6人、“友人”の呼びかけというだけの理由で、自分に何ら関わりの無い人に暴行を加えようという誘いに乗ったということだ。このことは、私たちに何を告げているのだろうか?

筆者の理解は、こうだ。即ち、6人が主犯少女の呼びかけに応じた理由は、人に暴行を加えたかったのである。加害少女の誘いが、他の6人の中に眠っていた暴力(破壊)衝動を覚醒させてしまったのである。だとすれば、6人が加害少女の指定した場所に集合したその時点で、もう暴行は殆ど制御不能状態になっていた――。そう思わざるを得ない。覚醒した6人の制御不能なくらいに激しい破壊衝動の表出については、加害少女の次の供述から感じとることができよう。車の中で暴行が始まった時、被害少女が助けてほしそうな表情をしたのを、加害少女は読み取った。だが、既に手遅れだった。「もう、私には何もできないと思った。『助けたら今度は自分がやられる』と思い、暴行から目を逸らした」「許そうとしたが、(共犯者たちに)捨てられると思い、できなかった」。ここには、主犯の加害少女さえ自己防衛的にならざるを得ない程の破壊的な事態が進行していたのである。ところで、この論考が拠って立つ仮説 は、暴力、即ち破壊行動と“死にたいという欲動”とは表裏一体であるということであった。一方はその原因であり、他方はその現れ・結果である。この観点から見ると、加害少女の取った破壊行動の凄まじさは、彼女の内部に醸成されていた“死にたいという欲動”の強さと見合っている――。そういう見方が可能になる。裁判過程で明らかにされた加害少女の養育歴によると、彼女は子供の頃から親の暴力を継続的に受けてきた被虐待児であった。言うまでもなく、虐待は、子供の“今ここに・安心して・安定的に・自分が自分であっていい”という存在感覚、“ある”を根底から奪い取る。“ある”を奪われている点で常に不安であり、親に疎まれているという点で常に孤独である。そうした寄る辺なき状態が、被虐待児の内面の現実である。こうした寄る辺なさが、誰によっても慰撫されることなく放置される時に、“死にたいという欲動”が生じる。この“死にたいという欲動”こそが、破壊行動の起源である。自殺という自己破壊行動、それと一見、正反対の現れのように見える人を傷付け、殺そうとする他者破壊行動――。どちらも、同一の欲動の異なる現れに過ぎないのである。このことについては前回、大まかに触れた。このような見方から、暴行に加わった6人の惨憺たる内面を推し量ることができるだろう。寄る辺なき状態という点において、主犯少女と同様の境遇下に育ち、改善されることのないまま、ここに至ったに違いないのだ。以下では、角度を変え、主に被害少年に焦点を当て、更に“死にたいという欲動”という問題の理解を深めたい。

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テーマ : 教育問題について考える
ジャンル : 学校・教育

『殉愛』出版差し止めの裁判を傍聴したら期待以上にバカだった――祝・初出廷! 百田尚樹が裁判で晒したバカっぷりを完全レポート!

世界一バカな作家こと百田尚樹大先生が何と初出廷するということで、本誌編集部員が東京地裁まで行ってきました。証言台に立つ先生がちょっと最高過ぎたので、その衝撃の一部始終をお伝えします!

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■これまでのまとめ
スクープ独占公開! これがやしきたかじんの遺言書だ!――『殉愛』出版で大騒動、渦中の妻が初めて明かす続出トラブルの真相
http://mmtdayon.blog.fc2.com/blog-entry-153.html
百田尚樹氏は「さくら夫人の離婚歴を書かなかったのは失敗だった」と――やしきたかじん『殉愛』泥沼騒動“未亡人vs一人娘”誌上大バトル!
http://mmtdayon.blog.fc2.com/blog-entry-170.html
「百田尚樹さんに40年の絆がわかるのですか」――追い詰められた『殉愛』、やしきたかじん長女が明かす“父娘の真実”
http://mmtdayon.blog.fc2.com/blog-entry-205.html
『殉愛』騒動“異聞”…一周忌メモリアル切手に、やしきたかじん親友写真家「青天の霹靂」
http://mmtdayon.blog.fc2.com/blog-entry-244.html
純愛ノンフィクションの“不純な”思惑を追及!――32万部ベストセラー『殉愛』騒動と“たかじん利権”、これが真相だ!
http://mmtdayon.blog.fc2.com/blog-entry-245.html


