戦後談話はもう勘弁してくれ――70年前の戦争を総括するなどできっこない、政治家は歴史に口を出さないでほしい

20151023 01
戦争が終わって70年も経てば、それは最早“歴史”であって、“現実”ではありません。歴史になってしまえば、後はもう歴史家の好きなように組み立てられる。現実に向き合う政治家の仕事ではないのです。ですから、安倍総理が70年を省みて「何を言うか」「言わないか」という議論は全く無意味であると思っていました。8月14日、実際に戦後70年談話を聞いて、先ず思ったことは「長い」。次に、「いつまで繰り返し謝罪せんといかんのかいな」ということです。戦後50年に村山談話が出た時、雑誌『諸君!』の巻頭コラム『紳士と淑女』に、私はこう書きました。「政治家は、歴史に立ち入るべきではない。中韓はじめ日本の過去を言い立てる国は、歴史に基づいた攻撃ではなく、それぞれ政治的思惑あって日本を叩いているのである。/村山首相が政治家でありながら歴史家ぶった談話など発表したおかげで、日本はこれからも叩かれ続ける。永久贖罪の道を歩むほかないのだ。日本社会党的“良心”は取り返しのつかない禍根を残した」(1995年7月号)。その通りになってしまいました。10年後の小泉談話も“お詫びと反省”。今回も、誰が言い出したのか“侵略”“お詫び”“植民地支配”“反省”がキーワードだということになって、どれが入る・入らないで大騒ぎ。談話の発表に先立って安倍総理は、こう語りました。「政治は、歴史から未来への知恵を学ばなければなりません」「政治的・外交的な意図に依って歴史が歪められるようなことは、決してあってはならない」。しかし、現実が歴史になってしまった後は、何通りもの歴史が作られる。そんなものは信じるに足りません。終わって70年経った戦争を振り返って総括する等というのは、無駄な努力なのです。日本人は“戦争の魅力”“敵に勝ったときの嬉しさ”について、もっと語るべきではないでしょうか。負けた記憶ばかり引き継いで勝った記憶は封印するのでは、戦争を半分しか語ることにならない。「勝った時は気持ちがよかった」と、何で言ったらいけないのか。

世界のどこの国の中心地にもあるのに日本に無いのが“戦争博物館”です。例えば、ロンドンの『帝国戦争博物館』には、第1次世界大戦から湾岸戦争やイラク戦争で使った兵器までがズラッと並べてあります。日本人観光客は絶対に行かないでしょう。日本人は“平和”と名の付いたところしか行きませんから。しかし、お客さんは一杯です。何故なら、戦争のほうが平和よりエキサイティングだからです。中に入ると、ユンカースやスピットファイヤー等の戦闘機の実物が、天井からぶら下がっています。メインの展示場には、今見たらもうオモチャみたいな戦車。その横には、その戦車の装甲を貫く対戦車砲。隣りに、その対戦車砲をやっつける戦車。更に、その戦車をやっつける対戦車砲。見たらもう笑わずにいられない人間の浅はかさが、横並びになっている訳です。地下には防空壕がある。入ってみると“警戒警報”が発令され、地上に爆弾が落とされてグラグラッと動く。子供たちは「キャーッ!」と驚く。そういう遊園地のアトラクションのような仕掛けのある防空壕なのです。2階は図書室です。展示されている本を見ていたら、アメリカの戦史学者が書いた世界の有名将軍の列伝がありました。何気なく手に取ると、日本人で1人だけ山下奉文が入っていたので、つい読んでしまいました。日本人読者を想定していないにしては客観的な描写で、私に言わせたら面白かった。昭和17年2月、山下大将がシンガポールを陥落させて、イギリスのパーシバル中将が降伏した。僕は11歳でしたが、枕元にラジオを置いて、家族皆で寝ながらニュースを聞いたことを思い出しました。ロンドンの真ん中で日本軍がイギリスに勝った物語を読む気持ちは、何とも言えず嬉しかった。「ああ、おもろかった。もう閉館や、帰ろう」と足取り軽く表に出て、そこにいた職員に地下鉄駅の場所を尋ねました。パッと彼が顔を上げたら、若い中国人です。「気をつけて下さいね。もう暗いから」と親切に教えてくれたけど、私はドキッとした。日本の新聞に教育されている身としては、咄嗟に「謝罪せなあかんかな?」と思った訳です。ホテルへ帰って、フロントのおばさんに「戦争博物館に行ってきた。面白かった」と話したら、ちょっと考えて「ああ、ベッドラムね」と言った。“Bedlam”というのは、今風に言えば“精神病院”です。戦争博物館の建物は、以前は精神病院だったらしい。傑作じゃないですか。ベッドラムの跡地をウォーミュージアムにするとは、イギリス人らしいユーモアです。第1次世界大戦・第2次世界大戦と、20世紀の間に1000万人を越すような殺し合いを2度もやった人類は、狂っている。




