【異論のススメ】(08) 大学改革、短期的な成果主義は無用

今年の3月、大学を退職した。毎年3月最後の会議で、退職者は簡単な挨拶をする。そしてこの数年、多くの人の口から次のような言葉がポロリと出てくる。「自分は辛うじて、良き大学人の生活を送ることができた、これから残る人は大変だろうが、頑張って頂きたい」と。この嘆息とも苦情ともとれる口上が、最近は恒例になっている。私も最後の数年、同様の感想を持っていた。はっきり言えば、大学は音を立てて崩壊しているようにさえ思える。表面的に見れば、どの大学も嘗てなくダイナミックに変化し、社会の動きに必死で歩調を合わせようとしている。しかし、残念ながらその動向は、私などが考える大学では無くなりつつある。つい先頃も、文部科学省が「国立大学の人文社会系を縮小する」という方針を打ち出し、大学側からの強い反発を招いた。文科省は「誤解だ」と言うが、既に地方国立大学では「先手を打たん」と、学部の再編や新設等の動きを打ち出している。確かに、正面切って文科省が人文社会系の学問を「不必要だ」と言った訳ではない。しかし、既に事態は明らかにその方向へと動いていた。例えば、2013年に出された『国立大学改革プラン』では“グローバル化”“イノベーション”“人材養成”が求められており、特に科学技術分野でのイノベーション創出を強く謳っている。そして、限られた予算の枠内で科学技術上のイノベーションを創出するには、人文社会系の分野を縮小して予算を捻出する他なかろう。また、グローバル化も人材養成も、人文社会系というよりは自然科学・技術系の分野により適合的であろう。

端的に言えば、「社会に役立つ学問成果を発信し、社会の役に立つ人材を育成せよ」という。「この点で成果を示した分野には重点的に予算を配分するが、そうでない分野は縮小する」という訳だ。この動向は、既に2004年の国立大学の法人化から始まっていた。国立大学の法人化の動きは元々、国の財政縮減を目的としたものであったが、また同時に各大学の独自性を高め、よりよい研究や教育の可能性を高める筈のものでもあった。しかし、実際に生じたことは全く違っていた。各大学は数年毎に中期目標を設定し、その成果を評価に付され、それに応じて予算(運営費交付金)を受け取る。一見したところ、各大学の自由度は大きくなるように見える。しかし、実際に起きることはどういうことか? 例えば、国が「グローバル化や社会還元を重視せよ」といった大方針を打ち出す。すると、グローバル化の名目で留学生を多量に受け入れ、海外との学術交流に精を出し、学問の社会還元として公開講座を行い、学内イベントを頻発するといったことになり、その為に大学人は忙殺される。また、学問的成果、それも実践的成果を要求されると、こう言っては悪いが、かなり底の浅い速成の“成果”が次々と量産されかねない。しかも、この方向での“改革”に対して予算が配分されるとなると、結果としてどうなるか? どの大学も概して、似たような“改革”を打ち出す。文科省としては、各大学をただ改革競争へ駆り立てることで、大方針へ向けて大学を動かすことができる。斯くて、大学は徒労感を抱きつつも、もう10年以上も只管“改革”を続けているのだ。勿論、「グローバル化やイノベーションで社会に役立つ」という方向が全面的に悪い訳でもないし、特に理系の先端分野では恩恵を得ている分野もかなりあるだろう。だが、この即戦力的な成果主義は抑々、人文社会系の学問には合わないのである。




人文社会系の学問の基本的な性格は、時には社会を批判的に見る目を養い、人間というものについての思考を鍛え、それを学ぶことで人生や社会生活をよりよきものにする点にこそある。一昔前には、教養やヒューマニティーと呼ばれた総合的な知識が基礎になる。それはある程度、現実社会から距離を置き、幾分かはゆったりと流れる時間の中で行われる他ないものなのである。今日、我々に欠けているものは、この種の人文的なものへの理解と関心である。そして、この関心の欠如は大変に深刻な事態だと思う。本来は自然科学の諸分野であろうと、グローバル人材であろうと、先ずは確かな人文的な思考を前提にしなければなるまい。しかも屡々、政治や経済の劣化が憂慮され、官僚の質の低下が問われるのなら、優れた政治家や官僚を生み出す為にも、短期的な成果主義とは一線を画した分厚い人文社会的教育の充実こそが求められる筈であろう。尤も、問題は政府の大学行政の側にのみあるのではない。大学の側も、学問についての確かな見識を失いつつあるように見える。大学は社会から距離を置く分、社会の動向からは多少ズレている。それは多忙を極め、常に成果を求められるビジネスの論理とは異なった論理と精神を持っている。これを特権と言えば特権であろう。だからこそ、大学人にはそのことに対する自覚と自己規律が強く求められる。ところが今日、現実の人文社会系の学問は過度に専門化して、分厚いヒューマニティーからは遠ざかってしまった。学問が衰弱しているように見えるのである。だが、その点はまた稿を改めて論じてみたい。


佐伯啓思(さえき・けいし) 1949年生まれ。京都大学名誉教授。保守の立場から様々な事象を論じる。著書に『反・幸福論』(新潮新書)等。


≡朝日新聞 2015年11月6日付掲載≡


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