晩節を汚したやしきたかじん(享年64)の死後、“3番目の妻”さくらとたかじんとの最後の2年間を“ノンフィクション”と称して美談に仕立て上げたものが、ベストセラー作家・百田尚樹の書いた『殉愛』(幻冬舎)です。因みに、このさくらという女、たかじんだけでなく、結果として百田まで手玉に取った訳ですから、大した玉です。まぁ、ガンで重篤だったたかじんは兎も角、心も体も健康な筈なのに完全にヤラれちゃっている百田は、どんだけバカかって話なんですけどね。そんなバカの百田が3月2日、殉愛裁判に証人として出廷するというじゃありませんか。生のバカ、いや生の百田が、生でバカ発言する様を、この目と耳に焼き付けなければ後悔必至です。今回の裁判のことを知らない方のためにザックリ説明すると、『殉愛』がさくらの主張を垂れ流すだけの、あまりに嘘八百な内容だった為に、一方的に悪者にされたたかじんの長女が名誉を傷付けられたとして、発行元の『幻冬舎』に出版差し止め等を請求したというものです。因みに、世間一般の見解を勝手に代弁させて頂くなら、完全にクロです。勿論、長女サイドではなく出版社サイド、主にさくらと百田ですが、最早、クロどころか“闇”と言ってもいいのではないでしょうか。但し、さくらが「たかじんに関する利権とカネを独り占めしたい」という意図があるようにしか見えないのに対して、百田はさくらに転がされちゃって、普通に騙されて『殉愛』を書いちゃっただけという公算は大きいと思います。その理由はバカだからです。その辺りも裁判で明らかにされればいいと思いますが、どうなんでしょうね。因みに百田ときたら、長女に訴えられたことがわかった2014年11月、自身のツイッターで
と吠えていました。客観的にとても有利な状況とは思えないのに、この自信はどこから来るんでしょうか? いや、寧ろ本当に“隠し玉”でもあるんですかね? という訳で、“おぞましい人間”とやらが誰かも気になります。

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テーマ : 刑事事件・裁判関連ニュース
ジャンル : ニュース

介護業界崩壊の恐るべき実態――虐待に殺人、渦中の介護施設で起きたことは直ぐそこにある超高齢化社会の現実だった!

日本中を震撼させた元介護職員・今井隼人容疑者(23)の手による施設入居老人の殺人事件。今井容疑者が体現したのは、介護業界の地獄そのものだった――。 (取材・文/ノンフィクションライター 中村淳彦)

2014年11月から12月にかけて、神奈川県川崎市の有料老人ホーム『Sアミーユ川崎幸町』(株式会社『積和サポートシステムズ』)で、入居者3人が相次いでベランダから転落死しました。そして昨年9月、その事実を川崎市役所が「転落死はあまりにも不自然」と発表したことで、騒動に発展。当初は事故として処理されていた為、現場検証もされておらず、事件は迷宮入りかと言われていましたが、今年2月16日、事件が起こった夜に何れも当直勤務しており、転落死の第1発見者となった今井隼人容疑者(23)が窃盗の容疑で逮捕されました。この窃盗事件が、思わぬ形で高齢者転落死へ繋がることになります。元介護職員だった今井容疑者は警察の事情聴取で、2014年11月4日未明に87歳の男性利用者の体を抱えて転落させて殺害したという驚愕の供述をして、殺人容疑でも逮捕されることになったのです。真冬の深夜、認知症高齢者が120㎝の柵を超えて、続々と飛び降りるなど考えられないと誰もが思っていましたが、まさか無抵抗の高齢者を放り投げて殺していたとは…。疑いは持たれていたものの、その事実に衝撃が走りました。