20151023 02
「戦争は悪いものだ」と言われます。なのに、人間が戦争をしなかった世紀はありません。それだけ繰り返すからには、戦争とは魅力があるものに違いない。悪い悪いと決めつけるだけでなく、「どこに魅力があるのか?」と考えなければ、止められない理由を説明できないと思います。ワシントンD.C.にある海軍博物館は、入ったところに広島と長崎の原爆のレプリカが並んでいます。日本人からすれば、あんな残忍なものはない。見たらびっくりして考え込んでしまう。しかし、アメリカ人は勝利の記念として飾る。軍隊を持つ国は国威発揚の為に、軍事博物館で戦績を誇り、軍事パレードで戦力を誇るものです。善と悪もないし、是と非もない。正義と不正義の戦いでもないし、正義が不正義に勝つとも限らない。そんなに単純ではないのが戦争です。私は『サンデー毎日』の記者として、ベトナム戦争の取材に行きました。ベトコンは夜に攻めてきます。バンバン撃ちよる。アメリカ海兵隊も目茶苦茶に撃ち返す。明け方まで撃ち合いして、静かになると小隊長が「おい、皆無事か? サム」「イエス」「ニック?」「イエス」「皆、おるな? 誰かビール持ってないか?」「おまっせ」「開けろ」と言って回し飲みする。「あんなにおもろくて嬉しい時はない」という話を聞きました。戦争は色々なことを考えさせる、非常に複雑なものです。頭から「戦争は悪だ」と決めつけたり、「平和、平和」とばかりお題目のように唱えたりする人を見ると、私は「危ないなあ」と思う。世の中には“平和”という言葉しかないと単純に思っていたら、ある日、コロッと戦争のほうへ転ぶかもわかりません。それは、あの戦争の最中、私たちも「東洋永遠の平和の為に」と言っていたからです。アメリカ海軍の通訳だったドナルド・キーンさんは、捕虜になった日本兵の手紙を読んでいたそうです。そこには必ず、「大東亜共栄圏の繁栄の為に」とか「陸下の御許へ云々」と真剣な思いが綴ってある。アメリカ兵の手紙も検閲したそうですが、こちらは「早く家に帰って、ママのアップルパイを食べたい」とかばかり。キーンさんは、「正直なところ、日本とアメリカとどっちが戦争に勝つべきかを考えた時に、日本のほうに勝つ資格があるのではないかと思った」と笑っていたほどです。

私が漸く「ああ、戦争は終わったんだあ」と実感したのは、終戦から2年も経ってからです。京都の高校に入った後、街を歩いていると、一軒の家が通りまで聞こえる大きな音でラジオの音楽を鳴らしていました。「♪タラッタラッタラッタ ウサギのダンス」(童謡『兎のダンス』)という歌です。瞬間、私は愕然として、「戦争は終わったんだあ! 平和なんだあ!」と思った。戦後2年以上経って、高校で自由を謳歌していたのに、そんな思いは初めて湧いた。それくらい、戦争の心の枠組みからは簡単に抜け出せないものなのです。今回の安倍談話にも、「アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす」とあります。「安倍総理も、あの頃と同じようなこと言うてるんだなあ」と思いました。安倍談話が長くなったのは、『21世紀構想懇談会』という諮問会議に有識者を沢山集め、時間をかけて意見を聞いたせいです。大勢の意見をあれもこれも採り入れたら必ず長くなるし、誰も文句の言えない文章が出来上がるのは当然です。その代わり、自分の言いたかったことは言えず仕舞いになります。だから、徒に言葉の上に言葉を重ねた談話になった。有識者の意見なんか聞いたら聞いたで忘れてしまえばいいのですが、恐らく創価学会婦人部の声が聞こえるような気がしたんでしょう。「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」という行。あそこだけが新しく、唯一の収穫でした。北京とソウルに記者を待機させて、「これを言った、あれを言わなかった。いいんですか?」とお伺いを立てようと待ち構えている新聞社もあるし、仕方がない。あれだけ長々と喋ったら、中韓から批判が出ないのは当たり前です。尤も、中国と韓国とが結んで「何かあったら一言、言うたろう」と身構えているところへ態々飛び込むのは、自分から罠にかかっていく蛾と同じです。賢明なことではありません。遠慮を知らない国というのは恐ろしいですからね。

