「メキシコはもう一度、革命を必要としている」――ハビエル・シシリア(詩人・ジャーナリスト・作家)インタビュー

メキシコシティ生まれの詩人であるハビエル・シシリアさん(59)は2011年3月28日、息子(当時24)を犯罪組織に依って殺害された。それ以来、「息子は呼吸を奪われ、私は言葉を殺された」と詩作活動を停止。『正義と尊厳ある平和のための運動(MPJD)』を率い、活動家とジャーナリスト、両方の立場から国に蔓延る暴力の停止と正義の実現を訴えている。ハビエルさんが現在住んでいるモレーロス州クエルナバカ市(息子さんの遺体は隣町のテミスコで発見された)にある行きつけのカフェで話を聞いた。 (聞き手/フリージャーナリスト 工藤律子)

20160105 03

――息子さんは何故殺されたのですか?
「国家が分断され、混乱しているからです。以前、ここモレーロス州には(マルコス・アルトゥーロ)ベルトラン・レイバというマフィア (ベルトラン・レイバ・カルテル)の大ボスがいました。ところが彼は2009年12月、(海軍に)殺害されました。途端に州内の犯罪組織は分裂し、統制が取れなくなり、麻薬密輸に直接関与できない殺し屋グループで、誘拐・強請り・人身売買等で稼いでいた連中が力を振るい始めました。その日、息子の友人2人はバーにいました。1人は近所の、子供の頃から兄弟のように仲の良かった青年です。デザイナーだったのですが、飲んでいる間に、バーが管理する駐車場に駐めた車の中から仕事用パソコン等が盗まれました。連絡を受けた息子は彼らと共に、友人の叔父である元軍人に相談に行きました。それを知ったバーの主人は犯罪組織の一味だった為、焦ってそのことをボスに連絡し、『軍が来たら拙いから』と息子たちを殺すよう頼みました。するとボスは、『何で盗みなんかしたんだ!』と叱りつけた上で、30万ペソ(約240万円)とトラック2台を報酬に彼らを誘拐し、殺害したのです。犯人は既に全員逮捕されましたが、この事件の後、息子を含む犠牲者の為の十字架が置かれた町の広場(モレーロス州クエルナバカ市)で、MPJDは生まれました」

――この4年半の間、貴方は犯罪組織・軍・警察に依って殺害されたり、誘拐されたまま行方不明の人々の家族と共に、国家に暴力停止と平和と正義の実現を要求する為に、運動を展開してきました。
「カルデロン(大統領。2006年12月~2012年12月)のしかけた戦争は、(軍や連邦警察を使って)麻薬カルテルのトップを逮捕・殺害しましたが、それは真の犯罪の激化と更なる暴力を誘発しました。カルテルは麻薬を販売する企業です。彼らの商売は違法ですが、彼らにしてみれば、商売を邪魔され命を狙われたら当然自衛する。その為に独自の軍隊を作る。軍隊になるのは手下である犯罪グループで、盗みや強請り等をしていた連中です。麻薬戦争が進行するに連れて、彼らは次第に単なるカルテルの軍隊ではなく、凶悪な犯罪組織に変身していきました。つまり、違法薬物との戦いが本当の戦争になってしまったのです。軍がベルトラン・レイバを殺していなければ、私の息子は生きていると確信しています。ベルトラン・レイバは、一般市民の殺害等を許さなかった。彼の家業ではないからです。麻薬取り引きを担えない、冷酷で残忍且つ非人間的な犯罪者たちが、殺人を行っているのです」




――CNNのインタビューで、「メキシコはいつからこんなに残忍になったのか?」と聞かれた際、貴方は「常に残忍だった」と答えています。メキシコには、平和や正義が長く存在しなかったということでしょうか?
「平和な時もありました。“残忍”と表現したのは、1910年に起きたメキシコ革命の流血を思い浮かべてのことです。革命時は現在のような暴力が吹き荒れ、100万人もの死者が出ました。1936年頃までそんな状況が続き、その後の70年余りは、現在の与党“PRI(制度的革命党)”に依って相対的平和が維持されました。その間にも、1968年の学生大虐殺のような弾圧は屡々ありましたが、今、再び社会に根付いているような残忍さや残虐性はありませんでした。この国では、一旦暴力が起きると、それはとても残虐な形を取ります」

