【東京五輪は救えるか】(上) 1964年大会の教訓を今こそ――茶番のような騒動続きの2020年大会、忘れられた1964年大会の“負の遺産”に学ぶこととは?

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ザハ・ハディドのデザインした未来的な新国立競技場の完成予想図を背に、安倍晋三首相が『国際オリンピック委員会(IOC)』総会で2020年東京オリンピックの成功を“確約”したのは3年前の9月。その後の投票で東京は、2度目の夏季オリンピックの開催権を勝ち取った。しかし今、開催準備はお世辞にも順調とは言えない。ザハ・ハディドのデザインは、予算超過を理由に白紙撤回された。先頃、やっと新たな設計案が決まったものの、限られた予算と工期を守れるかどうかはわからない。大会の公式エンブレムも、盗作疑惑で白紙撤回となった。事業担当者は能力不足で、責任を盥回しにする官僚主義の弊害が噴出しており、このままだと予算超過は必至で“負の遺産”が残るのみとの批判もある。実際、2004年のアテネ大会も2008年の北京大会も2012年のロンドン大会も、結果的には当初予算を遥かに上回った。2016年のリオデジャネイロも同じ運命を辿るだろう。そして、恐らく2020年の東京も…と思うかもしれない。しかし、悲観することはない。東京には、半世紀前に巨額の税金を投じてオリンピックを“大成功”させた経験があり、その時の教訓から学べることがある。期待を上回る成功だったにも拘らず、1964年10月に開催された東京大会もまた、準備段階で数々のドタバタ劇が起こり、数々の負の遺産を残した。それは、忘れることも繰り返すことも許されない。

1964年東京大会は、太平洋戦争末期の度重なる空襲で焼け野原となった日本の首都を、近代都市に生まれ変わらせる絶好の機会だった。終戦から19年、当時の東京都民は騒音と埃に包まれ、息が詰まるほど汚れた大気の下で暮らしていたが、都市の景観は史上稀に見る急ピッチで変貌を遂げつつあった。終戦からの10年で東京の人口は2倍に増え、900万人を超えていた。1960年代前半には無数の木造住宅が取り壊され、コンクリートの無味乾燥な団地が次々と建てられた。地方からの大規模な人口流入に対応する為だ。川も海も、生活排水と工業排水に依るヘドロで汚れていた。未だ水洗式トイレは贅沢品で、その恩恵に与っていたのは東京都民の僅か4分の1。残りの家庭では汲み取り式トイレを使用しており、バキュームカーがあらゆる場所を走り回っていた。蛇口を捻っても湯は出ない。道路は狭く、近代的なホテルは数えるほどしかなく、英語を話す人は殆どいなかったので、外国人の子弟が英会話教室の講師に駆り出されることもあった。1964年大会にはデトロイト、ブリュッセル、ウィーンも立候補していた。何れも東京よりずっと近代的な都市だった。それでも東京が選ばれたのは何故か。偏に、「アメリカの同盟国である日本の首都を“アジアの顔”に相応しい大都会にしたい」という熱意と決意の賜物だ(オリンピックの歴史に詳しいアンドルー・ジェニングスに依れば、高級コールガールに依る接待攻勢も効いたとか)。因みに、2020年大会の開催地選びにおいて東京のライバルはトルコのイスタンブールとスペインのマドリードだった。前者は治安に、後者は財政に不安があった。誰が見ても、東京のほうが無難な選択肢だった。しかも、東京が提示した予算規模は約60億ドル。500億ドルを超えたとされる2014年のソチ冬季大会に比べれば細やかなものだ。メインスタジアムの建て替えを除けば、残りの費用は専ら老朽化したインフラの更新に充てればいい。都市そのものを造り直した1964年の時とは違う。当時の計画には、オフィスビルや集合住宅等1万棟の建設、自動車道路と高架式高速道路22本の整備、羽田空港と都心部を結ぶモノレールの新設に加え、延長40kmの新しい地下鉄路線と、東京-大阪間を3時間10分で結ぶ新幹線の建設が含まれていた。東京だけではない。日本政府は“所得倍増”を掲げ、「製造業と輸出の振興で、1961年からの10年間で国民総生産(GNP)を2倍にしよう」と躍起になっていた。結果、東京は昼夜を問わず工事が続く巨大な建設現場と化した。海外から来る観光客の為に、5ツ星ホテルが次々と建てられた。選手ら6000人が滞在する選手村、水泳やバスケットボール等の会場となる国立代々木競技場(設計は著名建築家の丹下健三)、主会場となる国立霞ヶ丘陸上競技場、オリンピック初の柔道競技が行われる日本武道館等も続々と完成した。汲み取り式に代わる水洗トイレを普及させる為、新しい下水道の敷設も進められた。




