【震災5年・復興】(10) “職住分離”未来に繋ぐ

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宮城県東松島市の漁師・大友康広さん(33)は、東日本大震災の津波で漁港近くの自宅を失った。港も損壊した。約300m内陸に自宅を再建したその年の暮れから、隣の漁港まで約20分のマイカー通動が始まった。「自宅から海が見えない。漁の合間に、『ちょっと網の修理でも』ということもできない」。不便で、ぎこちない感じがした。あの日から5年、加工業者が被災したことで激減した売り上げは、震災前の7割まで回復した。2014年夏から食材宅配の情報誌と手を組み、魚の販売を始めた。獲れた魚をスマートフォンで撮影し、自身の『フェイスブック』で発信する。全国の顧客と繋がっている。自宅周辺では住宅建設が増えた。いつの間にか“通勤漁師”にも慣れた。「生活スタイルも仕事の方法も変わったが、少しずつやっていける自信がついてきた」と大友さんは言う。岩手県宮古市で唯1人の櫂職人である三浦勝広さん(74)も2年近く、高台の自宅から車で港まで通い続ける。自宅兼作業場を失い、娘たちは安全な家を望んだ。後継者はいない。“廃業”の2文字が頭を過ったが、漁協から入った櫂30本の注文で思い留まった。ウニ漁等の微妙な操船に櫂を使う漁師が未だいる。「俺の仕事は復興の役に立つ」。自宅跡地にプレハブ小屋を設け、仕事を再開させた。念願の新しい作業場が今年、完成した。仕事始めは明日を予定している。

宅地と商業地等を内陸と沿岸に分ける“職住分離”の空間は、1000年に1度とも言われる津波も想定した、謂わば未来を考えた街だ。そこには願いがある。岩手県大船渡市三陸町では昨夏、仮設商店街の9店が沿岸部で再スタートを切った。理容師の葛西祥也さん(43)もその1人。2012年11月に再建した高台の自宅から店に通う。沿岸部にあった嘗ての自宅兼店舗と違い、移動の手間、2軒分の光熱費もかかる。それでも自宅再建後、7回の津波注意報が出る度に“逃げなくていい暮らし”を噛み締めた。津波で自宅にいた父を失った。多くの遺族が、新しい街に託した願いを忘れていない。「二度と家族や家を失いたくない。この暮らし方を後世に繋いでいく」。被災者たちは、深く傷付いた故郷の土地を思い続けながら、暮らし方・繋がり方を変えていく。2万人余の町民が45都道府県・530市区町村に散らばる福島県浪江町。避難町民で作る『まちづくりNPO新町なみえ』運営のフェイスブックには、各地の町民から連日、近況や集会等の情報が寄せられる。同県郡山市に避難する理事長の神長倉豊隆さん(65)は言う。「其々が避難先で頑張っているとわかるから、自分も頑張れる」。岩手県陸前高田市の畳職人・菊池純一さん(58)は、流された自宅の跡地周辺を撮影し続ける。津波で亡くなった長男の勇輝さん(当時25)ら家族7人が暮らした大切な場所だ。写真は1000枚超。大量の土砂が運び込まれ、嵩上げが進んでいく様子も記録した。昨春、その大切な土地にとうとう土砂が盛られた。「自分の歩みが消されてしまうような思いがした」。完成すれば、圧縮された厚み十数mの盛り土の下に埋もれる。その上に、誰かの住宅か商店が建てられる。それでも菊池さんは、住民たちと街作りの勉強会を開く。内陸部の土地にプレハブの畳店を再開した。自宅は跡地から1km離れた高台に再建する。願いがあるのだ。「勇輝たちに見せたい。震災前より良くなった街を」――。

