【仏教宗派の霊魂観と死後世界観】(上) “あの世”の存在を日本仏教各宗派はどのように説いているか?

東日本大震災の影響や高齢者の増加等で、死後世界についての関心が高まっている。被災地では、僧侶に心霊相談が寄せられた。僧侶が“霊の専門家”と思われたからだが、霊魂についての統一見解が無い宗派もある。このような乖離が生じたのは何故だろうか? 釈尊の時代から現代に至るまでの霊魂観と死後世界観の変遷、世界各地の仏教徒の霊魂観と死後世界観から探った上で、新宗教を含めて仏教の各宗派が霊魂と死後世界をどう説いているかを見ていこう。

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抑々、釈尊は霊魂や死後についてどのように語ったのだろうか? 古代インドで古ウパニシャッド哲学者らは、「業に依って来世が決まり、人は生と死を繰り返す」と考えていた。「この輪廻から逃れて解脱する為には、輪廻する個人の本体である“アートマン(我)”と宇宙の根本原理である“ブラフマン(梵)”との一体化を図ることが大切である」と説いた。これに対して、釈尊は“無我”を説いた。無我とは、“アートマン(我)の否定”を意味する。根本教説である無我説とは、永遠不変の実体を否定するものとされてきた。この為、霊魂も否定されると考えられていた。だが、無我説は正しくは「我でない(非我)ものを我と見做すな」という非我説で、「釈尊は霊魂の存否を語っていない」という解釈も登場した。一方で、釈尊は業に依る輪廻は肯定した。無我説に立つと、輪廻する主体の説明が難しい。釈尊の死後には多様な説が展開され、“補特伽羅”というアートマンに近いものを想定する犢子部のような立場も現れた。しかし、「釈尊は無我説の立場から、輪廻に否定的だった」と最古層の経典研究を基にした主張もある(並川孝儀『ゴータマ・ブッダ考』)。釈尊はまた、「霊魂と身体は同一か別異か?」「如来は死後に存在するか否か?」等の形而上学的な問いには「無記」として答えなかった。その理由を「毒矢が刺さったら、『誰が射たのか?』等と分析するよりも先ず矢を抜くべき」と“毒矢の譬え”で示して、「現前の問題解決を優先すべきだ」と説いた(『中阿含経』の『箭喩経』)。この為、「釈尊は死後を説かなかった」と言われるが、『スッタニパータ』には地獄の描写がある。このように、原始仏典に遡っても、釈尊の考えを確定するのは難しい。では、現代の世界各地の仏教徒は、霊魂や死後をどう考えているのだろうか?




①スリランカ仏教徒の死後世界観
スリランカでは、シンハラ人の大半が、ヒンドゥー教と民間信仰が習合したインド伝来の上座仏教を信仰している。人々は、業に依る輪廻転生を信じている。解脱して涅槃に到達できるのは出家者のみとされ、在家者は業(カンマ)を良くする為に功徳(ピン)を積んで、より良い来世を願う。文化人類学者の鈴木正崇氏に依ると、教理では輪廻の主体としての霊魂は否定され、死ぬと直ぐに再生するとされるが、人々はプレータ(死霊)の存在と、再生せずにプレータとして留まる者もいると信じている。死者の再生時期については様々な考え方を示す事例がある為、判断が難しい。尚、鈴木氏の調査では、「死者の霊(プレータ)は死後7日で消滅する」と考えられており、遺族はより良い再生を願って、布施の功徳を死者に転送する為、死後7日目に供養を行う。転生先について、「19世紀半ばには、天・人間、又は動物・地獄・プレータの4つの考え方があった」という研究報告がある。天・人間・畜生・地獄・プレータの五趣輪廻とも言える。文化人類学者の大岩碩氏や鈴木氏の調査から、現代人の再生観も同様と見られる。

