【若者50年の足跡】(13) それぞれの世代から20代へ

生まれた時にはすでにバブル景気が終わっていた。そんな若者たちがすでに大学を卒業し、社会で働き始めている。今の20代が大切にしているものは何か。大人の側はどう接すれば、無理なく社会の一員として迎え入れられるのか。連載を終えるにあたり、さまざまな年齢の専門家に意見を聞き、考えてみた。

■失ったものを取り戻して 和える代表取締役・矢島里佳氏(26)
伝統工芸の職人さんに赤ちゃんの食器や毛布を作ってもらう会社『和える』を立ち上げました。百貨店やネットで販売、多くの方が「こういうものが欲しかった」と言ってくださり今年直営店を開きました。同世代は起業や社会活動に熱心な人と大企業志向の人に二極化しています。親の影響でしょうか。バブル崩壊を経験し「何が起こるかわからない」から「好きなように生きろ」という親と「だから安全な道を」という親がいる。その違いが子に表れているんですね。会社に入った人は「他社から奪ってこい」と言われ、戸惑っています。他人から何かを奪う20世紀型の成長は続かない。皆が幸せになり、社会も良くなる仕事はゆっくりでも続く。起業家にはそういう姿勢の人が多い。年長者が築いてくれた豊かな社会で私たちは育ちました。経済成長の中でこぼれたものを取り戻すのが今の若者の役回り。ヒントは先人にあります。本当にいいものを作り、修理しながら使うとか。21世紀の日本が大事にすべきことを理解している同世代が増えています。今の日本は過渡期。10年後には今よりいい国になると信じています。


やじま・りか 慶大大学院修了。2011年、慶大法学部卒業と同時に会社設立。著書に『和える』。

続きを読む

【ふるさと再訪】福島・いわき(13) 被災地と紡ぐ絆、新たな共生の道作る

先週末、“あわてん坊のサンタクロース”がいわき市内の被災地や仮設住宅に現れた。連載6回目に登場した双葉町出身の神田望美さん(33)が代表を務めるNPO法人『パワー・オブ・ジャパン』(千葉県松戸市)のボランティア約60人だ。サンタに扮するのは全国から参加した10~70代の男女。各地から届いたプレゼントと手紙を持って、1軒1軒回っていく。いわきニュータウン(中央台)の楢葉町仮設住宅。「メリークリスマス! また来たよ」「美人のサンタさんばっかりじゃ。俺もプレゼントすっからな」。高齢者が手作りの花のぼんぼりを手渡すと、「すごーい。おじいちゃん。ありがとう」。若い女性サンタらが感激している。被災の年から参加する東京の女性(77)は特に独り住まいの高齢者の話に耳を傾ける。私に「去年危なかったおじいちゃんが亡くなっていました。孤独死です」と悲しげにつぶやいた。「私ぐらいの歳だと仮設暮らしのつらさがわかります」。現在、日中のみ帰宅可能な楢葉町は“来春以降の帰還”を目指すが、実現性を疑う避難者は少なくない。自宅で着物などを盗まれた、と不安や不満を訴える高齢者も多い。若いサンタらが「来年もまた来るね」と声をかける姿に複雑な思いがする。一方、遠来のサンタに“本物の笑顔”を見せる人々に、不自由な暮らしの影が透けて見える。

続きを読む

脂肪の細胞で炎症抑制――名大、急性腎炎の治療法…過剰な免疫反応を低減

名古屋大学の丸山彰一准教授らは脂肪組織の細胞で急性腎炎を治療する方法を開発した。腎臓を傷つける過剰な免疫反応を抑える。従来の免疫抑制剤に比べて副作用を減らせると期待している。数年内に患者で効果を確かめる臨床研究に入りたい考えだ。

急性腎炎は血液を浄化する腎臓で強い炎症が起こり、数日~数週間で腎不全に至る。腎機能を回復させるのは難しく、人工透析や腎移植が必要になる。悪化する前にステロイド剤や免疫抑制剤を使って炎症を抑える治療が一般的だ。ただ従来の薬剤は腎臓以外で働く正常な免疫機能も抑えすぎてしまう。長期間使うと感染症やがんにかかりやすくなるなどの副作用が問題になっていた。研究チームは脂肪組織の中にあり免疫を抑える働きをもつ『間葉系幹細胞』に着目した。ウシの血清を含む特殊な培養液を使い、体の外で大量に増やす技術を確立した。