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【震災5年・復興】(09) 避難で離散、軋む家族

20161111 01
4世代11人で生活していた福島県大熊町の松永秀篤さん(63)一家は、2011年3月、東京電力福島第1原発事故によって散り散りになった。全町避難後、松永さん・妻・両親は同県会津若松市の借家へ。3人の息子とその家族は茨城・新潟・福井の各県へ、其々移り住んだ。認知症の母は、昨秋から夜に家族を起こす回数が増え、今年1月、止む無く福島県いわき市の特別養護老人ホームに入所させた。「大熊でなら皆で助け合えたのに」。松永さんは嘆く。4~13歳の娘3人がいる三男の秀俊さん(35)は、2014年9月に福井から茨城に移り、家族5人で住む家を建てた。子育ての為に仕事を辞めて専業主婦になった妻の寿子さん(34)は言う。「心細さはある。でも、一旦離れて生活の場を築いてしまうと、元に戻すのは難しい」。震災の避難者は、直後は全国で約47万5000人に達し、今年2月現在でも尚17万4471人に上る。長引く避難で進行する“核家族化”を窺わせるデータがある。昨年の国勢調査(速報値)に基づき、1世帯当たりの人数の減少率を都道府県毎に計算すると、福島は7.7%(全国最大)、岩手は5.3%(同3番目)、宮城は5.1%(同5番目)だった。

福島の場合、除染等で単身の作業員が流入した影響もあるが、内閣府の2014年の調査では、原発事故の避難世帯の約4割が家族の離散を経験していた。懸念されるのが、家族の軋みと孤立だ。DV(配偶者からの暴力)被害者を支援するNPO法人『ハーティ仙台』では今年度、DVの相談件数が震災前の1.4倍を超えた。福島県から相談業務を委託された『ふくしま心のケアセンター』でも、アルコール依存等の相談が年々増加。内山清一副所長は、「自殺に繋がりかねない深刻な事例が減らない」と話す。福島県では震災関連自殺が毎年2桁に上り、昨年は前年より4人多い19人が命を絶った。昨年8月、いわき市の公園で自殺した70歳代女性は、震災前は息子らと同居していたが、仮設住宅で独り暮らしだった。離散家族が同居に戻るのは難しい。津波の被災自治体は高台造成等を急ぐが、戸建て住宅の再建は被災者にとって負担が重い。福島県で避難指示区域外から避難した自主避難者約1万8000人(昨年10月現在)にとっては、住宅の無償提供が打ち切られる来年3月が大きな区切りだ。会社員の渡辺加代さん(40)は、仕事で福島市を離れられない夫を残し、山形県米沢市で娘3人と暮らす。避難先で授かった三女(1歳11ヵ月)らが病気になる度に、「助けが欲しい」と感じた。住宅提供の打ち切りと娘の進学を機に、「福島に戻るしかないかな」と思い始めている。福島大学災害復興研究所長の丹波史紀准教授(社会福祉論)は、「行政は、離散した家族が再び同居したり、近くに住んだりする場合は税金等で優遇する等、家族の関係性を取り戻す為の支援を行うべきだ」と指摘している。


≡読売新聞 2016年3月9日付掲載≡



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【震災5年・復興】(08) 逆境バネ、芽吹く産業

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東日本大震災では、東北の基幹産業である水産業・農業・畜産業等が大きな打撃を受けた。漁港の多くは損壊し、農地は塩水に浸かり、東京電力福島第1原発事故で汚染された。そんな中、被害をきっかけに蒔かれた産業の“種”がある。原発事故の風評被害が深刻な福島県。川内村は2013年春、国の復興交付金等6億円を投じ、植物工場を建設した。無償貸与された村出資の第3セクターが、1日4000株のレタス等を生産。首都圏のレストラン等で使われ、年間1億円を売り上げる。従業員は22人で、半分は村民だ。施設は密閉されている為、農薬は不要。土も使わず、水に溶かした養液で栽培する。農地の多くが被害を受けた被災地にとって、希望の農業技術だ。「安定供給ができ、洗わずに食べられる。取引を一度も打ち切られたことは無い」と第3セクターの早川昌和社長。ただ、未だ生産態勢は手探りで、昨年度の場合、国等の補助金4000万円が無ければ2400万円の赤字の見込み。太陽光に代わる発光ダイオード(LED)等の電気代が、売り上げの4割近くまで嵩んでいる為だ。植物工場に詳しい千葉大学の古在豊樹名誉教授(農業環境工学)は、「光を無駄に当てないノウハウ等を身に付ける必要がある」と指摘する。福島・宮城・岩手県では、震災前から21ヵ所で植物工場が稼働し、震災後に15ヵ所が新規参入した。

