【タモリが見た東京】(上) 青春編…東京都立大学→東京学芸大学

タモリさんが、自らの青春と輝かしい街の思い出を語る特別インタビュー。能町みね子さんとの抱腹絶倒の掛け合いで、下宿生活・ジャズ研・性の目覚め(!)まで明らかに。昭和40年、福岡からやって来た森田一義青年が見た東京は、どんな姿をしていたのだろう――?

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能町「今日は沢山、住宅地図を用意しまして…」
タモリ「おお」
能町「最初に、タモリさんが上京した頃の東京のお話が聞きたいなと思ったんです!」
タモリ「上京したのは、オリンピックが終わった次の年。1965年ですね」
能町「夜行ですか?」
タモリ「“あさかぜ”。寝台だけど、当時は座席だけの車両が1両だけあったの。寝台より安いからそれに乗って。受験の時は目黒の従兄妹のアパートに1ヵ月転がり込んでいたんですよ」
能町「へえ!」
タモリ「東京大学の医科学研究所の裏側のほう。アパートは今、小っちゃな低層マンションになってますね。入り口にあった石政っていう石屋は傍に未だあるみたいです。同じアパートに、姉を頼って信州から転がり込んできたアサイっていう受験生がいたんですけど、毎日そいつと一緒に銭湯に行って」
能町「それが初めての東京滞在。白金辺りから始まったんですね」
タモリ「従兄妹は女だったんですけども、血筋かな、無茶苦茶な中国語が上手くて。向かいのアパートに中国人の姉妹が居て、『私が無茶苦茶な中国語を言うから、隠れて様子見よう』って。大きな声で無茶苦茶喋ってスッと伏せたら、ガラッと開けて『ダレカヨンダカ?』」
能町「インチキ中国語を操る血筋(笑)」

タモリ「アサイは国立系統を受験していたんです。1ヵ月でアサイとも別れた訳ですが、何年か経って友達と早稲田大学の中を『実は、こういうアサイってヤツがいて…』って歩きながら話していたら、向こうからそのアサイが歩いてくる。『あれ? アサイだよね』『森田だろ?』『お前、早稲田? 志望は全然違ったよね』『そうなんだけど…』って。向こうも、俺のことを喋りながら歩いていたらしい」
能町「えーっ。運命みたい!」
タモリ「『運命的だね』って言って…それから全然会わないんだけどね(笑)。だから俺、運命はあんまり信じないんだよ」
能町「その後、全く会わないんですか!」
タモリ「連絡も何も。久しぶりに従兄妹と会ってアサイの話をしたら、『お姉さんには偶に連絡するよ』って言うから、『じゃあ、アサイの連絡先聞いてみて』って言ったら、後から『覚えているけど、あんまり会いたくないみたい』って」
能町「えー? いい思い出じゃないんですかね」
タモリ「悪いことした覚えないんだけどねえ。それから運命は信じないんですよ。赤い糸とか絶対嘘だよね。物凄く感激して会ったんだけど、結局、お互い全く連絡しないことってありますよね。何なんだろうね、あれ」
能町「同じ学内にいて、一度きりしか会わないというのも凄いですね。それで、受かって上京して白金に住む気は無かったんですか?」
タモリ「全然無かったですね。どこに下宿しようかとなった時に、都立大学(駅)に1人、高校の同級生がいて。静かに住む荘で“静住荘”という所なんですけども、そこに転がり込みました。そこが東横線の直ぐ横で、煩くてしょうがない、カンカンカンって。こっちは鉄道ファンだからいいけど、そいつはブーブー文句言って、『何が静住荘だ』って(笑)。この静住荘も未だあるんですよ」
能町「えーっ。見たいです。それにしてもいい名前。この1965年当時の地図にありますかね? 都立大の傍の静住荘…あっ! ありました! これ、嬉しいですね!」
タモリ「そうそう、ここ。この前、静住荘の入口を覗いたらオヤジが出てきて、『何だ君は!』って言われて。『すいません。昔、学生の時に住んでて懐かしかったんで…』と言ったら『それがどうした!』。で、『どうもすいませんでした』って」
能町「怒られちゃった(笑)」