②ミャンマー仏教徒の死後世界観
ミャンマー仏教徒が信仰しているのは、スリランカ大寺派の影響が強い上座仏教だが、“ナッ”(精霊・神)信仰等の影響も見られる。やはり、スリランカと同じく、因果応報に依る輪廻転生が信じられており、出家者は涅槃を、在家者は善行の功徳に依って良い来世を目指す。仏教学者の池田正隆氏に依ると、教理では霊魂を否定するが、ナッが仏教の世界観にも取り込まれている。また、人々は輪廻する主体として“レイピャー”を信じている。これは“識”のことだと言われるが、識と異なる霊魂だとも見做されている。レイピャーに落ち着き先を与える為に、死後7日目等に僧侶に読経をしてもらう。池田氏や文化人類学者の藏本龍介氏に依ると、転生先は天界・人間界・畜生界・餓鬼界・地獄界から成る三十一界である。人間界の上方には、精霊たちやヒンドゥー起源の神々の世界も配されている。

③タイ仏教徒の死後世界観・霊魂観
タイの人々は、伝統的な精霊信仰と複合したスリランカ系の上座仏教を信じている。スリランカと同じく、業に依る輪廻転生が信じられており、出家者のみが解脱できると考えられている。宗教学者の矢野秀武氏に依れば、輪廻の主体として、教理に依らない一般の出家者や在家者はウィンヤーン(霊魂)を信じている。文化人類学者の森部一氏に依ると、転生先は、生前に故人が蓄積した功徳(ブン)と悪徳(バープ)のバランスに依って決まる。生前にタンブン(積徳行)を多く行ったものは、テワダー(神)や富や権力に恵まれた人として転生する。転生先は、良いほうから順にテワダー・人間・ヤック(夜叉)・アスラ(阿修羅)・プレート(餓鬼)・動物・地獄となる。事故や殺人等で異常死した人は、再生への道から一旦外れる為、再生時期は正常死よりも遅くなる。死者を再生の道に戻す為に、近親者が出家する等して功徳を死者に転送する慣習がある。

④チベット仏教徒の死後の世界観
チベット仏教は、インドから直接伝わった仏教に土着のポン教が習合した大乗仏教である。チベット仏教徒は、「悪業を積むと地獄・畜生・餓鬼に、善業を積むと天・阿修羅・人に再生する」という業に依る六道輪廻を信じている。但し、菩薩は人々を救う為に、敢えて人に再生するという。この考え方が、観自在菩薩の化身とされるダライ・ラマのように、高僧が亡くなると生まれ変わりを探して後継者とする輪廻転生制度を支えている。チベット文化研究者の高野優紀氏は、「仏教の教理では霊魂を認めないが、人体は肉体と霊魂と命根(霊魂の宿る場所)の3つからなるというポン教由来の霊魂観が融合して、人々は霊魂が輪廻転生する」と考えているという。死後を説く“死者の書”として、日本では4大宗派の中で最古のニンマ派の枕経に相当する『中有における聴聞による大解脱』が有名である。だが、チベット密教研究者の平岡宏一氏に依れば、チベット社会では出家・在家を問わず、最大宗派であるゲルク派の『基本の三身の構造をよく明らかにする燈明』を“死者の書”として学ぶ人が多い。これに依ると、人は死ぬ時に輪廻の主体とも言える最も微細な意識と風が覚醒して、“死の光明”を体験する。行者でない普通の人は、“死の光明”の状態に3日間留まった後、中有として生まれる。中有の寿命は最長7日間で、来世の生まれ先が見つかるまで、中有としての死と再生を最長49日間繰り返す。ゲルク派の教えを学んだ齋藤保高氏に依れば、来世の理想の仏国土として名高いのは、観自在菩薩の補陀落浄土・弥勒菩薩の兜率天内院・阿弥陀仏の極楽浄土である。往生するには、今生で「浄土を念じて祈願する」「善根を積む」「菩提心を発する」「回向する」という4つの実践が必要と考えられている。