全国では400ヵ所以上に広がり、可能性を秘めた分野。産業は防潮堤等の復興事業と異なり、“種”を蒔き、地道に育てる必要がある。技術向上等、息の長い取り組みが成否を分ける。震災を機に“復興道路”と位置付けられ、工事が加速した『三陸沿岸道路』も、大きなカギを握る。青森県八戸市から宮城県仙台市まで海岸近くを走る359km。昨年末までに43%が開通し、更に、この復興道路を内陸側の高速道路等と繋ぐ支援道路3ルート計225kmも32%が開通した。北東北から仙台・首都圏へと、物流の加速を齎すのは確実だ。水産業が主要産業の岩手県釜石市には、震災後、物流企業等6社が拠点を新設した。その内の1つである『福山通運』(広島県福山市)の小丸成洋社長は昨日、同市内で「物流がしっかりすることで産業が生き、地域が活性化する」と話した。『釜石湾漁業協同組合』の川畑敏幸参事は、「配送時間が短くなれば、より広い地域に鮮魚を届けることができる。道路の開通で観光客も増えれば、地元での消費も拡大する」と歓迎する。巨額の費用をかけて国や『東京電力』が進める福島第1原発の廃炉事業も、確実にビジネスチャンスを生む。40年とも言われる長期事業。被災者にとっては苦難と忍耐の40年だが、長期需要も意味する。震災前から福島県飯舘村に工場を構える精密機械製造の『菊池製作所』(東京都八王子市)は2014年夏、隣の南相馬市に工場を進出。この春から、特殊ロボットの組み立てを本格的に開始する。廃炉作業の支援を見据え、小型無人機『ドローン』等を量産する予定だ。既に地元住民の採用を始めており、「将来的には100~200人規模で地元採用できる工場にして、復興に貢献したい」と同社担当者。1万人以上の住民が避難したままの南相馬市は、「新産業が生まれ、関連企業が集まり、雇用創出に繋がれば、住民の帰還の後押しになる」と好循環を期待する。震災後の環境変化をバネに、復興を支える産業が育つ可能性が、被災地にはある。

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【震災5年・復興】(07) 減る応援、山積みの事業

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東日本大震災の津波で、人口の1割近い約1800人が死亡・行方不明となった岩手県陸前高田市。市中心部では今、嵩上げや高台に造成した約300haの土地を区画整理し、住宅や商店を再建する事業が進む。「まるでジグソーパズルです」。同市市街地整備課の福田稔さん(62)が溜め息を吐く。住宅や店舗が混在していた街を再編する事業。被災者の中には、高台への移転を希望する人もいる。地権者1人ひとりに意向を確かめ、配置を決める地道な業務を連日、同課の職員34人が夜更けまで続けている。陸前高田市は震災前、全国の自治体と同様にスリム化を進めてきた。1996年に357人いた正職員を、2割減の293人まで縮小したのは2010年。足りない人数は嘱託や臨時職員で補った。その翌年に津波に襲われ、全職員443人の25%に当たる111人が犠牲になった。避難所の運営・仮設住宅の管理・壊滅した街の復興計画…。パンク状態に陥った市に手を差し伸べたのが、全国からの応援職員だった。今年度、市に派遣されたのは、全職員の18%に当たる88人。予算規模が震災前の最大12倍に膨らんで、業務量が激増し、心身に負担がかかる地元職員を支える。福田さんもその1人で、神奈川県から派遣された。だが、支援の動きは鈍りつつある。

