スクープ独占公開! これがやしきたかじんの遺言書だ!――『殉愛』出版で大騒動、渦中の妻が初めて明かす続出トラブルの真相

たかじんは死の直前の4日前、遺言書を遺している。自らの死期を悟ったたかじんが、弁護士立ち会いの下、作成した“危急時遺言”である。その中には、たかじん自身が希望した財産分配の内訳がすべて記されていた。

手書きの文書は、今年1月3日に食道がんで亡くなったタレント・やしきたかじんの遺言書である。書かれたのは、2013年12月30日、亡くなる4日前のことであった。“危急時遺言”のため、遺言執行者のY弁護士に加え、証人として2人の弁護士が立会人となって作成された。筆跡はたかじんではなく、遺言執行者のY弁護士のものである。当時のたかじんは、会話はできるものの、身体を起こすことはできず、ベッドに横たわったままで、腕や指に力が入らず、文字を書くのは厳しい状況であった。そのため、Y弁護士の聞き取りによる遺言書の作成になったのであった。妻のさくらは相続を受ける立場にあるため、この場には立ち会っていない。

一部で伝えられているが、遺言書に記されている遺産分配の内訳は次の通りだ。

①3億円を『うめきた』の緑化事業に供するため大阪市に遺贈
②2億円を『たかじんメモリアル』設立などのため一般社団法人『OSAKAあかるクラブ』に遺贈
③1億円を母校の桃山学院高等学校に遺贈
④残りのすべては妻・家鋪さくらが相続

たかじんの遺産は、不動産・株などすべてを含めて約8億6000万円。そのうち6億円分が、前述の3ヵ所に遺贈される予定である。妻・さくらは、不動産・株などを含む残りの財産すべてを相続するというわけである。気になる娘のHさんへの遺産分配だが、第5条には、「子であるH(※書面では実名)には、遺言者の財産を相続させない。また、遺留分の権利主張をしないことを望む」と記されている。すなわちたかじん本人の意志で、Hさんへの財産分配は行われないことを意味しているのである。「Hさんとたかじんは一緒に暮らしてもおらず、たかじんの元妻だった母親・Aさんの死後はほとんど交流もなかった。たかじんががんで倒れて、東京の病院に入院した際も、Hさんはたかじんのお見舞いに一度も来なかった。たかじんが、死ぬまでのわずか2年という短い期間であったとはいえ、献身的に介護してくれたさくらさんに相続させてあげたいと思うのは当然でしょう」(芸能関係者)

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たかじんの遺言書。会話はできるものの、文字を書けるような状態ではなかったため、口述で作成された。筆記したのは、遺言執行者のY弁護士。遺言書には、計6億円を大阪市や桃山学院高等学校に遺贈し、東京やハワイの不動産や株を含めた残りの財産はすべて妻・さくらに相続させると書かれている。さらに、娘のHさんには相続させないうえ、遺留分の権利主張をしないことを望むとも書かれていたのだが……。






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遺言書は大阪家庭裁判所により検認手続きが行われた。今年2月25日に検認されたことがわかる。
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危急時遺言であったため、家裁での確認手続きを証明する文書。主治医により、意識状態は正常な判断ができる状態であったことが証明されている。

本誌は、この遺言書を作成中の、たかじんとY弁護士とのやりとりの録音を実際に聞くことができた。すでに肺炎で言葉が出にくく、かなりしわがれた声になっているが、それでもたかじんの声ははっきりと聞き取れる状態である。

たかじん「もう寿命もあんまり長ないから。意味がようわからんけど、もう2ヵ月くらい。この際に身辺の、周りのね、最低限しとかなあかんなと。法律である、分配率は絶対守らなあかんの?」
Y弁護士「いや、守らんでエエですよ」
たかじん「俺、娘にやりたくないんで、いいんですか?」
Y弁護士「いけますね」

その後、遺産分配に関し、金額と遺贈先について、たかじんの口からはっきりと語られている。「遺言作成時に医師が作成した診断書に、意識状態は正常な判断ができる状態であるとの診断が明記されています。何ら落ち度のない、正式な遺言書です」(遺産相続問題に詳しい小野智彦弁護士)。ところが現在、娘のHさんがこの遺言書は不当であると主張、その訴えが認められないとわかってからは、遺留分減殺請求を起こしている。請求が通れば、遺産総額の4分の1を受け取れることになる。「さくらさんとしては、たかじんの遺志を継いで、早急に遺言書に記された3団体に寄付してもらいたいんです。ただ、Hさんとの裁判が決着し、遺産配分が確定しないかぎりは、寄付は行われないわけで、3団体の関係者も困惑しています」(在阪テレビ局関係者)。たかじんが亡くなってもうすぐ1年。天国でこの事態をどう見守っているのだろうか。




