【異論のススメ】(09) パリの同時多発テロ、“我々”に突きつけたもの

11月13日のパリでの同時多発テロから暫く経ち、改めて、この悲惨な出来事が“我々”に何を突きつけたのかを書いてみたい。フランス政府は、「このテロは市民の無差別殺傷を狙った蛮行であり、“文明”への挑戦である」と言う。「狙われたのは自由や民主主義という“文明”だ」というこの言い方は、2001年の9.11テロにおけるアメリカ政府の立場と同じだ。フランス市民たちは、サッカースタジアムでも、また追悼集会でも、フランス国歌の『ラ・マルセイエーズ』を胸を張って唱和していた。「武器をとれ、人々よ…けがれし血をわれらが畑に注がしめよ」という勇ましい歌は、言うまでもなくフランス革命の最中に作られたもので、勝ち取った自由や民主主義を守る戦いの歌なのである。そしてフランスは、自由や民主主義を守る為に、過激派組織『ISIS(別名:イスラム国)』への空爆を更に強化した。日本は『有志連合』に加わっている。安倍首相は、「日本も国際社会と連携し、対テロ戦争に積極的に協力する」と言う。一方でISISは、「日本も含む有志連合は全てテロ対象国だ」と宣言した。こういう光景を見て、多くの者は戸惑いを禁じ得ないだろう。「テロリズムが自由や民主主義への挑戦だとすれば、その同じ価値を奉じる“我々”もフランスと連帯して“文明”の為に戦うべきだ」というのは、1つの理屈であろう。しかしまた、「一体、ISISと“我々”の間にどのような関係があるのか?」という疑問も生じるであろう。

ISISとイスラムを同一視することはできないが、このテロの背後には、西洋とイスラムの対立と抗争の長い歴史が横たわっている。そしてその事実は、20年ほど前にアメリカの政治学者であるハンチントンが述べた『文明の衝突論』を思い起こさせる。「冷戦以降の世界を動かすものは、西洋とイスラムという異なった文明の間の衝突だ」というのである。そして、問題の根底に“文明の衝突”があるとすれば、「今回のテロも、本質的には深層にある西洋とイスラムの歴史的な確執の一幕であって、それが“我々”とどう関わるのか?」という気にもなる。しかし、ハンチントンが述べた文明の衝突論は知識人にもジャーナリストにも評判は悪く、この粗雑な議論は真面に取り上げられてこなかった。勿論、国内に多数のイスラム教徒を抱えるアメリカ政府もフランス政府も、この議論は採らない。ただ、「テロという“野蛮”に依る“文明”への挑戦だ」と言う。若し“我々”もそれに同調するなら、自由と民主主義を守る戦いに参加する他ない。だが、次のように考えてみてはどうだろうか? 「西洋とイスラムの対立とは何か? “原理的”に言えば、イスラムがアラー(神)への絶対的帰依を説く宗教なのに対して、西洋は一応、政治を含む世俗生活と宗教を切り離し、個人の自由・平等や民主主義を社会の基盤に据えた。しかも、それらの理念を『極めて優れた普遍的価値だ』と宣言する。ということは、この高度な普遍的価値を認めないイスラムは“文明”とは呼べない」ということになる。そして今日、自由な民主主義・個人の基本的権利・合理主義と科学技術・市場競争原理等が普遍的な価値とされ、それが世界を覆いつつある。こうして出来上がった“グローバリズム”の中で、イスラムが信奉する宗教原理は分が悪い。彼らが西洋による抑圧を感じ、対抗してイスラム文化の尊厳を持ち出すのは、ある意味では当然であろう。とすれば、「西洋に起源を持つ、自由や民主主義に依る普遍文明(グローバリズム)の拡散の中で、イスラムのような固有の文化が西洋の普遍主義と摩擦を起こしている」と言うべきではなかろうか? “文明の衝突”ではなく、“文明と文化の衝突”と言ってもよいし、或いは“文明の内なる衝突”と言ってもよいであろう。




では、“我々”はどこに位置するのか? 西洋が生み出した“グローバルな文明”の側なのか、それともイスラムとは別の意味での“日本的な文化”なのか? 実は、「我々自身が引き裂かれている」と言うべきであろう。それが、“我々”に戸惑いを起こさせる。少なくとも、戦後アメリカに付き従って受容した“グローバルな文明”は、どこか借り物であった。だから、“文明を守る為の戦い”と言ってもピンとこない。何か他人事なのである。しかし、“文明と文化の衝突”は、実は“我々”自身の内で生じているのである。今日、明らかになってきたことは、寧ろ、自由や民主主義の限界というべきであろう。自由はグローバルな金融中心の資本主義へと行き着き、民主政治は大衆的な情緒や気分で不安定に流動する。しかも、アメリカが後押ししたアラブの民主化はアラブを大混乱に陥れた。西洋の民主主義は壁にぶち当たっている。“我々”もグローバル文明の中にいる以上、既に当事者になっている。若し、日本がISISに依る凄まじいテロに遭えば、我々はISISと全面的に対決せざるを得ない。“対話”など不可能である。しかし、それは自由や民主主義という“文明”を守る為ではなく、ただ、“我々”自身の生命や財産を守る為であり、また、謂れ無き攻撃に対しては、自らの尊厳を守る他ないからである。


佐伯啓思(さえき・けいし) 1949年生まれ。京都大学名誉教授。保守の立場から様々な事象を論じる。著書に『反・幸福論』(新潮新書)等。


≡朝日新聞 2015年12月4日付掲載≡


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