――日本人にとっては、新聞1面に生首の写真が出たり、テレビで首吊り死体の映像が流れたりする状況は信じ難いのですが、多くのメキシコ人がそれに慣れてしまっているように感じます。
「慣れない人間も大勢います。決して受け入れられない現実です。だから、この非人間性と残忍性に終止符を打つべく闘ってきました。しかし、これと同じことは革命当時も起きていました。ただ、当時は戦争だった訳ですが、今は組織犯罪と腐敗国家がその背景となっています」

――国家が、社会における残忍性を日常化させていると?
「そうです。メディアに残虐な写真や映像が出るのも、暴力を日常化させる為の手口です。国家がメディアを操っている。残忍なものを見せられれば、人は恐怖で顔を背けたくなる。しかし、それが度を超せば(恐怖を感じないように)『普通だ』と思い込もうとします。人が残忍性に慣れるということで言えば、私はもっと恐ろしい事実を知っています。表沙汰にはなっていませんが、ゲレロ州の一部では、(麻薬カルテルの1つである)“ロス・セタス”のメンバーの間で人食い行為が行われているのです。検察庁が調査できないよう、殺害相手を食べているのです。それは近年、行方不明者が増えている理由の1つでもあります。犯罪者たちは、自らの犯罪の犠牲者を焼き払ったり、ゴミ処理場に捨てたり、秘密墓地に理めたり、食べたりしている。そうした非人間化は、アメリカが嘗て(中南米の兵士を左翼ゲリラ対策の為に訓練した)“スクール・オブ・ジ・アメリカズ”と呼ばれた軍事学校で行っていたことです。ロス・セタスのメンバー(元メキシコ軍特殊部隊)はそこで訓練を受けた結果、非人間性を身に付けました。それでも、軍にいる間は国家に制御されていましたが、今はそれが表面化しています」

――2012年、貴方はMPJDを率いて、アメリカを横断するキャラバンを実施しました。その目的と成果を教えて下さい。
「私たちは、『麻薬戦争の責任の一端は明らかにアメリカにある』と考えています。アメリカは戦争をでっち上げる一方で、銃器の自由な販売と所持を許しています。“銃器”と“麻薬撲滅”という材料が揃えば、メキシコのような腐敗国家で戦争が起きるのは当然の結末です。メキシコはアメリカへの麻薬移動ルートな訳ですから。だから、私たちはアメリカ市民に、『(彼らにも)私たちの死者に対する責任がある』と伝えに行ったのです。そして銃器を規制し、虐殺の波を食い止めるように頼みました。麻薬の法的管理・統制も訴えました。麻薬問題は治安問題ではなく、医療保健問題です。ただ単に禁止するのではなく、管理・統制する法律を作ることが重要です。移民問題も話しました。麻薬戦争は移民も傷付けているからです。アメリカでは抑々、移民は歓迎されません。不法移民でメキシコ人なら、誰もが『麻薬密売に関わっている』として犯罪者扱いされます。この傾向は、黒人にも被害を及ぼします。アメリカでは貧しい黒人層は常に迫害され、市民権を奪われてきました。そこへ麻薬や銃の問題が絡んできたことで、黒人を犯罪者扱いする意識が強まっています。そうしたことを伝えに行った訳ですが、アメリカではその後、コロラド州・オレゴン州等、幾つかの州でマリファナ等の麻薬の合法化が進みました。また、ホワイトハウスでも銃規制法が議題に上っています。オバマ大統領はその先頭に立っていますが、こうした法案を支持するアメリカの団体の多くが、私たちのキャラバンに参加してくれました。メキシコ政府も、銃規制の問題を二国間協議のテーマとして取り上げるよう、アメリカに圧力をかけるべきです。ところが、ペニャ・ニエト(現大統領)はそうしない。それどころか、国内での麻薬の管理・統制すら議論しません。麻薬の合法化をタブー視することで、麻薬問題を治安問題化し、戦争を続けようとしているのです」

