【大世界史2015】(11) 江戸時代の経済(1603~1867年)――国際的に比較して江戸時代の日本が超平等社会だった理由

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近代以前、世界の各地域がどのような経済状態にあって、人々がどのような暮らしをしていたか、正確に測るのは容易ではありません。抑々、経済活動を統計として記録し、国家単位で管理するようになったのは近代以降のことです。しかし近年、様々な資料を駆使し、数量的に人口・GDP等の経済状態を探る研究が進んでいます。それに依って、地理的にも時間的にも異なった社会同士が比較でき、其々の発展状況や社会構造に新たな角度から光が当たるようになりました。そこで、本稿では近代以前の日本がどのような社会だったのか、国際的な比較を基に検討していきたいと思います。この時期のアジアとヨーロッパの比較については2000年、カリフォルニア大学(当時)のケネス・ポメランツ教授が『大分岐論』を発表し、大きな反響を呼びました。中国史の専門家であるポメランツは、食糧消費カロリー量や綿布消費量のデータ等を基に、18世紀半ばまでの東アジアの中核地帯――中国の江南地域(揚子江下流の穀倉地帯)や日本の畿内・関東等は、経済発展・生活水準でイギリス等の西ヨーロッパと変わらなかったことを唱え、「東西で“大分岐”が生じ、大差がついたのは、19世紀になってからだ」と主張しました。このポメランツ論文が刺激となり、工業化以前の世界史像を再検討し、生活水準を詳細に比較する地域間研究が促されたのです。先ずは、各国のGDPを比較してみましょう。近代以前のGDPを推計する研究をリードしたのは、イギリスの経済学者であるアンガス・マディソンでした。彼の推計に依ると、世界のGDPのうち日本の占める割合は、1700年には4.1%でしたが、その後は3%以下になり、戦後の高度成長を経た1973年には7.8%を占めるに至ります。アジアとヨーロッパを比較すると、1600年、中国の占めるシェアは29%、インド(ムガル帝国)が22.4%と、アジアの2国で世界の半分を占め、19世紀に入り、1820年の段階でも中国32.9%、インド16%でした。現在、中国のGDP世界シェアは13%ですから、その巨大さが窺えます。では、1人当たりのGDPはどうでしょうか。1600年、中国の人口は世界の28.8%。1820年には36.6%と、GDP以上に人口が多い。それに対して、西ヨーロッパは1600年の時点で、人口は13.3%なのにGDPは19.8%。1人当たりでは、この時点で既に西ヨーロッパのほうが高い水準だったのです。

表1は、1550~1850年について、マディソン以後の推計値に依って、1人当たりGDPを比較したものです。近世日本のデータについては、私と一橋大学の高島正憲氏が別途推計しました。16世紀半ばから、ヨーロッパ北西部が高い水準にあったことがわかります。江戸期前半の日本は、その前の時代と比べても横ばいか稍低下、後半には緩やかではあるが一定の成長を遂げ、インドやオットマン帝国といった非西欧の大国には追いつきます。因みに、中国は両大戦期以前の数量的なデータが少なく、マディソンは「明清の間、農業を中心とした産出高はかなりの拡大を見たが、殆どそのまま人口増加に吸収された」という説に立って、1500~1820年の1人当たりGDPを「600ドルで横ばい」と推計しています。また、19世紀の中頃には賃金・識字率(自分の名前が書けるかどうか)、更には体位(特に身長)等の悪化があったらしいことが、数量的研究からわかっています。また、実質賃金を比較した研究もあります。オックスフォード大学のボブ・アレンらは“生活水準倍率(welfare ratio)”という指標を考案し、18~20世紀初頭の西欧(ロンドン、アムステルダム、ミラノ等)と北京、そして京都・東京の実質賃金を比較しました。この研究に依ると、北京とミラノの実質賃金は1720~1900年の間は粗同じ水準なのに対し、ロンドンやアムステルダムはその2倍から3倍でした。日本は、上下変動はあるものの、中国や南欧と同じような水準です。また、イングランドの農業労働者の実質賃金は、畿内と大きな差は無く、イギリスが農業不況に見舞われた1900年頃には、粗同水準にまで近づいています。つまり、賃金の面から見ると、ロンドンやアムステルダムといった最先端都市は早くから突出していた。しかし、ヨーロッパ内でも“分岐”が始まっており、北西欧の農村部や南欧と、アジアの中核地域はそれほど違わない水準にあったと言えます。こうした研究成果を踏まえると、江戸期の経済はポメランツの大分岐論が唱えるほど、ヨーロッパの先進国との差は小さくはなかったが、独自の発展と緩やかな経済成長を果たしていた――取り敢えず、こんな風に纏められそうです。