タモリ「銭湯によく同級生と一緒に行っていました。その頃は全国的に冬が寒くて、銭湯の帰りに坂を上がってこの辺まで来ると、本当に寒い日はタオルが立つんです」
能町「えっ、凍るほど! (地図を見て)あ、これじゃないですか? “花川湯”」
タモリ「あっ、こっちだっけ? 俺、随分と場所を勘違いしていたな。この辺の呑川は当時から暗渠ですね」
能町「今のお家は、当時のお家と近いんですよね?」
タモリ「やっぱり結局は戻ってきちゃうんですよ。最初に住んだ都立大、学芸大に」
能町「何となく居心地がいいんですね」
タモリ「(地図を見て)こう下りて、線路伝いに行ったら都立大(の駅)。ここにストリップ劇場があった」
能町「へえ! 行ったりはしたんですか?」
タモリ「1回行きましたね。店は直ぐ潰れちゃったのかな。ストリップ専門の小屋で、間にコントがあって」
能町「やっぱり、当時はそうなんですね」
タモリ「駅の横に屋台があって。偶にそこのラーメンを食べるんですけども、店主の口癖があって。お客に愚痴るんですよ。最後に(モノマネして)『泣きが入っちゃうよね、ほんとに』って(笑)。語尾に必ず入る」
能町「静住荘の部屋は4畳半ですか?」
タモリ「6畳1間。小さなキッチンが付いてて。偶に友だちの兄貴が来るんだけど、その時は3人で寝て」
能町「ギュウギュウですね」
タモリ「友達が寝てて『何か腹空かないか?』って言った時に、兄貴が『寝りゃ忘れる』って言ったのを今でも覚えている。何でそんなこと忘れないかねえ。それと、ラーメン屋の『泣きが入っちゃうよね』しか覚えていないもんね(笑)、あの頃のことなんて」

能町「家賃は幾らか払っていたんですか?」
タモリ「半分かな? 払っていたと思いますね。当時1畳1000円だったんですよ。だから、大体6000円ぐらい。新しいところはちょっと高いけど、静住荘は古いですから」
能町「静住荘は当時から古いと思っていたんですか?」
タモリ「古いですね、木造モルタルで。それが未だにあるんだもんね。住んでいたのは2階の一番手前」
能町「そこで料理とかしたんですか?」
タモリ「しなかったですね。都立大のどの辺で食べてたかが全く記憶に無いんですけど、そのラーメン屋だけは覚えているんですよ」
能町「学校はちゃんと行っていたんですか?」
タモリ「一応は。クラブ(モダンジャズ研究会)に入っていましたから、クラブを朝からずっとやって。1年生の間は真面目にトランペットを練習していたんだけど、クビになっちゃって。2年生からはマネージャー」
能町「その間は別にアルバイトもせずに?」
タモリ「せずに。授業も真面目に受けていました。でも、マネージャーになると結構な給料が出るんですよ」
能町「じゃあ、朝からジャズ研で、授業を受けて、帰ってラーメン食べて」
タモリ「『泣きが入っちゃう』を聞いて帰る(笑)。夜のほうがクラブが長いんですよ。だから、帰りは遅くなっていましたね」

能町「駅は高架でしたか?」
タモリ「もう高架です。学芸大学は高架じゃなかったけど、ここだけは目黒通りがあるんで高架だった」
能町「ここから早稲田までは、どう通っていたんですか?」
タモリ「東横線を渋谷で降りて、暇な時は渋谷から“早大正門行き”っていうバスに乗るんです」
能町「ああ、今もありますね」
タモリ「東京って一律料金じゃないですか。だから、始発から乗ると凄い安いっていう感じがある。時間が無い時は電車(山手線)で」
能町「高田馬場ですね。都電はもう無かったですか?」
タモリ「ありました。縦横無尽 に走ってましたね。徐々に廃止されていくんです」
能町「そういえば、営団地下鉄東西線も丁度通った頃ですよね」
タモリ「そう。未だ(中野から)東陽町までで止まっていたんですよ」
能町「高田馬場~早稲田間はありましたよね。その頃は乗りました?」
タモリ「あんまり乗らなかったですね。バスで行ってて。俺が3年ぐらいの時に東西線が西船橋まで通じたんです。で、クラブの俺の先代のマネージャーの人が物凄いストリップの愛好家で。西船橋の大宝とか八幡アラジンとか、有名なストリップ劇場があの辺に3~4つ固まっていたんですよ。それで、西船橋開通を1人で喜んでいるんです(笑)」
能町「1本で行ける(笑)」
タモリ「『タモリ、直通で行けるんだぞ、西船橋まで。すげえな』。当の西船橋でも、そんなに喜んでる人は居ないんだけどなって」
能町「そんな需要が(笑)」