20160513 04
将来、日本の高齢者の9割が生活保護水準の生活となる“下流老人”、非正規雇用の蔓延で実家から離れられない現役世代(35~44歳)が305万人に増加すると見られ、親子共々経済的貧困に陥る“老後破産”等、これからの老後と社会保障が大きな話題となっているのも事実。しかし今、まさに問題となっているのは“介護崩壊”なのです。現在、同施設だけでなく、全国の介護施設は限度を超えた人手不足と人材の質の低下が深刻化し、入居者の虐待は日常茶飯事となり、本当に危険な状態なのです。今井容疑者の逮捕によって、同施設で起きている常人の想像を絶する施設の実態が、次々と明らかになりました。その内容は凄まじく、最早、法治国家とは思えません。最初の事件は2014年11月4日、87歳男性の転落死。続いて、同年12月9日にも86歳女性が転落死します。更に、同年12月中旬に89歳女性がトイレ前で倒れて病院に搬送され、10日後に死亡しました。そして、同年12月31日には96歳女性が転落死。これらの事件の第一発見者は、全て今井容疑者でした。原因不明の連続不審死に施設内部が震撼する中で、翌2015年春から施設内で次々と窃盗事件が起こり、同年5月21日に今井容疑者が窃盗容疑で逮捕されます。更に、同年6月28日に高齢者家族が撮影したビデオ映像から、男性介護職員4人による入居者への虐待が明らかになりました。様々な異常事態に行政も隠蔽し切れず、転落死から1年近くが経った同年9月に、川崎市役所は漸く同施設で起きた転落死事件について発表しました。介護業界は人手不足が深刻な上、重労働低賃金、職員たちは不満だらけで人間関係は滅茶苦茶。その為、職員が逃げ出しては人手が不足するという“負の連鎖”が続いています。しかし、この施設で起きた不審死と窃盗が連続するような事態は、まさに異常。それだけでは理由になりません。その実情は一体、どうなっていたのでしょうか。

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テーマ : ブラック企業
ジャンル : 就職・お仕事

連続幼女誘拐殺人事件、“ロリコン犯罪者”宮崎勤の魂が眠る土地を往く――被害者家族を破滅させ、獄門の露と消えた男の末路

戦後日本の犯罪史上、稀に見る残酷さと、幼女への異常な性愛を以て語られる宮崎勤事件。東京と埼玉を跨いで発生した連続幼女誘拐殺人事件は、主犯・宮崎勤が2008年に死刑執行された今も、都市伝説めいた話が浮遊している。宮崎勤は今、敬愛して止まなかった祖父と同じ墓の下に眠っている。この地に至るまで、彼ら一族の身の上にどのようなことがあったのか。今回、数々の事件現場を訪ねてみたが、改めて事件による傷痕の深さを思い知らされる結果となった。 (取材・文・写真/ノンフィクションライター 八木澤高明)

20160509 07
「あそこにカメラを持った何か変な人がいます」。集団下校をする為に校庭に集まった小学生たちが、先生にそう伝える声が聞こえて来た。“変な人”とは筆者のことだった。「早く帰りなさい」。先生がそう促すと、小学生たちの集団は走って学校を出て行った。筆者が不審者に間違われた場所は、埼玉県入間市にある入間ビレッジ7号棟前に架かる歩道橋である。カメラを持って付近を撮影していた筆者は、小学生を撮影にきた不審者だと思われたのだ。その時、「この地区では未だに宮崎勤の亡霊は生きているのだ」と思った。この歩道橋で今野真理ちゃん(当時4歳)が連れ去られたのは、今から27年前の1988年8月22日のことである。事件のあった歩道橋は、入間ビレッジ7号棟と小学校の中間地点に架かっている。この場所を筆者が訪ねたのは、平日の午後3時過ぎ。丁度、宮崎が真理ちゃんを連れ去った時刻である。下校途中の小学生たちが歩いていて、常に人の気配があった。しかし、真理ちゃんが連れ去られたのは丁度夏休みの白昼で、不運なことに人の気配は無かった。入間ビレッジの方角から友人の許を訪ねようと歩道橋に向かう真理ちゃんを見かけた宮崎は、反対側から先回りして、歩道橋の上で彼女を呼び止めた。「涼しいところに行かないかい?」。頷く真理ちゃんを、自身の愛車であるラングレーに連れ込み、自宅から程近い場所にある西多摩郡五日市町(現在のあきる野市)の山林へと向かったのだった。事件からかなりの年数が経ち、この場所を通学路に使う小学生たちは、宮崎が起こした事件を知らないのではなかろうか。ただ、この界隈に長く暮らしてきた人々や小学校の先生たちには、今も生々しい記憶として残っていて、不審者への警戒を怠らないのだ。真理ちゃんを愛車に乗せた宮崎は、入間市から国道16号線を南下。土地勘のあった東京電力新多摩変電所(八王子市)へと向かい、そこで車を止めて、ハイキングコースを歩いて、日向峰の山林の中で真理ちゃんをいきなり押し倒し、絞殺した。翌日も殺害した現場を訪ね、真理ちゃんの性器に指を入れるなどし、その様子をビデオ撮影した。翌年には真理ちゃんの殺害現場から遺骨を持ち帰り、自宅前の畑で家具類等と一緒に燃やしてから骨だけを拾うという奇行に及んでいる。その際、真理ちゃんの半ズボンやサンダルの写真と共に段ボール箱に入れて、両親が暮らしていた入間ビレッジの玄関の前に置いた。連続幼女誘拐殺人事件を盛んに報じていたマスコミによって、送られてきた真理ちゃんの歯が別のものだという報道がなされると、今度は“今田勇子”名義で犯行声明文を送りつけるのである。1件目の犯行を振り返っただけで、悍ましい気持ちにさせられる。その後、宮崎は犯行を重ねていき、合わせて4人の幼女を殺害した。

