【震災5年・証言】(06) 復興予算の膨らみ過ぎ反省、福島復興「国の責任」明記――政策研究大学院大学教授 飯尾潤氏

20160215 01
『東日本大震災復興構想会議』(五百旗頭真議長)がスタートした2011年4月、政治は“真空状態”にありました。菅直人首相らは、原子力発電所事故や与野党が首相交代を求めた“菅おろし”政局への対応で手一杯だったと思います。政治の機能不全は、皮肉にも官僚の総力を結集した提言に繋がりました。復興は、あと5年間で粗完了するでしょう。私が検討部会長として参加した構想会議が示した“創造的復興”“市町村中心の復興”という方向性は基本的に正しかったと思います。反省もあります。復興予算が2015年度末までで約26兆円と膨らみ過ぎたことです。提言が道筋をつけた復興増税で、財源問題は事実上、解消されました。「折角、全額予算が付くのなら」と被災自治体で大規模な公共事業が多くなり過ぎた面は否定できません。東日本大震災復興構想会議は混乱状態の中、始まりました。最初に首相官邸側からは、「2011年中に提言の取り纏めを」と要請されました。しかし、それでは来年度(2012年度)予算に反映できません。「6月までに纏める」と半年間、前倒ししましたが、基本的なことを考慮していない菅首相の発想に驚きました。会議の人選にも疑問を感じました。例えば、岩手・宮城・福島の被災3県知事も委員に加わりました。知事の意見を聞くのはいいのですが、当事者である知事が委員では、自由な議論と提言の纏めが難しくなります。構想会議では粗い議論が多く、何時間議論しても方向性が定まりません。構想会議の議長である防衛大学校の五百旗頭真校長、議長代理である東京大学の御厨貴教授、検討部会長である私の3人で議論の進め方をどう工夫するかを協議し、乗り切りました。これは後に、“3人会”等と呼ばれたようです。

菅内閣は、「東北の文化を考慮した将来像」みたいなふわっとした提言を想定していたと思います。悠長なことを言っている状況ではなかったのですが。また、菅首相は「会議には役人の同席は許さず」との考えでしたが、これでは具体的な政策に繋がりません。また、事務局を担当した官僚も当初、10人以下しかいませんでした。確かに、政治主導は大切です。しかし、復興は大筋では反対する人がいない政策です。「どうやって復興するか?」という手段の議論は、実務を知る官僚無しでは成り立ちません。そこで、会議に官僚の出席を許し、約1ヵ月かけて各省庁から官僚を集めました。官僚たちは、土日関係なく猛烈に働いてくれました。特に、提言の纏めの時期は殆ど寝る時間も無く、過労で倒れた若手官僚が何人もいたようです。そのうち、各省庁には「構想会議に提案した政策は実現する」との期待が出てきたようです。財務省幹部には、「各省庁の提案を事前チェックしないでほしい」と頼んでありました。折角、各省庁が考えた政策のアイデアが、予算がかかり過ぎること等を理由に、構想会議まで上がってこないことを心配した為です。各省庁の官僚たちは、制約が少ない状態で、存分に政策を考えられたという面もあったと思います。財務省は、賠償額がどれだけ膨れ上がるかわからない原子力発電所事故を、提言で扱うことを警戒していました。最終的に、経済産業省や会議の委員が巻き返し、「国は復興について責任を持って対応すべき」と明記しました。『東京電力』の賠償を国が肩代わりする為の立法措置を求める文言も入りました。東日本大震災では、東京も大きく揺れました。霞が関には「日本の危機だ」という意識があり、財務省も復興予算で渋いことを言い難かったと思います。阪神大震災との違いです。安倍首相は「復興を加速する」という表現を使っています。提言が示した復興の方向性は、政権交代後も大きく変わることなく引き継がれています。 (聞き手/後藤香代)




■首相直属の復興庁、予算も管轄
東日本大震災の復興について、政府の司令塔の役割を担うのが、2012年2月に発足した復興庁だ。組織のモデルは、1923年の関東大震災後に作られた首相直属機関『帝都復興院』だ。震災直前まで東京市長を務めた後藤新平が復興院総裁に就任し、政府主導で大規模な復興計画を纏めた。1995年の阪神大震災後、村山政権内で復興院のような新しい官庁の設置が検討された。しかし、自民・社会・さきがけの与党3党は「行革の流れに反する」等として、実現しなかった。復興庁の誕生までには曲折もあった。東日本大震災当時の民主党政権は設置に慎重で、復興基本法案には付則で「1年以内をめどに立法措置を講じる」と記すに止めた。これに対し、野党の自民・公明両党が復興庁の創設を強く主張。民主党は自公両党の修正案を粗丸呑みし、基本法は2011年6月20日に成立した。復興庁は復興院と同様、首相をトップとし、担当閣僚の復興大臣は“実務の責任者”と位置付けられた。他の省庁より強い権限を持つ“格上”の官庁となっている。復興関連事業について、被災自治体からの要望等を一元的に受け付ける“ワンストップ”を掲げた。復興予算に関する復興特別会計も管轄している。復興庁の設置は時限措置で、2020年度末までには廃止される予定だ。政府内には、「南海トラフ巨大地震等を見据えて組織を残すべきだ」との声もある。復興庁等、政府主導の災害対応には限界もある。復興庁の前身は、震災直後に被災者支援を担った『被災者生活支援特別対策本部』だ。被災地の要望に応じて、対策本部は支援物資を大量に送ったが、中継基地が物資で溢れ返り、“パンク状態”となったこともあった。政府が民間の宅配業者に対処を依頼したところ、直ぐに解消されたという。この教訓から、政府は災害時に支援物資の配送を宅配業者に委託する契約を結んだ。宮城県東松島市では、津波に依る瓦礫を“金属類”“木材”“畳”等といった19種類に分別して収集した。混在すれば全て“ゴミ”となるが、分別したことで金属類を売却すること等が可能になった。対策本部で事務局次長を務めた復興庁の岡本全勝次官は、「大災害への対応を、“中央集権”で国が全部やるのは無理がある。自治体や民間の力が必要だ」と語る。

■自治体の受け止めは様々
被災自治体の復興庁に対する評価は様々だ。岩手県庁復興局の中村一郎局長は、「国から補助金を貰う為に様々な復興事業の説明を国にする際、ワンストップの窓口となってくれたことは大きかった」と振り返る。施行された法律について、復興庁職員が県職員と共に沿岸自治体に足を運び、複雑な手続きを説明したこともあったという。約1800人の死者・行方不明者が出た岩手県陸前高田市の戸羽太市長は、「東京の目線で、被災地全体を同一視している。現場の実情を知らないと感じた」と語る。同じ県内でも、被害が大きかった自治体とそうでない自治体とは、事情や復興の進み具合が大きく異なる。被災地では、自治体毎の実情に応じたきめ細かな対応を求める声が強い。陸前高田市の菊池満夫理事は、「市が提出した都市計画案等を復興庁が一旦了解したのに、担当省庁である国土交通省や農林水産省から駄目と言われたこともある」と話す。 他の省庁より強い権限を与えられた復興庁だが、現実は異なるとの指摘は多い。被災自治体関係者の1人は、「他省庁から集められた復興庁職員は、出身省庁のほうを向きがちだ。人事異動も頻繁で、担当者が代わると一から説明しなくてはいけないこともある」と語った。「予算を巡って財務省とやり合うくらい、被災地の立場に立ってほしい」。被災自治体の本音だ。 =おわり


≡読売新聞 2016年1月31日付掲載≡




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テーマ : 東日本大震災
ジャンル : 政治・経済

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