20151023 03
談話の中で中国については、残留孤児の養育や、寛容さに対して感謝するという言葉がありました。韓国には個別の言及が無かったのは面白かった。国の格を表した訳ですか。朴槿恵大統領は、「ここで喚いたら却って女を下げる」と思ったのかもしれません。或いは、そう忖度するところが我々日本人の悪い癖であって、実は何も思っていないのかもわかりません。政府が発表した談話の英語版を照らし合わせると、先の大戦への“深い悔悟の念”に“deep repentance”という表現を充てています。聖書の“汝悔いあらためよ”が“repentance”で、宗教的な意味を持ちます。神に対する罪だから、言葉として重い。村山談話でも使われた“痛切な反省”は“deep remorse”。この“remorse”は間違いを反省することで、同じような意味ですがちょっと軽い。「安倍談話は村山談話より軽くなった」と批判されますが、英語版でも反省が寧ろ踏み込んでいる。同日に発表された中国語版と韓国語版は見ていませんが、寧ろアメリカを意識したのかもしれませんね。厳しい編集長やデスクなら、今回の談話はボツになる原稿かもしれません。習近平と朴槿恵が批判したいと思うほどの力が無かった訳ですから。ところが、朝日新聞は期待を違えません。中韓ですら黙るしかなかった内容に、激しく噛みついたのです。流石、批判力旺盛な新聞社です。翌日の1面の見出しが「引用・間接表現目立つ」。社説の見出しは「何のために出したのか」で、中身を読めば「戦後70年の歴史総括として、極めて不十分な内容だった」「この談話は出す必要がなかった。いや、出すべきではなかった。改めて強くそう思う」と怒っているのです。「談話発表に至る過程で見せつけられたのは、目を疑うような政権の二転三転ぶりだった」とも書いてあります。どうやら、「安倍は安保法案の国会審議が難航したり、あちこちからプレッシャーがあったから、慌ててお詫びを入れたんだ」と言いたいらしい。「お詫びを入れろ」と散々主張してきたのだから、それで満足すればいいのですが。

「“私は”という主語が1つも無い」との検証記事もありました。しかし、主語を省略するのは日本語の癖ですよ。あの『枕草子』に、清少納言は主語として「私は」を使っていますか? 拍子抜けするような無難な談話だったから、突っ込みどころを懸命に探したという印象です。21日の朝刊には、駐日韓国大使のインタビューが載りました。見出しは「安倍談話『努力の跡ある』」。まるで、先生が生徒の答案を採点するかのようであり、負け惜しみのようでもあり、面白い新聞です。25日には、本社世論調査の結果が載りました。安倍談話について朝日読者は、「評価する」が40%で「評価しない」が31%。例の「子供や孫たちに謝罪の宿命を背負わせてはならない」については、「共感する」が63%で「共感しない」が21%と大きな差がつきました。どうやら、朝日の読者は朝日の主張と違って、「これ以上謝り続ける必要はない」と思っているらしい。この結果を、どう受け止めるのでしょうか? 有識者を集めた『21世紀構想懇談会』のメンバーには、読売新聞編集局国際部の飯塚恵子部長がいます。毎日新聞も、政治部の山田孝男特別編集委員が入っている。朝日は、「それなら、我ら朝日人からも何人か呼ぶのが当たり前やないか」と憤慨したことでしょう。そのぐらい“見識”のある新聞社なのですから。しかし、読売と毎日もよくそんなものを引き受けたものです。社として批判の権利を放棄するようなこと。朝日も朝日ですが、読売と毎日も酷いものです。

