「私はイギリス国王の良き妻であれば満足」――チャールズ皇太子の妻となって10年、飾らない姿で慈善活動に努めるカミラをイギリス国民は“王妃”と認めるだろうか?

2005年にイギリス王室・チャールズ皇太子の妻となった後も、ダイアナ妃(故人)を苦しめた元愛人として厳しい目に晒されてきたコーンウォール公爵夫人のカミラ。明るく出しゃばらない人柄に好感を抱く国民も増えてきたが、チャールズが国王になった時に“王妃”になれるかはわからない。 (取材・文/フリージャーナリスト アンジェラ・レビン)

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何れイギリス国王となる男の妻が、ロンドン郊外の『性暴力被害者支援センター』に裏口からこっそり入っていく。「正面から入って写真を撮られたら、この施設の場所が公になりかねない。それは困る」と、コーンウォール公爵夫人のカミラ(10年前にチャールズ皇太子と結ばれるまではカミラ・パーカー・ボウルズ)は考えていた。裏口から入れば、待ち受けているであろう取材陣の姿も人目に付かず、建物の場所が部外者に知られることを防げる。自分に性的虐待を加えた者から身を隠すことは、施設内の女性たちにとって極めて重要なことだ。施設内での彼女は、職員や性暴力の被害者を紹介される度に身を屈めて握手をした。普通、王室のメンバーが一般人と握手する時よりも、ちょっと心の籠もった態度だ。地味なブルーグレーのスーツを纏い、襟に繊細な蜻蛉のブローチを着けたカミラは、一部の女性が着けている鼻ピアスにも腕のタトゥーにも動揺しなかった。彼女たちの多くが膝を曲げてお辞儀をしないのも、規則通りにカミラを“マダム”と呼ばないのも気にならないようだ。「有名人も王族も、性暴力の問題には距離を置きたがる。悲惨過ぎるからね」と言うのは、同センターの責任者であるイボンヌ・トレイナーだ。「でも、彼女は違う。誰とでも直ぐに打ち解けるし、怯むこともなく、妙に犠牲者を哀れんだりもしない。あの人は私たちと同じで、急にスポットライトを浴びてしまったけれど、普通の人。その証拠に、自分のお金も自分で持ち歩いている」。トレイナーだけではない。カミラに好感を抱くイギリス国民は増えてきた。何しろ、彼女は極自然に、支配層のエリートではなく普通の人として振る舞える。だから、ダイアナ妃との結婚当時からチャールズ皇太子と関係があったとされるカミラに対する国民感情も、劇的に変化しつつある。生前のダイアナは『BBC』のインタビュー(1995年11月放送)で、名前こそ挙げなかったものの、カミラの存在について「私たちの結婚には3人の人間がいた。だから、少し窮屈だった」と語っている。美しく、か弱そうで、しかも1997年の突然の事故死で悲劇のヒロインとなったプリンセスにそこまで言われた女性が名誉を回復するのは、大変なことだったに違いない。しかし、チャールズと結婚してから10年が経ち、カミラに対する世論の風向きもかなり変わった。但し、チャールズが王位を継いだ時、カミラを“王妃”と呼べる保証は無い。

王室に近い筋に依れば、チャールズは「自分が国王となる日に、カミラにも載冠させたい」と切に願っている。“愛人”として非難されてきた過去に区切りを付け、生涯の伴侶として国民に完全に受け入れてほしいのだ。チャールズは、「何れ国民も受け入れてくれる」と期待しているようだ。しかし彼は、自分の願いが叶わない可能性も承知している。2015年4月、2人の結婚10周年を前に発表された世論調査に依れば、カミラを“王妃”と呼ぶのに反対と答えた人は全体の35%に上った。国王の妻の呼称については正式な規定が無く、どのような呼称を用いるかを決めるのは議会ではなく国王だ。言い換えれば、妻を“カミラ王妃”とするかどうかを決める権限は、王となったチャールズのみが持つ。法的には、チャールズが即位すればカミラも自動的に王妃となるが、問題はそう単純ではない。2人の結婚に際して王室は、「チャールズが王位を継承した場合のカミラの称号を“王配殿下”とする」と正式に発表しているからだ。カミラに近い人たちに依れば、本人は呼称のことなど気にしていない。「彼女には『王妃になりたい』という野心は無い。ただ、夫を支えたいだけだ」とカミラの甥であるベン・エリオットは言う。彼女が王妃になれるかどうかは、ダイアナが残した2人の王子との関係を国民がどう見るかに左右されるだろう。ダイアナが他界した後、国民の間に深い悲しみよりも強い感情があったとすれば、それは1997年9月6日の葬儀の際、ウェストミンスター寺院に向かう母の棺に従って、涙を堪えて歩いていた当時15歳と12歳の王子を「守らなければ」という共通の思いだった。世界中が涙したあの時、カミラは賢明にも(他に選択肢は無かったのだが)できる限り人目に付かないようにしていた。だが、それから数ヵ月後、ダイアナの長男は、10代の少年にしては考えられないような“大人の判断”をして、その悲しみに対処することになった。母の死から1年と経っていない1998年6月のある日、ウィリアム王子は自室があるセントジェームズ宮殿へ予告無しに帰った。バッキンガム宮殿に近い同宮殿には、王族の中の高齢者や独身者が住んでいるが、その日はカミラがチャールズの部屋を訪れていた。この機を捉えて、チャールズはウィリアムに「カミラに会う気があるか?」と尋ねた。ウィリアムは同意した。チャールズはウィリアムの部屋にカミラを連れて行き、その場を去った。