20160509 08
2人目の殺害は、真理ちゃん殺害から約2ヵ月後の同年10月3日。埼玉県飯能市内の小学校の前で吉沢正美ちゃん(当時7歳)を見かけると、「道を教えてくれるかい?」と言って車に乗せて、真理ちゃん殺害の時と同じように新多摩変電所に連行。ハイキングコースを歩き、真理ちゃんを殺害した場所から100mも離れていない場所で、同様に手を下した。殺害後、これまた性器に指を入れるなどしたが、死んだ筈の体が動いたことに驚き、その場を立ち去ったのだった。3人目に殺害された難波絵梨香ちゃん(当時4歳)は、やはり埼玉県川越市内の小学校の前を1人歩いているところを、宮崎に連れ去られた。真理ちゃんの事件から2ヵ月が過ぎ、季節は冬であったので、「暖かいところに行かないか?」と言って誘い出したのだった。秩父市と飯能市の境にある正丸峠付近で絵梨香ちゃんが泣き出したので、車を止めた。そこで、「お風呂に入ろう」等と言って全裸にさせ、写真を撮った後に殺害。その後、車に積んでいた死体を捨てようと場所を探している内に、山道で車を脱輪させ、慌てて遺体を近くの山林に遺棄した。この時、脱輪した車を、偶々通りかかった自動車販売業者の男性2人が、引き上げるのを手伝っている。彼らの証言によると、この時に目撃した車はカローラⅡだったという。宮崎の愛車はラングレーであるから一致しない。後の裁判で検察側は、2人の目撃者に「ラングレーではなかったか」としつこく聞いたというが、彼らは最後まで「カローラⅡだ」と言い張り、検察側は裁判で証拠採用することを断念している。この3人目の少女殺害に関しては、宮崎が事件を犯したという直接的証拠は何も無く、“宮崎冤罪説”が囁かれる1つの根拠となっている。4人目の被害者は翌1989年6月、江東区東雲団地の公園で、1人遊んでいる野本綾子ちゃん(当時5歳)を言葉巧みに車へと連れ込んだ。車内でガムを与えていると、綾子ちゃんが宮崎の生まれつき抱えていた手の平が上に向かない障害を揶揄ったことに殺意を覚え、車内で事に及んだのだった。その後、死体は自宅に持ち帰り、全裸にした上でビデオとカメラで撮影。同時にマスターベーションに耽った。殺害後、強烈な死臭を放ち始めた死体を、自室でノコギリを使ってバラバラに解体。胴体は埼玉県飯能市にある宮沢湖霊園のトイレに、手首や足首は自宅近くの御岳山に捨て、頭蓋骨は髪の毛を抜き取り、奥多摩の山林に放置したのだった。一連の事件を起こしてから10ヵ月が過ぎようとしていたが、それでも捜査の手は宮崎には及ばなかった。次なる幼女を物色していた同年7月、宮崎は八王子市内の公園で9歳と6歳の幼女を見つけ、6歳の幼女を公園近くの林道に連れ込み、全裸にして撮影しているところを幼女の父親に見つかり、強制猥褻の現行犯で逮捕された。後の自供によって、世間を騒がせた連続幼女誘拐殺人事件の真相の数々が明るみに出るのである。

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【殺人事件からわかる子供の生と死】(上) 子供らを襲う「死にたい」という欲動はどんな要因で起きるか?

