【日日是薩婆訶】(02) ああ、棺といい、衣といい、このままではいけない

通常、5月は比較的お葬式が少なく穏やかなのだが、今年は5月に寧ろ多く、6月になって収束した。6月には講演が5回予定されていたが、現在4回目を岐阜で終え、戻ったところ。梅雨に入ったような小糠雨が降っているが、今日は静かなので少し落ち着いて書いてみたい。今月初め、横浜でフューネラルグッズの展示会があった。フューネラルとは葬儀のことだから、お葬式関連商品の展示会である。何故、私がそんなことを知っているのかというと、実は私が監修した棺がそこで紹介されたのである。私は久しく、日本で使われる棺の9割が中国製になってしまったことを危惧してきた。棺だけでなく、位牌も石塔も、或いは仏像や卒塔婆まで外国製が大半なのだ。拝む対象が皆外国製であることが癪に障るというのもあるが、これでは日本から技術そのものが無くなるだろう。それが私の危惧の一番の内実である。それもこれも、それらを扱う業者――つまり葬儀社や仏具屋、或いは卒塔婆専門店等が少しでも原価の廉いほうへと流れる結果である。彼らも儲けなくてはならないのは確かだが、やはり国としての技術の保護継承も考えてほしい。そういう訳で、国内の棺メーカーから相談を受けた時、大いに同意して幾つかの棺のイメージを描いたのである。

何より、その話に乗った大きなキッカケは、中国製の棺のあまりのお粗末さである。頑丈さや見栄えに対する不満ではなく、実は内張の布が元々カーテン生地で、燃えると猛毒が出るというのである。今の火葬場は煙突で再び煙を燃やすようなシステムだから、それで環境被害が発生する訳ではない。しかし、亡くなっているとはいえ、棺の中にはご遺体が収めてあるのである。『日本コフィン』という広島県のメーカーは、何よりその内張の布を、燃えても毒など出ない国産の生地にした。そこには、『三菱マテリアル』に永年勤めてきた人物が関与している。それならと私も色々意見を出し、「あの窓のセロファンを止められないか?」と提案した。普通に想像すれば、火葬場の炉で棺が燃やされる時、一番先に溶け落ちるのは間違いなくあのセロファンだし、溶けたセロファンは故人の顔に落ちる。入炉直前に外してもいいが、別なやり方は考えられないものか? 元々、日本コフィンという会社は遺体に合掌させる日本ならではの習慣を尊重し、手が蓋にぶつからないようにと“R棺”を初めて作った業者である。話は早く、早速窓はありながらセロファンは使わない形を考案してくれた。また、日本人が自然の中へ帰っていくイメージから、私は棺に7種類のイメージを考えてみた。“花吹雪”“月に雁”“木霊”“流水”“白雲”“紅葉”“青山”である。其々の出来栄えが私のイメージ通りだった訳ではないが、こうした選択が可能になるだけでも豊かではないだろうか? また、高級な棺では、木の種類で桐・栓・桜・檜の中から選べる。昔は桐の家具を作っていた会社だから、仕上げの技術も確かである。今や、日本の世の中はどんどんこうしたことが簡素化され、いや、蔑ろにされていると思えるのだが、実は葬儀屋さんが少し儲けを減らしてくれれば、国産の棺も充分使えるのである。因みに、中国から大量に輸入されるスタンダードな棺の原価は約1万円。これを場所に依っては10万円以上で売っているのが現実である。国産にしたとて原価がベラボーに高い訳ではないことを申し添え、是非、葬儀屋さんへの働きかけをお願いしたい。




扨て、今気になっているのは、この他に2本ある〆切間近の原稿と、お盆前の便りの発送、そしてもう1つ残っている講演とラジオ収録のことである。今年の新盆は、戦後国内の死者数が最大だった去年よりはやや少ないものの、やはりそれに次ぐくらい多い。去年のようにO和尚に手伝ってもらい、手分けして棚経に廻るつもりだが、各お宅の準備の為の便りを今月中に出すのである。また、もう1つ残っている講演は『日本精神保健福祉士学会』。ここでは、“自己”という考え方がすっかり西洋型になっていることに物申したい。そう言えば最近、41歳で亡くなった青年の葬儀をしたのだが、死因はアルコール依存症+鬱病+アスペルガー症候群+自閉症だという。小学校で苛めに遭って、中学1年生の5月から学校に行かなくなり、完全に不登校になったのだが、その後は独学で簿記1級を取り、しかも中学も卒業していないのに大検に合格しているのである。自力でこれほど学べる人間を、どうして今の精神医療は救えないのか? また、何故彼はアルコールに逃げ込むしかなかったのか? 学校という場の無力さも感じさせる葬儀だった。日本人をパーソナリティー(個性)やアイデンティティー(自己同一性)等で規定すること自体、実情にそぐわないのではないか? また、『解離性人格障害』という病名も日本人には少々違和感がある。今の若者たちの生き難さの原因は、そんなところにもあるように思えて仕方ないのである。

