【小保方事件で失ったもの】(後編) 科学者たちはなぜ『STAP細胞』に騙されたのか

STAPという名の幻の細胞があった。というのが、いまとなっては正しい言い方だろうか。少なくとも、当初発表された方法では作れそうにない。いまさらそんな細胞を論じても大した意味がないかもしれない。しかし、一時的にとはいえ、その存在が信じられたのだ。どうしてそんなことになったのだろう。 (仲野徹)

我々の体は、たった1個の受精卵から発生してくる。その過程において、200~300種類もあるさまざまな細胞へと分化する。受精卵はすべての細胞になりうる性質を有しているので、全能性である、という。そして、通常、細胞分化はこのように一方向性で逆戻りはしない。ご存じiPS細胞は、分化した細胞に遺伝子導入などをおこなうことによって作成される多能性細胞である。科学における用語の使用法は厳密だ。ES細胞やiPS細胞は、ほとんどすべての細胞になりうるが、胎盤の細胞になる能力がないので、全能性ではなくて多能性という。ちなみに、万能性というのは科学用語ではなくてマスコミ用語である。何らかの方法を用いて、分化した細胞を全能性や多能性の細胞へと逆戻り、いわば“先祖返り”させるのが『リプログラミング』である。リンパ球などを酸性溶液に浸すなどのストレスで“簡単に”全能性――多能性ではなく全能性――の細胞へリプログラミングできる、というのがSTAP細胞の“売り”であった。

もしも、であるが、iPS細胞がなければ、STAP細胞が信じられることはなかったに違いない。作成の方法はまったく異なっているけれども、山中伸弥教授らの研究で、細胞というのはリプログラミング可能であるということが、科学者の“常識”として定着していた。だから、STAP細胞も、ひょっとしたらありえるかもしれないと受け入れられた。捏造データが使われたとはいえ、どうして多くの研究者が騙されたのだろうか。これには、関連分野の研究者として、私も深く反省しなければならない点がある。




またもや、もしも、であるが、ヴァカンティと小保方だけによる論文であれば、信じることはなかった。理研CDBの錚々たるメンバーが著者に名前を連ねていたからこそ、信じてしまった。論文は、その内容によって評価するものであって、誰によるものかは考慮すべきではない。が、それはあくまでも建前論である。とりわけ、にわかには信じられないほどに画期的な内容の場合は、著者のそれまでの成果や実力を勘案してしまう。けしからん、と思われるかもしれない。が、すこし想像してほしい。まったく競技会に出たことのない選手が、観客のいないスタジアムで世界記録を更新する走りをしたと主張しても、あなたは信じないだろう。しかし、同じ競技のトップアスリートが、私は偶然いあわせてそれを目撃した、とコメントしたらどうだろう。いわばそんな感じだ。

もうひとつ、先入観の恐ろしさというのも反省すべき点だ。STAP細胞の報道直後に論文を読んだ時、あぁ、リプログラミングなのだと思った。しかし、捏造がささやかれ出してから細かに読んだ時、リプログラミングによると書いてあるが、それに関するデータは間接的なものにすぎず、きちんとした証明がなされていないことに気がついた。そう導くように論文がうまく書かれていたこともある。しかしそれ以上に、リプログラミングという先入観にとらわれて読んでしまったのが最初に誤解した原因だ。私だけかもしれないが、自分の研究に直接関係しない内容の論文など、それほど深く読み込んだりはしない。

STAP細胞が発表されたとき、大きな反響を呼んだのには、科学的・社会的にいくつもの理由がある。そのうちのひとつは、多能性幹細胞に対する期待感の大きさだ。とりわけ、iPS細胞における再生医学への期待は大きい。それ自体は結構なことである。しかし、期待感が大きすぎて、いささか過剰ともいえる研究費が投下されている感は否めない。STAP細胞の華々しい発表の裏側に、そうしたことについての思惑は関係していなかっただろうか。そして、そのような過剰な期待感を煽ったり、“スター研究者”を待ち望むようなマスコミの姿勢が今回の件に影響していなかっただろうか。いずれも、まったくなかったとは言い切れないだろう。たとえあだ花であっても、咲くには適当な環境が必要だ。STAP騒動がおきたのは、ここに書いたような、それなりの環境が“整っていた”ためだ。もちろん、たとえそんな環境があったとしても、捏造や不正といった種がなければ、あだ花が咲くはずもないのだが。

世の中のルールの多くは、不正を防ぐために作られてきた。科学研究の進め方などに対しても、社会から新たな厳しいルールが要求されるだろう。一方で、科学には科学のルールがあるのだから、それを優先すべき、という考えもある。しかし、それはいかがなものだろう。科学研究は大型化の一途をたどっており、その巨額な研究費の多くは税金でまかなわれている。そんな中、世間のルールが科学のルールの上に位置することを否む権利が科学者にあるとは思えない。今回の件で、多くの人にとって、科学者とはどういう人たちかを垣間見ることになった。こんな事件があったけれど、多くの科学者はウソなどつかずに日夜がんばっているはず、と思われていればいいのだが、科学者ってえらそうにしているけれど、汚いこともするのだと思われるようになってはいないかと心配だ。STAP騒動をはじめ、捏造事件が後を絶たない。残念ながら、科学は欺瞞という危うさを内包しているものなのかもしれない。科学者たちは、そういった負の側面もきちんと認識した上で、科学というものを丁寧に説明し続けなければならない時代になった。


なかの・とおる 大阪大学大学院生命機能研究科・医学系研究科教授。1957年生まれ。同大医学部卒。様々な細胞の発生を研究テーマとし、一般向け著書に『エピジェネティクス 新しい生命像をえがく』(岩波新書)がある。また、書評サイト・HONZに参加する読書家で、ノンフィクション・伝記を愛好。それが高じた著書『なかのとおるの生命科学者の伝記を読む』(学研メディカル秀潤社)もある。


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