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カミラとチャールズの最初の出会いは1971年(写真は1975年)。

カミラとウィリアムは30分ほど話をした。きっと緊迫し、息苦しい対話だったのだろう。当時の大衆紙に依れば、部屋を出たカミラは「1杯飲ませて」と呟いたとか。この会合をウィリアムは秘密にしたかったが、マスコミに漏れたので激怒したという。1度の対話だけでは、若い王子の傷は癒えなかった。その後、ウィリアムはカミラと何度か昼食やアフタヌーンティーを共にした。だが、人前でカミラと同席することは無く、初めて公の場に2人が出たのは2001年2月のことだった。それは、ロンドンで開催された『報道苦情委員会』の設立10周年祝賀パーティーで、準備は慎重に行われた。ウィリアムとチャールズは、カミラの10分前に到着した。カミラは息子のトム・パーカー・ボウルズと妹のアナベル・エリオットと共に登場した。カミラは会場の一方の側に、チャールズとウィリアムは反対側に着席。それでも大衆紙は、「これで彼らの関係が一歩前進した」と書き立てた。「チャールズ皇太子は、息子たちがカミラを受け入れ、世間がそれに気付くまではカミラと結婚できないことを覚悟していた。時には、その待ち時間が絶望的に長く感じられたようだ」と、ある関係者は本誌に語っている。弟のヘンリー王子にとっても、カミラとの“和解”は難しいことだった。2人とも、カミラの存在が最愛の母を苦しめたことを知っていた。そしてカミラは、その記憶が自分とチャールズの息子たちとの間の感情的な障害になることを知っていた。「彼女の偉いところは、決して彼らの母親代わりになろうとしなかったことだ」と関係者は言う。チャールズの人気はダイアナの死で急落したが、2002年頃には回復していた。国民の目に、チャールズが“良き父親”と映っていたからだ。ウィリアムとヘンリーの同意が得られるまで、チャールズは更に3年待った。結果、結婚式の前には2人が「私たちは父とカミラの幸せを祈っている」との声明を出している。現在、継母と継子の関係は温かいが、慎重なものに見える。王室に近い人が語る。「カミラは、以前よりウィリアムやヘンリーと上手くやっている。息子たちは、彼女のおかげで父親が幸せであることを喜んでいる。でも、彼らは特に親しい訳ではない。特に、ウィリアムとキャサリン妃がノーフォーク州の邸宅に引っ越してからは、カミラは2人にあまり会っていない。ウィリアムにとって、カミラは彼の子供たちの義理の祖母ではなく、単なる父の妻。『ジョージ王子とシャーロット王女には祖父が2人いるが、祖母は1人だけだ』とウィリアムは明言している」。カミラにとって幸いなことに、ジョージとシャーロットの曽祖母、つまりエリザベス女王は、息子の妻を完全に受け入れたようだ。暫く前、筆者はバッキンガム宮殿の厩舎であるロイヤルミューズで、動物愛護団体『ブルック』のイベントに参加したカミラを取材する機会があった。

このイベントには、“馬と話す男”として有名なアメリカ人のモンティ・ロバーツが登場した。カミラは同団体の後援者で、ロバーツと同様に“馬に優しい調教”の必要性を訴えている。そこへ意外な来客があった。公務の合間を縫って顔を出したエリザベス女王だ。カミラは義母の両方の頼にキスをし、お辞儀をして迎えた。ロバーツが馬の調教テクニックを披露する間、女王とカミラは楽しそうにお喋りをし、ロバーツにも沢山の質問をしていた。そんなカミラが“自分のお金を持ち歩く”普通の女性に見えるのは、自分の家族といる時だ。カミラと前夫であるアンドルー・パーカー・ボウルズ元准将の間には2人の子供がいる。息子のトムはフードライターで、テレビの司会者でもある。娘のローラ・ロペスは美術館の学芸員。2人とも既婚で、5~8歳の子供がいる。カミラはグロスターシャー州にあるチャールズの別荘で週末を過ごすことが多いが、自分も近隣のウィルトシャー州にあるパーカー・ボウルズ家の18世紀の邸宅を所有。そこでは孫たちも、気難しいチャールズに文句を言われずに邸内を走り回れる。パーカー・ボウルズ家も、カミラがいだ王室とは比較にならないが、立派な貴族階級だ。トムは父親同様、マックルズフィールドの伯爵の爵位継承者に連なっている。カミラ自身もエドワード7世の愛人だったアリス・ケッペルの曽孫に当たり、母方の一族から50万ポンドの遺産を受け継いでいる。1973年に行われた最初の結婚式は“社交界でその年一番の結婚式”と評され、後に義母となる女王も賓客として列席していた。そんな貴族の出でも、本人に会えばわかる。性暴力被害者支援センターのトレイナーが言うように、カミラは“私たちと同じ”だ。自然体で温かく、飾らず、しかも粘り強い(チャールズと最初に会ったのは1971年。晴れて結婚するまで34年も待った)。王室メンバーの妻の役目は、慈善イベント等に出席し、微笑み、花束を受け取り、握手することだ。しかし、カミラは自分が支援する団体を徹底的にリサーチし、「役立てる」と感じなければ関わらない。