続きを読む

「肩書きもない、お金も稼いでいない…今の夫は、私が今まで会ったことのないタイプの男性だ」――職を失った夫を妻は愛せるか

私は今、オーストラリアと日本を行ったり来たりして暮らしている。家族と住むオーストラリアと、仕事のある日本。数週間ずつ滞在して、月に一度は飛行機に乗る。子どもたちは現地の学校に通い、私が日本にいるときは、夫が1人で彼らの弁当作りから宿題のサポートまでこなしている。食事はいつも夫が作る。私は庭仕事や掃除が得意。離れているときには、インターネットのテレビ電話を朝晩つないでお喋りする。時差が1時間しかないのに季節が逆で、パラレルワールドみたい。こんな風に暮らすようになるなんて、考えてもみなかった。何でこうなったかというと、そもそもは夫が仕事を辞めたからだ。今から1年半ほど前のこと。全く予想していなかったことだった。夫は、一度仕事を離れて充電したいと言った。20年以上も同じ会社で働いてきて、相応の立場で長くルーティンを果たしていたのだから、そんな気持ちになることもあろう。私も15年勤めた会社を辞めた身だ。きっと夫も、辞めるという結論に至るまでにはずいぶんと苦しんだはず。私が「会社を辞める!」と宣言したとき、夫は妻が無収入になるかも知れないことを甘受してくれた。だから今度は私の番。「うん、いいよ」って笑って言ってあげたかった。そうするべきだとは分かっていたけど……無理だった……。だって私は一度も「一家の大黒柱になる」なんて考えたことがなかったのだ。そんなこと、いきなり言われても困るよ!

今から20年前、男を年収で値踏みするような浅ましい女にはなりたくないと、男性と全く同じ待遇で働ける仕事を目指した。自分が持っているものを総動員して、結果手にしたのは『女子アナ』と呼ばれるテレビ局の正社員の座。男社会の甘い汁を吸う役回りであり、かつ、並みの男よりも高い年収を稼ぐ、おいしいとこどりの仕事だった。「ああこれで」とあのとき私は喜んだ。「これで親から自立できる。稼ぎのいい男を血眼で探す人生にもおさらばできる。私は好きな男と結婚しよう。好きになった男がたとえ一文無しでも、私は一家を養えるくらいの収入を得ているのだから、ためらうことなく結婚できるぞ!」と。だけどそのときは、たとえ話としてそう考えていただけで、まさか自分が将来、本当に夫と子供を養う立場になろうとは思ってもみなかった。自立心旺盛な若き日の私にとっては、言わば気持ちの保険として「たとえそうなっても大丈夫」と思えることが必要だったのであって、ほんとは無職の男と結婚する気なんて、さらさらなかったのだ。

続きを読む

文春的なものと朝日的なもの――なぜ“2つの吉田問題”で文春の朝日叩きがあれほど燃え上がったのか

朝日新聞の“2つの吉田問題”が雑誌ジャーナリズムを賑わしていた時、私は私の新刊(10月末刊行の)『続・酒中日記』のゲラに目を通していって、ある思いにとらわれた。それは、「みんなみんな逝ってしまった」という思いだ。「みんなみんな行ってしまった」というのはイギリスのエッセイストで詩人でもあったチャールズ・ラムの詩の一説だ(オール、オール、ゴーン)。大学2年の時に必修の英語の授業で、ケンブリッジ大学出身のイギリス人・F先生から教えてもらった。私は大学を1年留年した。5年生の時、たまたまその教室の前を通りがかった時、心の中で、「オール、オール、ゴーン」とつぶやいてしまった。同級生の多くがもう大学を卒業してしまっていたから。

しかし今回の“オール、オール、ゴーン”の“ゴーン”は“行って”ではなく“逝って”だ。例えば2011年12月1日の書き出し。

6時半から帝国ホテルで『丸谷さんの受章をお祝いする会』。少し早めに着いてしまったので地下の『虎屋菓寮』でお茶でも飲もうかと思っていたら、偶然(いや必然?)粕谷一希さんと会う。

“丸谷さん”というのはもちろん丸谷才一さんのことで、この年の秋、丸谷さんは文化勲章を受章し、それを祝う会が帝国ホテルで開かれたのだ(その時最初にスピーチしたのは吉田秀和だった)。そして粕谷一希さんは私の『東京人』時代の編集長。2人共この世にもういない。この日記には山口昌男先生・常盤新平さん・小沢昭一さん・松山俊太郎さん、それから赤瀬川原平さんも登場する。まさに、“みんなみんな逝ってしまった”だ。

続きを読む

百田尚樹氏は「さくら夫人の離婚歴を書かなかったのは失敗だった」と――やしきたかじん『殉愛』泥沼騒動“未亡人vs一人娘”誌上大バトル!

「彼には私しかいない、私にも彼しかもういない、と思っていたんです」と未亡人。「悪意ある第三者が入り込める親子関係だったのかなと…」と一人娘。双方の告白!