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あれから半世紀、オリンピック開催が国家プロジェクトであることは今も変わらない。2020年東京大会は、景気浮揚を目指すアベノミクスの重要な構成要素だ。しかし、初動段階でミスが目立つのは事実で、本当に予定通り開催できるかを疑問視する声も出ている。大会の公式エンブレムが盗作疑惑で没になったくらいなら笑い話で済ませられるが、国際コンペで選んだ新国立競技場のデザインを自紙撤回したのは異常事態。想定される建設費は、当初の1300億円から2520億円にまで膨れ上がった。新たに選ばれた設計案の総工費は約1500億円とされるが、それでも2012年ロンドン大会の主会場建設費の約2倍。更に、ザハ・ハディドは「デザインの一部が私の案に酷似している」として、対応に依っては法的措置も辞さない姿勢を見せている。勿論、半世紀前の東京大会でも万事が順調だった訳ではない。開幕日が近付くにつれて、「これでは間に合わない」と懸念する声は高まっていた。開催前年の1963年1月になっても、高速道路の建設は完了していなかった。オリンピック担当大臣だった川島正次郎は記者会見で、大会準備が全ての面で「遺憾ながら」遅れていることを認めざるを得なかった。オリンピック組織委員会の会長と事務総長は途中で辞任し、後任の会長が決まったのは開会式の約600日前。失敗して面目を失うリスクを考えると、いくら名誉ある役職でも進んで引き受けようとする人はいなかったらしい。何しろ、問題は山積していた。外国から観戦に訪れる人は3万人前後と推定されていたが、未だ国際級ホテルの客室数はその半分程度だった。水不足も深刻だった。当時の東京は度々渇水に襲われていたが、あの年の夏は特に酷く、東京都は給水制限を実施していた。勿論、都民は節水に努めた。蕎麦屋は営業時間を短縮し、ナイトクラブのホステスは「東京を救う為、ウイスキーは水で割らずにストレートで」と客に勧めた。川の流れを変え、深い井戸を掘ったりもした。神社では神官が雨乞いの儀式を執り行い、科学者たちは人工的に雨を降らせる技術に磨きをかけた。

その間にも開会式の日は近付いてくる。建設工事の現場は不眠不休のフル回転。夜中にも強い照明が付いていたから、周辺の住民は窓を黒い布で覆わないと眠れなかった。杭打ちやブルドーザーの騒音も酷く、耳栓をして布団に入る人も多かった。それでも開幕まで1ヵ月程になると、工事現場の騒音は徐々に減ってきた。首都高速道路の開通区間も増え、新しい東京が姿を現し始めていた。当時の日本人にとって大きな意味を持っていたのは、現在の代々木公園にできた選手村だ。そこは嘗て帝国陸軍の兵舎と練兵場だったが、戦後はアメリカ軍に接収され、駐留する家族持ちのアメリカ兵の宿舎として使われていた。その土地が、オリンピック開催の為に日本へ返還されたのだ。これは、当時の左翼陣営からも右翼陣営からも歓迎された。イデオロギーは正反対でも、アメリカ軍撤退は左右両派の望むところだったからだ。そして10月1日には、オリンピックと直接的な関係は無いものの、日本の威信が懸かっていた東海道新幹線が開業した。時速200kmを超える最高速度は、当時としては世界一だった。しかも、運行は秒単位で正確で、新幹線の発着で時計を合わせる人もいたくらいだ。外国からの選手や観客を迎える羽田空港もピカピカに改装され、未来都市のようなモノレールが空港と都心を結ぶことになった。但し、全てが完成した訳ではない。当初計画の高速道路8本のうち、完成したのは2本のみ(他に2本が部分的に開通していた)。ホテルの客室や公衆トイレも足りなかった。止むを得ず東京湾に多数の客船を停泊させ、“浮かぶホテル”として使うことになった。仮設の公衆トイレを設置する作業もギリギリまで続いた。マナー教育も急務だった。地下鉄の構内には“立小便禁止”とか“寝巻きや腹巻き姿で羽田空港に行くのはやめましょう”等という掲示が貼られていた。若い女性向けだろうか、“外国人男性が親切でも、愛情の表現と勘違いしてはいけません”という意味の掲示まであった。笑い話ではない。現場の人たちは危ない綱渡りを強いられていた。しかし、どうにか無事に渡り切った。

