【友だちのいない男たちへの処方箋】(03) 皆さん、“私語禁止”を禁止にしませんか?

20151206 05
ハーバード大学を卒業した年に、幼馴染みから「一緒に日本に住んでみないか?」と誘われた時、僕は全く日本語が喋れませんでした。そんな僕が日本でお笑い芸人になり、役者やコメンテーターとして活動している。2012年からは、池上彰さんの推薦で東京工業大学の非常勤講師としてコミュニケーションについての講義を受け持ち、更に日本語ネイティブの皆さんに向けて話術についての本(『ツカむ!話術』)を書くなんて、生意気の極み――「烏滸がましいにも程がある」と自分でも思います。ただ、僕は20年以上に亘って日本の文化や社会の中で生活し、芸能界だけでなく、スポンサーである一般企業の営業マンから社長さんまで、様々なビジネスパーソンと接してきました。所謂“日本的コミュニケーション”に長けた人たちに対し、時には全く異質なアメリカ式のコミュニケーションスタイルや話術をぶつけては、「これは使える」「これはそうでもない」と仕分けてきた経験がある。つまり、アメリカと日本、双方のコミュニケーションの特徴を知り、いいとこ取りをしてアレンジしたコミュニケーション術をお伝えすることは、十分に可能だと思うのです。「日本人のコミュニケーション能力は決して低くない」と僕は思います。特に、「空気を読む」「相手の表情を読んで的確な反応をする」といった能力は、間違いなく世界で一番でしょう。しかし、言葉を使って相手と“話す”コミュニケーションには、苦手意識を持つ人が多いですね。

僕が日本で初めて就いた職業は、英会話学校の講師でした。生徒たちは“英会話ができない”から高い月謝を払って学校に通うのだろうけれど、僕から見ると、“英語”というより“会話”ができないほうが問題だった! 例えば、授業の合間にコーヒーブレイクがあったとして、その間は日本語OKなのに、僕が1人ひとりに話を振らないと誰も喋らない。ちょっと席を外して戻ってくると、4~5人でシーンと黙ってコーヒーを飲んでいる。アメリカから来たばかりの僕にとっては、とてつもないカルチャーショックでしたよ! 何で喋らないの? 折角知り合ったのに、もったいない! 数年後、子供が入学した小学校で日本の教育現場を見て、初めて合点がいきました。先生がロッカーから定規を取ってくるように言って、1年生たちが友だちと楽しそうにお喋りしながら廊下へ出ていくと、先生が大きな声で「私語は止めなさい!」と怒ったんですね。“私語禁止”――これが日本人のコミュニケーションの基礎に刷り込まれているのだとわかりました。僕が講座を持つ東工大の学生は、そうした日本の教育システムを勝ち抜いてきたエリートばかりですから、私語なんて絶対しません。というか、殆ど“できない”に近い状態。東工大生は、自分にコミュニケーション能力が欠けているという意識がとても強く、それを自虐的に“コミュ障(コミュニケーション障害)”と呼ぶくらいです。そうした学生たちに向けて僕は、最初の授業で“私語禁止”と書いた上からバッテンを書きます。「“私語禁止”の禁止。僕が喋っていない間は、お互いに喋りなさい。喋っていないと減点ですよ」。そうでもしないと、芯から叩き込まれた私語禁止の殻は破れないのです。元々、潜在能力の高い学生たちですから、実践練習をする内に会話のスキルはどんどん磨かれていきます。しかし、学生に課す宿題と実践練習の量は半端ないです。おかげで、受講生のコミュニケーション能力は高まりますが、同じ理由で、年々受講生の人数が減っています!