――メキシコ麻薬戦争の問題は、麻薬マフィアの問題というよりも、国家自体の問題だということですね?
「そうです。どこの国にもマフィアはいます。日本にも“ヤクザ”がいます。でもヤクザは、メキシコの麻薬カルテルがやっているようなことはしませんよね。国家が統制しているからです。2000万人の麻薬依存者がいるアメリカでも、麻薬カルテルがネットワークを張り巡らせているにも拘らず、戦争状態にはなっていません。一方のメキシコでは、政府が深刻な腐敗を抱え、ナルコ国家と化している。連邦政府・地方政府、あらゆるレベルで多くの人間が犯罪組織と繋がっています。だから、犯罪の不処罰が日常化している。犯罪が裁かれる国家なら、仮令麻薬カルテルが存在しても、その活動は一定範囲に限定されます。この国は、最低限の統治力と率直さすら持たない」

――その結果として、2006年から2014年までの行方不明者は4万人以上、殺害された人も15万人以上もいる訳ですね。しかも、犯罪の9割以上は裁かれない。
「そうです。しかも、実際の犠牲者数はもっと多い筈です。ゲレロ州イグアラ地域では昨年、行方不明になったアヨツィナパの師範学校の学生43人の捜索活動において、20の秘密墓地が発見されたといいます。全国にどれだけの遺体が埋められていると思いますか! いつか真面な調査が行われたならば、出てくる数字は恐ろしいものになるでしょう」

――それなのに、国民の大半は、犠牲者家族のように闘う覚悟を未だ持たないように見え ます。
「多くの人は居心地の良い場所にいて、一連の出来事を映画でも見るかのように捉えています。それだけでなく、メキシコ社会は長きに亘って“非政治化”されてきました。PRIが70年の年月をかけて、市民の権利意識を奪ってきたのです。その結果、国民の8割は市民としての考えを持たなくなりました。嘆かわしいことです」

――革命期のほうが、市民の政治意識が高かった?
「そうではありません。ただ、革命期には人々が飢えを原動力とし、自らの尊厳を取り戻す為に立ち上がりました。挙って“革命”という物語に参加した。リーダーも数多く出現し、互いに対立したり、殺し合ったりもしました。そうして生き残ったのが、今のPRIを創った人たちです。彼らは縦割りの政治構造を作り、上から下への支配に基づく奇妙な政党独裁を築きました。6年毎に独裁者(大統領)を置き換えるPRI独裁体制を確立した」

――貴方は、「PRIは政党でなく、政治文化だ」と言っていますね?
「マフィア的縦割り政治文化です。この国は、“自由主義国家”というものを未だに理解していません。政府は常に、スペイン王権のように振る舞う。PRIは、国家を自分の私有財産であるかのように統治してきました。それが2000年の野党勝利(『国民行動党』のビセンテ・フォックスが大統領に就任)に依って変わってから、現在のような混乱状態に陥ってしまった。“大統領”という名の大ボスが、マフィアも政治腐敗もコントロールしていた体制が、崩壊したのです」

――「市民も他政党も、PRIの政治文化に染まっている」とも話しています。
「人々は、『権力の座に就いた者は、盗む権利がある』と思っている。『権力は、盗みと不処罰が容認される場だ』ということが、どの政党においても当たり前となっているのです」

――国家のコントロールが利かなくなった地域では現在、人々が自警団を組織し、自ら武装して犯罪組織と戦っています。しかし、そこでも結果的には自警団が権力に取り込まれていますね。例えば、ミチョアカン州の自警団のように。
「ミチョアカンの問題は非常に複雑です。あの地域には、昔から小さな麻薬生産農家が沢山ありました。ベトナム戦争の際には、アメリカが兵士に与えるモルヒネやマリファナを必要としていた為、罌粟やマリファナの生産を容認し、麻薬密輸組織を通じて大量に輸入していました。ところが、1990年代に新自由主義が登場すると、問題が生じました。麻薬密輸組織と生産農家が深く結び付くようになったからです。新自由主義経済の拡大に伴って麻薬の需要が急増すると、生産農家はビジネスの為に広大な農地を手に入れ、大量生産を始めました。そうして、次第に麻薬組織へと成長していきました。そこへ、別の地域からロス・セタスがやって来ると、彼らは自衛の為に武装しました。そうして軈て、カルテル“ファミリア・ミチョアカーナ”や(その分派である)“カバジェロス・テンプラリオス”が生まれたのです。ロス・セタスに対抗する為にできた地域の自警団が、それと同じく凶悪な犯罪組織に変質した訳です。カバジェロス・テンプラリオスは軈て、州の7割を支配するようになります。すると今度は、その強引なやり方にうんざりした小さな麻薬生産農家が、新たな自警団を組織しました。政府は彼らを讃え励まし、カルテルをある程度追い出すことに成功したのを見届けると、直ぐに自分たちの側に取り込み、警察組織の一部としてしまいました。“暴力の独占”の論理です。自警団の司令部の中でこれに反対したのは、医師のホセ・マヌエル・ミレーレスだけでした」

