【私の履歴書】JR東海・葛西敬之名誉会長(12) 動労、“病気”で集団欠勤…運行ピンチ、筋通し要員確保

静岡鉄道管理局の総務部長に就任したのは1977年2月。局のナンバー2で、人事や労務の責任者である。これ以降、国鉄の終焉まで私は労務問題に深く関わることになる。当時、国鉄には『国鉄労働組合(国労)』『国鉄動力車労働組合(動労)』『鉄道労働組合(鉄労)』の3つの主要な組合があった。最大の組織は組合員25万人を擁する国労で、戦闘的な動労と穏健な鉄労が其々5万人と6万人といったところだった。「葛西君、1つだけお願いがある」。着任早々、本社の運転局にいる旧知の課長補佐から電話があった。一度内命された新人1人の配属先を替えるよう、動労が求めているという。初めて労務を担当する私にとって、最初の試練であった。人事は経営権の根幹であり、筋の通らない話には応じられない。「それは無理だ」と拒んだ。本社としては、運転職場の7割を組織する動労と揉めたくないのだ。「動労が怒ってストライキをやったらどうする。貴方は自分のメンツの為に、何十万人のお客さんに迷惑をかけてもいいのか?」と重ねて発令替えを求める。私は、「今、人事を曲げれば、これから10年・20年に亘って組合の人事介入を許すことになる。その結果、もっと多くのお客さんに迷惑をかける」と突っ撥ねた。「そうか。どんなことがあっても知らないぞ」と電話は切れた。1時間もしないうちに、今度は東京の動労本部の副委員長から電話が入った。同じ用件である。私が改めて断ると、穏やかだった口調が一変した。「お前とは話してもダメらしいな。後は戦場で見えよう」。暫くして、翌日の列車に乗務する予定の動労の組合員30人ほどが、「頭が痛い」「腹が痛い」と次々に医者の診断書を持って休みを申請してきた。このままでは、列車の運行に影響が出る。しかし、丸く収めようとして譲れば際限の無い連鎖反応が起こる。筋論で押すしかない。

動労の職員が出勤できないなら、非番の国労職員に乗務させればいいのだが、これが難題だった。国労も、「動労が仕掛けたストライキのスト破りをした」とは言われたくないからだ。非番の国労職員に乗務させるよう部下に指示すると、案の定、皆驚いた顔で尻込みする。だが、下がる訳にはいかない。乗務指示を出す直前、国労の運転系統の実力者と電話で話をした。「不当な動労の要求を退け、且つ安定した運行を損なわない為には、非番の国労職員に乗務してもらうしかない」と話した。彼は、「わかった。しかし、2時間待ってくれ」と言う。1時間後に電話があり、「いつでも指示して頂いて結構」とのことだった。結局、国労の職員たちが代わりに乗務することが決まった。すると今度は、動労の職員から「頭痛が治った」「腹痛も治った」と連絡が相次ぐ。「明日は出勤できる」と口々に言うので、「要員は確保した。安心して養生するように」と休ませた。私は自らの職を賭するつもりでこの問題に対処したが、国労の指導者もその立場を賭けての判断をした筈である。立場は違っても自らの信念に忠実であるという一点で、不思議な信頼関係が芽生えた。立場を超えた付き合いは、彼が亡くなるまで続いた。


≡日本経済新聞 2015年10月12日付掲載≡


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