⑤中国仏教徒の死後世界観・霊魂観
日本仏教は主に中国から伝来しており、その影響は大きい。死後世界に関しても、十三仏信仰は中国で成立した初7日から3回忌までの十王信仰が基で、死者を裁く閻魔大王は、インド最古の文献『リグ・ヴェーダ』で死者が赴く楽園の王であったヤマが中国で変化したものである。盂蘭盆会も中国伝来の行事である。だが、中国の仏教は1966年来の『文化大革命』時の弾圧で壊滅状態になった。1978年に政策が転換してから、寺院の復興や宗教儀札の復活が進み、仏教徒は18.2%(2010年に『ピューリサーチセンター』が発表)を占める。比率は低いが、総人口が約13億人なので実数は多い。ここでは、仏教の中でも大乗(漢伝)仏教に焦点を当てて見ていこう。盂蘭盆会は、現代でも先祖供養をする“中元節”として存在する。この日は、閻魔大王が冥界の門を開け、冥土の“鬼”がこの世に出てくるという伝説がある。“鬼”とは、中国固有の観念で霊魂に当たる。死者全般を指す言葉だったが、現在では祖先と区別して、祀り手がいない霊を指すことが多いようだ。中国の仏教徒は、道教や儒教の影響もあって、このような“鬼”を信じている。死後世界観を示す資料は少ないものの、『現代中国の仏教』(末木文美士・曹章祺に依る共著)に依ると、大乗仏教であっても因果応報に依る六道輪廻が信じられている。また、極楽往生も信じられているという。仏教として政府の統制下にある為、宗派的対立は少ないようだ。文化人類学者の謝茘氏に依ると、四川農村地域における漢族の死者儀礼では極楽往生が願われ、法事では宗教的職能者が「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六道の何れかに転生する」と説く。だが、人々は「極楽往生は難しく、死者の霊魂は冥界の地獄で裁きを受けて転生する」と考えており、追善供養で地獄の刑罰からの解放を願う。宗教的職能者が仏教系か道教系か人々は判別しておらず、“仏教徒の死後世界観”とは断言し辛いが、それが実態なのだろう。その霊魂観には日本と通じる点もあり、「死者の霊魂は墓・位牌・冥界に1つずつある」と考えられている。但し、「位牌を残すと魂の1つが家に残って、家族を不安に陥れる恐れがある」として、位牌は焼却される。また、「死者の霊魂は、死後8日目から18日目の間に一度戻ってくる」と言われ、死後49日までの7日毎、100ヵ日と1周忌だけでなく、宗教的職能者が算出するその日にも供養が行われる。

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以上に挙げた全ての地で仏教が土着化し、教理では霊魂を認めないが、一般の仏教徒は「霊魂が輪廻する」と信じている。それでは、日本の仏教はどうなのか? 「死者が霊魂となって留まる」という古来の霊魂観や、祖先崇拝と結び付いて発展したと言える。振り返ってみよう。奈良時代には、祖霊の為の追善供養や盂蘭盆会が貴族たちに依って行われた。平安初期に薬師寺の僧・景戒が著した最古の仏教説話集『日本霊異記』には、霊的怪異や輪年転生が描かれた。平安時代にはまた、「死者の霊が崇る」という御霊信仰が生まれ、密教僧が加持祈祷をして怨霊を鎮める役割を果たした。宗教学者の山折哲雄氏に依れば、天台宗の僧侶・源信が結成した『二十五三味会』という念仏結社の起請では、「光明真言に依る加持を受けた土砂に依って罪業を浄められた死者の尊霊が、極楽浄土に往生する」と明記された。死後世界観は10世紀頃まで発達していなかったが、浄土思想の流行で変化した。源信が985年に著した『往生要集』には霊魂への言及はないが、閻魔大王の裁きや地獄と六道輪廻の苦しみが描かれ、「極楽浄土へ往生するには念仏が大切」と説かれた。『往生要集』は浄土教発展の基礎を作り、「あの世へ行くと仏になる」という後世に続く死後世界観の土台を形成した。仏国土一般を表す“浄土”は、特に阿弥陀仏の仏国土である極楽浄土の代名詞となり、末法思想の広がりと共に死後世界として広まっていく。浄土思想に対して、真言宗中興の祖・覚鑁は『五輪九字明秘密釈』を著し、「大日即弥陀で阿弥陀仏の極楽浄土は大日如来の密厳浄土の一部」と説き、『大乗密厳経』に“密厳仏国”等、『菩提心論』に“密厳国土”と説かれた仏国土を“密厳浄土”と表した。平安末期から鎌倉時代にかけて誕生した新仏教にも、浄土思想の影響は強い。法然は、「念仏を称えれば臨終時に極楽浄土へ往生する」と説いて浄土宗を開いた。法然の弟子だった親鸞は、「信心が定まった時に、この世で往生が決まる」と現世に比重を置いた。何れにせよ、「極楽浄土はどこかに実在する」と考えられていた。浄土が死後世界とされていた時代に、日蓮宗の宗祖・日蓮は「この世こそ仏国土」と、“娑婆即寂光土”を説いた。新仏教の興隆に対して華厳宗の僧侶・明恵は「罪障が消えて極楽浄土に往生できる」として、光明真言と土砂加持とを葬儀に結び付けて民衆に広めた。

