【中外時評】 2.26事件と謎のスクープ――80年前のメディアに思う

その日から間もなく80年になる。1936年2月26日の朝、所謂“皇道派”の青年将校が約1500人の下士官と兵を率い、首相官邸等を襲った『2.26事件』である。昭和史の大きな転換点となったこの出来事は、メディアにも激震を齎した。内務省が記事差し止めを命じた為、当日夕刊に事件のニュースは載らず、片や青年将校らは『東京朝日新聞社』の襲撃に及ぶ。銃口を前にし、活字ケースを倒され、しかし主筆の緒方竹虎は毅然と対応したとされる。とは言え、各紙とも事件の性格を測りかね、報道解禁となった27日朝刊以降も右往左往したようだ。表現も、当初の“蹶起”から“叛乱”へ。紙面は公式発表が中心だった。後は“戒厳令下の帝都”の雑観記事ばかりが目立つ。『日本経済新聞社』の前身である『中外商業新報』も例外ではない。しかし、実は水面下で驚きのスクープを掴んだ記者がいたことは殆ど忘れられている。

その人、和田日出吉は元々、『時事新報』で活躍したジャーナリストだった。社会部長兼論説委員として中外に移ってきて間もない和田は、事件の朝、騒然とした編集局で1本の電話を受ける。「もしもし、栗原です」と相手は名乗った。聞き覚えのある声…。青年将校の1人、栗原安秀中尉に違いない。「今、どこにいる?」「首相官邸にいます」。予て面識のある男が、占拠した先から連絡をよこしたのだ。まさかの展開である。「そちらに乗り込ましてもらいたい」。栗原に告げるや、和田は息急き切って社の車を飛ばした。そして銃剣を掻い潜り、官邸に辿り着き、栗原との面会に成功する。無残に荒らされた邸内を取材して回り、将校らが岡田啓介首相と思い込んで殺害した後に布団を被せた秘書官の遺体を目にしてもいる。これが紙面で報じられていれば大スクープだったが、特ダネは日の目を見ることなく日々が過ぎた。軈て事件から5ヵ月後。『中央公論』8月号に突如、肩書無しで和田の手記が登場する。




『二・二六事件 首相官邸一番乗りの記』。こう題した一文は、今読んでも迫力十分である。伏せ字がかなり多く、随所にぼかした言い回しもあるから、発表に漕ぎ着けるのに相当苦労したに違いない。しかし、編集後記曰く、「この記録は歴史的に残るものとして本号の圧巻である」。まさに“歴史的”記事なのだが、これほどの特ダネも不十分な形でしか世に問えなかった当時のメディア状況を、改めて心に留めておく必要があろう。件の和田と栗原の電話も当局は察知しており、憲兵隊が中外本社に踏み込んでいる。麹町憲兵分隊曹長だった小坂慶助の回想記『特高』に依れば、小坂らは守衛にピストルを突き付けて社内に乱入し、和田を一時検束した。小坂は、この経緯を「人騒がせの一幕」と振り返っているが、記事公表が異例の形になった背景を窺わせる話である。扨て、改めて事件当時の中外紙面を眺めれば、それでも1936年は未だ世の中は平穏だった。“家庭と婦人”欄は春の最新モードを紹介し、社会面では大雪に見舞われた街の様子をユーモラスに描いている。和田の記事を載せた中央公論8月号も寄稿者は多彩だ。三木清・長谷川如是閑・芦田均…。名だたるリベラリストが筆を振るっていた。こういう人たちがものを言えなくなるのは、あっという間のことであった。

事件の翌年には日中戦争が始まり、社会から急速に自由が失われていく。青年将校らの意図がどうであれ、結果として2.26事件は軍部の暴走を後押しして、破滅への道を開いていったのだ。そういう端境期に謎の多いスクープを放った和田だが、僅か2年ほどで中外を辞して満州(現在の中国東北部)へ渡る。そして、女優の木暮実千代と結婚して引き揚げ、戦後は専ら売れっ子の旦那として生きた。「彼は、中外で自ら小説も書いていたんです。『ちょっと早めに出社して、夕刊の連載を書いたんだぞ』って懐かしがっていましたね」。木暮の甥に当たる作家の黒川鍾信さん(77)は、和田からよくそんな話を聞いた。その作品は、2.26事件の約2ヵ月後から150回ほど掲載された人情もの『燕子花』である。この異能の人は、そうやって息苦しい時代を凌ごうとしていたのかもしれない。 (論説副委員長 大島三緒)


≡日本経済新聞 2016年2月21日付掲載≡
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