【大世界史2015】(01) 仏教誕生(紀元前5世紀頃)――どうして釈迦は仏教を開いたか?

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今から2500年ほど前、世界中の別箇の文明圏で粗同時に、思想史上の原形となる思想家が登場した。孔子(BC552~479)・釈迦(BC463~383)・ソクラテス(BC469~399)である。何れも生没年について研究者間に少しずつ異説があるが、そうであれば寧ろ大雑把に“2500年前”と解しておいたほうがいいだろう。孔子の思想『儒教』は以後、東アジア諸国の社会倫理・政治思想の経糸となった。釈迦は『仏教』の開祖であり、アジア諸国の文化に大きな足跡を残すと共に、その中核思想は19世紀以後の欧米の哲学者に衝撃を与えた。ソクラテスの思想は、その弟子であるプラトンに依って継承され、後にヨーロッパに入って来た『キリスト教』を理論化・体系化する上で重要な役割を果たした。この3人が人類史上粗同時に現れたことは、奇蹟と言えば奇蹟だが、敢えて神秘的に考える必要はないだろう。彼らを準備した筈のもう少し古い時代の思想家たちの営為は、それが相当優れたものであったとしても、断片的にしか伝えられていない。思想の記録・整理を可能にする段階にまで発達した文明が、3人を登場させたのである。とはいえ、この2500年前が思想史上輝かしい時代であったことに間違いはない。20世紀を代表する哲学者の1人であるK・ヤスパースは、この時代を“軸の時代”と呼んだ。思想の原形が出揃い、それを軸として思想史が展開されたからである。この3人のうち、孔子とソクラテスは別の機会に譲り、今回は釈迦とその思想について考察してみたい。というのは、日本中に何千何万とあるお寺に依って、我々は釈迦及び仏教が身近である筈なのに、却ってそれがわかり難くなっているからである。ヤスパースが“思想の軸”の1つと認め、19世紀の西洋の哲学者が衝撃を受けるほどのものが、町や村に点在するお寺の中にある…のだろうか?――先の問いへの答えは、残念ながら「無い」である。日本における仏教の代表的大宗派は、『浄土真宗』と『日蓮宗』である。しかし、度々起きる仏教ブームにも拘らず、これらが西洋の思想界で注目されたことはない。浄土真宗は(浄土宗も併せて)、彼らの目から見ればキリスト教の亜型に過ぎない。「“阿弥陀様”という絶対者が、罪ある者を罪あるが故に救って下さる」という思想だからである。宗教史的に見ても、「浄土真宗はキリスト教と同系の宗教だ」とする説が有力なのだが、日本の仏教界ではこれに触れたがらない。日蓮宗も、「“イデア(理念)”の化身となった釈迦が、迷いの中にある人々を救う」とする教義構成や、独特の終末思想がキリスト教類似のものを感じさせる。釈迦の思想については後で述べるが、要するに、浄土真宗や日蓮宗は歴史の中で種々な思想と交雑し、大きく変容してしまった仏教なのである。

日本のもう1つの有力な仏教宗派は『禅宗』である。これは、浄土真宗や日蓮宗よりもっと大きく変化してしまった。浄土経典や法華経には古典インド語である『サンスクリット』の原典があるが、禅宗にはそれが無い。禅宗は6世紀に、支那で荘子思想を読み換えて成立した仏教なのである。ところが皮肉なことに、これが一度ひっくり返って、逆に仏教本来の姿を現している。進化の過程で、一度海から陸に上がった脊椎動物が、爬虫類を経て哺乳類となり、これがもう一度海に帰ると、魚形の鯨に戻るようなものである。この禅宗が欧米の哲学者たちに重要視されていることは、日本でもよく知られている。しかし、19世紀に注目されたのは、釈迦の語った言葉がかなり原形を留めた一群の『阿含経典』である。“阿含”とは“伝えられた教え”を意味する。この阿含経典は小乗仏教の経典であり、大乗仏教である日本仏教では一段低いものとして軽視されてきた。“小乗”とは“選ばれた者しか乗せない小さな救いの舟”という意味で、大乗仏教側がつけた他称である。その為、最近では「小乗仏教という呼び方は失礼だから止めるべきだ」という声が出ているが、私にはその感覚が理解できない。「小乗ではいけない」とするのは大乗側の論理であり、小乗側では「『選ばれた少数者が救われる』という思想が正しい」と考えている。東京大学は“狭き門”の大学である。しかし、東大は旧前田邸に因み“赤門”と自称することはあっても、“狭き門”大学と自称したことはない。それを以て、誰でも無試験同然で入れる広き門大学の学生が、「東大を“狭き門大学”と呼ぶのは失礼だから止めるべきだ」と主張しているようなものだ。滑稽千万である。こんな簡単なことがわからないほど、我々は大乗正統論に浸蝕されている。その結果、見捨てられた商標のようになっていた“阿含”を名乗るあざとい新興宗教も出現する始末である。ちゃんと阿含経典を読んでいたら、こんな教義が出てくる筈がない。山伏の格好をした教祖が焚き火を拝むだけである。拝火教か? こんな可笑しな連中が出現することを釈迦が2500年前に予見したら、その場で憤死するだろう。そうしたら、仏教は成立しなかったかもしれない。




