【中外時評】 難民が揺さぶる欧州――問われるドイツの対応

急増する難民・不法移民がヨーロッパ連合(EU)を揺さぶっている。今年、中東やアフリカ等からEU域内に入った難民は、7月までに約34万人を超え、既に昨年1年を上回った。収容施設不足等でトラブルも頻発し、第2次世界大戦以来の危機との見方も出ている。殺到しているドイツ・フランスと他国との思惑の違いも目立つ。大国ドイツの対応次第では、ギリシャ危機で弱まったEUの求心力は更に低下しかねない。

先週、ドイツのメルケル首相はフランスのオランド大統領と協議して、流入の入り口となっているギリシャとイタリアにEU主導の登録窓口を設ける考えを示した。政治難民と不法移民を分け、数を抑える狙いがある。更に、ヨーロッパ各国に受け入れの公平な分担を求め、団結を呼びかけた。ドイツには流入が集中しており、難民申請の処理が追いつかない状態だ。今年の流入は過去最高の80万人に達し、昨年の4倍に膨らむとの見通しも公表している。メルケル首相は「難民はヨーロッパにとって、ギリシャ財政危機よりも重大な問題になる」と発言、強い危機感を示している。ドイツは戦後、かなり多くの政治難民や移民を受け入れてきた。ナチスの迫害で多数の難民が発生、各国が受け入れたといった事情もあったからだ。しかし、最近では高い生活水準を目指す経済難民や不法移民が中心で、雇用を奪われるとの反発等が外国人排斥に繋がっている。イスラム教徒との文化摩擦も事態を複雑にしている。「これ以上難民を受け入れるべきではない」との声も強まっている。ベルリン等の主要都市では抗議デモ、難民等の宿泊施設への放火等の破壊行為・暴動が急増し、警官隊と衝突を繰り返す等、対応に苦慮している。こうした動きを追うだけでは、大きな流れを見誤るかもしれない。首相発言等の強い危機感や排斥運動の激しさを見ると、今にも難民で国が沈みかねないとも思えてくる。ところが、流入外国人の恩恵を最も受けてきたのはドイツ経済なのである。

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テーマ : 国際政治
ジャンル : 政治・経済

【東京いい店やれる店】(15) 田町に熱帯雨林? シンガポールの海南鶏飯店が初上陸!

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ここ数年、日本の富裕層が税金対策で引っ越したり、屋上がプールになった高層カジノホテルができたりと、シンガポールが何かと話題である。その余波か、シンガポール料理にも注目が集まっていて、2008年に『MRS(マルハレストランシステム)』が現地の人気シーフード店4店を纏めて『シンガポール・シーフード・リパブリック』として品川に上陸させたのを皮切りに、それから粗毎年に亘って現地の人気店の日本上陸が続き、去年3月には接着剤メーカーの『スリーボンド』が点心の『京華小吃』を銀座に、今年2月にはコーヒー輸入商社の『㈱ユニコジャパンインターナショナル』がカフェチェーンの『tcc』を同じ銀座に上陸させている。シンガポールは中華系を中心とした多民族国家で、その料理もルーツが様々だが、日本人が“シンガポール料理”と聞いて先ず思い浮かべるのは『海南鶏飯』だろう。海南鶏飯とは、香港の南西に浮かぶ“中国のハワイ”こと海南島で生まれた、鶏スープで炊いたジャスミン米の上に茹でた鶏肉を乗せ、魚醤やチリを付けて食べる庶民の定食。海南島出身者が東南アジア全域に広めた為、タイでは『カオマンガイ』、インドネシアでは『ナシアヤム』の名で親しまれているが、日本ではシンガポール式の海南鶏飯が一般的だ。日本人がこの料理を知ったきっかけは、1998年に『ロイヤルホスト』が行ったシンガポールフェア。2003年には専門店の『海南鶏飯食堂』が麻布十番商店街の端に誕生し、ホリエモンがブログで紹介したことで一躍人気店となり、同趣向の店が次々に誕生した。