「新年度から職員の応援を取り止めたい」。岩手県野田村に昨年暮れ、派遣元の自治体から突然、電話が入った。職員94人の内、応援職員は23人。この自治体からの派遣は数人とはいえ、貴重な戦力で、村幹部は「これまでの支援に感謝している。でも、未だ復興事業は残っているのに…」と頭を抱える。同じ連絡は、宮城県女川町にも2自治体からあった。大阪府河内長野市は、2013年度から続けてきた岩手県大槌町への職員1人の派遣を今月で止める。「希望者がいなかった。『遠いから』というのが理由で、断腸の思いだが止むを得ない」。同市人事課の東部昌也課長は話す。被災地の自治体は、街づくりの即戦力となる土木職員を特に求めているが、広島市は2014年8月の土砂災害後、宮城県石巻市等に派遣していた土木職員6人の内、5人を呼び戻した。人事課は、「要望に応えたいが、こちらも復旧の為に人が必要だから」と打ち明ける。被災自治体も自力での補充を模索し、陸前高田市は土木・建築技師の新規採用を試みている。しかし、この2年の受験者はゼロ。「景気のいい民間に人材が流れている」と総務部の担当者は嘆く。総務省によると、岩手・宮城・福島3県と各県の市町村に派遣されている応援議員は、昨年4月現在で2195人。年度初めでピークだった2014年4月に比べて、32人減った。国は「“復興・創生期間”が終わる2020年度までは人件費を負担する」としているが、大槌町の平野公三町長は「応援職員が去った後を見据え、若手を育成しなければ」と危機感を募らせる。部課長27人の内、応援職員は4割の11人。津波で犠牲になった職員40人を新規採用で補った結果、10~30歳代の地元職員が7割を占める歪な形になった。陸前高田市は今後の応援職員の減少を見越し、2020年度までの人員計画を立てた。復興で膨らんだ事業や組織は、軈て縮小の道を辿る。被災自治体の課題は、“復興後”にもある。

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【震災5年・復興】(06) 復興住宅3万戸、自治体の重荷

20161028 08
「ドアの開き具合が悪い」「電気が点かない」――。岩手県大槌町役場には、“復興住宅”とも呼ばれる災害公営住宅177戸の住民から、毎日のように修繕依頼等の電話がかかる。対応するのは、環境整備課管理班の職員6人。入居者の都合次第では、土日でも修繕に出向く。職員の1人は、「まるで不動産会社のような仕事。依頼に応えるには、今の職員数ではギリギリだ」と話す。被災3県の自治体は、復興住宅計2万9385戸(計画数)という未経験の規模の不動産を抱え込もうとしている。大槌町でも、2018年度までに現在の4倍の729戸を整備予定。建設費用は8分の7が国の補助だが、問題は自治体が負担する維持管理費だ。町の将来推計では、現在、約1万2000人の人口が、2030年には1万人を下回る。今でこそ空き室は殆ど無いが、入居率の低下は避けられず、家賃収入で維持管理費を賄えなくなるのは必至だ。町は来月から入居者募集や修繕業務を外部委託して、職員の負担を減らす。それでも、「維持管理費が膨らんでいく為、将来に亘って赤字は続くだろう」と町幹部は嘆く。岩手県大船渡市では、震災前に比べ、市営住宅が71%も増えた。

既に完成した327戸の復興住宅を含め、1月末現在の市営住宅戸数は785戸。修繕業務等は2014年10月から外部委託しており、それを含め、年間で1億円を超す維持管理費がのしかかる。同市の復興住宅の入居率は84%で、県内平均(86.9%)を下回る。背景には、住民のニーズに合わない復興住宅が少なくないという実情がある。大船渡港近くの『盛中央団地』(44戸)の3階に住む女性(66)は、「重いバッグを持って階段を上がるのは辛い」と零す。1984年築の雇用促進住宅を市が買い取ってリフォームした為、5階建てでもエレベーターは無い。入居率75%は市内最低だ。手狭な仮設住宅を出て2013年3月に入居したこの女性は、「便利な復興住宅に移りたい」と話す。だが、公営住宅法は“住宅に困窮している”人を対象にしており、同市は別の復興住宅への住み替えを認めていない。その為、新築で便利な立地の復興住宅に人気が集中し、他の物件の入居が進まない。“住める”住宅を提供する自治体と、“住みたい”住宅を求める住民の思惑のズレが、復興住宅の不良資産化を進行させている。とはいえ、多くの被災者にとって復興住宅は生活再建の頼みの綱だ。大船渡市内の別の復興住宅に独りで住む村上タツさん(85)は、3階のベランダから、津波に呑まれて無くなった自宅の跡地を眺めて暮らす。震災の前後に病死した夫や長男との思い出が詰まった家だった。「少しでもあの家の近くにいたい。今は部屋が広く、エレベーターもあって便利。残りの人生をここで過ごすのも悪くないと思う」。村上さんは、そう呟いた。