あらゆることが個人に帰せられて当然とされる今日、子供たちが学校や家で置き去りにされ、生命さえも危ぶまれているのに、大人たちは何も見ようとしない。何故なのか? それでは、住職の目には何が見えるのか? (評論家 芹沢俊介)

20160506 13
今、子供たちが危機的状況にある。決して大袈裟ではない。大人たちが自分の生活だけに関わっている間に、子供たちはその中で置き去りにされていると言っても過言ではないと思う。そうした現実を幾らかでも知って頂く為に、次に掲げる7つの少年事件を検証したい。どれも、2014年から2015年にかけて起きたものだ。これらの出来事を検討する狙いは、一見すると区々に見える事件の根底に共通する、ある精神の傾きを取り出せるように思えることによる。予め断定的に記してしまうと、子供たちの“死にたいという欲動”である。子供たちは、この“死にたいという欲動”に促されるようにして、様々な破壊行動を表出するのである。破壊行動と“死にたいという欲動”とは表裏一体である。だとすれば、“死にたいという欲動”の所在や作用を明らかにし、その欲動の発生場所と行方を記述できるなら、それは間違いなく、破壊行動として出現する少年事件に対する一定程度の抑止力を提供することになる筈なのである。検討対象である7つの事件とは以下である。

①佐世保同級生殺人事件 16歳高校女子による同級生殺人・遺体損壊(2014年7月26日)
②名古屋女性教害事件 名古屋大学の19歳女子学生による女性殺害(2014年11月7日・容疑者逮捕は2015年1月27日)
③川崎集団暴行死事件 13歳(中学1年生)男子を年長の男子3人が川崎市の河川敷で惨殺(2015年2月20日)
④呉集団暴行死事件 男女7人が集団暴行により殺害した女性の遺体を広島県呉市の山中灰ヶ峰に遺棄(2013年6月28日・容疑者逮捕 は7月14日)
⑤岩手県矢市町いじめ自殺事件 13歳(中学2年生)男子が苛めを苦に自殺(2015年7月5日)
⑥寝屋川中学生男女殺害事件 大阪府寝屋川市で起きた45歳の男性による中学1年男女の拉致殺害(2015年8月13日)
⑦伊勢高校同級生嘱託殺人事件 三重県伊勢市で起きた18歳(高校3年生)男子による同級生女子嘱託殺人(2015年9月28日)


「“死にたいという欲動”は、これらの出来事においてどのような現れ方をしているのだろうか?」――。こう端的に問うことから始めよう。2014年7月26日、長崎県佐世保市で市内の高校に通う16歳の少女が同級生の少女を殺害し、その遺体を損壊するという事件を起こした。16歳の少女は犯行後、「中学の頃から人を殺したい欲求があった」「遺体をバラバラにしてみたかった」と供述したのだった。これほどの年端の行かない時期に、少女の精神は既にかなりの程度、破壊願望に侵蝕されてしまっていたことが知れる。先ずは、このような事実に注目したい。同じ年の12月7日、名古屋市で77歳の女性が、名古屋大学在学中の19歳の女子学生の手によって殺害されるという事件が起きた。供述において19歳の女子学生は、「人を殺してみたかった」「相手が女性でなくてもよかった」と語った。また、事件を起こす前、自身のツイッターで女子学生が次のように呟いていたことが明らかにされたのだった。
この呟きにあるように、19歳の女子学生の破壊願望が“死んでみたいという欲動”に付き纏われて生まれたことを直感できる。明らかに、破壊願望の目標は自分であったのだ。

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【日本人の死生観が急変しつつある現象を読み解く】(下) あの世でもこの世でも居場所をなくした死者

恐らく、今後は墓参の習慣も次第に廃れていくことだろう。それも時代の流れであれば、仕方のないことなのかもしれない。しかし、それが生者と死者との関係そのものの希薄化を招くとすれば、とても悲しく残念なことだと思うのだ。 (東北大学大学院教授 佐藤弘夫)