室町時代から江戸時代初めにかけて、仏教は葬儀・祈祷・治病等に依って民衆に広まり、現在ある殆どの寺院が創建された。初7日から33回忌までの忌日に本地仏が当て嵌められて十三仏信仰が成立し、追善供養も浸透した。例えば、57日の本尊である地蔵菩薩は「賽の河原で子供を救う」とされ、閻魔大王はその化身とされた。言うまでもなく、葬儀は死後世界観と密接な関係がある。民衆は霊魂と死後世界を信じており、「死者の霊魂の安寧が自分たちの平穏無事に繋がる」と考えていたから、葬儀を行った。民衆と仏教の接点は、霊魂を信じる民俗的信仰の側面にあったと言える。この為に、「仏教は霊魂を認めており、僧侶は霊魂に働きかけができる」という、現代にまで続く認識を醸成したのだろう。葬儀が盛んになるに連れて、真言宗では葬儀と結び付いて浸透した光明真言を取り入れ、「光明真言の本尊は大日如来である」と強調し、重視するようになった。歴史学者の圭室諦成(1902-1966)に依ると、臨済宗・曹洞宗も坐禅から葬儀へと軸を移した。曹洞宗では、宗祖の道元とは路線が異なる太祖・豊山の流れを汲む瑩山派が葬儀や治病、加持祈祷等、現世利益に応ずる密教禅で教線を拡大し、16世紀には宗団を統一した。曹洞宗の葬儀は、禅に浄土教が混交した『禅苑清規』が基である。後の『瑩山清規』では浄土教的要素は省かれたが、念誦文等は変わっておらず、曹洞宗僧侶の佐藤俊晃氏に依れば、『檀信徒喪儀法』の念誦文には現在も浄土に往生する描写が残っており、極楽往生を説かない宗義ではあるが、浄土思想の浸透もあって、2001年でも僧侶の32.3%、檀信徒の45.9%が「死者は極楽浄土に行く」と考えている。曹洞宗と同じく、禅宗で死後を説かない臨済宗でも、葬儀は禅浄双修の要素が強い『勅修百丈清規』が基で、葬儀では現在でも阿弥陀仏に依る極楽往生を願う『往生呪』が唱えられる。浄土教の浸透に依って、「死者の霊魂の行方は極楽浄土や山中浄土」等と考えられていたが、境内地に墓地が多く建立された為、墓地も行き先の1つとなった。

