【東京五輪は救えるか】(中) ドタバタ茶番劇と化す五輪騒動の本質――新国立競技場の問題は責任者不在の象徴だ、病んだ体制を一新して出直すしか道はない

メインスタジアムの建設費や公式エンブレム用のデザイン等、昨年は2020年東京オリンピック・パラリンピックを巡り様々な問題が噴出した。その余波は今も続いている。約2年半前にオリンピック招致を率いた前東京都知事で作家の猪瀬直樹氏が、騒動の背景や課題、そして今後目指すべき方向性を語った。 (取材・構成/安藤智彦)

20160213 15
一連の騒動の原因ははっきりしている。明確な責任体系や意思決定プロセスの欠如が招いた事態と言っていいだろう。国の総力を見誤り、無謀過ぎる太平洋戦争へ突入した戦前から、この国の根幹は変わっていない。縦割り社会や責任者不在社会といった日本の弊害を見事に露呈した。責任者不在の象徴は新国立競技場もんだいであり、この先も爆弾を抱えたまま進行する。新国立競技場のこれまでの経過を振り返ると、決めるべきことを決めずにズルズル時間だけが過ぎていった。2012年の国際コンペで「ザハ・ハディドのプランを採用する」と決めたのだから、そこはブレずに現実的な落としどころを探るべきだった。ところが、『日建設計』『大成建設』『竹中工務店』というゼネコンが加わってザハ案を具体化していく過程で、当初の見積もりの1300億円を大きく超える2000億・3000億といった金額が試算されるようになった。ザハ案を修正したつもりでも、大してその額は減らなかった。論理的な説明の無いまま高止まりする建設費。昨年7月に安倍晋三首相が「計画を白紙に戻す」と宣言するまで、事態は動かなかった。ただ、この段になってザハを切るというのは、決して最善策ではなかった。建設に向けて積み上げてきた2年間の準備が無になるし、何より日本の国際的信用が損なわれてしまう。『国際オリンピック委員会(IOC)』は不快感を隠さなかった。ザハ側は、予算に応じた設計の見直しには柔軟に応じる姿勢だった。問題は発注側の姿勢だ。予算が足りないなら、修正の余地はいくらでもあった。そのイニシアティブを『日本スポーツ振興センター(JSC)』が積極的に取るべきだった。しかし、“トップへビー”と指摘されたようにJSCに決断能力が無く、オリンピック組織委員会の森喜朗会長に気兼ねして身動きが取れなかった。白紙撤回騒動の後、JSCの河野一郎理事長と、主管官庁のトップだった文部科学省の下村博文大臣が現場を去ったが、責任を取ったとは言い難い。河野氏に至っては、オリンピック組織委員会副会長の職に残ったままだ。本気で出直すなら、森会長も含めて体制を一新すべきだった。

安倍首相が先頭に立ってもよかった。官主導の無責任体制を露呈してしまった以上、継続的に首相が自ら指導力を発揮すべきだったのではないか。だが、現実には白紙撤回以来、首相も官邸もオリンピック問題で存在感が無い。新国立競技場の総工費を1000億円削って満足してしまったのだろうか。その後の出直しコンペでは、日本のゼネコンと組む必要があるなど要項に縛りがある為、プランは2案しか出なかった。その後、建築家名を伏せた状態でA案・B案として一般公開されたが、公開直前に森会長がB案を推す趣旨の発言をして物議を醸した。僅差でA案が選出されたものの、「コンペがA案ありきだったのではないか?」と訝る声まで出た。A案に名を連ねる大成建設は、ザハ案でスタンド部分を担当していた。見た目のデザインが多少変わっても、スタンド部分は資材の手当てができている等といった工期短縮が可能だから、物理的にもA案は外せないのではないかという訳だ。A案には隈研吾、B案には伊東豊雄と、世界的にも著名な建築家を立てておきながら、流石にそれは無いと思いたい。だが、不透明さが残るばかりに外部からはそう見えてしまう。更にここにきて、ザハ側から訴訟を臭わせる声明が飛び出した。「(隈研吾案が)私たちの当初案と酷似しており、著作権の侵害に当たる」という内容だ。JSCはザハ側に、報酬を全額支払う代わりに、デザイン案の著作権譲渡を求めていたという。ザハ側が特に類似を指摘しているのは、座席の配置等といった競技場のレイアウト部分だ。これは、大成建設が担当するスタンド部分の主要部。A案ありきで計画が進められた可能性を示唆する状況証拠が、また出てきたことになる。この期に及んでザハ側との交渉が決着していないとは、JSC以外の関係者は寝耳に水だったのではないか。上辺だけ取り繕って話を進めるとは…。体制を一新していれば、こうした問題の炙り出しや検証もできた筈だ。2019年末に完成というスケジュールを守りつつ、本当に1487億円という予算に収められるのか。これまでのゴタゴタを見る限り、達成に大きな疑問を抱いてしまう。ザハ側との交渉も時間的猶予の無い中では、これまで支払った報酬の10倍以上である数百億円単位の“示談金”を払うしかないのではないか。そうであれば、何の為に建設予算を削ったのかわからない。こうした事態を招いた背景としては、東京オリンピックをどう表現するか、そこに対する思想が無いのも大きい。基本思想を元に広げていくのではなく、オリンピックという器に何をどう盛り付けるかばかり考えているからおかしなことになる。東京都が五輪招致に乗り出したのは、2016年大会が最初だった。結局は落選したが、1回目で選ばれるケースは殆ど無い。ここで東京をIOCに印象付け、「次こそが本命だ」と思っていた。だが、2020年大会には東西文化の融合地であるイスタンブール等、手強いライバルが名乗りを上げていた。




