【私の履歴書】JR東海・葛西敬之名誉会長(06) 安保闘争、学内で討論会…「何の効果もない」参加やめる

高校は東京都立西高に進んだ。友人も交え、古典・漢文を中心に学ぶ父との“読書会”は続けながら、現代の作品は1人で手当たり次第に読んだ。私の中で読書と表裏一体になっていた“空想”に遊ぶ習慣も、当然のように続いていた。軈て、大学受験の時期を迎える。この頃までは自分の空想を基に、将来は突出したマルチ人間になるつもりでいた。強い軍人であり、優れた科学者であり、且つ政治家でもある。そんなイメージだ。扨て、それにはどのような戦略で臨めばいいのか? 「先ずは大学で、自分が一番苦手な科学を勉強しよう。政治・軍事・外交はその後から学べばいい」との結論に至る。東京大学の理科一類を受け、工学部に行くと決めた。ところが、日比谷高校に通っていた友人と話したことで、現実を知る。この男は天才的に数学ができた。「今、岩切晴二の“解析精義”で勉強しているのだが、数学の詰めはどうすればいいか?」と尋ねると友人は、「理一程度なら解析精義で十分だろう。僕は小学校の時に上巻を終え、下巻は中学校で済ませた」と言うではないか。私の身近にでさえこんな才能のある人がいたのでは、とても太刀打ちできそうにない。結局、理系は諦め、得意な文系に進むことにした。これをきっかけに、私の空想癖は随分と現実的なものになってしまった。

1959年4月、東大の文科一類に入った。世の中は、翌年に控えた日米安全保障条約改定に反対する運動で騒然としていた。学内には立て看板が並び、私のクラスでも討論会が開かれた。寮の自治会の委員だった学生が教室の前に立ち、議長を務めている。「安保改定を阻止しなければならない。その為には我々が街頭に出て、行動する必要がある。どうすればいいと思うか?」と問う。私は手を挙げ、発言した。「安保改定阻止という前に、安保条約とはどういうものなのか、日本の安全保障はどうあるべきなのか。先ず、その議論をしたほうがいい」。この時の議長の反応は忘れられない。明らかに侮蔑とわかる表情を浮かべ、「君は随分遅れているね」。友人の1人が「僕も同じ意見だ」と私に賛同したが、兎に角「遅れている」の一言で済まされ、討論会は終わった。その後の昼休み、私のところへクラスメートが何人もやって来て、「実は僕も同じ意見なんだ」と口々に言う。「でも、学校の先生も自治会も安保反対で固まっている。安保条約を一から議論しようと言うと白い目で見られそうなので、黙っていた」ということだった。戦後になって言論の自由が確立されたと言われるが、果たしてそうだろうか? 一度流れができてしまうと、多くの人が「異なる意見は言い難い」と感じ、口を閉じてしまう。それは、戦争の前も今も変わっていないように思う。クラス討論会はその後も度々開かれ、「僕たち東大生は、民衆の代わりに考えなくてはならない。その責務がある」というような馬鹿馬鹿しい議論をしていた。抑々、この場で何かを決めたところで何の効果も無いのである。「こんな無意味な議論に付き合うぐらいなら、映画でも見に行ったほうがマシだ」――そう思って、私はクラス討論会に出るのを止めにした。


≡日本経済新聞 2015年10月6日付掲載≡


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