20160502 35
3月に入り、陽射しも日毎に力強さを増してきました。20日は春分の日の休日です。世間では一足早い花を求めて、お出かけの予定を立てておられる方も多いのではないかと思います。春分の日は、言うまでもなく、秋の秋分と並んで、昼の時間と夜の時間が等しくなる時です。この日を境に、光の世界が闇の領域を徐々に侵略し始めるのです。春分の日と秋分の日を中心とする数日は“お彼岸”とも呼ばれ、お盆と並んで昔から墓参の日とされてきました。その理由は、お彼岸の中日に太陽が真西に沈むことにあります。彼岸は此岸と対になる概念で、本来は仏教でいう理想世界を示す言葉でした。仏教的な世界観によれば、宇宙には無数の世界がありました。私たちが住んでいるこの世、仏教では娑婆世界と呼ばれる地球は、沢山ある世界のほんの1つに過ぎなかったのです。其々の世界には、そこでの救済を担当する1人の仏がいると考えられていました。娑婆世界の仏は、言うまでもなく釈迦如来でした。けれども、釈迦がインドで入滅して以来、この娑婆は無仏の世となってしまったのです。仏の不在に対する危機意識が強まったのが、日本列島では11世紀のことでした。所謂“末法思想”の流行です。永承7(1052)年を境にして、仏滅後2000年という長い期間を経た娑婆世界は、「釈迦の仏法が救済力を失う暗黒時代に突入する」と考えられるようになったのです。無仏世界に絶望した人々は、新たな救済の道を求め始めました。その1つが、他の世界への転生(他界)です。娑婆世界こそ仏がいなくなってしまいましたが、目を広く宇宙に転じれば、仏のいる世界(浄土)は未だ沢山ありました。末法の悲惨な現実に打ちひしがれた多くの人々にとって、死後、その仏の下に生まれ変わり、そこで修行して悟りの道を得ることが究極の目標となったのです。浄土信仰の流行が、こうして始まるのです。

往生の目標とされた浄土は沢山ありました。観音菩薩の補陀落浄土や弥勒菩薩の兜率天等は、比較的よく知られた浄土でした。しかし、何といっても中世の浄土信仰の代表格は、阿弥陀仏の極楽浄土です。極楽浄土は、この婆婆世界から遠く隔った西方の彼方にあるとされた為、屡々“西方浄土”とも呼ばれましたが、真西に沈む秋分と春分の日は、地平線に没する太陽に寄せて阿弥陀の浄土を偲び、彼の地での再生を祈る絶好のチャンスと信じられました。実際に、極楽浄土往生を成就する為の実践として、西に沈む太陽を観想する“日想観”と言われる修行法も行われたのです。世に流行する浄土信仰を背景として、11世紀頃から盛んに建立されたのが、 阿弥陀如来像を安置する『阿弥陀堂』でした。まさに永承7年、藤原頼通の発願によって宇治の地に誕生した平等院鳳凰堂は、その初期の代表的な建物です。中には、定朝作の丈六の阿弥陀如来像が納められました。鳳凰堂は、池を前にして真東を向いて建てられています。彼岸の時期には、この建物の真上を太陽が過ぎり、背後に沈むというコースを取ります。夕方になると、開け放たれた堂の背後の扉から西日が差し込み、堂内を赤く染め上げます。人々は、落日を光背として光り輝く阿弥陀像に向かって合掌し、太陽の沈む西の方角にある極楽浄土の荘厳に心を寄せるのです。こうした仕掛けが作られたのは鳳凰堂だけではありませんでした。近年、世界遺産に登録された平泉ですが、それを構成する資産の1つに無量光院という寺院があります。その建物自体は最早存在しませんが、発掘によって、ほぼ正確に元の伽藍配置を知ることができます。その結果、無量光院もまた、その本堂は池を前にする形式で、東向きに造られていたことが明らかになりました。太陽はその上空を通って、背後にある金鶏山という山の頂に没するのです。金鶏山は、経塚(お経を埋納する施設)のある聖なる山でした。夕刻、堂内の仏を拝む人々の視線は、自ずから太陽の沈みゆく金鶏山に向かいました。阿弥陀堂から背後の金鶏山を経由し、極楽浄土に向かって、目に見えない中空のルートが一直線に伸びるのです。この光景を目にする人々に、軈て自分も堂内の阿弥陀像に導かれて、このルートに乗り、金鶏山を踏み切り板として遠い世界に旅立つというイメージを喚起する仕組みになっていたのです。

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【お寺が足りない!】(下) 寺院が足りぬ首都圏に新拠点を作る住職・副住職の奮闘

伝統的な仏事が縮小化するとは言え、必ずお寺との繋がりを求める人もいる筈だ。その新たな可能性を探る為、敢えて首都圏に進出した地方寺院の住職や後継者がいる。地方の現状を目の当たりにしている僧侶たちが、都市開教の最前線で実感し、見えた展望とは一体何だったのか――。