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【震災5年・復興】(05) 人も企業も仙台に集中

20161021 01
安藤譲さん(79)・則子さん(75)夫妻は昨年5月、約5倍の抽選に当たって、仙台市太白区長町地区の災害公営住宅に入居した。東日本大震災の津波で宮城県石巻市の牡鹿半島の自宅を失い、息子たちが住む仙台市に移ってきた。何をするにも車が欠かせなかった暮らしは一変。大型スーパーまで歩いて行ける。デパートにも地下鉄で直ぐだ。お盆や正月ぐらいしか会えなかった孫たちとも、頻繁に遊べるようになった。「長町での主活は本当に便利。ここで暮らせて良かった」。2人は仙台に永住することを決めた。震災では、仙台市も沿岸部が大きな津波被害に遭った。しかし震災後、他自治体の被災者や復興事業の関係者が続々と住み始め、震災前から続いていた人口増に拍車がかかった。昨年の国勢調査(速報値)で、宮城県内の自治体が軒並み人口を減らす中、同市は2010年の前回調査から3.5%・約3万6000人の増加となった。市内では各地で開発が進み、安藤さん夫妻が住む長町地区でも、大型商業施設が相次いで出店。昨年には災害公営住宅3棟が建設され、高層マンションも来年までに2棟が完成する予定だ。

一帯のマンション分譲価格は震災前、3LDKで3000万~3500万円が相場だったが、今は4000万~4500万円に吊り上がったという。「仙台に人が集まる状況は変わらない。マンションもビルも、未だ需要はある」。『野村不動産』仙台支店の井本登啓支店長は見通しを語る。昨年末には地下鉄東西線も開通。沿線では住宅開発が進み、東の発着点となる荒井駅(若林区)周辺は、戸建てを中心に建設ラッシュに沸く。計約530戸が入居する災害公営住宅も建てられる等、3000世帯以上が住む見込みだ。企業も次々と市内に進出している。山形県鶴岡市に本店を置く『荘内銀行』は、地元支店の統合を進める一方で、震災後、仙台の2ヵ所に支店を相次いで設けた。住宅ローンの需要増を見込み、来月には荒井駅近くにも支店を開くという。国井英夫頭取は、「山形では拡大の余地は大きくないが、宮城は個人取引も広がっていく可能性が高い」と期待。大手スーパーの『ヨークベニマル』も、東京電力福島第1原発事故の影響で本社のある福島県内の5店舗を休業させたが、震災後、仙台市内に6店を出店した。賃貸オフィス仲介の『三鬼商事』(東京都中央区)によると、仙台市内のオフィスビルの空室率は2010年に20%前後だったが、昨年は10%程度にまで下がったという。震災後、人や企業が集中する現象は、岩手・福島両県の内陸の都市部でも起きている。復興が徐々に進む沿岸部と、急速に発展する都市部。スピードの差が鮮明になっている。

