【2016年の15大問題】(06) “アラブの春”から“新しい中世”へ鬩ぎ合う新冷戦へ

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『アラブの春』に依る中東の社会と政治の動揺が始まってから5年の時を経て、影響は広範囲に、且つ深いところに及んでいる。『ISIS』(別名:イスラム国)の出現は大きな注目を集めるが、ISISは中東の政治と国際秩序の変動の中の“現象”であり、原因ではない。『アラブの春』がアラブ諸国の国内政治に不可逆的な変化を引き起こし、それがイランやトルコやサウジアラビア等の地域大国を主要なプレイヤーとする中東域内での国際政治や、米露に中国も加わる気配を見せる中東を巡る国際政治の大変動を齎した。それに伴って複数の国で発生した、現地の諸勢力と地域大国・域外の超大国が入り乱れて関与する内戦が、国家分裂や国家の崩壊を招き、それに依って生じた“統治されない空間”に、様々な民兵集団と並んでISISが台頭したという全体構図の把握が、日本の立場を定める為にも不可欠である。「独裁者でなければ中東は統治できない」という『アラブの春』以前の俗説が、日本での議論では安易に復活している。これは、現地情勢の生半可な理解に基づいている。実際には『アラブの春』以来、「独裁者でも中東を統治できなくなった」というのが実態である。メディア環境が激変し、若い世代に情報ツールを使い熟す能力が行き渡り、外部世界のより自由でより豊かな生活についての情報が容易に流通する現在、国民に世界標準の生活水準を与えていない独裁者が、情報を統制し、社会を分断して、恐怖に依る統治を行うことは困難になった。シリアのアサド政権のように、反対勢力が出て来れば容赦なく殺害し、「反対勢力が潜んでいる」というだけで市場や人口密集地を空爆するといった過酷な懲罰を加えても、寧ろそのような手法を使うからこそ住民は恨みを抱いて蜂起し、正義感に駆られた義勇兵が自発的に世界各国から集結して、収拾がつかなくなる。そこにロシアやイランが加勢しても尚、反対勢力の根絶やしは困難である。寧ろ、反アサド勢力がISIS等の宗教イデオロギーで強固に動機付けられた集団に結集していく結果になる。また、シリアの紛争が近隣のトルコやサウジアラビア等に拡散して、地域全体を混乱に陥れる可能性が高まる。

「独裁政権が戻ってくればいい」というのは、混乱の抑々の原因である「独裁政権が成り立たない」という現実を忘却した議論である。「独裁政権を立て直そう」と政権自身が強硬手段を取り、地域大国や域外大国が支援をすればするほど、混乱が広がる。「独裁政権が戻ってくればいい」という議論は、「混乱を解消する混乱が無くなればいい」と言っているに等しい。「独裁政権でさえも統治できない」という前提の上で、独裁以外の手法で中東を安定させることができる勢力が出てくるまで、外部の世界は待つしかないのである。『アラブの春』は、2011年の初期段階では、抑圧的な政権への社会からの異議申し立ての噴出であり、アラブ諸国の間での連鎖と伝播だった。社会からの変動圧力に直面した各国の政権の対応は分かれた。チュニジアやエジプトのように、旧政権が比較的速やかに権力を譲り渡した国もある。それらの国では、政権内に移行期の統治の受け皿があり、大統領や側近等といった国民の批判が集中する政権中枢を見捨て、切り離すことで、政権は崩壊しながらも体制の存続を図った。これらの国では、政権の崩壊が内戦や国家の崩壊を齎すことはどうにか避けられた。対照的に、リビア、イエメン、シリア、バーレーンのように、政権が国民を銃撃してでも権力の座に固執する事例も続出した。リビアやイエメンでは、軍や特殊部隊が国民に銃を向けると、軍の一部が大規模に離反し、内戦や国家分裂に陥った。逆に、シリアやバーレーンでは軍・特殊部隊は政権と一体となり、デモに依る社会からの異議申し立てを封殺したが、シリアでは脱走兵が『自由シリア軍』を結成し、その他のイスラム系諸勢力と共に長期に亘る泥沼の内戦に突入した。そこに『アル=カーイダ』の影響を受けた『ヌスラ戦線』や、イラクで台頭したISISが参入して地歩を築いた。シリアの内戦は、イラクでシーア派主体の政権に反旗を翻していた“イラクのIS”に聖域を提供し、イラクの内戦も激化させた。イラクとシリアを横断する人口が疎らな領域に、ISISの支配地域が広がった。『アラブの春』の初期段階では、それほど政権が揺らぐことがなかったイラクやレバノン等の国々にも、シリア等の内戦・無秩序地帯の広がりと共に第2波の動揺が広がったのが2014年前後だった。リビアでも、2011年に一旦終結していた内戦が2014年に再発。イエメンも、2014年に内戦が始まった。このようにして『アラブの春』は、チュニジアでの例外的な新体制の安定化を除けば、紛争や国家崩壊を各地に齎した。エジプトでは、軍出身のスィースィー政権に依る強権的な統治の再強化の試みに対して、ISIS等の武装勢力への支持が以前よりも広がった。エジプトでは、紛争はシナイ半島や西部砂漠の一部等の周辺部に限定され、首都等で間歇的にテロが生じるのみだが、イラク、シリア、リビア、イエメンでは内戦が激化している。




