【私の履歴書】JR東海・葛西敬之名誉会長(13) 働かぬ分は賃金カット、国労に妥協せず悪慣行廃止

人事や管理権への介入は許さない。静岡鉄道管理局の総務部長として、私は一切の妥協をせず、労働組合と向き合った。ただ、その頃の静岡が国鉄の中で特に荒れた職場だった訳ではない。“激戦地”は仙台だった。全国的には『国鉄労働組合(国労)』が組合員全体の7割程度を占める中、仙台鉄道管理局では鉄道労働組合(鉄労)と国労の勢力が拮抗していた。この為、仙台の国労は組織を全国並みに拡大しようと躍起になっていたのだ。一方の鉄労は、協調的な労使関係を目指す穏健な組合である。そこで、国労は鉄労に圧力をかけると共に、列車の運行を人質にとって、現場で業務の妨害を繰り返す。何とか事態を収めたい駅の助役らは、国労側の理不尽な要求を呑んでしまう。そうやって、国労は管理者を自分たちの言いなりにし、鉄労潰しに加担させようとしていた。加えて、3年後には『東北新幹線』が開業する。要員合理化等、労組と協議すべきことは山のようにあった。1979年3月。私はその仙台局総務部長の発令を受けた。「タカ派の部長が来たら、目にものを見せてやる」。赴任が決まると直ぐに、「仙台の国労委員長が息巻いている」という話が伝わってきた。「武運を祈る」と本社の先輩に送られ、降り立った仙台駅には霙が舞っていた。仙台の現場はどうなっていたか――。例えば、21人の要員がいた会津若松保線区内の支区では、1年間に行われた業務は21本の枕木の交換だけだった。他に何をしていたかというと、1日中点呼を繰り返していたのだ。朝の点呼で、助役がある地点の線路の保守を指示する。すると、組合員が「指示は具体的に行う」という取り決めを盾にとって、「そこの地形はどうなっているのか?」「待避する時はどこへ逃げるのか?」「逃げる際にはどちらの足から逃げるのか?」等と問い詰める。助役が口籠ると、「お前は労働者が列車に轢かれてもいいと思っているのだな?」と糾弾が始まる――。

支区では風呂を焚く為に、専従の職員1名が配置されていた。以前はアルバイトを雇っていたのだが、ある時、作業が終わって風呂に入ろうとしたら、熱くて入れない。「外部の人間は労働者への共感が足りない」ので、それ以来、職員を充てることになったのだという。現場だけで結んだ協定に依るこうした悪慣行は、現場長や助役を大勢で取り囲んで威嚇し、強引に認めさせたものだ。法的な効果など無い。そこで、私はその1つひとつを数え上げ、「明日から無いものとする」と通告した。組合側は、「労使が話し合って決めたものを、一方的に破棄するつもりか!」と激しく反発した。「今まで通り強い態度で押せば、会社側は折れる」――組合はそう思っていたのかもしれない。だが、私は妥協するつもりなどない。「破棄ではない。初めから無効なんだ」と蹴飛ばした。それから、あちこちで起きる反乱を鎮圧して回る日々が始まった。「正当に働くように」と指示すると、組合員が「そのような命令には従わない」と無断欠勤したり、仕事をサボったりする。これに対して私は、「働いていない分は支払わない」と片っ端から賃金をカットしていった。


≡日本経済新聞 2015年10月14日付掲載≡


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