【ふるさと再訪】福島・いわき(09) 感動の伝道師、手品で生み出す笑顔

その人は“火の車太郎”の芸名を持つ。まず、いわきの歴史を知らなければ、と9月初旬に訪ねたのが『いわき市暮らしの伝承郷』。いわきニュータウン(中央台)の県立公園内に、江戸時代後期から明治初期までの伝統的な民家を移築し、民具・農具も保存した体験学習施設として1999年に開園した。昨年4月から館長を務めるのが、小野浩さん(60)だ。話は立て板に水。江戸時代以来の歴史、『一山一家』の文化を築いた常磐炭鉱の歴史や、東日本大震災後の市内の現状などを解説してくれた。最後にもらったのが祭りのチラシ。「今夜、私も出るので来ますか?」。いわき駅の南にある『薬医神社』へ行くと、秋の例大祭が行われていた。神社には舞台が設けられ、人々の熱気で溢れている。メインイベントが『いわき芸能倶楽部』のマジックショー。小野さんは“火の車太郎”としてタキシード姿で現れ、トランプやリングなどを使った手品を披露し、笑いと喝采を浴びた。




手品を初めて披露したのは小学5年のクリスマス会。「みんなを驚かせ、女の子にもてたかった」からだ。県立磐城高校卒業後、明治大学文学部で日本史を専攻する一方、百貨店の手品売り場でアルバイトもした。芸名は職歴に由来する。いわき市教育文化事業団に就職し、市史編さん・埋蔵文化財調査に携わった後、草野心平記念文学館の学芸員に。同市小川町出身の詩人、心平は48歳の時に東京で居酒屋『火の車』を開いた。「宮沢賢治の才能を発見して有名にしたのも彼で、高村光太郎らとも交流が深かった」。心酔した心平から店名を拝借した。20歳代半ばから、施設や幼稚園・小学校・地域イベントなどで手品を実演。人を笑わせることが好きで、小名浜の街歩き散歩ツアーでも案内人を務めた。被災後は避難所や集会所で子供たちの前で手品をし、訪問者には“震災語り部”もやった。小名浜の自宅1階は津波で浸水。「魚が跳ねていたが、手品の道具は無事だった」と笑う。

10月下旬、伝承郷へいわき市の北隣、広野町の小学校の生徒が遠足で訪れた。休憩時が小野さんの出番だ。3年生のいる古民家に入り、「みんな“汽車”の唄を知ってるな」と声をかけ、「今は山中 今は浜……」と合唱。「闇を通って」で一呼吸おき「広野原」を大声で歌う。JR広野駅に歌碑もあり、発車メロディーにも使われているとは、私は知らなかった。同町と楢葉町には原発作業員らの前線基地Jヴィレッジがある。「今から手品をやります」。子供たちの目が輝き始めた。折り畳んだ新聞に流した水が消え、再び畳んで傾けるとコップに水が……。繰り出す手品に「えーっ」と驚き、笑いの渦が。「感想文には手品が面白かったと書かないで」。生徒がドッと笑った。「私のモットーは笑いと驚きの配達人」という。震災後、宮沢賢治の詩『雨ニモマケズ』が各地で愛唱された。今年の賢治の命日(9月21日)には『いわき賢治の会』が発足。会長は小野さんだ。10月25日、市内の文化施設で『賢治の宇宙 心平の天』というイベントが開かれた。講演・朗読・手品・演奏・朗読劇……。会長として、火の車太郎として駆け回る自称“ラテン系”の小野さんは、感動の伝道師かもしれない。 《編集委員・嶋沢裕志(59)》


キャプチャ  2014年11月29日付夕刊掲載 
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