【震災5年・両陛下と被災地】(上) “自主停電”、東北と共に

天皇・皇后両陛下は、東日本大震災からの5年間、津波や原発事故の被災地に繰り返し足を運び、人々に寄り添われてきた。震災と復興に、両階下がどう向きあって来られたかを辿る。

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2011年3月14日、天皇陛下は皇居・御所で側近らと夕食を囲まれた。平安時代の869年に仙台平野等を大津波が襲った『貞観地震』と、3日前の大震災の類似性に言及し、「歴史がきちんと刻まれていたら、被害はまた違ったのでは」と話された。宮内庁の羽毛田信吾長官(当時)は、陛下が折に触れて書籍を開き、地震の歴史を調べられているのを知っていた。「地震のことを常に考えられているからこその思いが溢れたお言葉だった」と振り返る。大震災の発生時、公務で宮殿にいた陛下は、状況を把握する為にテレビをつけられた。御所に戻っても、度々の余震の中、津波の映像を見続けられた。側近に依ると、両陛下は「直ぐにでも被災地を訪れたい」という気持ちだったが、「何よりも救助を優先し、訪問時期は現地の判断に委ねるべきだ」と決められたという。両陛下が被害の全体像を把握されたのは15日だった。御所に呼ばれた警察庁の安藤隆春長官(同)が東北沿岸の衛星写真を示すと、両陛下は1枚1枚手に取って目を凝らされた。嘗て訪れた街が津波に呑み込まれたと知り、一瞬、言葉を失われたようだった。「決して希望を捨てることなく、身体を大切に明日からの日々を生き抜いて」――。16日夕、陛下がビデオ映像で語りかける異例のお言葉がテレビで放映された。両陛下は、被災地に寄せる強い思いを行動でも示された。15日から、計画停電の時間帯に合わせて御所で自主停電を始められた。当時、陛下は77歳、皇后さまは76歳。陛下は、前月の精密検査で動脈硬化や血管の狭窄が見つかった。寒さが体に障る恐れもあったが、「そこまでなさらなくても」という側近に、「被災地は電源すら無い。気遣いは有難いが、厚着をすればいい」と話された。東京消防庁の新井雄治消防総監(同)は4月下旬、消灯された御所の応接室で活動状況について説明中、皇后さまが、「計画停電が終わりました」と女官から声をかけられ、手首に巻いた黒い紐を外されるのを見た。「自主停電中であることを忘れない為の印で、『ここまで徹底されているのだ』と頭が下がる思いでした」。3月30日の東京武道館訪問から始まり、7週連続で避難所・被災地を巡ったお見舞いは、現地の負担に配慮して全て日帰りだった。羽毛田長官が「ペースを落とされたら」と伺いを立てたが、陛下は「このままで大丈夫」と応じられた。

4月27日、両陛下は初めて東北の被災地へ。陸上自衛隊のヘリコプターで、800人以上が犠牲になった宮城県南三陸町に降りられた。「失礼にならないだろうか」。千葉みよ子さん(69)は、自分の汚れたセーターが気になっていた。南三陸町の歌津中学校体育館では、約200人の避難生活が続いていた。千葉さんが代わりの服を見つけられず、シート1枚を敷いた床に夫や娘たちと座っていると、天皇陛下と皇后さまが入ってこられた。陛下が目の前で足を止め、床に広げられたアルバムに視線を落とされた。三女・三浦菜緒さん(40)の1人娘で、津波に攫われた3歳のゆうちゃんの写真が貼ってある。「孫が未だ見つからないんです」。千葉さんの目に涙が溢れた。ゆうちゃんに「自転車を買ってあげる」と約束していた。その為にワカメの加工のアルバイトに励んでいた時、揺れが襲ったのだった。陛下は両膝を床につき、写真を見つめられた。随行者に「お時間です」と促されても、暫く身動きをされなかった。「きっと見つかります。1日も早く見つかってほしいですね」。千葉さんのほうを向き、そう声をかけられた。そして、「体は大丈夫ですか? 復興まで長い道のりだと思いますが、体調にだけは気をつけて下さい」と励まされた。千葉さんは、ゆうちゃんと菜緒さんの夫、その父母の計4人を失った。避難所の人たちは気を使って声をかけてこない。ここでは自分の家族だけが孤立しているように思えて、「一緒に死ねばよかった」とさえ考え始めていた。




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ところが、両陛下が帰られると、体育館の空気は一変していた。沢山の人が、「感じたことを分かち合おう」と話しかけてきた。「陛下に心配して頂いたおかげ。何とか孫を捜し当て、元気になって恩返ししなければ」。そう思った。両陛下は翌週に岩手、翌々週には福島に入られた。5月6日、岩手真宮古市の避難所で天皇陛下から声をかけられた漁師の平山政昭さん(72)の心に残ったのは、その優しい表情だった。自宅も船も津波に奪われ、「どう生きていったらいいのか」と途方に暮れていた。陛下の言葉は「震災はどうでしたか? 大変でしたか?」という短いものだったが、平山さんの為に腰を屈められたことに「『やるしかない』という気持ちが湧いた」という。皇后さまがスリッパも履かず避難所を歩かれていたことにも感銘を受けた。仮設住宅での生活を経て、2012年10月、近くの高台に自宅を建てた。今は、長男の政幸さん(40)と毎日、夜明け前に漁に出る。「先が見えない状況の中で、両陛下のご訪間はまさに希望の光だった」。両陛下は3年後の2014年7月、再び南三陸を訪れた。仮設住宅で生活する千葉さんは、町の障害者施設の利用者らと一緒に日の丸の旗を作り、最前列で出迎えた。初対面の時に比べて表情が柔らかくなったように見え、「復興を感じて頂けたのかな」と嬉しかった。その後、嵩上げ工事が進んだ土地に家を建てて、夫や次女と住むことにした。今年5月に着工し、12月には仮設を出られる予定だ。地元の障害者支援団体の会長にも就任し、津波で流された通所施設等の再建に取り組んでいる。ゆうちゃんは未だ見つからない。「孫がいないのに家を建てても、希望は持ち難い」とも話す。それでも、「生き残ったからには、何かを成し遂げたい。南三陸が立ち直った姿を、もう一度陛下に見てもらえたら」という思いが千葉さんを支えている。


≡読売新聞 2016年2月10日付掲載≡


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テーマ : 天皇陛下・皇室
ジャンル : 政治・経済

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