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この7月、その海南鶏飯専門店の真打ちとして、日本の外食企業『㈱バルニバービ』がシンガポールの人気店『威南記』を日本に上陸させた。場所は、嘗て博報堂本社が入っていた田町の高層ビル『グランパークタワー』の前庭の円形の建物。周囲のテラスに熱帯の樹木をびっしり植え、その樹木の間に28席のテラス席を設定。このテラス席が抜群に面白い。ファミレスっぽい店内も、ガラス戸を開け放てば周りのジャングルと一続きになり、如何にもシンガポールっぽい雰囲気になる。売りの海南鶏飯は、スープとセットで1300円。勘定は、海南鶏飯と幾つかの小皿を食べて、ビールをガブガブ飲んで、2人で9460円。テレビの昼ワイドで何度か紹介された店なので、客は家族連れが多く、デートで行くような雰囲気ではないが、テラス席をビアガーデン代わりに使うのには打って付けの店だ。若しもデートで海南鶏飯を食べに行くなら、一昨年、『海南鶏飯食堂』の元スタッフが神田淡路町の裏路地に出店した『松記鶏飯』がいい。ビルの1階の暗い地味な外観の店で、店内もパッと見、中国の田舎の食堂みたいな感じだが、暗めの照明や打ちっ放しのコンクリートの壁の赤い貼り紙がいい雰囲気を出しており、チャイナムードがたっぷり。料理の種類は『威南記』より稍多く、勘定は『威南記』よりちょい安い。遊び慣れた女のコを連れて行けば、株が上がることは請け合いの店である。


キャプチャ  2015年9月8日号掲載


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ジャンル : 恋愛

シャープ、2つの創業家“100年の恩讐”――早川家vs佐伯家…“中興の祖”から始まった疑似同族経営が液晶王国崩壊の原点だ

自力再生の目が粗消滅し、“会社解体”のステージに突入した『シャープ』。その危機の原因を辿ると、5年前のある人物の死に突き当たる。シャープの“ドン”と呼ばれた2代目社長の佐伯旭だ。 (川端寛)

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今年5月14日、シャープが発表した『2015~2017年度中期経営計画』を見て、胸を撫で下ろした人々がいる。栃木県矢板市と広島県福山市の関係者だ。両市ともシャープの工場があり、閉鎖が噂されていた。矢板工場はテレビの組み立て工場で、液晶テレビの『アクオス』等を組み立ててきた。福山事業所は電子部品工場で、現在はカメラやタッチパネル等の部品を作っている。閉鎖になれば数百人から1000人程度の雇用が失われ、取引先にも影響が出る。両市の関係者は、シャープの中計を固睡を飲んで見守っていた。中計では、取り敢えず両工場とも存続することになった。矢板工場は規模こそ縮小されるが、閉鎖を免れた。福山事業所も第1・第2・第3工場は閉鎖されるが、第4工場が生き残る。今回の中計に対しては、金融機関等から「手緩い」との批判が出ており、追加リストラも予想されるが、最悪の事態は回避できた。矢板と福山は、液晶パネルで有名な三重県の亀山工場や大阪府の堺工場に比べると知名度が低い。しかし、2つの工場はシャープにとって特別な工場であり、どうしても閉鎖したくない理由がある。1968年に作られた矢板工場は、シャープが関東への“再進出”を果たした記念すべき工場だ。大阪市阿倍野区西田辺町に本社を置くシャープは“大阪の会社”と思われがちだが、創業者の早川徳次は東京都中央区日本橋の錺職人から身を起こした江戸っ子であり、創業の地も東京である。徳次は丁稚時代に穴の無いベルト『徳尾錠』を考案して財を成し、後に社名の由来となるシャープペンシルを作り始めた。しかし、事業が軌道に乗ったところで関東大震災に襲われ、工場と妻子を失う。借金返済の為にシャープペンシルの特許を売却した先が大阪の文具店だった関係で、僅かな従業員と大阪に移り、『早川金属工業研究所』を立ち上げた。1942年には『早川電機工業』に社名を変更し、戦争を挟んでラジオ・白黒テレビ等で業容を拡大していった。大阪で成功を収めた徳次が関東に再進出したのが1968年。1964年の東京オリンピックをきっかけにカラーテレビの爆発的な普及が始まり、シャープも大消費地に近い関東に生産拠点を構えることにした。様々な自治体が誘致を競ったが、最も好条件を提示したのが栃木県矢板市だった。田圃と林檎園しかなかった片田舎にいきなり数千人の雇用が生まれ、市は徳次への感謝を込めて、工場の地名を“早川町”とした。