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タモリ「――で、学芸大学に同級生が2人住んでいたんです。仲良かったんで、その1人のところによく集まっていたんですよ。1人は早稲田、1人は慶應。慶應は日吉が近いからわかるんだけど、何でもう1人が早稲田なのにここにいたのかは不明で。この慶應の奴の下宿にずっと遊びに行っていたら、家主のおばさんが『あんたたちはよく会っているよね。うち建て増しするから、そんなに会いたいなら2人越してくればいいじゃない』って。それで、そこに越して3人で住んでいた。都立大は何ヵ月しかいなかった」
能町「そんな直ぐ」
タモリ「元々、2~3ヵ月ということで転がり込んでいるから」
能町「都立大の友だちは、3人組とは別だったんですね」
タモリ「そうですね。学芸大学は結局、2年いたのかな。(地図で見て)この辺りですね、目黒区中央町って言ったよね。尾西さん」
能町「“尾西様方”みたいな感 じですかね」
タモリ「俺は、住所は“尾西マンション”って書いていました」
能町「書いたもん勝ち(笑)」
タモリ「その時、ここでは“ケメちゃん”とか“ケメマロ”とか呼ばれていたんです。おばさんが、『ケメちゃん。アンタさ、“尾西マンション”って書いて出した? 郵便屋さんが来て、『尾西マンションってここですか?』って不審な顔して言うのよ』って(笑)」
能町「えっ? タモリさんの渾名がケメマロ? 何でですか(笑)」
タモリ「わかんない」
能町「初耳すぎますよ! そこの友だち2人にもそう呼ばれていたんですか?」
タモリ「いや、友だちはそれは使わなかったですね。尾西さんの一家だけ。って、おばさんと娘しか言わなかったですけどね」
能町「“ケメ子の歌”とか流行った頃ですか?」
タモリ「それはもっと後ですね。名前を聞かれて、俺が『森田キミマロです』とか言ったことがあって、それが段々“ケメちゃん”になったのかな? 恥ずかしいんで、今まで言ったことないね」
能町「尾西マンションのケメちゃん!」

タモリ「そこは、各部屋4畳半とか6畳ぐらい。元々、いた奴が1階、俺ともう1人が2階。それで、向かいの部屋が新婚だったんですよ。俺たちの頃は、今でいうAVもそういう本も無いから、性的な知識なんていうのは殆ど皆無に近い。そういう時に新婚がHをやるんだけど、声が聞こえてきても女の声とは全然思わない」
能町「(笑)」
タモリ「そこに“マロン”っていう猫がいて、2階の俺たちの部屋にも上がってくるんで、向かいの声が聞こえると3人で『マロンが来た』って思っていたんです。でも、廊下に向かって『マロン』って呼ぶと妙にピタッと止む。で、また『あ、来たろ。マロン!』。またピタッ。それから何ヵ月か経って、ある時、『マロンが下にいた』っていう奴が上がってきた時に例の声がして、『じゃあ、この声は何だ?』と」
能町「マロンは下にいるのに」
タモリ「『マロンじゃない!』ということになって。そしたら、もう次の日から皆どこにも出掛けず、1部屋に集まるんですよ(笑)」
能町「聞き耳を立てて」
タモリ「そう。『来たっ』と言ってドアを開けて3人で聞いている。でも、ドアの隙間に3人垂直に並ぶと、一番下の顔の丁度横に一番上の奴のナニが来て、段々と勃起してくるんですよ。それを掴む! そしたら、そいつが『あ~!』とか言ってのた打ち回って。声出すとバレるから」
能町「あ~しょうもない(笑)」
タモリ「その旦那と“千代の湯”っていう銭湯で偶に会うんです。ジーッと見て、『ああ、アレで…』」
能町「『アレが例の…』って」
タモリ「その人、凄くいい人でしたけど、それから直ぐ引っ越していったんで名前も忘れましたね。共稼ぎなんですけど、物凄いカカア天下。女のほうはあんな声出しながらも、朝は『ほら、靴をさぁ!』って旦那に言って、旦那が女房の靴を用意してて。そこで初めて、『女っていうのは凄いな。お母さんになると、こんなに態度が違うのか』と。色んなことを学びました」
能町「夜に聞いて、次の朝ですもんね」
タモリ「こういうものなんだと。で、結婚に対する微かな疑念も(笑)」