「入念な準備をして2024年大会で…」という考え方もあったが、パリが有力候補と目されていた。パリは2012年大会の開催地として本命視されていたが、土壇場でロンドンが逆転。僅差だったことと大陸間のバランスを考慮して、「2024年大会はパリになるのではないか」と言われていたのだ。やはり、2020年大会の開催を勝ち取るしかない――。最終的に成功したのは、運営能力等といった日本の長所と、「今、日本の首都である東京でオリンピックを開催する意義は何か?」ということをチームニッポンとして終始訴えることができたからだ。しかし、その後がよくない。解体された旧国立競技場のようにバラバラだ。これではマイナスキャンペーンになってしまう。東京オリンピックは日本を世界にPRするイベント。海外へ日本のイノベーションと“おもてなし”を示す最大のチャンスだ。政府は“1億総活躍社会”を掲げ、「500兆円のGDPを600兆円に増やす」と言う。だが、人口減少は止まらず、移民の受け入れ体制も無い。そこで模索すべきは観光業だ。世界のGDPの9%は観光収入に依るもので、フランスやスペイン等の観光大国ではその比率は10%近くになる。だが、日本はたった2%余り。日本文化に造詣が深いアナリストのデイヴィッド・アトキンソンも、『新・観光立国論』(東洋経済新報社)で観光業における日本の可能性を指摘している。海外からの観光客次第では、目標とするプラス100兆円のGDPのうち、約半分は観光業の成長で賄えるという。イギリスでは、6500万人の人口に対して毎年3000万人以上の観光客が訪れる。フランスはイギリスと同程度の人口で、8000万人以上の観光客がやって来る。ヨーロッパでは、文化と観光を絡めた産業化がずっと進んでいる。日本は1億3000万人の人口に対して、漸く昨年、観光客が2000万人近い状況になった。それでも未だ少ない。これまで観光業等、形の無いサービス産業について技術開発をしてこなかったからだ。観光地はあれど、観光業が無いのが日本の現状だ。ここに、大きな成長余力が眠っている。幸い、ここ数年で訪日外国人の数は伸びに伸びている。東京オリンピックは日本の良さを世界に知ってもらい、その勢いに弾みをつける絶好の機会となる筈だった。だが、一連の騒動では縦割りや閉鎖性等、負の側面が目立つ。一刻も早く体制を一新し、これまでの失態を総括して出直さなければ、更なる問題が噴出する恐れもある。東京オリンピックの成功の為に、今こそ膿を出し切らなければいけない。


キャプチャ  2016年2月2日号掲載


スポンサーサイト

テーマ : 東京五輪
ジャンル : 政治・経済

Categories
Profile

Author:KNDIC
Welcome to my blog.

Latest articles
Archives
Counter
I'm participating in the ranking.

FC2Blog Ranking

information
Search
RSS Links
Link
QR Code
QR