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1964年東京大会は10月10日に開幕した。好天となる確率の高い日を選んだだけに、当日は抜けるような青空だった。聖火リレーの最終走者には、原爆投下の日に広島で生まれたアスリートの坂井義則が起用された。そして天皇陛下だ。参加93ヵ国の選手団の入場を、天皇陛下は直立不動の姿勢で見守った。取材していた『シカゴトリビューン』のサム・ジェームソン記者が言っている。「みんな座っているのに、天皇陛下だけが立っていた。あんな光景は初めて見た。日本が国際社会に復帰するのを許してくれた世界に、天皇陛下は感謝しているのだなと、私は心の中でつぶやいた」。閉会式では、当時のIOC委員長でアメリカ人のアベリー・ブランデージが、「近代オリンピック史上、最も素晴らしい大会だった」と評している。当時の日本人が、それを大いなる誇りとしたのは当然だった。終戦から僅か19年程で日本は平和的な民主主義国家に生まれ変わり、世界に冠たる経済大国への道を歩んでいた。そのことが、オリンピックの成功で証明されたのだった。とりわけ、東京都民には誇らしかった。戦争に依る荒廃を引きずる前近代的な町から、最先端の輝きを放つメトロポリスに生まれ変われたのだ。勿論、負の遺産もあった。当時は誰もが目を瞑っていたが、予算は大幅に超過していた。それでも、全ては日本経済の高度成長を実現する為の布石として正当化された。いい例が東海道新幹線だ。言うまでもないが、本来なら東海道新幹線とオリンピックには何の関係も無い。東京大会の競技を関西圏で実施する予定は無かった。しかし、当時の日本は、『トヨタ自動車』の仕切る名古屋経済圏と『松下電器』(現在の『パナソニック』)を中核とする大阪経済圏を首都圏経済と統合するために、東京-名古屋-大阪を結ぶ高速交通網を必要としていた。そして、オリンピック取材に訪れる世界中のメディアに、この素晴らしい交通インフラを披露することは、関係者にとって至上命題だった。

だが、工期が短く、且つ遅れは許されないとなれば、当然ながらコストは上がる(今回の新国立競技場問題でも、人件費や資材費の高騰が見積額を押し上げた)。東海道新幹線の建設費と用地取得費は、予定の2倍近い10億ドルまで膨れ上がった。この予算超過と積もり積もった債務は、後に国鉄が経営破綻し、民営化される原因の1つとなった。新幹線の建設費膨張で割を食ったプロジェクトもある。例えばモノレールだ。本来は羽田空港と都心を結ぶ筈だったのに、東京駅の3つ手前の浜松町で止まってしまった。運行会社の『東京モノレール』は新橋までの路線で認可を受けていたが、土地を取得する資金が足りずに断念した。資金不足は高速道路にも影響を及ぼした。土地を買収する資金も時間も足りないので、代わりに国有地である川や水路の上に高速道路を走らせた。結果、多くの場所で歴史的な景観が失われた。最も醜悪なケースは日本橋だろう。日本橋は昔から東海道の起点であり、大きな市場もあった。そんな東京のシンボルとも言える場所を、高速道路で塞いでしまったのだ。嘗ての東京は水路の町だったが、その面影は永遠に失われてしまった。コンクリートで蓋をし、埋められた川もある。水運に従事していた人たちは職を奪われた。水は淀んで魚が死に、有害なヘドロが堆積した。汚染され悪臭を放つ河口は、建設廃材や瓦礫で埋まった。神田川や隅田川のような主要河川に生物が戻ってくるまでには、その後、長い年月が必要だった。建設ラッシュに乗じ、戦後復興期の建設業界では当たり前だった談合やカルテルも復活した。暴力団は建設現場の作業員手配から宿泊施設の運営、工事現場の仕切りまでのビジネスチャンスに飛び付き、売春や賭博等といった裏の娯楽を牛耳っていた。腐敗した政治家や裏社会の大物が予算を横取りして懐に入れるせいで、資金不足の現場では手抜き工事が増えた。

