【震災5年・両陛下と被災地】(中) 余震、重ねた手と手

20160220 11
突然の揺れに、松田節子さん(78)は思わず、皇后さまの膝の上の右手に両手を重ねた。2011年5月6日、天皇・皇后両陛下は岩手県釜石市の避難所を見舞われた。皇后さまは松田さんの前で膝を折り、「家族の皆様はどうですか?」と尋ねられた。「元気です」。そう答えた瞬間、震度3の地震があった。嘗て製鉄で栄えた釜石で、松田さんは15歳の時から理容師をしてきた。市役所近くで開いた『床屋 松田』は、3月11日の津波で全壊した。夫は震災前に亡くなっている。「70歳を超えているし、理容師は止めようか」。気力を失いかけている時の両陛下の訪問だった。揺れが収まり、手を離すタイミングを見つけられないでいると、皇后さまは左手をその上に重ね、「何ともなかったでしょうか? 大丈夫ですか?」と穏やかに話しかけられた。感激し、力が湧いた。年上の皇后さまでさえしゃがむことを繰り返し、被災者1人ひとりと目線を同じ高さにされている。「もう少し、頑張ってみよう」。翌月、長男の利喜さん(54)と2人で内陸部に仮店舗をオープンした。釜石を訪ねた5月頃から、皇后さまは持病の頸椎症性神経根症が悪化。肩から手にかけての激しい痛みで、9月の北海道訪問等を取り止められた。天皇陛下も11月にマイコプラズマ肺炎を発症し、19日間入院された。「両陛下は被災者と心を通わせようとしたことで、精神的な傷も一緒に背負われていた」。側近はそう振り返る。2012年2月に心臓手術を受けた陛下は、東京都内で開かれた1周年追悼式の4日前にも胸の水を抜く治療を受けたが、周囲の反対を押し切って出席された。この年以降も両陛下は毎年2回以上、被災3県に入られた。

再開した松田さんの理容店の経営は楽ではない。2014年5月、手狭な仮店舗を畳んで市内で店を新築。銀行への借金返済は続く。「お客が少なく、人口の流出を実感する。こんなに座ってばかりのことは今までなかった」。松田さんは溜め息を吐く。釜石市の人口は震災前に比べて4000人以上も減り、約3万6000人となった。それでも、柔らかい皇后さまの手の記憶が松田さんを元気付けてくれる。「今度来る時の為に、髪形を忘れないでね」。客からそう言われるのを励みに、未だ十分に動く手で鋏を操り続けている。昨年12月、宮城県南三陸町にとって大きな出来事があった。津波で患者70人、看護師ら4人が犠牲になった公立志津川病院が『南三陸病院』として復活したのだ。鈴木隆さん(63)は志津川病院の院長だった。震災の年の4月27日、避難所訪問を終えられた両陛下の見送りに立った。「薬や資材は足りていますか?」等と声をかけてくれた両陛下がヘリコプターに乗り込む前、海に向かって深々と頭を下げられた姿が目に焼き付いた。多くの医療関係者から、「もう、南三陸に医者は来ない。大きな病院の設立は無理だ」と言われた。その場合、患者は約40km離れた気仙沼等への入通院を強いられる。「人がいなくなり、町の将来も危うい。陛下が励まして下さったのに、そんなことをしてはならない」。そう考えて、再建計画を推し進めてきた。台湾からの約16億円の支援等で、開院に漕ぎ着けることができた。「両陛下もきっと喜んで下さる筈」と思っている。


≡読売新聞 2016年2月11日付掲載≡


スポンサーサイト

テーマ : 天皇陛下・皇室
ジャンル : 政治・経済

Categories
Profile

KNDIC

Author:KNDIC
Welcome to my blog.

Latest articles
Archives
Counter
I'm participating in the ranking.

FC2Blog Ranking

information
Search
RSS Links
Link
QR Code
QR