【私の履歴書】JR東海・葛西敬之名誉会長(19) 総裁が辞表、経営陣更迭…首相に刷新を迫った亀井氏

改革派を排除する動きは、一段と強まっていた。私が課長として率いる職員課は、課全体が丸ごと孤立しているような状態だった。組織内で争えば、人事権を持っているほうが強い。「国鉄改革を巡る戦いは、こちらの負けということか…」。私はそう思い始めていた。だが、これまでやってきたことは、権力闘争等では断じてない。私たちは弥縫策を良しとせず、抜本策を求めた。国鉄の為、国の為、戦ってきたのだ。負け戦になっても、これだけは明らかにしておかなければならない。「この際、名乗りを上げて大義名分を世に明らかにし、戦いの意味を残すべきではないか」――。だが、私の提案は仲間たちを尻込みさせた。「過激過ぎる」「組織の秩序を乱したと言われる」と言うのである。特に、若手の一部に慎重論が強かった。彼らは、「形勢が決定的に不利になれば、乗り換えられるようにしておきたい」と思っているようだった。“改革派”等と言っても、一枚岩ではないことを実感する。それでも20人が自筆で署名し、意見書は出来上がった。当時の中曽根康弘首相や国鉄再建監理委員会の亀井正夫委員長らに手渡すつもりでいたところ、その亀井委員長から私たちに夕食の招きがあった。再建監理委員会事務局の林淳司さんが段取りを付けてくれたのだった。食事会では、皆が其々に国鉄改革への思いを語った。意見書も見てもらい、「全員の署名が揃ったらお渡ししたい」と話した。亀井さんは頷いて、「よく分かりました」と言った。

「意見書をどうするか…」。考えを巡らせていたら、事態は急変する――。ある朝、いつものように出勤すると、エレベーターで分割民営化反対の中心人物である副総裁と乗り合わせた。私の顔を見るなり、「君たちの行動力には脱帽する。負けたよ」と話しかけてきた。他にも多くの職員が乗り合わせているのが目に入らないかのような、切迫した口調だった。副総裁はそのまま先に降り、残された私には何のことかわからなかった。1週間後、突然、仁杉巌総裁が中曽根首相に辞表を出した。首相は仁杉さんの辞表を差し戻して、全重役の辞表と共に改めて持ってくるよう指示したという。間髪入れず、杉浦喬也元運輸次官が後任の総裁に決まる。杉浦さんは重役全員と面接し、結局、仁杉さんの他に6人の辞表が受理され、更迭となった。後に聞いたところでは、私たちとの夕食会から程なく、亀井委員長が中曽根首相を訪ねて、「国鉄の経営陣が刷新されなければ、どんな答申を書いても実行されない。実施されない答申なら、私は書かない。代わりに辞表を出す」と言って、人事の刷新を迫ったのだという。首相の周辺では、「更迭する幹部の人数を徒に増やしても世間の耳目を集めるだけだから、仁杉総裁に加えて、分割民営化反対の中心人物である副総裁と労務担当常務理事の3人だけを辞めさせる」という案もあったという。それを「決断するなら中途半端ではなく、徹底したほうがよい」と主張したのが、瀬島龍三さんだったという。再建監理委員会が分割民営化の最終答申を出したのは、更迭劇の1ヵ月ほど後のことだ。


≡日本経済新聞 2015年10月20日付掲載≡


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