能町「あ、千代の湯。今の地図にありますね」
タモリ「未だにあります。それから、“龍”っていう食堂があったんです。沖縄の人がやっていた。この踏切のところ、今は高架になっていますけど、ここはお茶漬け屋。おにぎりや焼き鳥もやっているような。名前は忘れたなあ。横には“フレンド”という洋食の食堂があったんです。カツライスが110円だった」
能町「よく覚えていますね」
タモリ「大体、外食は龍かフレンド、後はお茶漬け屋。“竹の子”という、結構高いけど綺麗なおふくろと娘さんがやっているところもあって、仕送りが来たりしてちょっとカネがあると3人でそこに行く。お茶清け屋も同じように母親と娘がやっているんですけども、そっちの値段は安い。『やっぱり、美人だと高く取れるんだな』というのを初めて思ったんですよね(笑)」
能町「酷いですねえ(笑)。美人代なんですかね?」
タモリ「竹の子は、実際に結構高かったですね。だから半年に2回とか」
能町「結構なご褒美ですね。その頃は、ジャズ研のマネージャー業で懐は潤っていたんじゃないんですか?」
タモリ「もうちょい後から潤ってくるんです。マネージャーといっても、1年間の修行時代があるんですよ。その時は、ほんのお小遣い程度で」
能町「学芸大学時代、学生らしくていいですねえ」
タモリ「学芸大学は、建物は全部変わっていますけど、商店街の雰囲気は今も同じですね。高層も無いしゴチャゴチャしてる。京王線とか、新しい駅ビルやバスセンターがあって、大きなショッピングセンターがあるっていう駅は嫌いなんですよ。都立大学は急行も止まらないし、全部自由が丘に持っていかれている。泣きが入っちゃうよね(笑)」

能町「(笑)。自由が丘は行っていました?」
タモリ「好きでしたね。未だに大好き。小ぢんまりしてて店が多くて。慶應の奴が日吉なんで、よく帰りに自由が丘で待ち合わせたりしていましたね」
能町「自由が丘デパートは当然、当時からありますよね」
タモリ「変わっていないですよ。(当時の地図を見ながら)今でも街並みが細かい」
能町「当時も自由が丘で飲んだりしていたんですか?」
タモリ「していましたね」
能町「行きつけなんかは?」
タモリ「行きつけは、ここの自由が丘デパートだったと思うんですけれども、エビライスっていうのがあったんですよ。エビは入っていないんですけどね」
能町「えっ?」
タモリ「エビらしき味がするんですよ」
能町「怪しい…。具は入っているんですか?」
タモリ「玉ねぎみたいなのは入っているんです。色は一応、生の時の伊勢エビの色をしているんですけどね。ちょっと焦げ茶色で、妙に上手いんですよ。当時から洒落た店も沢山ありましたね。この辺に“ら・りるれろ”という店があったんですよ」
能町「あっ、あります。ここです、ら・りるれろ」
タモリ「おお、ここ! 懐かしいね。ちょっと洒落た喫茶店なんです」

能町「向かいの並びには“自由書房”なんてのがありますね」
タモリ「本屋は意外とあったんですよ。それでも1軒、古くからあった大きな古本屋が今、無くなっちゃった。(地図を見て)この辺かな?」
能町「森谷商店・古道具平安堂・宝湯…。あ、ダンキンドーナツなんかあったんですね、当時」
タモリ「古本屋は、この辺にあったんですよ。名前は忘れたけど、俺の勘違いかな?」
能町「ん、“文生堂書店”?」
タモリ「文生堂書店!」
能町「見つけ出しました! 文生堂書店。駅直ぐですね」
タモリ「俺、道の逆側だと思っていた。こっちだったんだ!」
能町「ここは行きつけ?」
タモリ「行きましたね。揃えがマニアックでしたね」
能町「学芸大学時代の3人とは、未だ親交があるんですか?」
タモリ「あります。年に2回ぐらいは会っていますね。アパートは今、2階建てのマンションになっていて、一昨年までおばさんが生きていらっしゃったんですが、その3人で1回行きましたかね。おばさんも亡くなるまでは頭が冴えてて、俺らが忘れていることも全部覚えているんですよ」
能町「そこに2年いた後はどうしたんですか?」
タモリ「其々、引っ越しちゃったんですよね、何かの関係で。早稲田の奴は都立家政に、慶應の奴は池ノ上か何かに。で、俺は早稲田の近所の後輩のところに居候生活」
能町「また居候生活! 当時の早稲田界隈の話も面白そうですね」


キャプチャ  2015年12月31日・2016年1月7日号掲載
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