「主人が亡くなってから、私は、いわれのない中傷に一方的に傷つけられてきたんです。体重も8kgくらい落ちてしまいました。相続を受けると献身的な愛じゃない、無償の愛にならない、放棄しろと言われます。でも、遺言が、主人の遺志がすべてと思っています。私は主人の遺志に従います」。家鋪さくらさん(33)。やしきたかじん氏(享年64)の未亡人である。食道ガンに倒れ、一度は復帰を果たしながらも再発。今年1月3日、帰らぬ人となった、たかじん氏に献身的な看病と介護を続けた。その“最後の2年間”を作家の百田尚樹氏が取材・執筆して描いた『殉愛』は発売1ヵ月で25万部を超えるベストセラーとなった。だが、『殉愛』発売直後から、さくらさんをめぐるさまざまな“疑惑”がネット上で“炎上”し始める。それは、多額の遺産を手にするさくらさんへの懐疑でもあった。

さらに11月21日には、たかじん氏の一人娘であるHさん(41)が、同書の出版差し止めを求める訴えを東京地裁に起こすと、事態は未亡人と一人娘の“泥沼の争い”に急展開していった。Hさんが語る。「この本はさくらさんの看病日記でしょう。そこになぜ私がイニシャルで登場するのかわかりません。だいたい、会ったことも、取材を受けたこともない作者が勝手に私のことを、しかも悪く書いて、私は一般人なのに、25万人の読者の前に引きずり出されたわけです。私は、明らかなプライバシー侵害から最低限の名誉を守りたいだけなんです」

続きを読む

当事者・岸田氏の“言い分”はこうだ! ちょい悪オヤジ“愛人報道”に書かれざる大いなる矛盾点

本誌11月25日発売号で報じた『LEON』の元カリスマ編集長の岸田一郎氏(63)が陥った交際トラブル事件。岸田氏は“ちょい悪オヤジ”の生みの親として知られ、現在は『MADURO』の編集長を務める。記事では、肉体関係を持ったモデル志望の女性(23)とトラブルになり、女性の所属事務所幹部を通じて和解交渉などをおこなったものの解決に至っていないこと。そして、その交渉過程で女性の所属事務所幹部の発言に恐怖を感じた岸田氏が警察に告訴状を提出していることなどを報じた。

ところが、である。12月5日発売の『フライデー』に女性が岸田氏を告発する内容の記事が掲載されたのだ。記事によれば、今年の2月に知人に誘われて出席した会食で『MADURO』発行人の大久保清彦氏(セブン&アイ出版常務執行役員)から紹介されて岸田氏と知り合い、会食を終えるとバーを経由してから強引にホテルに連れ込もうとされた。さらに、ホテルの入口で女性が帰ろうとすると岸田氏は、女性がかねてから希望していたTGC(東京ガールズコレクション)出演の話をちらつかせてきて、女性は岸田氏に従わざるをえなかったと語っている。

続きを読む

永久保存版・40歳から65歳までの“現役世代”必見の一発早見表――アベノミクス成功or失敗でどう変わる!? “俺の年金”本当の受給額決定版

「100年安心」。2004年、理想も高らかに打ち出された年金改革の目玉が、『マクロ経済スライド』だ。それから10年。デフレ下では出番のなかったこのシステムが、ついに発動されようとしている。我々の年金はどれだけ減らされるのか、徹底試算で明らかになる――。 (全面協力:株式会社ブレインコンサルティングオフィス・総合事務所ブレイン)

nenkin 01

■表の見方
①自分の年齢に近い表を選びます。
②自分の月収に近い額を10万円~60万円のなかから選びます。ボーナスを含めたご自身の年収を12で割ってください。既婚の場合、金額は夫婦合わせての受給額です。妻は夫の2歳年下で、月収15万円で10年間勤務したのち、専業主婦になったケースがモデルです。共働きの場合は、夫婦ともそれぞれ独身の表を参照し、両方を足してください。
③上段(白地)がアベノミクスが成功した場合、下段(グレー)がアベノミクスが失敗した場合の、5歳刻みの受給額です。“アベノミクスが成功した場合”として、物価が2%上昇した場合を想定しました。そのうえで、厚生労働省が『公的年金被保険者数の将来見通し』で公表している年金の減少の予測に基づき、試算しました。“アベノミクスが失敗した場合”として、物価が毎年1%ずつ下落した場合を想定しました。そのうえで、物価が下落した場合にも年金がカットされる法改正がおこなわれるという仮定に基づき、試算しました。
nenkin 02