そう言えば、今月半ばには世界10数ヵ国の科学ジャーナリストたちが、第1原発視察後に三春町へやって来た。震災後の行政の対応については元副町長の深谷茂氏から、放射線とのつきあい方や現状は東北大学の小池武志先生から、そして、私は被災から4年以上経った現在の人々の心理と現状について話したのだが、そこでも世界に共通する問題点や展望の他に、日本独特の問題も感じたのである。昨年の2月、私は『東天紅』という短編小説を書き、『文學界』に発表したのだが、ここで描いた“鶏の声に鼓舞される心情”等も日本人独特である。卵を食べるか肉を食べるか――それだけがアジアやヨーロッパで鶏を飼い出した理由なのだが、日本人は弥生時代辺りから鶏を飼い出し、平安時代にはすっかり時計代わりに鶏の声を用いている。鳴き方を選りすぐり、“正刻”(正告)等と呼ばれる新品種を初めて作り出した民族である。“鳥居”という呼び名を考えても、それが食べる相手でないことは判る筈である。『東天紅』は、原発から6km地点に住む夫婦が、事情あって震災後もそこに住み続けるしかなかったという物語だが、そこでも早鳴き・長鳴きの東天紅が主人公たちにある種の目覚めを導く。私は、欧米やアジア各国の記者たちに『東天紅』の梗概を話しながら、この国ならではの除染の徹底ぶりや“世間”の難しさ、この国の気候故の放射線の自然減衰の大きさについても考えていた。因みにこの『東天紅』という短編、今年の川端康成文学賞の最終選考にノミネートされたが受賞はならず。沖縄で何度か食事を共にした大城立裕先生の作品が受賞となった。

扨て、最近読んだ本の中では、魚川祐司氏のデビュー作『仏教思想のゼロポイント “悟り”とは何か』(新潮社)が圧巻だった。この本は、岐阜までの往復の電車で一気に読み切ってしまったのだが、仏教とは如何なる思想で、何故世界宗教足り得ているのか、それが若い著者の完璧に整合性を保った理論で語られるのである。私自身、これまで曖味だった幾つかの仏教語が、昴(ゼロポイント)を中心とした座標に見事に収まるのを感じた。また、特に悟後の態度についての自由裁量権という考え方には、大きな示唆を得ることができた。抑制された文章の魅力も相侯って、魚川氏からは暫く眼が離せそうにない。一瞬、『虹の階梯』で登場した中沢新一さんを憶い出したほどである。いや、僧侶という立場で言えば、中沢さんの書籍よりも寧ろ必須度の高いものとして是非、多くの僧侶たちにお勧めしたい。ミャンマーでの5年近い行学の内に、彼は粗完璧に仏教の裾野まで見渡したのだと思う。

そうこうする内に、隣の行から粗24時間が経った。朝から法事を1件、その後は本堂の電気設備の様子を見に行き、エッセイを1本書いたりする内に、すっかり日が暮れたのである。今日の法事は壇家さんの弟で、敬老園に入っている方の依頼だった。3日ほど前に敬老園の女性職員から電話があり、「当人が両親や幼くして亡くなった兄弟姉妹の位牌を持っているのだが、80も過ぎ、きちんと祀れなくなるので総供養して頂き、位牌を収めたい」と言うのだった。40代と思しき女性職員に伴われてやって来た男性は、私が小学生だった頃、少年野球の監督をしていた人だった。光の鋭い印象は健在で、足腰も然程弱くはなく、認知症でもなさそうだが、口が不自由そうなのは脳硬塞等のせいだろうか? ともあれ、位牌を並べて戒名を書き取り、お経を上げようと思ったのだが、白木のままの位牌を彼は何度か洗ったらしく、1本がどうしても読めない。仕方なく庫裡に戻って実家の過去帳を調べ、定刻を15分ほど過ぎてから漸くお経を上げた。女性職員が彼の腕を支えて墓地へと向かう。別れ際、「今、敬老園にいるお年寄りは何人くらいなのか?」と訊いた。すると、80人だという。驚いたのは、それを世話する職員が20人もいるということだった。多死時代を迎える前の介護や看護、食事の世話をする人々の人数も、今後暫くは増えていくしかないのかもしれない。ふと憶い出したが、そう言えば今回、川端賞を受賞した沖縄の大城立裕先生はもう90歳である。しかも、脳梗塞を起こした奥様の介護もしている。一体、この元気の秘訣は何なのだろう? やはり、幾つになっても物わかりよくなり過ぎず、物申すことだろうか?

夕方、エッセイを書き終える頃、女房に呼ばれて階下に降りると、法衣屋さんから藍染めの麻の綟衣が届いたという。これは、女房があちこちの法衣屋さんに当たって漸く布地を探し、特別に頼んだものだ。昔は雲水の普段用だった夏の麻衣が、今の日本では殆ど作られておらず、雲水たちは化繊の衣を着ているというのである。因みに、今の網代笠は丸みの少ないベトナム製である。法衣は素敵に仕上げられていたが、私は直ぐに憂鬱になる。「ああ、棺といい、衣といい、このままではいけない」。私は夕食に、アジの叩きとブロッコリーと餃子を食べながら、ビールを呷る。このままでは祝福すべきことがないではないかと思うが、見れば今日のお菜も殆ど檀家さんからの頂き物。アジの叩きまで、魚屋の娘さんから頂いたのである。先ずは、全ての食べ物に“薩婆訶”“めでたし”。そして今回は、魚川祐司氏の登場と、次の著作も一緒に祝福しておこう。「スヴァーハ!」。勿論、私は明日の朝も「体調万全、気分上々、スヴァーハ!」と心に念じつつ、微睡みの時間も早々にストンと眠る。


玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう) 作家・臨済宗妙心寺派福聚寺住職。1956年、福島県生まれ。慶應義塾大学中国文学科卒業後は職を転々とし、1983年に天龍寺専門僧堂に入門。2001年に『中陰の花』(文藝春秋)で芥川賞、2007年に柳澤桂子との往復書簡『般若心経 いのちの対話』(『文藝春秋』2006年12月号)で文藝春秋読者賞、2014年に『光の山』(新潮社)で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。『アブラクサスの祭』『アミターバ 無量光明』(共に新潮社)・『御開帳綺譚』『龍の棲む家』(共に文藝春秋)・『無功徳』(海竜社)・『福島に生きる』(双葉社)等著書多数。近著に『仙厓 無法の禅』(PHP研究所)。


キャプチャ  2015年8月号掲載


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