【塩野七生が語る世界と日本】(下) 「欧州の難民対策、古代ローマの中途半端なまね」

『ギリシア人の物語Ⅰ 民主政のはじまり』(新潮社)を書き上げた作家・塩野七生さんへのインタビュー3回目は、イスラム世界やヨーロッパの難民問題等について聞いた。 (聞き手/特別編集委員 伊奈久喜)

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――古代ギリシャ人は、まさに民主政の創始者です。民主主義はポピュリズム(大衆迎合)に陥る危険性もあります。いつの世も、民主主義が機能する為には何が必要なのでしょうか?
「私は、“民主主義”という言葉を極力使わないようにしています。“民主政”という言葉を使っています。結局、市民社会・市民階級が無いところには民主政は成り立たない。そのことは、現代でも立証されています。持てる力を可能な限り活用する為に生まれたのがアテネの民主政であって、そこにはやはり中産階級が重要な役割を担ってきた。当時のアテネの主力だった重装歩兵というのは中産階級です。富裕階級は騎兵ということになる。その面では、スパルタも同じです。しかしスパルタは、その市民の幅を固定して広げようとしない。それだと数が少なくなるという弊害がある。一方のアテネの場合は、その幅を広げていく訳です。自ら生産する階級や人々、それが市民です。これは、ルネサンス時代の都市国家でも全く同じです。古代ギリシャでも古代ローマでもそうだった」
「何故、古代ローマは中産階級を大切にする気になったのか? 誰がそうしたのか? 色々ありますが、一番顕著だったのはカエサルに依る農地法です。つまり、中小の自作農を確立する為に農地法がなされた。何故、中産階級を大切にしたかというと、何も民主政をやりたかった為ではない。何せ、市民の数は少なかったので、可能な限り自国の活力を使う必要があったのです。ペルシャみたいに矢鱈に人間が多い訳ではない。だから、中産階級を大切にした。でも、このことが同時に社会の安定にも繋がった。ベネチア共和国が安定していたのは、実に国民の70%が中流階級だったからです」
「しかし、イスラム世界は中産階級を遂に作れなかった。アメリカ人から見れば、それがイスラム世界に民主政が成り立たなかった原因ということになる。他の人から言えば、社会が安定しない原因でもある。イスラム世界も、商人階級というものは作りました。それは凄いですよ。“ローマ亡き後の地中海世界”で書いたことですが、北アフリカと南ヨーロッパとを包む一帯で、イスラムは戦争をしながら通商もしている。どんなものを売っていたのかを調べると、当時の北アフリカのイスラム世界はサハラの黄金を売っていた。今で言うならばオイルです」
「そのサハラの黄金を買う為に、ヨーロッパ側のイタリアの都市国家は何を売っていたのか? 工業製品です。原料を輸出する場合は、その産出地を持っている側の人間はそれだけで儲かる。しかし、工業製品を輸出する側は、例えばフィレンツェだったら繊維業で、ベネチアもそうですが、人に頼まなければならない。製品を作る過程が必要で、繊維だったら色を付ける・織る等、諸々の過程がある。そこで、その人たちに職を与えることになった訳です。しかし、イスラム世界は遂にそれができなかった。イスラム世界では、人々に高学歴を与えることはできた。しかし今尚、高学歴に相応しい職場を作れる社会になっていない。だから、軍隊とかバース党(アラブ主義政党)のようなところに貧しい秀才が流れてしまうのです」