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では、次に国内での所得比率を見てみましょう。表2は、インド(ムガル帝国)・イギリス(イングランド)・日本(江戸後期の長州)の1人当たりの世帯所得や所得シェアを示したものです。日本の場合、エリート層に当たるのは武士、中間層としたのは都市商工民(雑業者を含む)、そして下層としたのが農民です。インドでは、貴族と大土地所有者が上にきて、中間が聖職者、都市中間層(商人・親方手工業者)。下層が農民・下層カーストの人々等。イングランドでは、貴族・大土地所有者がエリート層、その下にファーマー(農地経営者)・都市中間層(商人・親方手工業者等)。そして、下層が農業労働者・都市雑業者等です。カースト制のムガル帝国は、上位1%のエリート層が国民所得の15%を占める、圧倒的な貴族優位の格差社会でした。イギリスも上位5%が20%を得ていますが、同時に分厚い中間層が形成されていることがわかります。比較してみると、江戸期日本の“平等性”は際立っています。厳格な身分社会だったにも拘らず、階層毎の所得差が殆ど無い。但し、異なる身分間での所得差が小さい代わりに、同一身分内での所得差は存在しました。特にその差が甚だしかったのは、エリート層である武士層です。例えば、長州藩における武士の禄高分布を見てみると、最上位の1万石以上は僅か5人なのに対して、最下層の100石未満は4000人と全体の7割を占めています(因みに、貧しい旗本だった勝海舟の父親は40石程度でした)。一方、江戸時代の農民と言えば、「激しい格差と貧困に喘いでいた」というイメージがありますが、実態はこれに反するものでした。寧ろ、武士層程の過酷な経済格差は存在しなかったのです。

江戸期の農村経済については、同時期のイギリスと比較するのがわかり易いと思います。この時期、イギリスの農村は既に資本主義化が進んでいました。というより、イギリスでは先ず農業で資本主義が展開したのです。先ず、土地を所有しているのは貴族です。その所有規模は地主というより、地方領主といったほうが実情に近いほどです。彼らは農業そのものにはタッチせず、地代とその運用(投資)を収入源としていました。実際に農地を経営するのは、貴族の下にいるファーマー(farmer)です。これも、自ら耕す“農夫”というよりも、多くの労働者を使役・管理して大規模農業を営む“企業経営者”と考えたほうがいい。農業資本主義が発展し、経済的にも成長する中で生み出された利益は、貴族やファーマー層に蓄積されました。しかし、下層の農業労働者の賃金はあまり変わらず、殆ど横ばいです。前にも述べたように、彼らの賃金水準は同時期の畿内と大きく違いません。つまり、イギリス型農村は経済成長と共に激しい格差をも生み出していたのです。それに対して、江戸期日本の農村では中核的構成員(本百姓)は全て土地持ちでした。しかも、初めは土地を持たない小作農であっても、勤勉に働き続けお金を蓄えていけば、土地を買い取り自営農に転じることも可能でした。また、庄屋・小作人を抱える地主層も自ら耕作を営む手作地主で、自身の耕作規模は自作農や自小作農と大きな差は無かったのです。「階層に依って、利益率に大きな差がつかない」ということは、逆に言えば、「小さな利益の差の積み重ねに依って、自らの状況を改善・向上できる」という期待にも繋がります。こうして、長い労働時間を投入する勤勉、耕作技術等の地道な改良、そして貯蓄が重要な労働倫理となりました。これは、工業セクターにも通じるかもしれません。欧米に比べ、日本は現在でも圧倒的に中小企業が多い。また、日本を代表する大メーカーでも、そのルーツに遡ると、自ら職工として生産現場に関わっていたケースが多く見られます。これも、資本家-経営者-労働者の分離というイギリス型とは異なった特徴でしょう。

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因みに、日本に大地主が生まれ、同時に土地を持たない零細な小作農が増えるのは、明治の地租改正以降です。更に、西南戦争後の松方緊縮財政に依って農作物の価格が下落、多くの農民が困窮し、彼らが手放した土地を買い占めた大地主との間に、大きな格差が生じたのです。江戸期日本が格差の少ない社会だったのには、“鎖国”以後の貿易の停滞にも原因がありました。ヨーロッパでは大航海時代以降、海外貿易に依って大きな富が齎されました。こうした交易は大規模でリスクも高い為、利益率も参入障壁も高い。従って、海外貿易に従事できる商人とそれ以外の層の間では、格差も拡大し続けたのです。日本でも、戦国・安土桃山時代には角倉了以のような大商人や、九州地方のキリシタン大名等が海外貿易に依って富を得ていました。実は、徳川幕府も海外貿易に依る利益を軽視して、鎖国を行った訳ではありません。それどころか、鎖国の真の目的は、幕府自らが海外貿易を管理し、その利益を独占することにあったのです。しかし、このような幕府の思惑は見事に裏切られました。皮肉にも、鎖国を始めた頃、日本の対外貿易構造は大きく変わってしまったのです。その最大の原因は、銀の払底でした。戦国時代後期から江戸初期まで、日本の最大の輸出品は銀だったのです。石見銀山等で産出された銀の量は当時、世界の3分の1近くを占めたとされています。一方、当時の輸入品トップは生糸でした。織田信長も豊臣秀吉も羽織っていた煌びやかな西陣織の着物は、中国産の生糸で作られていたのです。つまり、銀を売って生糸を買うのが貿易のメインだったのです。ところが、日本国内の銀山は江戸時代になると枯渇してしまいます。幕府はその代替品として銅を輸出し始めますが、その銅も乏しくなっていきました。こうして、売る物が無くなってしまった結果、江戸期の貿易は停滞します。「大きな利益が無い為に、大きな格差も生じなかった」と言えます。