幸いにも、釈迦は“阿含”を名乗る拝火教が出現することは知らなかった。知らぬが仏である。釈迦は憤死することなく、仏教は成立した。釈迦は、インド北部(現在のネパール)の小国の王族『釈迦族』の王子として生まれた。生母は釈迦を産んで直ぐに死去したが、この悲しみが釈迦を内省的な人格にしたようだ。軈て青年となった釈迦は、何人もの師に就いた。インド文明は、後の“0の発見”に象徴される抽象思考が特長だが、こうした思考の精髄を身につけ、釈迦は独自の宗教を開いた。その仏教では何を説いているのか? 釈迦の“覚った”という思想は何なのか? それは、「この世の全ては“無常”だ」ということである。無常とは、恒常・永遠を否定した言葉である。恒常・永遠のものはない――そのことがわからず、これに執着するから“迷い”となる。恒常・永遠は、無限・絶対・完全と言い換えてもいい。無常は、これに対し、有限・相対・不完全ということになる。これらをわかり易く纏めてみよう。

a “無常”系グループ…有限・相対・不完全・現象等
b “恒常”系グループ…無限・絶対・完全・実体等

bグループに、神(一神教の)・イデアが入るだろうことも予測がつく筈だ。そしてaグループには、この2語の適切な対語が見つけ難いことも。つまり、bグループはキリスト教思想のものだということであり、それは“絶対神”を発見、或いは発明して成立しているのである。bグループにとって、aグループは絶対神に依る被造物の世界である。世界の本体はbグループにあると考える。対するにaグループは、「抑々、あらゆるものは有限・不完全だ。それが本来の世界の姿だ」と考えるのである。前にも少し触れた通り、キリスト教はヨーロッパに入り、プラトン思想に依って理論化された。それまでは“神話”という物語の形式で説かれていたものが、理論に依って骨格が定まったということである。プラトンの考えるイデアは、有限・不完全・無常な諸物の“向こう側”にある無限・完全・恒常たる本質であり、人間を含む諸物はそれを不完全な形で反映・分有している。これがキリスト教の考える神と人間の関係と相似形になっていることは、容易にわかるだろう。aグループの思想とbグループの思想、どちらが良いか悪いかは簡単に決し得ない。だからこそ、其々が軸となって世界史を発展させてきた。つまり、其々思想の原形なのである。

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この2つの思想の原形は、謂わば対極であるから、相手の存在が理解できない。尤も、相手が貧弱で粗末であれば無視・冷笑していれば済む。ところが、相手が壮大な思想体系や文明圏を築いていると知ると、衝撃を受ける。キリスト教を軸とする西洋文明が仏教思想を知った時の衝撃がそれである。先述のように、それは19世紀に顕著なのだが、実は先駆形がBC2世紀後半に一度起きている。『ミリンダ王の問い』(平凡社東洋文庫)である。ミリンダ王(弥蘭陀王・メナンドロス王)は、マウリヤ王朝が崩壊した前後にインド北西部に成立したギリシャ系の王朝の国王である。ミリンダ王は統治者として優れているだけでなく、知識人としてもへレニズム文化の粋を身につけた一流の人物であった。インド文明・仏教思想にも強い関心を示し、学僧のナーガセーナ(那先比丘)と問答を交わした。この時代はまだ大乗経典が成立しておらず、釈迦の思想(即ち仏教)は粗阿含経典内にあったと考えていい。キリスト教もまだ現れてはいなかったが、後にそれを理論づけるプラトン思想は、へレニズム文化の中核にあった。そういう2人の対話は、ミリンダ王がナーガセーナの反間や明答の前にタジタジであることが興味深い。一例だけ挙げると、魂の永続(言い換えればイデアの永続)を信じるミリンダ王にナーガセーナは、「魂は現象に過ぎず、実体ではない」と答える。その論証と思考の深さに、ミリンダ王の敬服する様子がよく現れている。『ミリンダ王の問い』の前半部分は“那先比丘経”となっている。これは釈迦が説いたものではないから、狭義では“経”に含めない。しかし、どう考えても釈迦が説いた筈のない言葉を“仏説”とする大乗経典より、遥かに本義の経に相応しい。