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テーマ : 経済
ジャンル : 政治・経済

【1億総貧困時代】(02) “大阪府と生活保護”の研究――失業・離婚・独居老人・日雇い労働者…大阪が暗示する“ニッポン総貧困”の未来

生活保護受給率34.2‰――凡そ29人に1人が生活保護を受ける大阪府は、47都道府県の中で最高の保護率である。何故、大阪はこれほど保護率が高いのか? 数字を分析していくと、大阪の現状が日本の未来を暗示しているようにも見える。 (本誌編集部)

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2014年度の日本の生活保護予算は約3.8兆円(国と自治体の負担割合は3:1)。2005年度は約2.6兆円であり、この10年間で約1.5倍に膨れ上がっている。政府は制度の見直しに取り組み、保護費の圧縮に努めているが、国及び自治体の財政を圧迫しているのが実情だ。生活保護を受けている人の割合(=保護率)には、都道府県で大きなばらつきがある。保護率は、地域性と密接に関連していると言えるだろう。北陸や中部地方の内陸県が低いのに対して、関西の府県や北海道・高知・福岡等が高い。最も高いのは大阪で、保護率34.2‰(1000人当たりの受給者数)は全国平均16.7‰の2倍以上である。大阪府の保護率を高めているのは、府の人口の3割を占める大阪市だ。大阪市の保護率は55.3‰(2015年3月現在)で、市民の18人に1人が生活保護を受けている。大阪市の保護率は、何故ここまで高いのか? 保護率が高い主な原因として、市の福祉局生活福祉部保護課は次の4点を挙げる。先ず、失業率が高い点。全国が4.0%であるのに対し、大阪府は4.8%だ(2013年平均)。背景には、大阪経済の地盤沈下がある。大型の公共事業は、約10年前の関西国際空港2期事業が最後となっているし、大阪に単独本社を置いていた上場企業が本社機能を東京に移したり、複数本社としたりするケースも後を絶たない。離婚率(人口1000人当たりの離婚件数)も高い。全国が1.84であるのに対し、大阪市は2.35(2013年)。自ずと母子家庭等への保護は多くなる。高齢者世帯も多い。単身又は高齢者夫婦の世帯の割合は、全国が19.4%に対し、大阪市は21.3%だ(2010年)。その内、単身世帯は全国が9.2%に対して大阪市は13.5%で、とりわけ単身世帯の多さが保護率を高めている。4点目に指摘されているのは、日本最大のドヤ街“あいりん地区”の存在だ。日雇い労働者の高齢化は著しく、生活保護が増加している。あいりん地区について留意すべきは、大阪出身者ばかりでなく、全国の日雇い労働者の受け皿となっている点だ。労働者の出身地別構成は、大阪市38%・大阪府下14%・他都道府県48%(2013年度、越年対策事業調査)。あいりん地区の問題は、大阪だけではなく、日本の問題なのである。あいりん地区のある西成区の保護率は235.2‰と突出している。実に、区民の4人に1人が生活保護の受給者なのだ。一方で、超高層マンションが林立する福島区の保護率は全国平均以下。大阪市は、地域に依って極端に表情を変える都市でもある。

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テーマ : 貧困問題
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【戦後70年・日本を問い直す】(03) ヨーロッパから見たアジアの歴史認識問題