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「私語することができない」「知らない人と話すのが苦手」というのは、理系の学生に限った話ではないです。僕の友人でも、会社では非常に有能な営業マンで、取引先で初対面の人とも臆せず話せるけれど、休日に友人宅のバーベキューパーティーに行くと、「知らない人と何を話していいかわからない」と言って、黙々と肉を焼く係に徹している男性がいます。団塊世代を中心に、日本の男性は会社でバリバリ働くのは勿論、仕事が終わっても同僚との飲み会や取引先の接待がある。休日もゴルフや親睦会等、会社の人間関係を中心に生活が回っている印象があります。そうした、謂わば“閉じたコミュニティー”の中で暮らしていける間はいい。勿論、それで満ち足りているのであれば何の問題もないと思います。しかし、現在のような超高齢社会では、リタイアしてからの人生が思いの外、長くなります。アメリカでも、定年退職後に田舎暮らしを始めたり、子供たちと暮らす為に引っ越す等して昔の仲間と会えなくなり、孤独に悩む元ビジネスパーソンの問題がメディアで取り上げられるようになりました。アメリカの場合、そうした時に頼りになるのが教会です。初めての町でも、教会に行けばコミュニティーの輪に加わることができる。困っていることがあれば手を差し伸べてもらえるセーフティーネットの役割も果たしています。日本でも、地方の町ではお祭り等の行事を通して地域と繋がったり、町内会のようなコミュニティーが機能しているかもしれませんが、都会ではどうなのでしょう? 会社のコミュニティーを卒業した男性が、参加できる受け皿はあるのでしょうか? 僕がお勧めしたいのは、カルチャースクールや趣味の教室等のアクティビティーを通じて、新しい人間関係を築くこと。釣りでも囲碁でも、蕎麦を打つのでも何でもいいので、仲間を見つけて大いに楽しんだらいいと思います。これまでの経験や資格を生かしたボランティア活動等も、素晴らしいセカンドライフの過ごし方です。そうした活動を通して共通の話題を持てば、「知らない人と話すことがない」というコミュニケーションの弱点も克服し易いでしょう。

但し、本誌読者の皆さんのように、ビジネスの第一線で活躍してきた男性が既存のコミュニティーに参加する時、是非気をつけてほしいコミュニケーションのポイントが幾つかあります。1つは、上下意識。それまで社会的地位があった男性は、自分の言うことがスムーズに周囲に伝わり、その通りに動いてくれることが“当たり前”だと思っています。でも、それは貴方の地位や立場に対して周囲が配慮してくれていたおかげで、貴方のコミュニケーション能力がとりわけ高かったからという訳ではなかったのかもしれません。会社から離れれば、皆同じ“ただの人”。もう、肩書きは助けてくれません。僕自身、日本では一応、顔も名前も知られているけれど、アメリカに帰ると急に“どこの馬の骨ともわからない白人男性”に戻ることにストレスを感じることがあります。自分の要求が通らない、大切にされない――でも、それが当然なんです。「俺を誰だと思ってるの? ブログに書いちゃうよ?」と息巻いたとしても、コロラドのレンタカー屋は痛くも痒くもない訳ですから。勿論、どこでだってそんなことしないけどね。地域コミュニティーのような肩書きの通用しないフラットな関係の中では、「自分の意見や提案が通らない」「思うように人が動いてくれない」という壁に、一度や二度はぶつかるでしょう。その時、「何故わからないんだ!」「これだから○○(女性・高齢者・若者・子供…)は駄目なんだ!」とキレてしまうと、コミュニティーには受け入れてもらえません。そうして、地域から孤立していく男性も少なくないと聞きます。僕のお勧めは、“海外旅行のつもりで参加する”こと。外国語の意味はわかっても、相手の言わんとする微妙なニュアンスがわからなかったりするでしょう。奥さんたちが和気藹々と運営してきたサークルや、無駄話が多くて中々話し合いが進まない町内会も、同じようなもの。「言葉の意味がわかるから」といって、「相手の思いまで理解できた」とは思わないことです。「なるほど、こういう異文化もあるのだなあ」という謙虚な姿勢で観察すると、結構面白いものですよ。

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リタイア世代の男性にとって、最も身近でありながら最も手強い異化と言えば、女性たちのグループかもしれません。多くの社会学者や心理学者が指摘するように、男性と女性では抑々コミュニケーションの目的が違います。これが、気をつけてほしい2つ目のポイントです。男性は、相手とのコミュニケーションに依って問題を発見し、解決しようとする。それに対して女性は、理解してもらって気持ちを整理しようとする。女性にそうした話題を持ちかけられた時、男性が「わかった。じゃあ、こうしない?」と答えると、女性は「わかってない! 私は話を聞いてほしいだけなのに」と怒ったりする。この理不尽なすれ違いは万国共通です。更に、日本語という独特な言語の特徴が問題をややこしくする。前述したように、日本人は“空気を読む”コミュニケーションを得意とします。日本人の会話をそのまま文字にすると、「~ね」という共感を促す終わり方が凄く多いですよ“ね”? 英語にも「isn't it?」等と付加疑問文の表現はあるけれど、アメリカでは日本に比べて使う頻度はとても低いです。常に共感を求め、気持ちを分かち合うことを優先するのが日本語コミュニケーションの特徴であり、どちらかと言えば女性の感情表現に向いた言語と言えるでしょう。アメリカ人の男性である僕にとって、“ね”が飛び交うような会話は時々、物凄くストレスに感じられます。「何で一々、コンセンサスを得なければいけないのか?」と。多分、長くビジネスの世界にいた男性の皆さんも、慣れるまでは非常にモヤモヤするのではないでしょうか? でも、そこで理路整然と解決策を主張したりすると、“空気の読めない人”と認定されてしまうので注意して下さい。或いは、女性の多いコミュニティーに参加する時は、“ね”を意識して使うと意外と上手く溶け込めるかもしれません…“ね”!