――統一通貨・ユーロからの離脱論議が起きている今のギリシャをどう見ますか? 何故、ヨーロッパは全体として『ヨーロッパ連合(EU)』からギリシャを追い出すことができないのでしょうか?
「先ず、ギリシャ首相のチプラス氏の顔を見て下さい。それから、彼が最初に財務大臣にした、オートバイでジャンパーを着て走るバルファキス氏の顔を。彼らにギリシャのテミストクレスを感じますか? 実際はアレクサンダー大王の出現に依って、ギリシャの都市国家は終わる。しかし、ローマ人はギリシャの昔の栄光と業績を重んじて、ギリシャを一生懸命援助する訳です。ローマ帝国時代は、スパルタとアテネは自由都市ということにして、自由都市内の自治は完璧にOKだったし、多くの建物や大学機能をアテネにローマ人が一生懸命残した。しかし、4世紀末にキリスト教を信奉するローマ皇帝がプラトンアカデミアを閉鎖し、オリンピックも中止し、斯くしてローマの支援まで失ったギリシャは消える」
「その後、ギリシャはずっと東ローマ帝国の中にあって、1453年のコンスタンティノープルの陥落以後はトルコ帝国の傘下に入った。それから400年ぐらい経って19世紀に独立し、この時に初めて国民国家としてのギリシャが生まれている。私が“ギリシャ人の物語”第1巻で書いているように、当時はギリシャ人はいたけれどギリシャという国は無かった。19世紀に独立して以後は、ギリシャという国はできた。しかし、今度はギリシャという国はあるけれども、我々が知っているようなギリシャ人はいないのです」
「これは随分残酷な話のように思いますが、本来のギリシャ的な顔が今どこに残っているかと言ったら、南イタリア辺りです。時々、ああいう地域で漁師の息子をしているみたいな男に、はっとするぐらいな、彫刻にして良いような男がいる。嘗て、アメリカ映画にルドルフ・バレンティーノという俳優がいました。美男で無声映画時代のハリウッドで活躍したが、彼は南イタリアのプーリアの出身でした。ああいう美男は、今や南イタリアにしか残っていません」
「それからもう1つ。歴史が絶えるということはどういうことか? 料理が全く絶えるということです。今のギリシャに行くと、サラダなんていうのはチーズがぼんっと載っていて、『これはホメロス時代の食事だな』と思う。しかし、それ以外のものは殆どがトルコ系統です。ギリシャではグリークコーヒーと言うけれども、実態はトルココーヒー。それ以外のギリシャの料理って、カレーライスぐらいしかない。しかも、『これはイギリスの植民地だった時代の影響じゃないか?』と思えるほどです」

――にも拘らず、EUはギリシャを排除しなかった。
「だって、そうしたらヨーロッパとは言えなくなる。北ヨーロッパの人たちが考えているのは、文明とか文化とかのヨーロッパではなくて、経済的な繋がりのヨーロッパでしょう。ならば、ギリシャを始めとした南ヨーロッパは切り離したほうがよい。しかし、それではヨーロッパと言えなくなる。そして、オリンピックの時はどうするんですか? 今も、聖火はやはり、ギリシャのオリンピアまで行って太陽から火を付けることになっている。そうでなくては、オリンピックは4年毎に成り立たない訳でしょう。何も、火を付けるのにオリンピアの森の中にまで行く必要はない。その気になれば、ロンドンだってどこだって火は付けられる。しかし、オリンピアへ行く。それに依って、何となく“オリンピック”と我々は思える訳です。今のギリシャというのは、悪いけれどそんな存在ですよ。でも、いいじゃないですか。古代にあれだけ様々なものを作った人間なのですから」