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中国が自らの力をひけらかし始め、安倍晋三内閣は憲法改正にまで踏み込みかねず、尖閣諸島も依然問題となっている。東アジアの政治的緊張は危機的な段階に達している。そのような中、日本政府が戦後70年をどのように迎えるのかに関心が注がれている。「安倍首相は1995年の村山談話を引き継ぎ、戦争責任を謝罪して、隣国との和解を進めるだろうか? 或いはそうではなく、東アジア諸国との溝をより広げるのだろうか?」と。しかし、ヨーロッパから見ると、戦争を巡る所謂“歴史認識問題”が東アジアの国際関係にとってそれほど重要なのだということ自体が驚きである。ヨーロッパも、自らの戦後70周年を記念したばかりだ。今年は、ギリシャやロシアを巡る危機があり、ヨーロッパには例年より難しい問題が存在していた。しかし、旧枢軸国であるドイツが過去を再解釈し、ヨーロッパ全土に論争を引き起こす懸念等、全く持たれなかった。ヨーロッパであの戦争を思い起こす場合、その核心には、1945年以後、ドイツが戦争の責任を負い続けてきたことへの信頼感がある。ヨーロッパ全土の指導者と国民は、この時、戦場や強制収容所で亡くなった人々を悼み、過ちを繰り返さないことを誓う。そこに、終戦を記念する上での最大の意味がある。平和と協調の為の今年の記念事業を象徴する1つは、エリザベス2世のドイツへの公式訪問であった。女王は、この機会にべルリンでヨーロッパの団結がどれほど重要であるかを語った。そして、その演説の一方で目立たぬように、ベルゲン・ベルゼン強制収容所(アンネ・フランクが収容されていた場所として有名)を訪問したのである。

また、ヨーロッパから見れば、日本が自国の歴史問題で困難を抱えていることも不思議である。あの戦争と日本を巡る事実は、ヨーロッパでは単純明快なのだ。つまり、「日本が中国と西側に侵略戦争を仕掛け、その間に日本は南京での虐殺や政策的な俘虜虐待を繰り返したのであり、この点で日本はドイツと何ら変わらない。それ故、立派な民主主義国家である日本は、ドイツの先例に倣うべきというのが論理の必然であり、日本は道徳的責任をきちんと表明すべきだ」と考えられている。しかし、「日本は自らの過去を否定し、良く言えば曖昧で部分的な謝罪を行っているだけで、悪く言えば戦争責任を否定し、戦争への決断を肯定しているのだ」と思われている。今年の3月にドイツのアンゲラ・メルケル首相が日本を訪問した際、「日本は過去と折り合いをつけるべきだ」と語ったのも、こうしたことを考えれば驚くべきことではない。勿論、ヨーロッパの視点に瑕疵が無い訳ではない。例えば、ヨーロッパでは「日本は国家としても国民レベルでも、歴史における逸脱行為をいつも否定してきた」と思われている。日本が近年、過去への謝罪を何度も繰り返し表明していることや、現在の内閣の立場に日本国民全員が賛成している訳ではないことは、殆ど認識されていない。戦争犯罪に関する画期的な研究業績が、日本人学者の手に依ってなされていることも知られていない。また、ヨーロッパの視点があまりにも自画自賛的であることも問題の1つだ。ヨーロッパでは、「アメリカ人が2発の原子爆弾を落としたことを、日本人が『戦争犯罪だ』と考えるかもしれない」ということ等は、殆ど考慮されない。ヨーロッパが過去をどのように解釈してきたのかも間い直されてよい。ドイツがいつも戦争を巡る責任を完全に引き受けてきたというのは、歴史的事実とは到底言えない。抑々、2世紀に亘るヨーロッパの帝国主義の歴史という、より広い視点から見れば、ヨーロッパがあの戦争を巡って「道義的に優れている」と自己主張しても、それは他の地域の人々から見れば可笑しなことであろう。

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テーマ : 歴史認識
ジャンル : 政治・経済

【戦後70年・漂流する日本】(05) 日本人よ、目を覚ませ!

安保法制論議を考える際に忘れてはならないのは、戦後70年がどのような体制で維持されてきたのかという問題です。その中での日米安保条約であり、俗に言う“平和憲法”なのですから。戦後70年を簡単に眺めると、大東亜戦争が終わり、アメリカが主導する『GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)』が日本を占領しました。戦後の日本は、ある国を別の国が占領して改革することに成功した、史上初にして最後の事例だと思います。それほど改革は上手くいきました。最高司令官のダグラス・マッカーサーが武器を持たない丸腰で厚木基地に降り立ったのが、1945年の8月30日。先ず、ソ連の共産主義を牽制する為、貧富の格差を無くす政策、農地解放を行いました。そして、進駐軍の移動を赴任地より25km以内に制限しました。全進駐軍にアメリカ軍と同じ規制をかけることで、ソ連が田舎で共産主義を広めるのを防いだのです。また、検閲・報道規制を始めとする『ウォーギルトインフォーメーションプログラム(WGIP)』を実施しました。これは、情報操作に依って日本人をマインドコントロールしようとするものです。例えば、NHKラジオに「真相はこうだ」という番組を製作させる等して、日本軍を徹底的に貶める報道を続けさせ、国民を洗脳しました。他にも、財閥解体や労働組合に一定の制限を加える等の政策を行っています。こうしたGHQの戦後政策の中の1つが、所謂“平和憲法”の制定です。