20151023 04
「真実の記憶は40年までだ」というのが私の持論です。1941年12月8日の日本の大勝利の後、真珠湾がどうなったのか、戦後40年目に取材に行きました。ハワイ時間では12月7日。誰もが、まるで昨日のことのように覚えていました。ホノルルの朝刊紙『ホノルルアドバタイザー』ではその日、なぜか輪転機が動かなかった。そこで、日本語の新聞を刷っている日系の新聞社で輪転機を借りて、新聞を出した。だから、あの日のアドバタイザーは、我々のような新聞の玄人が見たら、ちょっと可笑しいと思う作りです。余談ですが、偶々この日にデビューしたハリウッドスターがエヴァ・ガードナーです。ジェーン・ラッセルやマリリン・モンローの前の“セックスシンボル”で、『裸足の伯爵夫人』という映画が一番有名です。彼女がデビューした記事が、この日の紙面に載っているという。そんなことを教えてくれたアドバタイザー社会部長のロバート・トランブルはその後、『ニューヨークタ イムズ』の特派員となって、長い間東京に駐在しました。引退してからはハワイに戻って、ワイキキのマンションに奥さんと住んでいました。ところがその10年後、「トランブルどうしてるかなあ」と皆に聞いたら、「死んだんと違うか?」。消息がはっきりしませんでした。1941年のハワイにいた若い女の子には、宣教師の娘たちが多かった。「あの日のホノルルはどうでしたか?」と聞いたら、「空襲だけでなく、日本軍が上陸した」という噂が流れたらしいのです。「それで、どうしました?」「野球のバットを握りしめて、食器棚の裏に隠れてた」と言う。「非常におもろい。日本でも、女は竹槍持っていましたからね」「あ、そう。どこも同じことやるのねえ」と笑い合ったものです。日本の通俗歴史家は、主婦や女学生の竹槍訓練を「あんな馬鹿げたこと」と笑うけど、決して笑い事じゃないですね。日本が竹槍なら、アメリカはベースボールのバットや。手近な武器を持って自分を守ろうとするのは、当たり前じゃないですか。しかし、この女性たちも戦後50年の時は連絡が取れなかった。

巡洋艦『サンフランシスコ』の元乗組員にも話を聞きました。パールハーバー奇襲の時、サンフランシスコはドック入りしていて、大砲も機銃も外していたから1発も撃てなかった。彼は、目の前を日本の雷撃機が降下してきて、魚雷を発射しては飛び上がっていくのをぼーっと見ていたと言います。彼は後に駆逐艦の乗組員になりました。ガダルカナルから撤退する日本の兵隊を日本軍の駆逐艦が迎えに行って、甲板に乗せて逃げる。“東京エキスプレス”と呼んだそうで、「それを追いかけて沈めるのが俺たちの役目だった」。彼らは、真珠湾以後に造ったバリバリの駆逐艦でソロモン海へ行きます。日本の駆逐艦はもう中古品だし、沢山の兵隊を乗せている。しかも、魚雷に当たらないように“之字運動”といって、ジグザグに逃げるんです。彼らは新造艦で、真っ直ぐ追いかける。「それなのに、中々追いつかない。日本軍はどんな操艦法だったのか」という話をしてくれて、とても面白かった。ところが、この人も戦後50年に訪ねた時は会えませんでした。そんな人が何人もいました。だから私は、「人間の記憶が続くのは40年まで」という主義です。40年を過ぎたら個人の記憶は伝聞になり、風聞になり、軈てレジェンドになってしまう。集団的な記憶として存在はしても、リビジョニズム(修正主義)が忍び込む。あちこち伝説化していって、完全に間違った記憶にすり変わってしまう場合さえあります。例えばハワイでも、「サトウキビ畑で働く日系人がサトウキビを刈って矢印を作って、攻めてくる日本の航空隊を誘導したんだ」という噂も立っていました。「あの国は敵だ」という記憶や感情が現実として残っているのも、40年までということです。しかし、40年でもう結構。70年後に歴史を総括するなど、無理な話なのです。10年毎に談話を出すのが下らないことでも、一度仕来りになれば定着してしまいます。日本人と中国人と韓国人が集まって総理談話を仕来りにした以上、10年後の情勢に依っては、まだ繰り返されるのかもしれません。今回限りでもう勘弁してほしい。10年経ったら、40年の倍の戦後80年でしょう。誰もエヴァ・ガードナーを覚えていないよ。 (ジャーナリスト 徳岡孝夫)