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結婚前のダイアナ(右)と。翌1981年にダイアナは皇太子妃になった。

彼女は全力で頑張っている。大半の人が引退を考える年齢なのに、75もの団体の後押しをしたり、トップに立ったりしている。中でも、識字教育・家庭内暴力・動物愛護・病気の子供に関する活動に熱心だ。カミラは、「自分の役割の1つは、私たちの社会の暗い片隅に隠された暴力に光を当てることだ」と書いたことがある。社会の醜い部分に積極的に関わろうとする王室メンバーは、それほど多くない。「性暴力被害者の悲惨な話を聞いたら頭から離れないだろう」と私は聞いてみた。「ええ。彼女たちのことをよく考える。心の奥底から消えることは無い」とカミラ。「痛ましい話が多い。何とかして援助したい。被害者のことをずっと考えているからこそ、私はベストを尽くせる」。ダイアナが亡くなった1997年、カミラは初めて慈善団体の会長を引き受けた。『全英骨粗鬆症協会』だ。元側近に依ると、それは「少しずつ好印象を与えていけるよう慎重に検討されたもの」だった。カミラの母親も祖母も骨粗鬆症に苦しんだ。その為、王室の伝統的な役割であるチャリティー活動の手始めとして選ばれたのだ。ダイアナの死から長い年月が経っても、「チャールズとダイアナの幸せな結婚生活を破綻させたのはカミラだ」と非難する人はいる。しかし、今のカミラは、もう立派な公人だ。「公務を果たす姿が板に付いてきた」と、長年の知人で歴史家のロイ・ストロングは言う。「最初はピリピリしていたが、最近は余裕が感じられる」。ダイアナはチャリティーに精を出し、しかも皇太子妃だった。カミラは、そんな華やかな亡霊と張り合わなければならない。多くの人がHIV感染者やエイズ患者に触れることに抵抗があった時代に、ダイアナは彼らと素手で握手した。地雷禁止運動にも力を注ぎ、片脚を失ったアンゴラの少女を膝に抱えた。1995年のBBCのインタビューで語った「私は人々の心のクイーンになりたい」という言葉は、今も語り継がれている。

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2014年の『インビタクスゲーム』開会式に出席したチャールズ夫妻と2人の王子。

ダイアナはファッションアイコンでもあった。一方、カミラはカジュアルな服装やブーツで自然の中にいる時が最も快適そうだ。しかし、常に自分のファッションに注目が集まり、チャールズの為にもスタイリッシュに見えなければならないことを知っている。ここ数年は自分の装いに自信を持ち、自分のスタイルを確立したように見える。デザイナーのブルース・オールドフィールドのおかげだ。オールドフィールドはカミラについて、初めて本誌に口を開いた。「仮縫いでは体形の小さな悩みや、どのように見せたいか・見せたくないかをじっくり聞くことにしている。悩みは年齢にありがちなもの。40歳を過ぎて二の腕を見せたい女性はいない。好きな色はクリーム・薄いブルー・グリーン。昨年、本人があまり着たことのない薄いピンクを試したらチャールズが気に入ったとかで、私は点数を稼いだ」。冒頭の性暴力被害者支援センターを訪問した後、カミラはへルスケア製品メーカー『ネルソンズ』に向かった。レイプ被害者にスキンケア用品やエッセンシャルオイル等を詰めた化粧ポーチを渡す計画だ。「被害者は専門施設で検査を受ける。その後で、少しは気持ちが明るくなれば」という願いからポーチを贈る。会社の担当者は、製品をポーチに詰める作業現場にカミラを招いた。「やってみますか?」と問われたカミラは、ちょっと尻込みしたが、承諾した。しかし、ポーチの正しい場所に正しい製品を入れるのに苦労した。「満点は貰えない」とカミラは謝った。「練習が必要なことがわかったわ」。カミラは、“練習”がどんなものかを知っている。これまでもやってきたし、チャールズが国王になってからは、新たな公務の為に練習を続けるだろう。イギリス国民はカミラを受け入れ、ダイアナと同じように愛するだろうか。多分、同じようには無理だろう。カミラは“第2のダイアナ”にはなれないし、本人もそうなろうとは思っていない。それに、カミラは王妃であろうと“王配殿下”であろうと、その正義感や安定感、そして特権を持たない人々に対する温かさに依って、大切な存在として国民に好かれる日が来るかもしれない。嘗て、チャールズの最初の妻がそうだったように。


キャプチャ  2016年1月12日号掲載


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