【政治の現場・流動化する野党】(03) 維新自壊、第3極限界

20151115 01
大阪市内のホテル宴会場で3日、大阪市長・橋下徹の秘書の結婚式が催された。橋下の他、秘書を昔から知る副総理兼財務大臣の麻生太郎も招待され、2人は近くの席に座った。「リーダーは自分のやりたいことをやりゃいいけど、政治家には人を纏める能力が無きゃ駄目よ」。こう語る麻生に橋下は、「僕は政治家には向いていませんから」と認めた。維新の党の創設者である橋下は、内部抗争をきっかけに8月下旬に離党し、新党『おおさか維新の会』を結成した。自身、3度目の新党となる。当初は“第3極”ブームを起こしたが、離合集散を繰り返した末、大阪選出議員を中心に衆・参15人の少数政党として再出発することとなった。橋下は自らを“ウイスキー職人”に例え、「2回の蒸留で完璧な維新スピリッツが出来上がった」と自賛する。10月末の結党大会では、「5年以内には必ず国会で過半数を取れる」と意気込んだ。だが、他党は「“純化路線”と言うが、多様な人材を纏め切れなかったから、お友達だけで出直すということだろう」(自民党議員)と冷ややかだ。素より、橋下は「12月の市長任期限りで、政界から引退する」と宣言している。3日の結婚式では、盟友である大阪府知事の松井一郎が「私生活を犠牲にしてきただろうから、政治から離れてゆっくりして下さい」と橋下に向けてスピーチした後、「一旦は」と付け加えて将来の政界復帰を求めた。支持基盤の弱い第3極は党首の看板に頼りがちで、新党内でも「橋下さん抜きでの党勢拡大は難しい」と不安の声が漏れる。代表の松野頼久や前代表の江田憲司らが残った維新の党も失速している。党分裂で、所属議員は衆・参51人から26人に半減した。資金を巡る泥仕合が続き、野党結集は見えてこない。

江田は10月13日、東京都内の和食料理店で民主党代表の岡田克也、前首相の野田佳彦と向き合った。元通産官僚の江田は、入省が3期上の岡田と旧知の仲だ。定期的に会食し、結集を呼び掛けている。この日も江田は、「こちらの問題は、短期間に解決を図る自信がある。解党して一緒になりましょう」と迫ったが、岡田は「維新さんも大変だろうけど、連携は粛々と進めましょう」と話すに留めた。維新側が、民主党と共に解党して新党を結成する“対等合併”を主張するのに対し、民主党内には維新を取り込む“吸収合併”を求める声が多い。元代表の前原誠司や政調会長の細野豪志は解党論を唱えるが、岡田は「看板の掛け替えは駄目だ」と否定的だ。リベラル派議員からも、「混乱が続く維新との合流を急ぐ必要はない」と慎重ムードが漂う。民主党を離党して維新に参加した松野や幹事長の今井雅人らへの反発もある。松野らは2012年、当時の野田政権が纏めた『税と社会保障の一体改革』に反対し、衆議院解散の直前に民主党を飛び出した。「一番きつい時に離れていったのに、今度は一緒になろうというのは虫が良過ぎる」(民主党幹部)という訳だ。自民党でも民主党でもない“第3極”を目指した筈の維新の党は今、民主党との合流を模索し、橋下に「百害あって一利なし」と攻撃されている。一方、おおさか維新は安倍政権との関係を重視し、松野から「自民党の補完勢力」と批判されている。“1強”政権の下でキャスティングボードを握れないまま、第3極は自壊の道を歩んでいる。 《敬称略》

■対立・分裂繰り返す
橋下氏は、2012年9月に『日本維新の会』を結成した。石原慎太郎氏と組んで臨んだ2012年衆院選では、民主党と粗同じ54議席を獲得し、存在感を発揮した。だが、路線対立から分裂を繰り返し、勢いを失っている。渡辺喜美氏らが2009年に設立したみんなの党は、第3極の先駆けとして台頭したが、野党再編を巡る対立で分裂。渡辺氏は政治資金問題で代表辞任に追い込まれ、2014年11月に解党した。


≡読売新聞 2015年11月14日付掲載≡


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テーマ : 橋下徹
ジャンル : 政治・経済

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