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【震災5年・復興】(04) 帰還へ助け合う自治体

20161014 01
東京電力福島第1原発事故で、住民の99%以上が避難した福島県内の7自治体の中で、政府の避難指示が初めて解除された楢葉町。解除から約半年が経った今、町内では長期避難で傷んだ自宅を建て替えたり、修繕したりする光景が目立ち始めた。解除前は仕事に二の足を踏んでいた町外の建設業者が、修理の請負を始めたからだ。町に生活の拠点を移したのは約440人。住民票を残している町民約7400人の未だ一部だが、着実に増えている。松本幸英町長は、解除に慎重な声があった中、政府の方針を逸早く受け入れた理由を説明する。「町民が戻り易い環境作りを加速させたかった」。解除の見通しが立たない原発近くの自治体にとっても、楢葉町の早期解除は歓迎だ。大半の地域で帰還の目途が立たない大熊町は、楢葉町を復興への足場として位置付ける。役場機能の一部を日中立ち入りが可能な大熊町南西部に移した後は、職員の住まいは楢葉町内にと想定している。

楢葉町の今日の姿は、同じ双葉郡の他自治体の配慮が無ければ実現していなかった。中でも、第1原発が立地する大熊・双葉両町。除染で出る汚染土等を長期保管する中間貯蔵施設の候補地には当初、両町と共に楢葉町も組み込まれていた。2013年春、大熊町役場が避難する約100km離れた会津若松市で行われた3町長の会談。楢葉町長を前に、両町長の考えが一致した。「楢葉は帰る見込みがある場所だから、2町で受けるべきだ」。帰還困難区域が大半を占める大熊・双葉両町に比べ、楢葉町の放射線量は格段に低い。「双葉郡の復興の拠点になる」と踏んだのだ。中央省庁の幹部は振り返る。「『楢葉以外の首長が2町集約を提案した』と聞き、驚いた。合理的だが、凄い政治決断だと思った」。こうして、楢葉は候補地から外れ、復興に携わる人々や施設の受け入れ先の1つとして再出発した。政府は昨年6月、帰還困難区域を除く避難指示区域で、来年3月までの指示解除を目指す方針を打ち出し、多くの自治体が再建計画作りを本格化させた。生活に欠かせない機能や拠点は、どの自治体も欲しいのが本音。便利なショッピングセンター、高齢者向けの福祉施設、そして病院…。街作りの青写真は、どうしても重なる部分が出てきた。双葉郡の首長の1人は危機感を抱く。「どの町村にも同じような商業施設や診療所、小中一貫校ができてしまうかもしれない。商圏や人口が小さくなる中で、それでは共倒れだ」。福島県は、未曽有の原子力災害で今も10万人近くが避難する。帰還の為に避けては通れない数々の問題を、どう分担して解決していくのか。地域全体と市町村の利益をどう釣り合わせるのか。広域での共存共栄が、復興の大きなカギを握る。

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【震災5年・復興】(03) にぎわい再生、ミスマッチ

20161003 01
宮城県南三陸町の三浦弘子さん(63)は2012年、津波で流された2つの水産加工場を、国のグループ補助金を使って再建した。東日本大震災で亡くなった夫の仁さん(当時62)と約30年前に創業し、二人三脚で大きくしてきた。「これで終わらせてしまっては、夫に申し訳なかったから」。しかし、再開してみると、嘗ての3分の1の10人ほどしか働き手が集まらない。震災前、三陸特産のホタテを捌いた売り上げは年間十数億円あったが、今はその半分になった。今月からフィリピン人実習生6人が漸く働いてくれることになったが、「人が多ければ、もっと捌けるのに」と表情は冴えない。国は、被災地の産業復興に様々な支援制度を設けた。グループ補助金は、昨年11月までに4727億円の交付が決定、約1万事業者が再建を果たす。東北経済産業局が昨年6月、補助金を受給した約6000事業者について調べたところ、「売り上げが震災前の水準に戻った」と答えたのは、建設業で8割近くだったのに対し、水産・食品加工業は3割弱だった。