江戸期に入り、外との貿易が行き詰ると、投資先は国内に向かいます。例えば、城・城下町・道路・水運等のインフラ整備。更に言えば、新田開発です。こうして、江戸期の日本経済ははっきりと農村中心型にシフトしていく。それが顕著に現れているのは人口で、徳川後半には江戸・大坂・京都の三都の人口は減少し、城下町の多くも衰退しました。それに対し、地方の小都市・港町や機織等の農村工芸品の中心地の人口は増加します。こうした江戸期経済の特徴は、現代の日本のビジネススタイルにも影響を与えている面があります。前にも述べたように、江戸の初期までは海外貿易に依る豪商が存在し、また国内貿易でも『淀屋』や『紀伊国屋』のように、新航路の開発に依り大きな利益を生む商人が活躍していました。しかし、江戸期になると、国内貿易での利益率は低下し始めます。ある大きな木綿問屋の場合、1720年代までは純資産に対し年10%以上の正味利益を出していたのに、1770年代にかけて5~10%に低下、それ以降は3%以下に低下しています。こうした傾向は、金融業を営んだ鴻池家でも確認できます。そうした低い利益率を前提とした江戸期の商家は、事業規模を大きくし、経営を効率化させることに依って利益を確保しようとします。三井財閥の始祖である三井家の商法は、まさにその典型例でした。日本全国に出店を展開し、商業網を張り巡らせた三井家は、巨大な組織を作り上げます。当時の世界では、最大級の民間企業でした。「ハイリターン(屡々ハイリスクを伴う)を狙うのではなく、シェアの拡大を目指す日本企業の原型はここに表れている」と言えるかもしれません。

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ここまで江戸期日本の経済構造について述べてきましたが、明治以後に関しても、国際比較に依って新たな視角を得ることができます。江戸期の停滞を抜け、日本は維新の殖産興業政策に依って、急速な近代化と発展を遂げ、ヨーロッパにキャッチアップした――そんなイメージが一般的かもしれませんが、実は19世紀後半には、日本と欧米先進国との差は縮まりませんでした。欧米との差がほんの僅かほど縮まったと言えるのは、大戦景気に依って中程度の成長が齎された1910年代後半以降です。1人当たりGDP面で見れば、本格的なキャッチアップは第2次世界大戦後を待たなければなりませんでした。しかし、格差の問題という点では、この第1次世界大戦後の経済成長は重大な問題を引き起こしました。所謂“戦争成金”等の超富裕層が生まれ、貧富の差の拡大を招いたからです。問題は、この時、政府は彼らが蓄積した富を巧く吸収できなかったことです。当時の税制を見ると、不思議なほど累進性が低いままで、不平等が放置されてしまったのです。これは、近代日本が直面し続けた問題かもしれません。近代化に依って、財閥や大地主等の富裕層が生まれてくる。それを如何に政治体制に取り込んでいくか。言葉を変えれば、「単なる金持ちではなく、如何に新しい日本社会をリードしていくような近代的なエリート層・中間層に育てるか?」という問題を抱えていたのです。しかし、明治期から、地主層からの政治的要求の中心は“民力休養論”と言って、「税金をまけてほしい」というものでした。つまり、個別的な利害の枠を出なかったのです。当時の野党からも、「自分たちは税金を負担するのだから、その分、税金の使い方にももっと発言権を与えろ」という論理は出てきませんでした。これも、江戸時代的な平等が社会の前提となり過ぎて、「持てる者が主張もするが、責任も負う」という論理が育たなかったからかもしれません。


斎藤修(さいとう・おさむ) 一橋大学名誉教授。1946年、埼玉県生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程単位取得退学。一橋大学経済研究所所長・ケンブリッジ大学客員教授等を歴任。著書に『比較経済発展論 歴史的アプローチ』(岩波書店)・『プロト工業化の時代 西欧と日本の比較史』(日本評論社)等。


キャプチャ  2015年夏号掲載


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テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

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