前回、首都圏で開教に挑む住職たちの実践を紹介したところ、読者の住職から様々な反響を戴いた。「地元は人口50万人だが、うちの宗派寺院は我が寺1ヵ寺だけ。だからといって、宗旨不足が理由で過去四半世紀、檀家が爆発的に増えたかといえばそうではない。今や、寺と繋がりのある世帯でも、法要等の主催者が亡くなれば、それで縁が切れる時代。常に何らかの形で新しい檀家の増加を期待しなければ、将来運営はできなくなる」(関西の臨済宗寺院)。「首都圏の本宗寺院の数は、人口に比して確かに少ない。けれども、問題は数だけでなく、既存の寺院が門戸を開いているかどうかもあると思う。教えに触れる繋がりまでを持てているかは、地方・都市部変わらない」(関西の真宗大谷派寺院)。確かに、全国的に仏事は縮小し、お寺の数だけでは測れないところもある。しかし、どの宗派も、小誌正月号の統計通り、首都圏の人口に比して寺院数は地方の数倍も少ないことは確かなのだ。こうした中、新たな布教の可能性を求めて首都圏に打って出た地方寺院の住職や後継者がいる。私財を投じて拠点の維持運営に励む活動から見えたのは、地方のお寺の未来にも繋がる道だった。

20160502 28
①奈良の古刹の東京拠点が大反響 奈良県・真言宗醍醐派十輪院
東京・神田神保町。日本有数の本の街として知られる同界隈は、古書店と飲食店が犇き、平日・休日問わず人通りが絶えない。その一画、白山通り沿いのビルの2階(約40㎡)を借りて、奈良市十輪院町の古刹である真言宗醍醐派十輪院が新拠点を開いたのは一昨年の6月。『みんなのお寺』こと『十輪院仏教相談センター』だ。入り口の看板(右写真)には、朝夕の勤行・写経・写仏・瞑想・回向・仏事相談・悩み傾聴、更に遺骨の粉骨までと活動内容が記載され、「僧侶と話しませんか」と呼びかける十輪院の橋本純信住職(67)の写真入りチラシもある。それに液晶画面が設置され、お寺の沿革やみんなの寺、各種供養についての解説ビデオも放映。中に入ると、本尊・大日如来を祀る仏間、それに瞑想や写経ができる簾で仕切られた空間まである。常時スタッフの僧侶がいて、定休日の木曜日を除く朝8時から夕方6時半までオープン。何とも異彩を放つ空間だが、橋本住職は笑顔でこう話す。「ここ神保町界隈には、他宗のお寺が1ヵ寺あるだけで、殆どお寺が無いんです。当初、訪れる方は月30人くらいでしたが、今では悩み相談から仏事相談、仏事や粉骨の依頼等、月100人近く来られます。近隣だけでなく横浜や千葉等、1時間かけて来られる方も少なくない。始めてみて、こんなに反響があるのかと驚いています」。橋本住職が赤字覚悟で首都圏に進出したのは、これまでの試行錯誤からだ。実は、神田神保町の『みんなのお寺』は第2号。第1号は、今から10年前の平成18(2006)年、地元の奈良の商店街に同様の場所を開いたのが始まりだ。背景には、お寺と仏教を巡る時代への強い危機感があった。