被災3県の水産加工業の有効求人倍率は3倍前後。他業種に比べ際立って高く、人手不足が要因のひとつだ。事業を再開しても働き手が他業種に流れ、確保できないミスマッチ。水産加工業は沿岸部の基幹産業だけに深刻だ。岩手県大船渡市は先月、国の補助金が受けられる『まちなか再生計画』の認定を受けた。津波で流された駅前に衣料品店や飲食店等が入る複合商業施設を造り、新しい中心市街地を生み出す事業。来年度中の開業を目指す。当初、地元の商店主らは歓迎したが、1坪当たりの賃料が最低でも月3500円との試算が出ると、流れが変わった。震災前の駅前の賃料より高くなり、中には2倍になる店も。入居を検討していた一部の商店主たちは複合施設を諦め、独自の商店街を作ろうと動き始めた。その1人、仮設商店街に店を構える伊東修さん(63)は、「賃料の問題だけでなく、複合施設に入居すると定休日が殆ど無くなり、従業員を新たに雇用する必要も出てくる。震災で店も家も失った我々に、そんな余裕は無い」と話す。同施設の入居希望者は、当初の81店から31店に減少した。賑わいを生み出そうと制度を作る国や自治体と、地元商店主らの思いは擦れ違う。複合施設に入るか、商店街に店を構えるか――。揺れる店主の1人は話す。「立派な施設や制度じゃなくていい。被災した事業者、皆が1つに纏まれる制度は作れなかったのだろうか」。

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【震災5年・復興】(02) 沿岸部、人が戻らない

20160926 01
東日本大震災から5年を控えた先月下旬。岩手県の達増拓也知事は、報道各社のインタビューで災害公営住宅の整備方針を問われ、こう答えた。「現に、内陸部に避難している人の為に整備することを考えている」。津波に襲われた沿岸部の住民向けに、県が内陸部でも災害公営住宅の建設に踏み切る方針を、知事が初めて認める発言だった。背景には、ある数字がある。“18.5%”。昨年初め、沿岸部から内陸部や県外に避難した約1900世帯が回答したアンケートで、「元の市町村に戻る」とした世帯の割合だ。住民に“内陸志向”が強いことを意味していた。人が戻ってこなくなる――。沿岸市町村に共通する懸念だ。陸前高田市の戸羽太市長は、「地元に踏み留まった人が不公平と思うような対応はしないでほしい」と県に訴える。総務省が先月発表した昨年の国勢調査の速報値(10月1日現在)によると、岩手県で人口減少率が最も大きかったのが大槌町だ。2010年の前回調査比23.2%減の1万1732人。震災で関連死を含む死亡・行方不明の1285人を除いても、2259人が減った計算だ。転出先が、隣接の釜石市に次いで多かったのが盛岡市。県によると、震災前の2010年10月から昨年9月までに511人が移った。

阿部拓光さん(51)一家は、盛岡市郊外にある“みなし仮設”の戸建てに引っ越し、もうすぐ5年。住民票も既に盛岡に移した。4人の子供が通う小中学校と幼稚園が全壊や浸水被害に遭ったことが、震災から間もなくの移住を決断させた。「子供の教育を第一に考えた。盛岡に災害公営住宅ができれば申し込むかもしれない」と話す。「大槌での自宅再建も考えたんだけど…」。山崎ウメさん(85)も、大槌から盛岡に来た1人。3年近く過ごした地元の仮設住宅は手狭だったが、近所付き合いが深く、居心地は悪くなかった。仮設で知り合った人たちとは、電話や手紙でやり取りを続ける。移住は、山崎さんと夫(85)に将来、介護が必要になることを心配した次女(50)が決めた。「大槌の人たちには何十年とお世話になったけど、夫には病気もある。病院が沢山ある盛岡に移ってよかった」。今では山崎さんも納得している。内陸部の災害公営住宅が沿岸住民の受け皿となっているケースは、既に顕在化している。宮城県南三陸町は仮設住宅の建設適地が不足し、震災後、内陸側に隣接する登米市にも仮設を建設。今も642人が仮設暮らしを続けるが、同市の災害公営住宅にも59人が移り住む。後藤すゑ子さん(76)は、災害公営住宅で暮らす元・南三陸町民だ。仮設と合わせ、登米での生活は4年半。「南三陸にいた頃と変わらない」とすっかり慣れた。南三陸町は、町外の住民に渡すタブレットや広報誌で町の情報を発信し、繋ぎ留めようとしているが、人口流出に歯止めはかからない。今回の国勢調査で、南三陸の人口減少率は前回の6.5%から29.0%に拡大。一方、登米市は6.0%から2.4%に下がった。定住先を探す被災者の動きが、人口減に直面する自治体の行方を左右する。