■家鋪さくら独占手記――「“重婚疑惑”“直筆メモ捏造疑惑”、すべてに答えます」
最愛の夫・やしきたかじんを亡くしてまもなく1年が過ぎようとしています。彼が亡くなった直後から、私は数々の一方的な心無い記事に深く傷つけられてきました。入籍したのが亡くなる3ヵ月前だったことや、彼の遺したものがあまりにも大きかったからでしょう。プライバシーや名誉を侵害され、また事実とは異なることを報道され続けても、私は彼のために反論せず沈黙を守りました。そうした中で、百田尚樹さんと出会い、「やしきの生きた証を本にしたい」と言ってくださったことで、やしきの最後の姿を少しでも伝えることができたらと思い、書いていただくことになりました。執筆にあたっては、私自身の過去や経歴ではなく、やしきと2人で過ごした2年間と、彼自身の病気との闘いに焦点をあてて書いていただきました。ただその結果、この数年やしきに会ったこともなく、実際の状況をまったく知らない人や、友人や弟子と称する方たちが私の過去を取り上げ、本のすべてが虚偽であるかのように批判しました。そのことで著者の百田さんにご迷惑をおかけし、何より『やしきたかじん』が傷つけられているため、いまここで真実をお伝えさせていただきたいと思います。

2008年春、私はイタリア人男性とステイ先で知り合い、遠距離恋愛の末、その年の12月に日本で入籍。翌2009年春にイタリアに移住しました。でも、イタリアで暮らし初めてすぐに文化や考え方の違いからすれ違いが生じ、その年の7月、結婚式の準備を始めた頃から、彼との結婚生活を続けていくのは難しいと感じ始めていたのですが、それでも互いに努力を続けていきました。当時、私はイタリアでネイルサロンを開いていましたが、移住してすぐの頃、知人の紹介で知り合った日本人の方からブログを勧められ、バナーのデザインやタイトルまで作っていただいたため、自分のブログを始めました。実際には慣れない異国での生活に心身ともに疲弊する毎日でしたが、家族や友人を心配させないようあえて夫婦仲が良好であることを書いたり、また、ショッピングや食事など、楽しい内容のブログを書くことで、日常生活を忘れることもできました。2010年3月頃から、私はサロンとは別に、日本とヴェネチア・パリ・ミラノなどを行き来しており、夫とはほぼ別居状態でした。さすがに2人とも、このまま現在の生活を続けていくのは難しいと判断し、翌2011年5月から離婚に向けての話し合いを始めました。夫婦生活はほとんど破綻していたため、9月には一部の荷物をイタリアから日本に送り、正式な離婚手続きをするため、また妹の出産もあり、11月に日本に帰国しました。そして12月に夫が日本を訪れ、離婚合意書面にサインし、離婚の手続きに入りました。

やしきと出会ったのはその頃のことでした。会っていきなり、「昔、愛してた人に似ている」とプロポーズされました。私がやしきに、イタリア人の夫との離婚のことや、これまでの過去の出来事もすべて打ち明けたところ、やしきは親身になって話を聞いてくれ、弁護士などいろいろなサポートをすると言ってくれました。実は私には、イタリア人の夫と知り合う前にも離婚歴があり、けっしてやしきが言っていた“天使”のような純粋で清廉な女性ではなく、自分自身を女性として欠陥や傷があるようにとらえていました。そんな私を、やしきは一切見下したり、非難せず、「完璧な人間はおらん。おもろいやん! 傷ついた過去や背負ってるもんはお互いさまや。その分、人の弱さも苦しみも理解し合えるんちゃう。結婚は誤解、離婚は理解してするもんや。勉強になったな」と、笑ってくれました。まさに彼の言葉に救われた気がしました。それからは本に書かれている通り、すぐにやしきの病気が発覚したため、私は日本で彼を支えていく決意をし、イタリア行きを中止しました。まだイタリアで処理せずに残したままだった仕事上の案件もありましたが、最終的には向こうの知人にお願いし、すべて処理を終えました。突然の身辺の変化に戸惑う日々でしたが、彼を看病しながら進めた離婚手続きも、2012年3月1日にイタリア人の夫との離婚届が受理され、正式に離婚が成立しました。

