今の中国共産党には寛容精神が全く無い…内陸部イスラムという“アキレス腱”が中国を追い詰める

20151129 03
中国は現在、東・南シナ海上における覇権を確立しようと人民解放軍の改革を推進している。去る9月3日に天安門広場で行われた『抗日戦争勝利70周年』という反日閲兵式の席上で、習近平国家主席は中国軍30万人削減の計画を発表した。これは、中国の軍拡に対する国際社会の懸念を払拭しようとして、周到に練られたパフォーマンスだ。人員削減の内実も、『解放軍文藝工作団』や『解放軍歌舞団』といった指導者専用の“喜び組”の解散であって、真の意味での軍縮とは程遠い。習主席の狙いは、非効率的な軍組織をスリムにして海上へシフトし直すところにある。目下、既有の7大軍区を4~5つの“戦区”に改編して、海軍を増強する改革が進行中だ。“海洋強国”を実現させて、西太平洋を独占し、アメリカのパワーをハワイ以東に封じ込めて帝国としての地位を築こうとする中国。覇権国家の不動の理念として掲げられているようだが、習が標傍する“中国の夢”も“邯鄲の夢”に終わってしまう可能性がある。というのも、チャイナプロパーに対する脅威は、歴史的に西北の陸上から現れていたからだ。それは、現代においても変わらない。

中国に侵略されて不当に占領され続けているチベットにも南(内)モンゴルにも不満が蓄積されているが、最大の火薬庫はイスラム教徒が暮らす新疆ウイグル自治区だ。ウイグル人の民族問題は国際問題と連動して長く、世界のイスラムも中国に依る同胞の抑圧を解放の目標に設定している。そう考える根拠を以下に整理しておこう。先ず、新疆から脱出したウイグル人は、既に『ISIS(別名:イスラム国)』の戦闘員としてシリアとイラク北部で活動している。その数は不明だが、極少数の過激派ではなく、有志らも陸続と東南アジアのタイやマレーシア、そしてインドネシア経由で加わっていっている。マスコミの一部は「イスラムの過激派に依って、洗脳されて戦場に送り込まれている」と報道するが、中国政府の過酷な弾圧が所謂“ウイグル人過激派”を産出している性質を見落としている。ウイグル人が中国南部の雲南省等から東南アジア各地に脱出する際に、現地のイスラム社会が積極的に協力している点も大きい。イスラムのネットワークが機能している。次に、ウイグル人はパミール高原を挟んで、故郷の西側で戦闘経験を積んでいる。主役は、アフガニスタンとパキスタンのイスラム原理主義勢力『タリバン』内のウイグル人戦士だ。タリバンの武装勢力は、アメリカ軍ら有志に依る空爆を受けても一向に衰えず、アフガニスタンの国政に復帰するのは最早、時間の問題となってきた。今年7月20日に新疆ウイグル自治区の首府・ウルムチで、中国政府の幹旋でタリバンとアフガニスタン政府との和平協議が開かれたが、不調に終わった。北京当局が突然、温厚な平和調停者に生まれ変わったのではなく、タリバンの政権奪還を見越した上での保身的な行動だ。「我が国は、自国北部のウイグル人武装勢力を全滅に追い込んだ」と、閲兵式の後にパキスタンのナワズ・シャーリフ首相が習主席に表明したが、それも一層の資金援助を引き出す為の態度表明に過ぎない。パキスタンとアフガニスタンのタリバン軍を支えているのは、現地の部族社会だ。遊牧民の部族社会には、古くから“客人を持て成す”伝統があり、かのオサマ・ビン・ラディンもこの地に長く潜伏していた。“イスラムの同胞にして客人のウイグル人”を、簡単に北京当局に売り渡すような真似はしない。




第3に、ウイグル人は“トルコ系諸民族の一員”だ。このトルコ系諸民族は、ユーラシア大陸に7億人以上も分布し、盟主を自任しているのはトルコ共和国だ。近代に入って以来、トルコ系諸民族はずっと“ロシアとシナの抑圧からの解放”を民族自決の目標として戦ってきた。その結果、ウイグル人を除く他のトルコ系諸民族は全て国家を擁して、民族自決が実現できた。“未だにシナに抑圧され続けている同胞ウイグル人”の境遇に、トルコ人は無限の同情心を抱く。今夏に首都のアンカラ始め、各地で中国人観光客を襲撃する事件が発生したのも、同胞意識の発露である。タイ政府は中国の圧力に屈して、7月8日にウイグル人ら約100人を強制送還したが、その約1ヵ月後の8月17日にバンコクで爆弾テロがあり、100人以上の死傷者が出た。個々のウイグル人は時としてテロ行為にも走るが、トルコ共和国のエルドアン大統領が7月に北京を訪れて懸念を伝えたのも、盟主としての行動であると見ていい。イスラムが中国を追い詰めた実例が19世紀末にあった。大清帝国の弱体化には様々な要因があったが、最大の引き金は1862年から1877年まで続いた『西北ムスリム大反乱』である。中国語を母語とする回民(現在の回族)とウイグル人、それにトルコ系のサラール人等、イスラムを信仰する諸民族が連携して蜂起した為、鎮圧に全力を注いだ清朝(満洲族)はこの時から傾き、最終的には1912年に中国人(漢民族)に乗っ取られて崩壊する。西北のムスリム反乱を鎮圧していた真っ最中に、漢人大臣の李鴻章は“海防”を唱え、「海軍を増強して、日本との軍備競争に力を入れるべきだ」と主張。これと逆に提唱されたのが“塞防”論で、「辺塞地たる新疆のムスリム反乱を平定して、ロシアの侵略から防衛することこそが急務だ」との国防論である。海防論者は日清戦争で躓き、台湾を「化外の地だ」として日本に譲り渡したことで、政界から追放される。塞防論者もムスリムに儒教を強制して中国への同化を進めたが、こちらも失敗に終わった。それでも、満洲人の清朝は寛容な統治を敷いてきたが故に、約300年間続いた。今の中共には寛容精神が全く無いので、多文化・多宗教共存も実現できていないのが現実である。


楊海英(ヤン・ハイイン) 文化人類学者・静岡大学人文社会科学部教授。1964年、中華人民共和国内モンゴル自治区(南モンゴル)生まれ。北京第2外語学院大学日本語学科卒。1989年に訪日。別府大学研究生・中京女子大学助教授・静岡大学助教授等を経て現職。博士(文学)。著書に『墓標なき草原 内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』(岩波書店)・『モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料』(風響社)等。


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