【異論のススメ】(11) 拡散するナショナリズム、我々の“価値”は何か

ナショナリズムが世界各地で勢いを増している。70数年前にあの悲惨な経験をした我々が、ナショナリズムや愛国心という言葉を耳にするや、忽ち拒否反応を示すことはわからないではない。しかし、我々がそれを拒否しようが否定しようが、現実に世界中に拡散しているナショナリズムをどう処遇すればよいのかとなると、「ナショナリズムは危険だ」と唱えるだけでは何の解決にもならない。この数年、世界は急激にナショナリズムの引力に引き寄せられているという紛れもない現実がある。中東を見てみよう。過激派組織『ISIS』(別名:イスラム国)という極めて特異な武装組織が、嘗てのイスラム帝国の復権を訴えて世界中でテロを起こしている。粗無政府状態になったシリアやイラクに対して、アメリカのみならずロシアが介入している。ロシアとウクライナはクリミアを巡って対立し、ロシアはまたトルコとも緊張を高めている。『ヨーロッパ連合(EU)』は経済の不調と移民・難民の流入に動揺し、移民排斥や時には反イスラムの動きが表面化してくる。また、EUも崩壊しかねない。中国は、南沙諸島を中心に東南海への進出を目論んでいる。台湾では、久しぶりに独立派の民進党から総統が選ばれた。こうしたことを背景に、アメリカでは次期大統領選を前に、移民排斥を訴える共和党のトランプ旋風が収まらない。書き出せば限が無いほどに、世界中の彼方此方で国境を巡る混乱が生じ、それが各国の国内政治にも影響を与え、ナショナリズムの引き金を引く。どの国でも、人々は他国に対する強硬派の強力な指導者を待望しているのである。勿論、これらの混乱や紛争や軋轢を全て同じ平面で論じる訳にはいかないのだが、大きく言えば、自由・民主主義・市場競争等を軸にした戦後の既存の世界秩序の維持を目論む欧米に対して、この欧米中心の“国際社会”に異を唱え、既成の国境線への挑戦を企てるロシア・中国、それにイスラム過激派が対峙するという構図になるだろう。彼らは、「問題の発端は欧米の都合に依る世界秩序にある」と言う。そして、彼らの挑戦がまたブーメランのように欧米に跳ね返ってきて、そのナショナリズムを刺激している。

では、“我々”はどう考えればよいのだろうか。差し当たり、日本は移民・難民・イスラムとの摩擦・テロといった問題は深刻ではない。中国との確執も小康状態にある。韓国とも多少は関係が改善した。そして、表面上を見れば、世界中から観光客が押し寄せ、京都は世界で人気都市1位に選出された等といい、“おもてなし文化”は世界中の人から歓迎されている。爆買いにやって来た人たちも、気が付けば日本贔屓になって帰って行くそうだ。結構なことであろう。しかし、この結構さの背後には深刻な事態が横たわっているように思われる。先ず、この平穏はいつまで続くかわからない。世界中が混沌の最中にあって、日本だけが平穏であるとは考えられない。近隣諸国との間に横たわる問題も決して解決した訳ではなく、またテロが起こる可能性も排除できない。しかし、もっと大事なことがある。先に私は、「今日の世界の混乱は、大きく言えば、戦後世界を形成した欧米(特にアメリカ)中心の既成秩序に対するロシア・中国・イスラム等の挑戦である」と言った。ここで、国境線を巡って各国が“力の政治”を繰り広げている。だが、“力”が作用する国境線の背後には“価値の国境線”がある。価値を巡る対立でもあるのだ。戦後、欧米が世界秩序の原理とした自由・民主主義・市場経済・アメリカ中心の法観念等は最早上手く機能せず、それらの価値観が挑戦を受けているとも見えるのである。ロシアも中国もイスラムも、欧米の価値を認めない。彼らの国を支えている価値は欧米とは違うという。そこに彼らのナショナリズムがある。ナショナリズムとは、ある集団の人々を1つに纏め上げ、その結束を図る価値に他ならないからだ。




では、“我々”を纏める価値とは何であろうか。政府は言う。「戦後日本の繁栄を支えたものは、自由や民主主義や法の支配や市場経済や国際平和という価値であった。つまり、日本は戦後の欧米中心の世界秩序の受益者であった。だから、アメリカと共に、この既存の秩序を積極的に守らねばならない」と。“価値”とは、それに対する侵害者や破壊者に対しては身を賭しても守らねばならないものであろう。今日の欧米における反イスラムの風潮は、「自由や民主主義を攻撃するイスラム過激派から彼らの価値を断固として守る」という信条を伴ったものであり、そこに彼らのナショナリズムが生み出される。では、“我々”はどうなのであろうか。果たして、自由や民主やそれに平和主義にさえ、それだけの確信と覚悟を置くことができるのだろうか。そうではあるまい。どうやら“我々”は戦後、確かな価値を見失ってしまったように見える。とすれば、日本には、実は本当の意味でナショナリズムさえ成立しないことになろう。擁護する側も批判する側も、精々“ナショナリズムごっこ”をしているということだ。ナショナリズムの危険云々より前に、先ずは「“我々”が確信を持って守るべきものは何か」を改めて問うことから始める他ない。


佐伯啓思(さえき・けいし) 1949年生まれ。京都大学名誉教授。保守の立場から様々な事象を論じる。著書に『反・幸福論』(新潮新書)等。


≡朝日新聞 2016年2月5日付掲載≡


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