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2020年東京大会の開幕まで、あと4年と6ヵ月。幹線道路や高層ホテル等の関連工事は既に始まっている。だが、歴史に学ばない限り、半世紀前の無駄と破壊を繰り返すことになるだろう。例えば、JR千駄ヶ谷駅に程近い都営霞ヶ丘アパートの住人(その大半は高齢者だ)は、新国立競技場建設の為に転居を迫られている。中には、1964年東京大会の競技場建設で立ち退きを求められてここへ越してきた人たちもいるのだから、皮肉な話だ。予算の心配もある。IOCに提出した当初予算は約60億ドルだったが、パラリンピックも含めた総予算は現時点で160億ドルを超えるとも見られている。資材費・人件費も今後、益々増える筈だ。このまま予算が天井知らずに膨らめば、GDPの230%という膨大な公的債務を抱える日本にとって、今度のオリンピックは背負い切れない重荷となりかねない。7月下旬からという開催時期にも難がある。日本がIOCに提出した計画書では、東京の夏は「晴れる日が多く温暖」で「アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候」とされている。ご冗談を。真夏は昼間の気温が30℃台半ばに達し、湿度は80%を超える日もある。抑々、半世紀前の東京五輪を秋の10月に開催し、1968年のメキシコ大会もこれに倣ったのは高温多湿の夏場を避ける為だった。猛暑の中での競技スポーツはアスリート、とりわけマラソン選手にとって命に関わる危険を孕む。実際、死者も出ている。1981年に第1回が開催されて以来、ロンドンマラソンでは11人が死亡。アメリカでも、2000~2009年の10年間に42人のマラソン走者が心不全で亡くなっている。死者の出たマラソン大会の殆どは、30℃を超える暑さの中で行われていた。それでも、IOCに高額な放映権料を払うテレビ界の要求は無視できない。アメリカのテレビ局にとって、オリンピックの人気競技がメジャーリーグのプレーオフやNFLの試合中継とかち合っては困るのだ。一方、今の東京は国際都市としての成熟が遅れている。公的資格を持つ観光ガイドや有能な通訳は不足し、海外のクレジットカードを使えるATMも少なく、しつこい客引きは多くて、無料のWi-Fiスポットは足りない。

勿論、東京に期待できる点も多々ある。電車やバスの運行は時計のように正確で、スカイラインは思わず息を呑む美しさ。東京タワーや浅草寺ほど知られてはいないが、東京湾のレインボーブリッジから望む大都会の夜景は世界屈指だ。世界各国の料理が楽しめる東京は、比類無き食の都でもある(但し、イスラム教徒の為のハラール認証を受けた店は未だ少ない)。町は清潔で、大都市にしては非常に安全。一般論として、ニューヨーカーやパリジャンより東京っ子は親切で、道に迷った外国人には誰かが手を差し伸べる。タクシーや電車で失くした財布や携帯電話が、魔法のようにホテルへ届くこともある。もう後戻りはできない。数々の問題は、日本人ならではの創意工夫と粘り強さで乗り越えてほしい。そうすれば、今度の東京大会も半世紀前と同様に「史上最高」と呼んでもらえる。 (ノンフィクション作家 ロバート・ホワイティング/ハーバード大学ケネディスクールシニアアドバイザー デイヴィッド・ロバーツ)

※ホワイティングは現代日本文化に精通し、著書に『菊とバット』(早川書房)等がある。ロバーツは元自然科学者・外交官で、東京電力福島第1原子力発電所事故対応の時期に駐日アメリカ大使の科学顧問を務めた。2人は、著名なニュースキャスターでエミー賞受賞者のダン・ラザーと共に、1964年東京大会を転機に大変化を遂げた都市・東京を追ったドキュメンタリーを制作している。


キャプチャ  2016年2月2日号掲載
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テーマ : 東京五輪
ジャンル : 政治・経済

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