宗教を、教理を“信ずる”ことに依ってではなく、客観的に研究する宗教学は、19世紀のドイツ系イギリス人のF・M・ミュラーに依って始まった。ミュラーは言語の系統を研究する中で、仏教への関心を深めていった。邦訳は以前から出ているが、絶版状態で訳文もこなれなかった。昨秋、国書刊行会から出た『比較宗教学の誕生』は、一般読書人には大部で持て余すとはいうものの、網羅的で訳も優れている。中でも有名なのは、イギリス王立研究所で行った講義を纏めた“宗教学序説”である。ミュラーはこの中で、「宗教を成立させているのは“無限を感知させる能力”だ」としている。これが前記のbグループに属することは明白だろう。ミュラー自身の信仰はキリスト教である。そんなミュラーがサンスクリット研究の中で出会った仏教は、“宗教の本質において対極”であった。「人間が真理から遠く引き離されている」からである。こんな宗教が、雑多な蛮習迷信なら兎も角、見事な論理的整合性を以て成立していることに驚くのだ。これはイマヌエル・カントの衝撃に通じている。カント内部で起きた衝撃であり、カントが後世に与えた衝撃である。カントは理性の限界(『純粋理性批判』)を説いたが、これは「理性を過信しちゃいかん」とか「理性の傲慢は危険だよ」とかいった通俗論ではない。理性そのものの原理的限界を解明したのである。カント哲学は恐しく晦渋だが、要は「我々が見ている物は“見ている物・見えている物”に過ぎず(現象)、現象の“向こう側”にある物そのものである物(物自体)に理性は原理的に至り得ない」ということである。この“物自体”がイデアと同類であり、bグループに属することがわかるだろう。そして、“現象”の集積が“無常”であり、aグループに近いこともわかるだろう。カントは、プラトン・キリスト教的思考に大きな一撃を与えたのである。これは、その後の哲学者であるショーペンハウアー、ニーチェ、フッサール、ハイデッガーという潮流を準備する。それだけではない。自然科学においても、相対性原理や不確定原理を議論する基盤も作った。

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こうした流れと仏教への注目は、併行関係にある。実は、ミュラーは『純粋理性批判』を最初に英訳した人物でもあり、カント思想の深い理解者であった。それ故にこそ、仏教への注目もあったのだろう。カントは「理性は世界の究極(物自体・イデア、要するにbグループ)に至り得ない」と考えたが、そうなると、「我々、人間の行動は何に依って根拠づけられるのか?」という大問題が浮かび上がってくる。それがカントにとっては“実践理性”であり、ハイデッガーにとっては“決断”であり、サルトルにとっては“投企”である。bグループがどうであろうと、人間は現実に行動せざるを得ない。この問題を釈迦は“箭喩経”で説く。“箭”は“矢”、“喩”は“たとえ”、通称“毒矢の喩え”ともされる。釈迦の弟子・摩羅迦子(マールンクヤプッタ)は、師が次のような疑問について講義してくれないことに不満があった。それは、「世界は永久に続くのか?」「世界に涯はあるのか?」「人は死後なお存するのか?」「魂と身体は同じであるのか?」という疑問である。其々、永遠・無限・恒常・完全ということであり、bグループに属する。釈迦は、この問いに答えない。これを“無記”と言う。“述べない・論じない”ということである。其々の問いへの答えはそうであるかもしれないし、そうでないかもしれない。つまり、正答に至りない。それなのに、これに拘り、徒らな議論に耽ることは“戯論”にしかならない。釈迦は説く。「毒矢を射られて苦しんでいる者がいるとしよう。その時、その苦しむ者の出身が何であるか、弓の種類が何であるか、矢の種類が何であるか――これを議論し、結論が出るまで何もしないとするのが正しいであろうか? 先ず、毒矢を抜かなければならないだろう」。この話もまた、仏教が思想の軸たることを証明しているだろう。2500年前に実践理性が要請される原形は出ている。

ところで、私は釈迦の教えに素直には従えない業深き種属・知識人の1人である。毒矢を抜かなければならないのは釈尊の仰る通りだが、戯論と承知しつつも戯論に耽る誘惑に抗し切れない。“知りたい”のである。だって、ハイデッガーの“決断”はナチスを増長させただけだし、サルトルの“投企”は共産主義に利用されただけではないか。後世そんな風になろうとは、お釈迦様でも気がつくめえ。aグループもbグループも、人間の思考の原形として、これから2000年も3000年も糾える縄の如く、文明の軸となっていく筈だ。これだけは確実だろう。


呉智英(くれ・ともふさ) 本名は新崎智。評論家・漫画評論家・著作家。1946年、愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。漫画・思想・宗教等、幅広い分野で執筆活動を続ける。著書に『バカにつける薬』(双葉社)・『つぎはぎ仏教入門』(筑摩書房)等。


キャプチャ  2015年夏号掲載


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テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

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