GHQは1945年10月に、日本側に「憲法を改正しなさい」と命じましたが、日本側からの憲法草案は明治憲法に少し手を加えただけのものでした。例えば、女性の権利は書かれていません。1946年2月にその憲法草案が毎日新聞にスクープされ、それを読んだマッカーサーは「これでは現状維持だ」と激怒し、直ぐにGHQ民政局長だったコートニー・ホイットニーに草案作りを命じています。そして、GHQに依る憲法草案が提示されたのが2月13日でした。この憲法は、翌1947年5月3日より施行されました。急拵えの割には、極普通の憲法です。書くべきことはきちんと書かれています。しかし、大きな問題点が2つあります。1つは、日本に元首がいないことです。元首を指定しない憲法は見たことがありません。もう1つが、第9条の“戦力の放棄”です。これは、日本が再び強い軍隊を持つことを恐れたアメリカに依るペナルティーでした。日本国憲法も、GHQの戦後政策の一環なのです。ところが、戦後の世界は益々共産主義の脅威が増していきます。マッカーサーは逸早くそれに気づき、「日本を共産主義拡大の防波堤にする必要がある」と理解しました。だからといって、日本を直ぐ再軍備する訳にはいかず、アメリカが日本を守る代わりに、アメリカの政策に日本を協力させることにしました。最優先課題は日本の経済復興です。先ず、日米の安全保障体制を作っておいて、「日本は経済に専念しろ」ということになったのです。アメリカの市場を開放して、貿易を促進させました。つまり、「貴方たち日本は軍事力を放棄した。その代わり、アメリカは日本を守り、日本が豊かな国になるように経済協力を惜しまない」というのが戦後体制の大黒柱なのです。1980年代には日本はかなり豊かになり、経済指標の計算の仕方に依ってはアメリカと対等なところまで来ました。アメリカの姿勢も「だったら、もう一方的な市場開放は止めます。今後は対等にやりましょう」へと変わり、日本に牛肉やオレンジの市場開放を迫ります。日米が対等な経済関係になる中でソ連が崩壊して、1990年代には共産主義の脅威は去りました。しかし、今度は中華人民共和国(中共政府・PRC)が経済力と軍事力で台頭し、アジア情勢が変わってきます。

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テーマ : 軍事・安全保障・国防・戦争
ジャンル : 政治・経済

【終戦70年・“戦後”はいつ終わるのか】(06) 遠い記憶の先に終止符を探して――元捕虜収容所長を祖父に持つ本誌記者が、日本軍の捕虜だったアメリカ兵と向き合う

8月15日、日本は戦後70周年を迎える。日本が語る“国家”としての歴史が議論される一方で、第2次世界大戦には当時を生きた1人ひとりの物語がある。それは其々の国で、体験者其々の“真実”として、多くの場合、苦しみを伴いながら今後も語られていく。その戦争の記憶に“終止符”を打てる日は来るのだろうか――。 (小暮聡子)