続きを読む

ニッポン株式会社ソニーの崩壊――最先端を走っていたはずの“世界のソニー”、病巣は“見せかけの改革”にあった

ソニーの赤字が止まらない。戦後日本の成功の象徴だった企業が、何年も赤字を垂れ流しながら無残な姿をさらしている。グローバル化・IT化の先頭を走り、最先端の経営を実践していたソニーの躓きは、いまだ資本主義を根底からは受け入れられない日本人の限界を示している。10月31日に発表した2014年4~9月期の連結決算(米国会計基準)は、最終損益が1091億円の赤字(前年同期は165億円の赤字)だった。中核と位置付けるスマートフォンで苦戦し、同事業の営業権の減損処理で約1760億円の赤字を計上した。2015年3月期の連結業績は最終損益が2300億円の赤字(同1283億円の赤字)を見込み、1958年の上場以来初の無配に転落する。「こんなソニーに誰がした」。株主ならずとも、そう言いたいところだ。

なぜこんなことになったのか。松下電器産業(現パナソニック)の創業者・松下幸之助をして「東京にあるウチの優秀な研究所(松下電器が常にソニーの物まねをしていたため)」と言わしめたソニーは、いつから革新性を失い、迷走を繰り返しているのか。それを考えるためには時計の針を10年近く前に戻さなくてはならない。そう、出井伸之社長の時代である。1995年から2005年までの出井社長・会長時代は前半と後半でくっきり明暗が分かれる。前半はプレイステーションが大ヒットし、パソコンの『VAIO』も売れ、出井は“カリスマ経営者”に祭り上げられた。単にヒット商品に恵まれただけでなく、出井は執行役員制度の導入、製造部門の子会社化など、いわゆる“出井改革”を推し進め、日本経済のリーダーにのし上がった。英語に堪能な出井は、ダボス会議で各国首脳と丁々発止の議論を戦わせ、政府のIT戦略会議のトップを務めるなど、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。その“出井改革”の最大の目玉が『ガバナンス改革』だった。世間を驚かせたのは“監督と執行の分離”である。

続きを読む

【若者50年の足跡】(12) “何を着る”が“どう着る”へ――ファッション…強烈な個性、影潜め

戦時中に節約・質素が主軸だった日本の若者ファッションは戦後、進駐軍がもたらしたアメリカ文化の模倣によって“復興”をはたした。その後、個性的なデザインを日本から世界へ発信する異才がキラ星のごとく登場。これらデザイナーの服に、多くの若者が“なりたい自分”を仮託した。今、若者たちは特定の記号=ブランドにとらわれずごく自然体で服を、雑貨を選ぶ。商業の大きなうねりが日本のファッションシーンを洗うなかで、かつての強烈な個性は影を潜めつつある。

1960~1980年代の東京・原宿に、若手デザイナーがたむろする伝説の店があった。喫茶店『レオン』。後のDC(デザイナーズ&キャラクター)ブランドブームの発火点となる。場所は明治通りと表参道の交差点。文化人やカメラマンの事務所が入居する原宿セントラルアパートの1階だ。「川久保玲や山本寛斎がお茶する横でファッションショーの演出家、四方義朗が仕事の話をしている。独特の空気が支配していて、わくわくした」。当時、原宿でアルバイトをしていた、ラフォーレ原宿社長の荒川信雄(50)は回想する。モデルやデザイナーらが集う店内を眺めれば先端ファッションが一目で把握できた。店内の客は大きな窓ガラスを通して思い思いのスタイルで闊歩する若者を観察した。見る・見られる――。視線が交錯する中で磨かれるのがファッション。象徴的な場所がレオンだった。進駐軍の住宅『ワシントンハイツ』からほど近い原宿は1960年代にアメリカ文化の洗礼を受け、“おしゃれな街”の下地が形成された。大小さまざまなマンションにデザイナーが集まり、原宿特有のファッションビジネスが誕生。1室に事務所を構える小規模アパレル『マンションメーカー』だ。服づくりも経営も宣伝も1人でこなし、事務所がアトリエと倉庫を兼ねた。店を構えるだけの資金はないが、デザインは豊富で個性的。そんな気鋭のデザイナーたちの才能を開花させる拠点がレオンの向かいに登場する。1978年開業のファッションビル・ラフォーレ原宿だ。1~2年は富裕なミセス向けのテナント構成が苦戦。運営する森ビルは新館長の佐藤勝久(72)にてこ入れを託した。

続きを読む

Categories
Profile

Author:KNDIC
Welcome to my blog.

Latest articles
Archives
Counter
I'm participating in the ranking.

FC2Blog Ranking

information
Search
RSS Links
Link
QR Code
QR