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――ペルシャ戦役が戦われた地域は、今日の過激派組織『ISIS』(別名:イスラム国)の勢力圏とも近い。緊迫するシリア情勢や難民問題を、どうごらんになっていますか?
「私は、宗教に関しては“個人的なこと”として、自分の作品の中では常にあまり立ち入らないようにしています。古代は多神教の時代だったので良かったわけですが、中世になると、片やイスラム世界、片やキリスト教という一神教の時代になる。中世の場合は、相当に強硬で硬直性のあるキリスト教だったから、イスラムと激しくやりあっていた。しかし、現代はキリスト教のバチカンでさえも、本当に厳密な意味での一神教ではなくなっている。『他の宗教を信じる人でも良いですよ』という姿勢。『但し、我々の宗教のほうが、安らかさを見つけるには良いですよ』と付け加える訳だが、排他的にはなっていない」
「しかし、イスラム世界では『全ての人に職を与える』という社会システムの構築に失敗している地域が多い。失敗というか、試みてもいない。すると、不満分子が当然出てくる。そういう世界でISISみたいな存在が黒尽くめだし、まあ格好良く見える訳です。ISISの兵士がリビアの浜辺で人を殺した後に、『この向こうにはローマがある。我々はローマを目指す』と言ったのを見て、私は『1000年昔の中世に戻ったのか』と思いましたよ。そうしたら、イタリア人は何と言ったか。『いらっしゃいよ、いらっしゃいよ。このローマの面倒臭い道筋・交通渋滞で、到底やっていけないだろうから。でも、まあ来てみたら?』と」
「イスラム世界からは『ローマで、我々はバチカンを攻撃する』と、中世から延々と言われてきた。私もローマに住んでいて、『これはやばい。どこかに移ったほうがよいのかもしれない』と思いました。確かに、ISISが最後に狙っているのはローマなのでしょう。しかし、1000年以上も昔からそう言われてきていて、未だ実現していないことも事実です。ISISは飽く迄も未だ運動で、運動中は強いと思いますが、若しも彼らがどこかを征服して、そこに国を建てて、国連に参加する一国として対応するには、統治の問題が出てくる。ISISが統治をどうやれるかは、相当道が長いと思いますが…」
「抑々、中近東では社会がどうしても安定しなかった。為政者階級の世襲など我慢ならない酷い体制が生まれている。すると、ヨーロッパ側は『文明への反逆だ』等という思いに駆られ、空爆をやってしまう。するとまた、イスラム世界から恨みを買ったりする。私には、『イスラム世界とどう付き合うか?』という時に答えがありません。古代ローマみたいに、『ここに移ってきたのなら、ローマ法は絶対に守れ』と言えないからです」
「難民問題というのは、古代ローマの真似をできない現在のヨーロッパが、中途半端に真似しようとするから起こった問題です。今のヨーロッパでは、人権は尊重しなければいけない。だから、難民が入ってきた時も国民と同等の待遇を与えなければいけない。そうすると、元々いる人たちから反発が起こる。しかし、若し人権を放ったらかしにして、古代ローマのように『自分で働きなさい』と言ったら、今度は国連の難民に関連する機関から非難されることになる訳です。こういう時にどうするか? 若い男たちが収容されて大勢一緒になっても何もしないと、周囲から段々敵視されていく。だから、イタリアの場合だと1日に35ユーロとかいうお金を与えて、空いているホテルに住まわせているのです」
「結局、難民問題の全ての元は、出てくる国の内乱にある訳です。アフリカに行くとよくわかりますが、アフリカは土壌として非常に豊かなところだが、内乱になれば逃げ出さざるを得なくなる。耕地も捨てていく。捨てられた耕地というのは、本当に何もかも枯れてしまいますからね。空気や水気が上がっていかないし、雨も降らない。こうなると、益々人間が住めない。ドイツのメルケル首相は、政治亡命と経済亡命を分けて、『政治亡命だから入れるけど、経済亡命なら入れない』と言うが、一体どこで線を引くのか? 根本的な解決は何も言っていないのと同じです」

――この種のことは、歴史で繰り返されてきたことなのですか?
「ローマ時代はどうしたかと言えば、難民は受け入れた。但し、完全に自助努力を求めた。つまり、『働け』と。でも、今はそれが言えない。それからもう1つ。『言語の習得の為に教育しなければならない』なんてこと言っているが、あれにも相当のお金がまたかかるのです」
「私は、昔のことを書いている。時々、『現代のことを書いて稼がなくてもいいのは、本当に幸福だったなあ』と思いますね。だって、全く解決不可能な問題が厳然とあるのに、わかり易いように喋らなきゃいけないというようなことをしなくて済むのですから。政府の審議会にも出席しなくていいし、有識者という顔もしないで済む。という訳で私は、戦争のちゃんばらを書いているのです(笑)」


塩野七生(しおの・ななみ) 作家。1937年、東京都生まれ。学習院大学文学部哲学科卒。『ローマ人への20の質問』(文春新書)・『ローマの街角から』(新潮社)・『三つの都の物語』(朝日新聞社)・『ローマから日本が見える』(集英社文庫)等著書多数。


≡日本経済新聞 2015年12月22日付掲載≡
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