【ふるさと再訪】福島・いわき(11) 繁盛する店の陰に――充実感を壊す“税金”

最初は別人ではないか、と思ったほどだ。いわき駅前で2012年1月から料亭『海鮮四季工房きむらや』を営む木村重男さん(56)である。女将の久美恵さん(47)と一緒に満面の笑みを浮かべた2年前の記事の写真とは打って変わり、10月半ばに店を訪れると、白髪が目立ち、疲労感が漂う気がした。東電福島第2原発がある楢葉町出身の木村さんは、避難生活を送りつつ新天地でいち早く商売を再開した人物としてメディアの脚光を浴びた。実際、木村さんも充実感と希望に満ちていた。しかし、昨年後半から不安が広がり始め、今春、愕然とした。“税金”だ。2000万~3000万円の納税通知を見て「1ケタ間違ってませんか?」。税務署に聞かずにいられなかった。

きむらやのルーツは楢葉町で父が始めた鮮魚店。木村さんは中央大学法学部を卒業後、楢葉町に帰郷する。料理が好きで、鮮魚に加えて仕出しを始め、店の2階を宴会場にした。1990年代、Jヴィレッジ・木戸ダムの工事で地域が賑わう中、個室中心の50席の和風料理店に改装して大繁盛。商売が面白くてたまらず、銀行から約1億円を借り、2010年11月に北隣の富岡町に90席の“富岡店”を開いた。地魚の旨さを生かした創作料理が人気で、連日満席状態だった。4ヵ月間は……。




その瞬間、富岡店にいた。什器が散乱したが、「原発に逃げようかと家族と相談した」。翌朝、第1原発の事故のニュースが流れ、避難指示が出ると母・長男・長女と夫妻の5人でいわきニュータウン(中央台)の小学校に避難。14日に第1原発3号機が爆発すると、数日後に義兄の住む新潟で避難生活を始めた。ただ、根っからの働き者だ。「1ヵ月もすると福島が心配で、仕事してないと頭がおかしくなりそうでした」。長男が東京の大学に入学、長女もいわき市内の高校へ進学することもあり、4月中旬にいわきに家を借りた。楢葉・富岡の人々から「原発作業員が弁当に困っている」と聞き、東電や他の企業と商談をまとめ、7月に市内に『仕出しセンター』を開設する。一方、ホテルのオーナーから1階の空き店舗への出店を勧められ、かつての客の声に押されて30席の“いわき駅前店”を開いた。「双葉郡から来た人々の再会の場にもなるし、頑張ろうと」。空き店舗活用、雇用促進など復興関連の補助金を活用しての事業再開だった。取材先から「予約なしでは無理」と聞いた通り、店はフル稼働状態だ。

しかし、東電の補償金も各種の補助金も収入に計上され、利益に課税される。銀行は元本返済を待ってくれても、金利は別。現在は富岡店の金利分に東電の補償金を充てている。今後、富岡店の借金の元本に加え、仕出しセンター・駅前店の開設で借りた資金の返済も始まる。「頑張れば頑張るほど税金で持って行かれるなんて酷ですよ」。銀行・市・復興庁に訴えたが何の解決も示されない。「働かない方がましと考える人間がいても不思議ではない」。12月上旬、開店直前の店を訪れた。相変わらずの繁盛ぶりで、木村さんの顔が生き生きしている。予約でびっしり埋まったカレンダーも見せてくれた。名刺には楢葉本店・富岡店は“休業中”とある。「当面、再開は無理というメッセージですよ」と木村さん。「ここで闘おう」と決心したのだと思った。 《編集委員・嶋沢裕志(59)》


キャプチャ  2014年12月13日付夕刊掲載


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