【震災5年・両陛下と被災地】(下) 感謝の言葉、心の支え

20160220 12
昨年の初夏だった。被災者が暮らす福島市の災害公営住宅で、武山絲子さん(68)は福島県の職員から「天皇・皇后両陛下が訪問される際に代表として面会してほしい」と打診された。「遠慮しよう」。そう思った。原発に関係する仕事をしていた負い目があった。2011年3月12日、管理人を務めていた東京電力福島第1原発の女子寮(富岡町)で「ボンッ」という音を聞いた。6.5km先の第1原発の爆発。11日の地震後、「誰もいなくなったら困るだろう」と食事を作る為に寮に留まっていたが、避難せざるを得なかった。夫を早くに亡くしている。東京都内の長男宅等を転々として昨年春、福島に戻っていた。相談相手の叔母の強い勧めもあり、代表を引き受けた。皇后さまと向き合い、震災のことを話した。「(寮生を)待ってたのね。有難う」という言葉が返ってきた。「皇后さまがこんな話し方をするのか」。“特別な方”という印象は消え、身近な人から感謝されたような温かさを感じた。「大人と子供では影響に差が出るのでしょうか?」「広島や長崎(の原爆)の時には、子供にどのような問題が起きたのですか?」。原発事故から約2ヵ月後の2011年5月9日。皇居・御所で放射線が人体に及ぼす影響を両陛下に説明した『湘南鎌倉総合病院』放射線治療研究センターの佐々木康人センター長(78)は、矢継ぎ早の質問に圧倒された。事故後、両陛下が福島に初めて入られる2日前だった。既に原子力や放射線の専門家10人近くを招き、説明を受けられていた。「まだまだ知識が足りないと感じられていたようだ。それほど福島のことを心配されていた」。終了を促す側近の合図を3度も制してまで、佐々木さんの説明の続行を望まれたという。

東京医療保健大学の草間朋子副学長(74)は事故から約2週間後、子供や胎児への放射線の影響等について皇后さまに説明した。事前に渡したA4判20枚ほどの資料の余白には、メモがびっしり書き込まれていた。陛下は5月の訪問に当たり、「原発を見たい」という強い希望を側近に伝えられていた。それが無理でも、「上空から見るだけならいいだろう」と拘りを見せられていた。両陛下は同月11日、福島市から第1原発に近い沿岸の相馬市にへリコプターで向かわれた。震災から2ヵ月の午後2時46分、機内で黙祷された。両陛下は震災後、2014年を除いて毎年、福島の被災地を見舞われた。浪江町の自宅から福島市へ逃れた佐久間正子さん(65)は、2011年に避難所で両陛下と対面した。夫の英夫さん(64)は第1原発の作業員。この時は未だ防護服姿で第2原発のへドロの除去作業に当たり、週末しか避難所に戻れなかった。“生活を成り立たせてくれた神様”だった原発に裏切られ、打ちひしがれていた佐久間さんに、皇后さまは「体のほうは大丈夫ですか?」と話しかけられた。思い出すと、今でもはっと気持ちが明るくなる。武山さんは長い避難の疲れからか、夜は頻繁に目が覚めてしまう。気が塞ぐことも多い。そんな時は、昨年7月の両陛下訪問を報じた新聞の切り抜きを手に取り、自分を励ます。両陛下は“3.11”後の来月中旬、福島県三春町の避難先を訪問される方向で調整中だ。県民は尚、10万人近くが避難を続ける。両陛下は、末に震災5年の後に目を向けられている。


≡読売新聞 2016年2月12日付掲載≡
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