文化の違いという面からもう1つ、コミュニケーションのポイントをお話ししましょう。日本では“一を聞いて十を知る”と言って、全てを言わなくても伝わる関係を良しとする傾向がありますが、アメリカでは逆に“十を聞いて一を知る”。「常にはっきり言わないと物事が伝わらない」と考えます。文化人類学者のエドワード・ホールは、こうした文化の違いを『ハイコンテクスト文化』『ローコンテクスト文化』と名付けました。「○○君、この間頼んだアレはどうなってるかね?」「はい部長、それはですね…」で話が通じていた会社員時代、また黙っていればお茶が出てくる夫婦の関係は、典型的なハイコンテクスト文化です。しかし、リタイア後に初めて知り合い、お互いに共通の話題もまだないコミュニティーはローコンテクスト文化。そう考えて、できるだけ詳しく、わかり易く、ディテールを交えて話すことを心掛けてみて下さい。これは、パーティー等で初めて知り合った人と会話をする時にも、非常に役立つスキルです。例えば、「趣味はゴルフです」という情報だけでは、相手も「ふーん」としか反応できません。でも、「最初は接待で始めたのですが、今では毎月15ラウンド回るほどのめり込んでいます。おかげで、順調にスコアは縮んでいるのですが、妻との距離は広がるばかりです」等と付け加えたらどうでしょう? 「接待ゴルフは大変だった」という思い出や家族の話等、会話がどんどん盛り上がる筈です。話の中に、ちょっとした笑いの要素を入れるのも大切なポイントです。よく、日本人は「ユーモアの感覚が無い」と言われますが、僕はそうは思わない。皆さん、オヤジギャグは大好きじゃないですか! 但し、オヤジギャグは「部長(お父さん)がまた言っている」というように、ハイコンテクスト文化の中でこそ有効なコミュニケーションですから、初めての場所ではあまり連発しないほうがいいと思います。

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ユーモアやジョークにもパターンがあるのですが、リタイア世代の男性にお勧めなのは“モデストブラッグ(謙遜自慢)”。自分のことを語る時、ちょっと自虐的なスタンスを交えて謙遜気味に語ると、好印象を与えられるテクニックです。例えば、「孫に会うと小遣いばかりせがまれて…」と嘆くことに依って、息子か娘の家族が近くに住んでいて、普段から交流があることを伝えられます。「東京大学を出て、大企業に入って部長をやってましたが、今は妻の部下として毎日皿洗いしてます」とか、「最近、妻とは代名詞でしか会話してません」等、年齢やリタイアした立場に引っ掛けた自虐ネタを上手に盛りこんでいくと、「私は、元の地位に固執して威張るような人間ではありません。付き合い易い普通のおじさんですよ」というメッセージを送ることができます。厳しい競争社会を勝ち抜いてきた団塊世代の皆さんは、学習能力が非常に高い。新しいコミュニティーで上手にコミュニケーションを取るスキルも、きっと直ぐに身に付く筈です。周囲で、「あの人は上手にやっているな」と思う相手を真似してもいい。人間は一生をかけて学ぶもの。今から蕎麦打ちや囲碁を習うのもいいけれど、「コミュニケーションスキルほど役立つ生涯学習はない」と僕は思います。貴方の知らない世界を体験してきた人、思いもよらない発想をする人が、貴方の周りに一杯いる筈です。その人と今、話さなければもったいない! これからの人生では“私語”を解禁して、実りある毎日を楽しんで下さい。 (構成/山田真理)


パトリック・ハーラン(Patrick Harlan) お笑い芸人・俳優・声優。1970年、アメリカ合衆国コロラド州生まれ。ハーバード大学比較宗教学部卒。1993年に来日。1997年、吉田眞とお笑いコンビ『パックンマックン』を結成。『実践!英語でしゃべらナイト』(NHK総合テレビ)等、多くのテレビ番組に出演。2012年10月より、東京工業大学非常勤講師としてコミュニケーションと国際関係を教えている。著書に『パックンの中吊り英作文』(朝日出版社)・『ツカむ!話術』(角川oneテーマ21)等。


キャプチャ  2015年10月号掲載


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