               ◇

Shinzo Abe 21
安倍晋三首相の戦後70年談話に対する各紙の評価は、政権への態度に応じて割れたのは予想通りでも、振れ幅がいつもより大きいのは予想以上だった。特に驚かされたのが、朝日の社説である。「何のための、誰のための談話なのか」「出す必要がなかった。いや、出すべきではなかった」「目を疑うような政権の二転三転ぶり」「迷走の果てに【中略】あいまいな談話を出す体たらく」「本末転倒も極まれりである」(8月15日付、以下同)等と口を極めて扱き下ろした。あまりにも怒り過ぎて、空回りしている。普段はもっと過激な東京でも、社説は「気になるのは個々の文言の使い方だ」「明確でなく」「受け取りがたい」「配慮を欠く」と言い回しは慎重だった。しかし、まさにそこがこの談話のミソで、間接話法・一般論・引用・主体や客体の省略・叙情的文飾・体言止めの多用等、レトリックを駆使してシッポを掴ませないように作られているのだから、東京はまんまと術中に落ちたとも言えるのである。毎日の社説も同じ類いだ。「必ずしも十分だとは言えない」「特定は避けた」「緩められている」「性格が不明確」「半身の言葉」「言葉のごまかし」等、「何とか非難しなければ…」と気負いが先に立つばかり。論旨散漫、四苦八苦している。朝日の空回りも、「作文が想定外に巧妙だったので、待ち構えていた批判の向ける先を一瞬見失った腹立ち紛れ」という辺りが実相だろう。その点、日経は「おおむね常識的な内容に落ち着いたことを評価したい」「何を反省すべきかをはっきりさせたのはよい」(社説)、「ただこれによって過去にケリがつくのかどうか」(論説委員長論文)と穏当かつ中庸。位置取りが賢い。扨て、一番右寄りの産経は、こういう技巧的な、持って回った談話は消化不良だったのだろう。社説は「妥当である」「当然である」と始まるが、手放しの称賛は無く、途中から戦後50年村山談話への攻撃に転じ、「謝罪外交を断ち切ることだ」「反論と史実の発信を」と首相に注文して終わる。渋々の賛同と見た。

対照的に、読売の社説は「前向きに評価できよう」「“侵略”を明確に認めたのは重要である」「的を射た発言」「真剣な気持ちが十分に伝わる」「妥当だろう」「歴史認識を巡る様々な考えは【中略】国内的にはかなり整理・集約できた」と高く評価した。同紙の検証・解説記事は、有識者懇談会の報告書を絶賛し、「その巧妙さこそが談話を“成功”に導いた」という独自のストーリーを展開したのが目を引く。確かに、焦点となった4つのキーワードのうち、“侵略”“植民地支配”“反省”については報告書の書きぶりが談話に粗直接、反映されている。残された“お詫び”は、安倍首相や右派勢力にとって最も過敏な文言だ。報告書は触れなかったが、それは「敢えて談話の期待値を下げる戦略」「仕掛け」だったという。報告書を纏めた国際大学(新潟県)の北岡伸一学長が、「結果は期待以上に踏み込んだもの」と評価するコメント付きである。北岡氏は、読売傘下『中央公論』の代表的論客。読売の評価や解説は、政権への影響力行使に「我勝てり」の凱歌とも読めてしまう。恐るべし最大部数紙。総じて、安倍官邸のメディア分断策は今回も奏功した。それを象徴する記事がある。東京大学の三谷太一郎名誉教授の談話を、読売・朝日・毎日3紙が一斉に掲載しながら、其々の論調に沿ってニュアンスが「比較的穏当な表現」(読売)、「冗長で毒にも薬にもならない」(朝日)、「叙述がセンチメンタル」(毎日)という具合に、驚くほど違っているのだ。三谷氏は、安倍首相に“4つのキーワードの明記”を求める声明を出した学者たちの代表。宮内庁参与や文化勲章受章の輝かしい経歴を持つ学会の重鎮だ。一方で、東大では北岡氏の前任者という知る人ぞ知る因縁もある。毎日の談話で三谷氏は、「安倍政権が一種の専門家支配に傾きつつある」と厳しく批判した。これは北岡氏を指したものだろう。だが、三谷氏の談話記事のばらばらな書かれ方を見ると、専門家“対決”も北岡氏の技あり勝ちという判定が下りそうである。


キャプチャ  2015年10月号掲載


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テーマ : 安倍政権
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