12月8日の日米開戦73周年を前に“飛べる零戦”が日本に帰還――真珠湾攻撃“最後の生き残り”が語る一番機パイロット秘録

安倍首相が推進し、流行語大賞まで受賞した『集団的自衛権』。いったい本物の戦争とはどのようなものなのか。真珠湾攻撃に実際に参加した隊員と、その攻撃を地上から見ていた日系人を取材した。

「ちょうどその日は日曜でね、僕は家で家族と一緒に朝食をとっていたんだよ。アパートの2階だったんだけど、外がブーンブーンと騒がしい。なんだろうと空を見上げたら、ものすごい数の戦闘機が見えて、次々に海に降下していく。なんだ?ってラジオをつけたら『日本軍の攻撃だ。戦争だ!』って。本当に驚いたよ」。こう語るのは、ハワイに住んでいた日系アメリカ人のマック・クリハラ氏(82)である。後にボクシングのWBC世界バンタム級王者・薬師寺保栄の指導者となる男だ。「家のほうにも日本軍の飛行機が飛んできたけど、アパートの裏が仏教寺院でね。日の丸が掲げられていたので攻撃を免れた。しばらくして2機めが来たけど、やはり攻撃はなかった。でも、6マイルくらい離れたパールハーバーからはモクモク煙が上がっていたよ」




1941年12月8日、日本軍は真珠湾を攻撃した。6隻の空母から飛び立った350機が奇襲し、戦艦『アリゾナ』など5隻を撃沈する大戦果を挙げた。空母『加賀』から発艦して攻撃に参加した前田武さん(93)は、戦艦『ウエストバージニア』に重さ800kgの魚雷を命中させた。「俺たち精鋭が行くんだと胸が高まっていましたね。あの感覚はハッキリと覚えています。同乗していた飛行兵曹の『よーい、テッ!』の掛け声で、私が魚雷投下索を引っ張りました。ウエストバージニアから離れて振り返ってみると、茶色の水柱が高々と上がっていた。私が『命中!』と言うと、機内の誰もが雄叫びを上げましたね」。だが、前田さんは、真珠湾攻撃には致命的なミスがあったと言う。事前に決めてあった隊列の順番が狂ってしまい、効果的な攻撃ができなかったというのだ。いったいどういうことか。じつは、日本軍は、水深の浅い真珠湾で有効な新型魚雷を開発していた。魚雷が当たれば大きな穴が空くから、船は沈没する可能性が高い。だが、魚雷を撃つ雷撃機はスピードが遅いので、敵機の格好の餌食になりやすい。「もし米軍が日本軍の攻撃に気づいていれば、先に零戦を飛ばし、敵機を撃墜しておく必要がある。その後で爆弾を落とす爆撃機が行き、最後に雷撃機の順番となる。逆に米軍が気づいてなければ、最初に雷撃機が行って魚雷を撃つ予定だった。その順番を信号弾の数で決めていたんです。1発なら先に雷撃機が行く。2発なら先に零戦が行く。ところが、この信号弾が間違って2発撃たれてしまった。それで、爆撃機が先行し、魚雷を撃つ前に大量の爆弾が落とされてしまった。私が真珠湾に着いたときは、もうあたり一面黒い煙で、下がまったく見えない。西風が強かったからなんとかなったけどね」

真珠湾攻撃から帰還した隊員たちは、戦果を自慢し、みな鼻高々だった。こうした姿をうらやましいと感じていたのが、空母『蒼龍』の一番機パイロットで、零戦乗りとして活躍した原田要さん(98)だ。「私は小隊長だから、部下の2機を引き連れていちばん最初に発艦するんです。空母が6隻あるから、全部で18機が真っ先に飛び上がって、空母を守る。上空直衛っていうんですけどね。われわれの後で攻撃機が次々発艦していくのは本当に勇壮でした。みんな大きく旋回して、編隊を組んで堂々と行きますから。でも、心の中では面白くないですよ。敵機は来ないし、一生懸命に何もないところを飛んで、ひたすらあたりを見回しているだけなんだから。分隊長に『自分の技量は高いと思います。どうして連れていっていただけないのですか』と直訴したくらいです」。真珠湾攻撃以降、連戦連勝だった日本軍は、半年後のミッドウェー海戦で空母4隻を失い、一気に守勢に回る。真珠湾にあった大量の石油タンクを破壊しなかったせいで、米軍の機動力があまり落ちなかったからだ。「真珠湾の戦果を聞いて、空母が1隻もなかったのはまずいと思いました。米軍は必ずこの仕返しに出てくると。実際、ミッドウェーで、私はようやく上空直衛が重要だと気づくんです。だって空母をやられたら、攻撃隊より先に味方が全滅しちゃうんだから」

真珠湾の晴れ舞台に立てなかった原田さんは、その後、トラック島やガダルカナル島などで活躍し、数多くの敵機を撃墜した。「私も、もう少しで殺されそうになりましたし、自分も逃げていく人を追いかけ回して殺した。向こうにも家族があって、死にたくなかったはずです。空の戦いって、敵の顔が見えるんです。やめてくれって言わんばかりの顔をしてるのに、それを殺めることが戦争でした。昔はね、われわれゼロファイターは“人殺しロボット”とまで呼ばれましたから。日本ではエースって呼ばれたけど、海外から見ると殺人機械だと。爆弾で船を沈めたこともあるし、何百人殺したかわかりません。正直、今でもその光景が頭に焼きついています」。開戦当初、零戦は無敵だった。だが、米軍は次々に高性能の戦闘機を導入し、零戦の優位は消えていく。「日本軍はね、パイロットの命を軽くみていたんです。人間はいっぱいいて、いくらでも補給できる。それよりも資材がない。飛行機を作る工場も少ない。大量生産ができない。だから、パイロットを犠牲にして、飛行機に力を注いだんです。軽さを優先したから、外板はとてつもなく薄いし、防弾板もまったくない。燃料タンクの防火処理もされておらず、もう、すぐに撃ち落されます。コックピットって狭いんです。その中で、自分の機より性能のいい敵機と戦うんだから、大変なものです」

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今年11月に帰還した零戦のコックピット。現在、日本に唯一の飛行可能な機体。

11月末、ある零戦がさいたまスーパーアリーナで初公開された。「この零戦は、アメリカのコレクターが所有していたもので、実際に飛ばすことができるんです。2009年に日本人が約3億5000万円で購入したんですが、維持が難しくなって、私ともう1人が共同所有者として名乗りを上げた。この11月、ようやく日本に帰還させることができ、皆さまに見てもらうことができました」。こう語るのは、零戦共同所有者の1人である桜井栄福さん(41)。「零戦は、アメリカも恐れた高い技術の結晶で、日本のものづくりの原点です。その技術を後世に伝えていきたい。来年か再来年に、日本の空を飛ばすのが夢です」。零戦の公開は4日間続き、のべ6500人が訪れた。零戦魂は、今も健在なのだ――。


キャプチャ  2014年12月23日号掲載


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