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内戦に依って生じているのは、各国の政権の崩壊だけでなく、その前提となる“国家”そのものの弱体化である。マックス・ウェーバーに依れば、“正統な暴力の独占”こそが近代国家の不可欠の要素である。内戦の激化・長期化に依って、アラブ諸国の一部では、この国家の要件が失われかけている。イラクとシリアの国境線は、ISISの支配領域では一体化している。イラク西部と北部、シリア東部は、中央政府の支配が及ばない領域となっている。リビアは、東西の分裂政府が其々に議会を持って正当性を主張しているが、東西の其々の支配領域の中に無数の民兵集団が跋扈し、その中にはISISを名乗る勢力も出てきた。イエメンでは、国連のお墨付きの下で近隣のサウジアラビアやUAE等の湾岸産油国が支援してきた中央政府が、北部のフースィー派武装勢力と失脚したサーレハ前大統領勢力の野合に依る反乱勢力に依って首都のサヌアを追われ、臨時政府を置いた南部のアデンからも一時は放逐され、国外に逃亡した。政府の統治の及ばない地域が広汎に広がるか、複数の政府が乱立するか、抑々政府が存在しない領域が、『アラブの春』から5年経って中東地域に広がっている。中央政府が弱まるか、消滅した各国の領域を、様々な主体が埋めていく。第1に、サブ同家主体が様々な原初的紐帯に基づいて台頭した。サブ国家主体とは、主権国家の内部に存在する国民とは別の帰属先を共有する主体である。具体的には、部族や宗派や民族に人々は再結集して身を守る。その際に、中央政府の規制が無く保護も無い以上、其々の勢力が武装化し民兵化して、自らの領域の治安を守ると共に、競合勢力・敵対勢力と対峙し、紛争の当事者となっていく。『アラブの春』は、徐々に“民兵集団の春”となっていった。サブ国家主体の台頭と国家・中央政府の弱体化という現象は、近隣諸国にテロや武器や紛争等を溢れ出させる危険なものである。その為に近隣の地域大国は、これを封じ込めるか、或いは関与して自らに有利に方向付けようとする。領域が一円的に統治されず、虫食い状に様々な主体の権力が及ぶ有り様は、“新しい中世”が現れたかのようだ。