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【震災5年・復興】(01) 移転事業、長期化でずれ

東日本大震災は、故郷の土地が深く傷付いた災害でもある。沿岸部は津波被害の危険区域になり、原発事故で放射性物質を浴びた土地には健康被害の懸念が付き纏う。防潮堤建設・高台移転・除染――。土地の危険を取り除き、暮らしを一から再生させる復興が必要になった。事業が巨大化し、長期化する中、被災地で何が起きているのか、報告する。

20160912 03
被災者向けの新築の災害公営住宅に、被災していない人たちが暮らし始める。沿岸部の住民の為に造成された集団移転用地が、無関係な市民にも分譲される――。被災地で近く起きる現実の話だ。“復興住宅”とも呼ばれる災害公営住宅は本来、自宅を再建できない被災者の為に建てられる住宅だ。岩手・宮城・福島3県で約1万4000戸が完成し、間もなく計画全体の5割に到達する。集団移転も復興の象徴だ。昨年12月末現在、3県332地区で計9549戸が高台等への移転を計画し、5398戸分の宅地が完成した。震災5年の今、こうした被災者向けの住宅や宅地が“一般開放”されようとしている。見込んだ程の応募が無く、空き室・空き区画の多発が懸念されている為だ。整備のピッチが速い宮城県からの要請を受け、国土交通省が被災者を対象に3ヵ月以上の募集を行い、空きが続く場合に“開放”を容認した。同県滝谷町の復興住宅や、仙台市と同県山元町の集田移転用地計10地区で、一般募集が実施される見通しだ。県庁には他の自治体から問い合わせもあるといい、今後、こうした募集が増える可能性は高い。岩手県でも空き室が出始めている。山田町では、完成済みの復興住宅195戸の内、53戸が空いている。町の担当者は、「好条件の復興住宅の完成を待つ人もいる。その抽選に外れた人が空き室を希望するのを待つしかない」と頭を抱える。

原発事故の避難者を対象にした住宅も例外ではない。約2万4000人が避難する福島県いわき市。3年前の意向調査では、少なくとも1585世帯が復興住宅への入居を希望したことから、県等は1768戸の建設を計画した。ところが、昨年の調査で希望世帯は762に激減。2年の間に、自宅を購入する等の動きが加速したからだ。時間と共に、被災者のニーズは変化していく。海岸線が入り組む牡鹿半島、宮城県石巻市の谷川浜・祝浜地区は、約60戸の大半が津波被害を受け、27戸が3年程前、山側への集団移転を決めた。だが、用地取得が難航する中、離脱世帯が続出。今夏、漸く海抜約40mの土地造成が完了するのに、移転するのは僅か8戸だ。漁師の渥美清松さん(65)は2年前、集団移転を諦め、10km以上離れたJR万石浦駅近くに自宅を建てた。「もっと早く事業が進んでいれば、違っていたかもしれない」。小規模移転は、地域活動等が困難になる“限界集落”を生む――。そんな批判がある。石巻市役所集団移転推進課の村上秀樹課長(53)は、「猫の額程の平地しかない半島部で、移転先の集約は難しい。浜毎に移転させるしかなかった」と溜め息を吐く。ただ、8戸での移転に加わった漁網製造業の渥美勝彦さん(63)は言う。「集落がどうなるかって、そりゃ不安だ。だけど、残った我々で手探りでやっていくしかない、全てを」。暮らしを取り戻す為、被災地の試行錯誤は続く。今年も、あの3月が巡ってきた。

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テーマ : 東日本大震災
ジャンル : 政治・経済

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