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6月初め、私は祖父が残した物語と今一度向き合う為、赴任先のニューヨークから南部のニューオーリンズ空港に降り立った。ジャズの街・ニューオーリンズは既に夏真っ盛りで、空港を出るとむわっという熱気が身を包む。車で30分も走れば音楽と酒に塗れた繁華街のフレンチクォーターに到着するが、私を乗せたタクシーが向かう先は陽気な観光地ではない。旅の目的は、戦時中にフィリピンのバターン半島とコレヒドール島で日本軍の捕虜となったアメリカの元兵士や民間人、その家族や遺族が集う戦友会に参加すること。この『全米バターン・コレヒドール防衛兵の会(ADBC)』年次総会では、1つのホテルに集った参加者が数日間に亘り戦中・戦後の体験を共有し、次世代に語り継ぐ。私がこの戦友会に参加するのは、22歳だった2003年以来、12年ぶりだ。日本軍に捕らわれた捕虜たちにとって、捕虜生活は“生きるか死ぬか”の戦いそのものだった。1941年12月8日、日本軍が真珠湾を攻撃して太平洋戦争に突入すると、本間雅晴中将率いる日本軍はダグラス・マッカーサー極東陸軍司令官下のフィリピンに侵攻を開始。首都のマニラからマニラ湾を挟んで対岸に位置するバターン半島とコレヒドール島のアメリカ軍とフィリピン軍は、日本軍との戦闘を経て、1942年4月以降相次いで降伏、捕虜となった。その後、日本軍が7万人余りの捕虜を約100km先の収容所まで、炎天下の中飢餓状態で歩かせ、約3万人の死者を出した『バターン死の行進』は、アメリカでは今も旧日本軍の残虐性の象徴とされている。日本の市民団体『POW(戦争捕虜)研究会』に依れば、第2次世界大戦中に日本軍がフィリピン等アジア・太平洋地域で捕らえた連合軍の捕虜は約14万人。そのうち約3万6000人は水や食糧・衛生設備が欠如した輸送船、所謂“地獄船”で日本に送られた。航海中は連合軍からの攻撃も加わって多くが命を落としたが、生き延びて日本に到着した捕虜たちは、全国約130ヵ所の捕虜収容所に連行され、炭鉱や鉱山・造船所や工場等で働かされた。戦争末期にかけて日本側も疲弊する中、捕虜たちの生活は過酷を極め、終戦までに約3500人が死亡したという。死因は飢えや病・事故・虐待・連合軍に依る爆撃等だった。

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テーマ : 戦争
ジャンル : 政治・経済

日本を滅ぼした“2つの顔”の男たち――対外協調か武力行使か…迷い・揺らぎを見せた指導者たちの深層に迫る

昭和史の流れを辿っていくと、満州事変や日中戦争・日米開戦等、大きな運命の曲がり角となる場面が幾つかあります。そして、そうした歴史的場面に一度ならず二度、或いは三度と繰り返し現れ、良かれ悪しかれ重要な役割を果たした指導者たちの内で、嘗て見せていた筈の顔と全く異なった顔を示す者が少なくありません。例えば、戦争という軸で捉えた時、ある時期には戦争回避を強く主張していたのに、別の時期には戦線拡大を唱え、同時代の人々からもその矛盾を指摘されたりする等、無定見な印象を与え、国の舵取りを誤ったとされる人々です。彼らは何故、“2つの顔”を持つに至ったのか? そこにはどのような時代背景があったのか、論じてみたいと思います。

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初めに取り上げたいのは近衛文麿です。彼は2つどころか、「登場する度に顔を取り替えているのではないか?」と思われるほど、様々な貌を見せてきました。先ずは1919年、第1次世界大戦後のパリ講和会議です。日本側の首席全権は西園寺公望、次席全権は牧野伸顕で、当時27歳の近衛は随行員として参加しました(牧野の女婿だった吉田茂も同じく随行員として加わっています)。この前年、近衛は『英米本位の平和主義を排す』という論文で注目を浴びます。「第1次世界大戦後の世界秩序は、国際協調路線とは言いながら、基本的には英米本位の、つまりは“連合国=勝者”にとって都合の良い平和に過ぎない」と異議を唱えた。この論文は、ある意味、青年の目で当時の国際情勢を正確に捉えていたとも言えます。しかし、日本は連合国の一員であり、勝者の側にいた筈ですから、近衛の主張は日本の立場を否定しかねないものでした。また、「“持たざる国”日本は現状打破を唱えるべきだ」という近衛の主張は、大戦後の軍縮体制等に不満を持つ軍からも歓迎される存在となったのです。近衛は、公家の頂点である五摂家筆頭の当主でした。貴族院議長等も務め、大衆からも人気がある。早くから首相候補とされますが、2.26事件の後、元老の西園寺から首相に推薦され、大命降下もあったにも拘らず辞退してしまう。そして、広田内閣・林内閣が倒れ、昭和12年6月、やっと首相を引き受けます。そして、勃発したのが日中戦争でした。戦争の早期収束を図り、国民政府と和平交渉を試みますが、交渉が上手くいかないとなると、昭和13年1月、「国民政府を対手とせず」との声明を一方的に発してしまうのです。以後、和平の門戸は閉ざされ、事態を収拾できないまま、近衛内閣は翌14年1月に総辞職する。

