【異論のススメ】(10) 18歳選挙権と民主主義、“主権者教育”という前に

昨年は安保法制を巡って、国会の内外でも、またメディアにおいても、“民主主義”“憲法”“国民主権”といった言葉が飛び交った。今年は投票権年齢の引き下げがあり、憲法公布70年に当たり、また、場合に依っては次の参院選で憲法改正が論議される可能性もある。憲法や民主主義といった概念が再び焦点になるだろう。おまけに、“主権者教育”等と言われている。特に、「若者に政治意識や社会的関心を植え付けよう」という。私など、つい笑ってしまう。微笑ではなく苦笑である。「主権者を教育する」――。一体誰が? どのように? 総務省辺りが打ち出しているようだが、官庁の主導で“主権者”が教育されるというのも情けないものであろう。戦争が終わって、GHQの占領下で与えられた国民主権は、70年経っても未だにその自覚も定まらないようである。戦後、我々は民主主義や国民主権、それに憲法といった概念を既に目の前にある自明のものと思ってきた。“民主主義”と言えば、誰もわかったような気になってきた。しかし、民主主義も国民主権も憲法も、実は大変わかり難い概念である。主権者教育と言うなら、「抑々、民主主義とは何か? 主権とは何か?」といったことを先ずはじっくりと考えてみてはどうであろうか。

今から丁度100年前、1916年の雑誌『中央公論』の1月号に、吉野作造が『憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず』と題する論文を発表した。これは、日本の民主主義の思想的な記念塔とされ、斯くて吉野は大正デモクラシーの立役者と見做されることになる。この論文は、日本における立憲思想の養成を目的として国民を啓蒙しようとしたものであって、まさに当時の“主権者教育”の如きものであった。吉野は、“民主主義”とは言わずに“民本主義”と言う。それを差して屡々、当時の日本は天皇主権国家であった為に、民主主義という言葉を使用できず、止むを得ず吉野は民本主義と呼んだと言われる。そういう解釈はあり得るとは思うが、それではこの論文の大事な点を見落としてしまう。吉野は、「飽く迄も民主主義と民本主義は違う」と言うのである。「民主主義では国民が主権者である。しかし、民本主義はそこまでは言わない。大事なことは、『政治とは国民の利福と意向を目的にして行われる』という一点であって、この人民の為の政治を民本主義と言うのだ。主権がどこにあるかはそれほど重要ではなく、君主政であれ民主政であれ、主権者は人民の利益や福祉の為の政治を行わねばならない」と彼は言う。だから、日本のように天皇主権であっても、イギリスのように君主主権であっても、民本主義はあり得る。国民が主権者の政治ではなく、国民を本位とする政治なのである。




吉野は、「国民は本来、愚かなものである」という衆愚説は採らない。飽く迄も主体は国民にある。とは言え、国民は政策上の一々の論点を的確に吟味するほどの時間も材料も関心も持っていない。だとすると、どうすればよいのか? 国民は、政治家の人物・経歴・人望等を比較して、誰に任せればよいかを判断すればよい。必ずしも、個々の問題について自分の積極的見解を持つ必要はないということになろう。つまりは代議制である。現実の代議制にかなりの留保を付けつつも、彼は書いている。デモクラシーでは何れにせよ、「多数の意向が国家を支配するのであるけれども、之を精神的に見れば、少数の賢者が国を指導するのである」と。従って、「“少数の賢者”が国民の知や徳に対して指導的な影響を与え、その上で、その影響を受けた多数者が政治を動かすべきだ」と言うのである。“少数の賢者”等という言い方に反発する読者もいるであろう。ここには、言外に“多数の蒙昧の者”というニュアンスが隠されているように感ぜられるかもしれない。しかし、吉野の言っていることは寧ろ、至極当然のことであろう。今日、世界情勢に詳しい者もいるだろうし、経済に詳しい者もいる。教養を積んだ者もいるし、政治思想や哲学的思考に馴染んだ者もいる。こうした知的専門家をそのまま“少数の賢者”と呼ぶのは、私にも聊か抵抗があるが、しかしその中にも、物事を総合的に判断でき、公共心に富んだ者はいるだろう。この種の知者が“賢者”としての役割を果たして、世論を動かし、国民の多数はその見解を聞きつつ、政治を託するに足る者を選ぶ。こうした代議制は、必ずしも民主主義と呼ぶ必要はない。つまり、代表制に基づく議会主義の政治と国民主権の民主主義は、理念の上ではかなり異質なものなのである。我々は無条件に、「民主主義は国民主権だから素晴らしい」と思っている。そして、「国民の意思を示すのは“世論”であり、政治は“世論”に従うべきだ」と言う。「“国民の意思”が政治を動かすべきだ」と言う。しかし、抑々“国民の意思”等というものはどこにもない。“世論”も、多様な意見の集積を統計化しただけのことだ。つまり、“主権”という言葉は大変に危うい言葉である。そのことを、“主権者”である我々は決して忘れてはならない。


佐伯啓思(さえき・けいし) 1949年生まれ。京都大学名誉教授。保守の立場から様々な事象を論じる。著書に『反・幸福論』(新潮新書)等。


≡朝日新聞 2016年1月8日付掲載≡
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