――その後、ミレーレス医師は“武器の不法所持”という理由で逮捕されました。
「私は彼をよく知っており、正直な男ですから、無実だと思います。若い頃は、アメリカが買ってくれるので、生活の為にマリファナを売ったりしていましたが、医者になってからは真面目に働いてきました。連邦検察庁は『彼がカルテルと繋がっている』等と言っていますが、私は検事に『あなた方は犯罪をでっち上げている』と言ってやりました」

――「国家を再生する為には、下からの、国民の団結と政治的倫理に基づく、新たな政治協定を創ることが必要だ」と貴方は主張しています。
「メキシコはもう一度、革命を必要としている。犠牲者家族たちの運動・各地に生まれている自衛組織・(1994年に武装蜂起し、現在はチアパス州で自治を展開する先住民組織)“サパティスタ民族解放軍(EZLN)”・その他の市民団体・人権団体・教会関係者等、多くの人たちが同じことを感じています。政治システムは、時代と共に変化を要するものです。フランス革命以降の自由主義は既に機能しなくなり、私たちは今、その最終段階である新自由主義を生きています。経済的権力が政治を圧倒し、支配している。政治的なものは、決して経済的なものに仕えてはなりません。これを変えるには、国民が団結し主体となって、新たな政治協定・社会契約を創らなければ」

――ご自身の記事の中で、師範学校の学生43人の捜索を求めている人々に対して、43人に限定せずに、全ての行方不明者の問題を訴えるよう、呼び掛けていますね。
「彼らの運動を支えているのは、アヨツィナパの師範学校の教師や活動家等、ゲレロ州でのゲリラ活動の伝統を持つ左翼の人々です。この師範学校の出身者には、1960年代・1970年代にゲレロ州でゲリラ活動を率いたヘナロ・バスケスやルシオ・カバーニャスがいます。革命の伝統が、43人の捜索を求める運動を動かしている。その為、古い左翼イデオロギーに拘り過ぎて、周囲との協調や連帯の必要性を認めようとしないのです。MPJDも現在は、目的毎に幾つかのグループに分かれて活動しています。同じ行方不明者や殺害犠牲者の家族の間でも意見の相違があり、それが表面化してきたからです。しかし、何れ近い内に再結集していくつもりです」

――変革の為の団結への具体的な動きはありますか?
「(EZLNの理解者で、その和平対話に尽力した)故サムエル・ルイス司教の後継者であるラウル・ベラ司教(コアウィラ州サルティージョ)の提案で今年、“民衆に依る市民憲法”を作る運動が始まりました。そこにはMPJDのメンバーを始め、様々な市民が参加しています。また、民主的な左派政治家として知られるクアウテモク・カルデナスも、国の再構築を呼びかける運動を提起しています。皆が手を結び、新しい憲法を市民の手で創り上げ、国家再生の為に、正義・平和・経済・民主主義・安全という5つの点をカバーする政治プログラムを全員で作成することができれば、私たちは2018年(大統領選挙の年)、真の変革を達成することができるでしょう」

――ご自身が新政府を率いる気は?
「ありませんよ! 私はアナキストですから(笑)。だから、『(新国家ではなく)“政治・社会的協定”を作ろう』と言っているのです。私個人の理想は、サパティスタ運動が築いてきたような、小さな自治体が集まった連邦のような国です。メキシコは多様な地域が集まったモザイク国家ですから、これまでのように上から下への押し付けで統一するのではなく、其々が自分に相応しい形で統治する国にしたいのです」

――そう考えている人は多いのですか?
「いえ、私とサパティスタくらいかな?(笑)」


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