20160502 29
きっかけは月参りだ。「坊さんは家までお参りに行くが、何故檀家はお寺に来ないのだろう?」と思った。お墓参りの檀家でも、本堂にお参りする人は少ない。「本堂があるのに来ないのは、お寺が真に必要とされていないのではないか?」――。時代の変化も感じた。以前は満中陰の法事を本堂で行ったが、料理屋で済ませる人が増えてきたのだ。何れ月参りも成り立たなくなる日が来ることは目に見えた。「今、檀家以外にもお寺の必要性を具体的に伝えなければ、もう間に合わない」。思いついたのが、街中に“お寺”のイメージと機能をコンパクトに伝える場を作ること。それが『みんなのお寺(仏教相談センター)』だったのだ。料金も明確化。瞑想(30分600円)、写経・写仏(1巻1000円)、仏事相談(30分1000円)、先祖供養(先祖回向5000円、年忌法要3万円)等。ユニークな発想、それに敷居の低さもあったのか。リピーターも絶えなかった。外で新たな縁を作る一方で、橋本住職はお寺で永代供養墓や海洋散骨葬を始め、マスコットキャラクターの製作や朝食会の行事等、次々と着手。そして、遂に東京へ。開所から1年半。メディアに注目され、橋本住職が常時いる訳ではないが、認知度が高まった。奈良との違いも感じる。「粉骨の依頼が案外多く、散骨を望んでいる方が割合おられるようです。しかし、死者供養よりも東京の方には、『仏教を今の自分の生き方に生かしたい』という姿勢が見られるのです。今日も日蓮宗の檀家だという男性が来て、『認知症の親を介護しているが、どれだけ尽くしても親は子供である自分のことすらわからない。それでも孝行と言えるのだろうか?』と相談に来られました」。何故、“ここ”なのか。お寺に来ていた四国出身の40代の男性に聞くと、「菩提寺は故郷にあるが、相談しようというほどの繋がりが無い。今、住んでいる家の近くのお寺は、相談に行っていいものかどうかもわからない。ここは、誰にでも開かれていることがわかり易く、安心です」という。橋本住職が語る。「今後はお寺も淘汰されるが、無くなることはないと思う。何故なら、仏教を求めている人はいるからです。東京に来て、仏教にこれほど関心の高い人が多いと実感できたのは嬉しいことでした。お寺も時代に応じて、繋がりを模索することが必要です。私も今、週3日、高野山東京別院で“臨床宗教師”の資格を取得すべく、勉強しています。これからの社会には、そんな接点が必要だと思うからです。死者供養だけではない場で僧侶が求められる時代を、僧侶自身が発信していく。その時、新たなお寺の形も生まれていくのではないでしょうか」。

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【連鎖地震・検証】(05) 通信途絶、地面にSOS

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16日未明の“本震”で壊れた熊本県南阿蘇村のアパート。1階にいた東海大学学生の山口京裕さん(18)は窓を壊して脱出し、スマートフォンで母親に電話をかけ続けた。繋がったのは数秒間。「もう逃げる」と伝えるのが精一杯だった。14日夜の“前震”では、県内の一部地域が停電し、携帯電話大手3社の基地局でダウンしたのは計約50局に留まった。しかし“本震”後は、2度の激震に見舞われた電柱や電線の破損が続発し、広範囲で17日頃まで停電。基地局の非常用バッテリーも停電解消まで持たず、熊本・大分両県で計約400局が機能停止した。通信の途絶が問題になった東日本大震災を教訓に、携帯電話各社は基地局のバッテリーを大容量化する等の対策に力を注いだが、“連鎖地震”による長時間の広域停電は想定外だった。山間地で孤立したり、倒壊家屋に閉じ込められたりした被災者は、外部と連絡が取れないと命の危険にも晒される。“本震”の日の午後、南阿蘇村上空を飛んだ広島県防災航空隊のへリコプターは、崖崩れで孤立したペンション前の道路に“2人保ゴ要”という白い文字を発見した。近くの車の中にいた80歳代の夫婦が腰や足の痛みを訴えた為、ヘリコプターで搬送した。「固定電話やスマホは通じず、夫婦がエコノミークラス症候群になる恐れもあった」。文字を書いたペンションオーナーの山内祥嗣さん(46)は振り返る。

2004年の新潟県中越地震では、同県小千谷市の山奥で小学生3人が倒壊家屋の下敷きになり死亡。住民が救急車を呼ぼうとしたが、携帯電話は通じなかった。国は自治体に、孤立の恐れがある集落に衛星携帯電話を配備するよう促した。しかし、衛星携帯を導入した小千谷市の場合、20台分のコストは年間120万円。多くの自治体は二の足を踏み、南阿蘇村も昨年8月、「コストが効果に見合わない」として見送った。今回、明らかになったのが、“Wi-Fiスポット”の威力だ。500ヵ所を超える避難所等に臨時設置され、通信障害が生じていても、電源を確保できれば、近くの人はスマホでインターネットに接続できる。無料通話アプリ『LINE』等を使って電話も可能。同村役場に避難した高校生の上田博幸さん(17)は、LINEで連絡が取れた兄と再会し、抱き合って喜んだ。コンビニや飲食店等にある常設のWi-Fiスポットも、九州全域で無料開放された。災害時に手元でインターネットと繋がるWi-Fiの重要性は高まっている。東北大学の丸谷浩明教授(防災社会システム)は、「行政や事業者はWi-Fiの有効性等を対策作りに生かし、様々な災害の形に対応できるよう、衛星携帯や無線も含めた複数の通信手段を備えることが重要だ」と指摘している。 =おわり


≡読売新聞 2016年4月27日付掲載≡




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