【私の履歴書】JR東海・葛西敬之名誉会長(21) 再雇用、主導権握り達成…協力拒んだ国労は力を失う

国鉄改革の主戦場である労務・要員対策を担うのは、私が職員課長(後に局次長)を務める職員局である。「誰1人として、改革に依り路頭に迷わせない」。国鉄の分割民営化に向け、政府は公約を掲げた。政府が公的部門で採用すると約束していたのは3万人。霞が関では分割民営化に未だ懐疑的で、余剰人員対策についても様子見だったが、中曽根康弘首相と後藤田正晴総務庁(当時)長官が自らの退路を断つような強い決意を示す。後藤田さんの古巣の警察庁が、「国鉄の鉄道公安官3000人を警察官として採用する」と決定したのだ。一方、職員局は1985年10月、過去に例を見ない“10万人合理化計画”を各労組に提案した。最大労組の『国鉄労働組合(国労)』は断固反対だが、新規採用停止を契機に『国鉄動力車労働組合(動労)』は賛成に回っていた。合理化施策を推進する際の鍵は、大義名分と不動の意志である。労働法の原則に立ち返り、誠心誠意交渉はやるが、施策の内容や実施のタイミングは経営責任を取る者が決断することにした。それでも、国労と動労が束になって反対したら立ち往生しただろう。合理化提案に続いて全職員を対象に、どの会社に勤めたいかを聞くアンケートを実施した。分割民営化の法案さえ提出されていない段階での、異例のフライングだった。更に次の一手として、『労使共同宣言』の締結を申し入れた。「合理化に協力する」「職場規律を保つ」「ストライキはやらない」「お客様に不快感を与えない」――。共同宣言の内容は、1年前ならとても口に出せなかっただろう。

1986年1月、先ず国労を総裁室に招じ入れ、共同宣言を提案した。「これは何だね?」。部屋に入って来た国労の委員長以下は座ろうともしない。ポケットに手を突っ込んだまま、テーブルの上の共同宣言をじっと見つめている。そこには、これまでやってきたことを「もうやりません」、やってこなかったことを「これからやります」と書いてあるのだ。「こんなもの受け取れるか!」と言って、出て行った。一方、他の主要労組は民営化を容認し、共同宣言を結んだ。続いて3月、北海道・九州の大勢の余剰人員を東京・大阪・名古屋の大都市圏に異動させる“広域異動”を募った。これにも国労は反対したが、他の主要労組は賛成し、約3800人が異動した。5月には『希望退職法』が成立し、速やかに募集に入った。2万人の計画に対し4万人近くが応募する結果となった。再雇用については、最終的に国や地方公共団体に2万2000人、民間に1万2000人、国鉄関連企業に1万2000人が就職した。不可能と言われた雇用対策は大成功を収めた。そのような中、国労の組合員の間には不安が高まっていく。国労を脱退する者も多数現れた。彼らの意表を衝く課題を投げかけ、それを受けて反撃に出ようとする頃には、更に次の課題が提起される――。経営側は終始、主導権を取り続けたのである。「労組の合意を得なければ施策の実施ができない」という従来の姿勢で臨んでいたら、事は全く進まず、改革は頓挫していただろう。あのやり方しかなかったと思っている。


≡日本経済新聞 2015年10月22日付掲載≡


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