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明治時代になると『神仏分離令』が出され、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた。明治5(1872)年に教部省は神官や僧侶を教導職に任じ、教化方針として敬神愛国等の三条教則を定めた。翌年にはこれを補って、神徳皇恩・人魂不死・鎮魂等、神道的宗教観からなる十一兼題、更に十七兼題が示された。仏教学者の大内青巒(1845-1918)は、「教導職の試験問題に人魂賦与説が入っていた為、各宗の僧侶が霊魂不滅を教理に付会し、『霊魂不滅を法話の骨髄にせねば』と思う者が多くなった」と、道元が心常相滅(肉体は滅しても心識は常住)説を批判したことに触れつつ、霊魂否定の立場から嘆いた(『曹洞宗教導講習院講演集』)。政策との関連は不明だが、「明治期の曹洞宗には、霊魂に否定的な教義的態度と肯定的な現実的態度という2つの立場があった」と佐藤俊晃氏は指摘する。教導職は、政教分離を求める運動に依って1884年に廃止された。代わりに管長制が定められ、近代的な教団体制の構築と教学の整備が進んだ。明治以降は宗学に留まらず、仏教全体を見渡す研究が盛んになり、原典研究を中心とする近代仏教学が発達した。大乗非仏説が論議を呼ぶ一方、“無記”が説かれた『阿含経』等の原始仏典の評価が高まった。真宗大谷派僧侶の清沢満之(1863-1903)は、「極楽浄土は信じる時に存在する」等、主観的存在として説き、真宗大谷派がその影響を強く受けた。このように、西洋哲学やキリスト教の影響で信仰の内面化も進んだ。明治期に欧米から入った科学主義は、日本に大きな変化を齎した。霊魂や死後世界は客観的な証明が難しい。近代教育の成果もあって、人々は霊魂や死後世界の存在を疑うようになっていった。

近代仏教学の泰斗である宇井伯壽(1882-1963)は、「無我は我がないということで、我は霊魂を意味する」と主張した(初出は不明だが『印度思潮』(1928年)や『根本位教概観』1932年)。仏教霊魂否定説が広まり、霊魂を認めるのは民俗的信仰とされ、教学が整備されるに連れて、近代教育を受けた僧侶は次第に死後世界を説かなくなった。1958年の『統計数理研究所』の『日本人の国民性調査』では、“あの世”を信じない人が59%と過半数を超え、信じる人は僅か20%だった。浄土宗の成田有恒宗務総長が「私の中の教養みたいなものが、『死後の世界は無い』と思わせる」と発言して、「宗旨に反する」と宗内に物議を醸したのは1997年のことだが、人々の死後世界観を象徴している。“あの世”の揺らぎと共に弱体化した伝統仏教を尻目に、創価学会・立正佼成会・霊友会等、現世中心の救済を説く在家仏教団体は高度経済成長期にかけて伸張した。全て法華系であるのは興味深い。霊友会も、そこから分かれた立正佼成会も先祖供養を重視しており、その死後世界観は気になるところだ。霊友会の初代会長である小谷喜美は、先祖供養の功徳を「先祖があの世で成仏して子孫を守る」と説いた。但し、先祖の崇りは否定される。また、「あの世とこの世とは紙一重。“命綱”という綱が霊界と繋がっている」とあの世を“霊界”と呼び、「磨かれた魂というものは、この娑婆が終わると霊界に帰り、【中略】仏縁のある時代にこの娑婆にあらわれてくる」と述べた(『一實の道を信ず』・霊友会運営会議監修)。また、創立者の久保角太郎は、「あの世に帰れば霊の友」(公式サイト)と語った。“魂”の循環や“霊”を語る死後は、民俗的な死後世界観に近い。一方、現在の立正佼成会は家庭・社会等の平和境(常寂光土)建設を謳い、死後をあまり説かない。庭野日敬開祖の著書『法華経の新しい解釈』を基に編集した教材『仏教の要諦』(立正佼成会教務部編)では、「生命は死後に“中有の身”の期間を経て、業の果報に依って十界の何れかに生まれ変わる」と“生命”を主体に輪廻を説く。庭野開祖は「生命というものは、不生不死、無限の過去から無限の未来まで生きとおし」で、久遠実成の本仏を「根源の大生命」と語り、無我説を「すべては縁によってあり、縁を離れて自分の存在はない」と霊魂を否定しない形で解釈した(『法語録』・立正佼成会編)

