【私の履歴書】JR東海・葛西敬之名誉会長(23) JR東海へ高揚感なく…疲弊した新幹線、維持強化へ

1987年4月1日。国鉄は分割民営化され、JR7社が誕生した。私は6時発『ひかり』の初列車で、東京からJR東海本社のある名古屋に向かった。私の胸にあるのは、決死の任務を終え、また次なる任務に向かう者の冷たい緊張感のみ。新しい7つの本社が習熟し機能するまでの数ヵ月間が、一番脆弱な時期だ。「事故が起こらないでほしい」。高揚感は無く、祈るような気持ちだった。取締役総合企画本部長に着任して先ず実感したのは、東海道新幹線の“疲弊”“陳腐化”だ。東海道新幹線は1964年の開業以来23年間に亘って酷使され、技術的にも殆ど進化していなかった。1985年に投入され始めた100系車両が7編成、後の91編成は開業時以来の0系で、車齢も古かった。トンネル・橋梁等の土木構造物も、あと10年は保証するが、20年後には取替えが発生するかもしれないと言われていた。「JR東海にはドル箱の東海道新幹線がある。だから、JRの中で最も恵まれた会社としてスタートした」――そう思っている人が多いが、現実は全く違う。東海道新幹線には大きな足枷が嵌められていたのだ。分割民営化に当たっては東北・上越・山陽新幹線の工事費の約2分の1を肩代わりし、運輸収入の6年分を超える5兆円もの国鉄債務を背負っての出発だった。会社発足当時の年間可処分資金は、僅かに700億円。バランスの取れた経営戦略の立て様は無かった。この与えられた条件を金科玉条とし、その範囲内で設備投資もやり、借金の返済もやるということになれば、両方が不十分・不徹底で東海道新幹線はジリ貧になる。大動脈が機能不全になった上に、経営も破綻した時には胸を張ることは勿論、弁解の余地すらない。

私は決心した。「創業の使命、即ち東海道新幹線の大動脈機能を守ることを最優先の課題にしよう。それは日本経済にとって死活的に必要であり、代替不能である。東海道新幹線の維持強化に必要な投資は、着実に進める。それでも借金が増えていく。その事実を背にして経営者が政府と刺し違えて、欠陥制度を改めればよい」。そう割り切ったのだ。基本方針をこのように定めた上で、日々の現象にも対処していくこととした。5月に入ると、収入が想定よりも大幅に上回ることが明らかになってきた。日本経済がバブルの膨張期に入ったのである。東海道新幹線も、「“ひかり”の座席が取り辛い」との声が高まってきた。そこで、当面唯一の選択肢である100系を大量発注して即効的に内部留保増加を図ると共に、老朽化した0系を更新することにした。民営化に依って発注が減ると考えていた車両メーカーは、製造設備を縮小していた。その製造能力を買い占めるつもりで早急に発注し、その後、5年間で50編成を投入した。この機会に『こだま』の16両化を行い、食堂車を廃止した。食堂車廃止には「旅情が無くなる」と反対する声が多かった。しかし、新幹線に求められるのは旅情ではなく、安全・正確・安定・高速・高頻度・大量輸送である。当初は反対していたJR他社も、暫くして食堂車を廃止した。しかしながら、どうしても避けて通れない抜本策が残っていた。欠陥制度『新幹線鉄道保有機構』の解体である。


≡日本経済新聞 2015年10月24日付掲載≡


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