シリアとイラクの内戦には、イラン、トルコ、サウジアラビアが其々介入した。イランはシリアのアサド政権を支え、革命防衛隊の将校を派遣して支援すると共に、影響下に置くレバノンのヒズブッラーの民兵集団を動員して、政権の劣勢を食い止めようとした。トルコはシリア北部の反体制派に“安全地帯”を提供しようと、アメリカに飛行禁止区域を設定するよう要請してきた。サウジアラビアは『湾岸協力会議(GCC)』の湾岸産油国の同盟を強化し、モロッコとヨルダンをも巻き込んで、アラブ世界のスンナ派の君主制諸国で団結。内政の動揺を封じ込めると共に、国際政治上のパワーとして台頭している。リビアでは、東部のトブルクに拠点を置いて、2014年の選挙の結果に基づいた政権樹立を目指す勢力と、それに呼応するハフタル将軍指揮下の武装勢力を、隣接するエジプトが支援する。イエメン内戦に対しては、サウジアラビアやUAEが主導して軍事介入し、亡命したハーディー大統領を支援して、フースィー派と対峙した。介入には、イランのように、イラクからシリアとレバノンに至るシーア派の繋がりや共通性を手がかりにした宗派主義的な要素が屡々伴う。サウジアラビアやトルコが支援するシリアの反政府勢力も、スンナ派の観点からシーア派を異端とする宗派主義的主張を強める。このような地域大国の台頭とその勢力圏の拡大は、当面は各地の内戦を終結させる成果を挙げておらず、現地での紛争の当事者を其々の地域大国が支援することで、内戦が激化・永続化し、介入の効果も打ち消し合っている。各国の政権の揺らぎや、地域大国に依る足並みの揃わない介入と競合の背後には、アメリカに依る中東地域での覇権の希薄化があり、オバマ政権の採用したプレゼンスの低下容認の政策がある。エジプトのムバラク政権が崩壊するのを黙認したことは、サウジアラビアやイスラエル等、他のアメリカの同盟国に危惧の念を抱かせ、独自の行動を誘発した。また、シリアでのアサド政権の打倒には、強い明確な姿勢と政策を示さなかった。それに依り、トルコからの信頼を失い、トルコが固有の関心事であるクルド勢力の台頭の抑制を重視して、2015年7月にクルド武装勢力『PKK』に対する軍事作戦に踏み切ることを止められなかった。その結果、シリアやイラクで“対ISIS”の前線に立つクルド民兵組織の勢いは弱まった。オバマ政権は、中東社会で反米意識を高める介入から極力距離を置く政策を採用したが、それに依って現地の政権からの信用を失い、統制の手段を弱めてしまった。

アメリカがプレゼンスを低下させた後の権力の空白をどの国、或いは主体が埋めるかが、現在の中東問題の主要課題である。イランはシーア派の宗派の繋がりも利用して、イラク、シリア、レバノン、イエメンへの影響力を強めたが、それはトルコやサウジアラビアのスンナ派諸勢力への支援と競合している。トルコは、シリア北部に反体制派の“安全地帯”を設けることで、小規模ながら勢力圏の設定を試みたが、それに対してロシアは、隠密裏に増強した軍事施設から2015年9月30日に大規模な軍事介入を行って、中東政治の主要なアクターとして冷戦時以来の存在感を示した。ロシアはサウジアラビアやエジプト等、アメリカの同盟国からも武器の購入等で秋波を送られている。フランスも、シリア問題ではアメリカに近いものの、エジプトに兵器を供給する等、アメリカへの依存度を下げる多角化戦略に協力している。中国すらも、シリアやイラクの内戦の終結を支える部隊の派遣を検討していると見られる。アメリカの後退は、中東の安定を齎すとは限らない。寧ろ、地域大国や域外大国の競合を齎し、中東の不安定化を当面は促進している。このような、複雑で流動的な中東政治の構造と構造変化の波が、日本ではどれだけ理解されているのだろうか? 安保法制の議論では、屡々安易に中東問題やイスラム主義のテロの問題が論じられた。安保法制の可決に依って、日本が中東で何をどれだけできるようになったかを検討することには意味があるが、法的にできるかどうかよりも、能力的にできない面が大きいことは、ここで特筆しておくべきだろう。装備も勿論だが、知的インフラにおいて中東やイスラム世界の変化を読み解き、政策に落とし込んでいく能力は、官民共に十分ではない。“複雑怪奇”な中東情勢に“生兵法”は危険であり、下手に手を出せば“怪我”程度では済まないだろう。


池内恵(いけうち・さとし) アラブ研究者・東京大学先端科学技術研究センター准教授。1973年、東京都生まれ。東京大学文学部思想文化学科イスラム学専修課程卒。同大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻修士課程修了。同大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程単位取得退学。著書に『イスラーム世界の論じ方』(中央公論新社)・『“アラブの春”とは何だったのか』(東京大学出版会)等。


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