やしきともいろいろありましたが、私のすべてを受け入れて必要としてくれた彼に、人生を捧げたいと思いました。番組では豪快で乱暴者のように見えたかもしれませんが、やしきをご存じの方はおわかりの通り、情に厚く、とても礼儀正しく気遣いのできる人でした。よく「ファンっていうのは、良いときも悪いときも、失敗したときもファン。変わらず愛すべきや! それができんのやったらファン止めてくれ言うてんねん」と言っていました。私の離婚歴や過去については「タレントでもないんやし、ぼくがギャグにするまでは一切言わんでええ。ぼくがお父さんの了解を得てから喋るから、心配せんでええ!」と言ってくれました。私たちの結婚報道が出た際は、ごくわずかな、彼が心から信頼する友人たちだけに伝えました。友人の方たちは皆、「じんちゃんが選んだ人やんか」と理解を示してくれ、温かい目で見守ってくださり、やしきもそれを聞いて「ほんまもんの友達や弟子はこうや!」と嬉しそうでした。その頃、やしきのお母様と親族が、私たちの結婚について週刊誌の取材を受けたという記事が出たので、病気や結婚について、やしきのご家族に伝えなくていいのか聞きましたが、「もう知っとるし、自分たちで週刊誌に喋っとる。ぼく、もう60超えてる大人やで。嫁さんくらい自分で決めれるわ」と言われました。

やしきがギャグにする前に天国へ逝ってしまいましたので、今回、本にするときに、百田さんにはやしきの遺志を尊重してほしいとお願いしました。百田さんはそれでもかなり迷われたようですが、納得してくださいました。そして「書きたいのはやしきたかじんさんの最後の2年間の物語で、さくらさんの結婚歴や離婚歴、その他の過去は書く必要がない」と言ってくださいました。しかし本が出版された後、ネット上に私の結婚歴が晒され、そのことで「重婚ではないか」と言われ、さらに憶測や嘘も含め事実とは異なることまで書き立てられました。その結果、あえて結婚歴と離婚歴を伏せてくださった百田さんに非難が集中したことに、たいへん申し訳なく思っています。本を読んでいただければわかるように、百田さんは、生前のやしきや私ともおつき合いのない第三者であるからこそ、膨大な時間をかけてこの“2年間”に関わった大勢の関係者の方々に何度もお会いして取材してくださいました。“死人に口なし”ではなく、やしきが託した思いや内容を知る関係者の証言、また遺されたやしきの音声も聞いていただいています。また、遺言書・戸籍謄本その他の法的書類などもご確認いただいています。百田さん自身のお仕事まで調整していただき、札幌にも東京にも京都にも足を運んでいただき、やしきが辿った道をご自身でご確認されました。取材不足だったとはとても思えません。本は一方的にある人物を陥れるためではなく、事実に基づいて書いておられます。

またネットでは、やしきの残したメモ(膨大なものがあります)が、私の偽造ではないかという心ない中傷も受けましたが、まったく違います。やしきは昔からスタッフの前でもメモを書いて残していましたし、近いスタッフの方たちは皆さん、やしきの字に間違いありませんと言ってくださっております。また実際に筆跡鑑定にも出し、真筆であるとの回答もいただいております。やしきのメモや手紙は私たちにとっては宝物で、公開するかどうかも悩みましたが披露しました。彼の遺志とはいえ、どこまで本に書いていいのかと迷い、そうした不安と葛藤の中で1冊の本にしていただいたのです。ネットで広められた噂や嘘を信じる方もたくさんいらっしゃると思います。私の過去は変えられません。離婚歴があるがゆえ、純愛ではないと言われます。相続を受けたら、無償の愛にならないと言われます。すべての人から理解を得られるとは思いませんが、あの本をきちんと読んでくださった方々には伝わると思います。現在は、本当にやしきを思うファンや、やしきをご存じではなかった方からも応援をいただき、有難い思いでいっぱいです。やしきを失った寂しさと喪失感、さらに心無い誹謗中傷に打ちのめされ、あとを追うことばかり考えていたにもかかわらず、いまも私が生きていられるのは、支えてくださる方々のおかげです。このことが、彼が私に残してくれた一番の“財産”だと日々感じています。まだこの先もいろいろなことがあると思いますが、彼を失ったこと以上の辛いことはないと思い、少しでも皆様に恩返しができるように、遺され託されたやしきの想いを胸に、これからも大切に生きてみたいと思います。


キャプチャ  2014年12月26日号掲載


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