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ここでは、霊魂観を問うよりも、“生命”という語に注目すべきであろう。新宗教11教団の教えを分析したところ、その中核に“根源的生命”という概念が見られた為、1979年に宗教学者の対馬路人氏らは『生命主義的救済観』と名付けた。「個々の人間は根源的生命が個体化したもの、或いは生命力が分与された存在」という共通の考えが見られた。また、霊友会を除き、立正佼成会を含む多くの教団では、宇宙を根源的生命と見做していた。根源的生命と個人の生命を、古ウパニシャッド哲学における梵と我に擬えるのは言い過ぎだろうか? 定義の問題はあるが、新宗教は輪廻の主体――所謂“霊魂”のようなものを“生命”と言い換えることで、時代に適応したのかもしれない。時代を経て、“生命”は“いのち”に変化した。現在の立正佼成会は“いのち”という語を多用する。因みに、“無記”とされた「霊魂と身体は同一か別異か」に相当する漢訳は、前掲『箭喩経』で「命即是身 為命異身異」と記される。“命”が“霊魂”と訳されているのである。では、創価学会はどうだろうか? 第2代会長の戸田城聖氏は、「生命とは色心不二にして肉体にもあらず心にもあらず、しかして、肉体と精神に、たえず反応を与えるもの」として、永遠の生命を論じる中で死後を説いた。死後に生命は大宇宙の生命へ溶け込み、大宇宙の生命それ自体となる。これを“空”という。業を感じつつ変化して、縁に触れて、再びこの娑婆世界に前の生命の連続として出現する(『新訂版創価学会入門』・創価学会教学部編著)と言う。やはり、“生命”は輪廻の主体だ。また、池田大作名誉会長は嘗て『指導集』(1967年)で、無我説を「法華経以前の方便の教えで釈尊の真意ではない」と否定して、「“我”とは、生命それ自体なりとの出発であり、究極である」と述べた。“生命”は“我”であるという。尚、仏教は「霊魂の存在を議論しない」とした上で、“霊魂を実体的に捉えて霊魂を拝む対象とすること”を否定する。但し、“所謂先祖の霊(生命)に追善し回向すること”は尊重して行っている(『青年と宗教』・創価学会男子部教学室編)。ここでは、“生命”は“霊”の同義語である。

扨て、話を元に戻そう。死後世界を信じない人々に葬儀の意義は見出せず、1960年代末から“葬式無用論”が声高に叫ばれるようになった。葬儀が重要な経済基盤となっていた仏教界は危機感を覚え、1984年には浄土真宗本願寺派と曹洞宗が、“民俗的信仰”として教学とは切り離されていた祖先崇拝(葬儀・法事等)の重要性を訴える研究報告を其々発表した。曹洞宗では、人々に教理は浸透しておらず、僧侶は葬儀を行う人として、霊魂を認める民俗的信仰の現場にこそ存在意義があることが再確認された。葬式仏教との批判に、「仏教は生き方を説くもの」等と仏教を再定義する試みもあったが、浄土宗・臨済宗妙心寺派・日蓮宗等で葬儀の見直しを図る宗派が増え、霊魂や死後の説き方も検討された。また、近年は“直葬”という更なる葬儀の危機もあり、2010年頃までには多くの宗派で葬儀の再定義と死後世界の明確化が図られた。仏教解釈にも変化の波が押し寄せた。インド哲学者である中村元(1912-1999)が、「無我説とは非我説で、初期仏教では『アートマンが存在しない』とは説いていない」(『自我と無我』)等と主張し、仏教霊魂否定説は影を潜めていった。だが、仏教界への浸透は遅かった。天台宗・真言宗豊山派・真言宗智山派・浄土宗が設立した大正大学の出版部が1996年に発行した『仏教』には、仏教は「永遠不変な霊魂のような存在を認めない」と記され、2015年刊の『お坊さんも学ぶ仏教学の基礎1』で非我説が採用された。科学万能主義に陰りが見える中、死後世界の復権は人々にも見られる。2013年の『日本人の国民性調査』では、“あの世”を信じる人々が40%で、信じない人(33%)より多かった。次回は、死後世界が復権する中で、伝統仏教の主な宗派が霊魂と死後世界をどのように説いているのかを見ていく。


藤山みどり(ふじやま・みどり) 東京大学文学部卒。『宗教情報センター』研究員として、宗教情報の分析と宗教界の動向調査に従事している。


キャプチャ  2015年10月号掲載


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テーマ : 仏教の教えと世界観
ジャンル : 心と身体

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