【中外時評】 政治教育は伸びやかに――じっくり養え主権者意識

「学校で模擬選挙が奨励されるなんて、隔世の感がありますよ」。こう語るのは、20年近くに亘りこつこつと政治教育に取り組んできた新潟市立白根第一中学校教諭の後藤雅彦さん(54)だ。公職選挙法の改正で18歳に下がった選挙権年齢。早速、来年夏の参院選から適用とあって、教育界では今、“政治教育”“主権者教育”の論議が喧しい。何しろ、高校生の一部が有権者になるのである。文部科学省と総務省は、選挙の意義から模擬投票の実施方法まで記した副教材『私たちが拓く日本の未来』を370万部作り、配布を始める。更に文科省は先週、高校生の政治活動を46年ぶりに解禁する通知も出した。矢継ぎ早の展開は、後藤教諭にとっても驚きだ。一昔前は参考事例も少なく、殆ど手探りの試みを積み重ねてきた。目下の動きは高校が中心ではあるが、義務教育段階も含めて大きな変化の兆しを感じるという。

後藤教諭が学校でナマの政治を初めて扱ったのは1996年秋、柏崎市の中学校に勤務していた時だ。社会科『公民』の授業を教室の外と繋げたい――あれこれ悩んでいたら衆議院解散にぶつかった。「『そうだ。これを題材にしてみよう』と」。議会政治の基礎についての学習や市議会傍聴等を経て、衆院選の地元選挙区で誰が何を主張しているか、どの政党が何を公約にしているか、じっくり学ぶ授業を重ねた。その総纏めとして、実際の投票日の2日前に模擬投票を試みたという。現実の政治を学校に持ち込むのは、当時としては大胆な企てだった。しかし、架空の設定ばかりでは主権者意識は育たない。「若者が近い将来、いきなり選挙権を与えられて途方に暮れてもいいのか。丸裸の状態で社会に出す訳にいかない」と後藤教諭。バランスを保ちつつ、政治的教養を培う授業には神経を使うが、立ち竦んでいては何もできない。客観的な政治学習を重ね、集約点として模擬選挙を行う――。このやり方は、実は今回の副教材にも示された手法でもある。こうした実践を重ねてきた先生は各地にいる。努力が実り、主権者教育という概念への理解が広がってきたのが近年の流れだ。神奈川県は5年前から、全県立高で模擬投票を実施している。




そんな中で、俄かに現実のものとなった“18歳選挙権”。ここにきて多くの関係者が色めき立ち、高校生の政治活動解禁についての通知案に対しては、詳細な基準提示を求める声が相次いだ。そうした不安に応える為でもあろう。件の副教材の指導資料には、事細かに“留意点”が並んでいる。「政治教育についての国の姿勢自体は、従来よりずっと積極的になった。根本の哲学が変わったと感じます」。東京大学大学院の小玉重夫教授はこう評価しつつ、懸念も隠さない。大きな問題は、“政治的中立”を意識するあまり現場が萎縮することだ。「副教材が“べからず集”のように独り歩きしたり、学校のリスク管理の為にネガティブな方向に作用したりするのが心配だ。現場での運用がカギです。校長・教育委員会、それに選挙管理委員会が連携して、現場の自由な実践を守っていく必要がある」。そういう度量が教育界に強く求められる訳だが、現場はどうしても世の中の“空気”に敏感になるものだ。自民党の文部科学部会が最近纏めた、「政治的中立を逸脱した教員には罰則を科すべし」とした提言等、その最たるものだろう。「教育の世界では、“中立性”という言葉を振り翳す人たちほど中立的ではないんです。政治教育を“政治化”してはならない」と小玉教授は釘を刺す。

それにしても、元々は憲法改正の国民投票ができる年齢を“18歳以上”としたのを受けて議論が始まった選挙権年齢の引き下げだ。一筋縄ではいかないと思いきや、あれよあれよという間に超党派の合意で実現した。各党の微妙な思惑が一致した訳だが、そういう“政治”からの眼差しと、健全なシチズンシップ(市民性)を養う為の政治教育は本来なら別物だろう。“18歳”がキーワードだからといって、高校での教育にばかりに注目が集まるのも短絡的だ。「今度の選挙権年齢引き下げで、若者の低投票率や政治的無関心が逆に炙り出されるかもしれない。学校が問われるところです」。長年、中学生に主権者意識を考えさせてきた後藤教諭のクールな指摘である。 (論説副委員長 大島三緒)


≡日本経済新聞 2015年11月1日付掲載≡


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