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テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

【日本近現代史がわかる最重要テーマ】(17) 尖閣・竹島・北方領土――領土問題、原点は講和条約にあり

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ここ数年、日本の領土を巡る議論が盛り上がっている。中国が領海侵入等の威圧的行動を続ける尖閣諸島(沖縄県)、韓国が実効支配を強めようとパフォーマンスを繰り返す竹島(島根県)、ロシアが軍事拠点化を進める北方領土(北海道)等、領土を巡る状況が厳しさを増していることが背景にある。これらは2国間の主張のすれ違いが大きい問題だけに、双方の主張を読んでみても、何を根拠に判断していいのか戸惑ってしまう読者も少なくないだろう。3つの領土が其々違った歴史的経緯を持っていることは当然だが、日本の領土は第2次世界大戦敗戦に依って一度リセットされている。その為、1952年発効の『サンフランシスコ講和条約』(以下『SF条約』)が3つの領土に共通する国際的な合意ということになる。その意味で、これらは領土を巡る問題であると同時に、戦後問題という面も持っているのである。日本が敗戦時に受諾した『ポツダム宣言』は、日本の領土について次のような方針を示している。「日本国の主権は本州・北海道・九州及び四国、並びに吾等の決定する諸小島に局限せらるべし」。“吾等”とは連合国のことだ。即ち、尖閣諸島・竹島・北方領土の帰属については、この時点で連合国の決定に委ねられることになったのである。そして、それを具体的に決めたのがSF条約だ。そこで本稿では、SF条約を横串にして、3つの問題を検証してみたい。その作業を通じ、3つの問題に共通する傾向と対策を示したい。

尖閣諸島を巡り、中国は今、「日本が日清戦争で中国の敗色が決定的になったのを利用して、秘密裏に釣魚島(尖閣諸島の中国側の呼び名)を編入した。これは不法な盗取行為だ」等と領有権を主張している。この中国側主張のベースになっているのは、1943年に米・英・中3ヵ国首脳が対日基本方針について合意した『カイロ宣言』だ。同宣言では、「台湾及澎湖島の如き日本国が清国人より盗取したる一切の地域を中華民国に返還する」としていた。中国は、日本政府が1895年1月に尖閣諸島を日本の領土に編入したことを「盗取行為」と呼び、「日本には返還する義務がある」と主張している訳だ。これに対し日本は、編入前に10年に亘る調査で尖閣諸島に中国の支配が及んでいないことを確認しており、「カイロ宣言で返還すべきとされた地域に、尖閣諸島は含まれていない」との立場だ。それでは、中国・日本のどちらの主張が正しいか、“連合国”の判断を検証してみよう。カイロ宣言の内容は、SF条約の第2条(b)に取り上げられている。「日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」。ここでも、名前が挙がっているのは台湾と澎湖諸島だけだ。ただ、中国は「尖閣諸島は台湾に属していた」と強弁している。そこで、SF条約の第3条を見てもらいたい。「日本国は、北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む)【中略】を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する」。ここにも尖閣諸島の文字は無いが、“琉球諸島”に尖閣諸島が含まれているのである。実際、アメリカはこの条文に基づいて、尖閣諸島を自らの施政下に置いた。つまり、SF条約上で尖閣諸島は、第2条の日本が放棄する地域ではなく、第3条に基づきアメリカの統治下に置かれる地域と決定されたのである。

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テーマ : 領土・領海・・経済水域
ジャンル : 政治・経済

<画像5枚> 3時間半エステでオンナを磨いてお泊まり愛…片岡愛之助と藤原紀香、信じられない濃厚ラブ写真

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知人宅から駐車場へ戻る途中、紀香がピッタリ寄り添うと、クールな愛之助からもほんのり笑みが零れた。

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「絶対離さない!」とばかりに愛之助の腰に腕を回す紀香。2人の愛はもう誰にも止められない。

Norika Fujiwara 04
人気のある通りでは密着した身体を離したものの、紀香は愛おしそうに愛之助の腕をギュッと掴んでいた。

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テーマ : 芸能界のニュース
ジャンル : アイドル・芸能

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