フィリピン人ハーフの凶悪犯罪は何故増加するのか?――川崎市中1男子生徒リンチ殺害事件に見る少年犯罪の現状

一昔前と違い、フィリピン人ハーフに対する偏見は減っているように見える。あの『AKB48』の元メンバーやモデル・タレントたちは、自らフィリピンのハーフであることを隠さない。野球の世界でも、『横浜DeNAベイスターズ』の山﨑康晃投手・『読売ジャイアンツ』の戸根千明投手も堂々とカミングアウトしている。その反面、フィリピン人ハーフの犯罪も急増した。ハーフの光と闇――。これこそが、現代日本の縮図でもあるのだ。 (取材・文/ノンフィクションライター 八木澤高明)

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「『えっ、ウソでしょ?』って。全く信じられなかったんですよ。『あの子がそんなことをする筈ない』って」。昨年2月、神奈川県川崎市で起きた中1男子生徒リンチ殺害事件で、犯人として逮捕されたのは、18歳の少年A、同級生で17歳の少年B、1学年下の少年Cの3人だったが、そのうちの1人であるCの幼い頃を知るフィリピン人の平沢バネッサさんは、今も彼が犯人だとは信じられないのだという。「私とCのお母さんは知り合いで、彼のことを小さい時から知っていたんですよ。いつもニコニコしている子でした。何でこんなことになったんでしょうか。恐らく、Aに強要されて断れなかったんじゃないでしょうか」。今回、事件を起こしたAとCの母親もフィリピン人で、彼らは日比のハーフだった。13歳の上村遼太君を少年3人が殺害した事件は、昨年2月20日未明に発生した。日頃から溜まり場となっていた多摩川の河原に上村君を連れ出した3人は、工業用のカッターナイフで顔等を切りつけ、全裸にして真冬の川で泳がせた後、更に殴る蹴る等の暴行を加え、虫の息となった上村君の首をナイフで切り、出血多量の致命傷を負わせて殺害したのだった。遺体を草むらに放置し、着ていた衣服は河原から700m離れた場所にある公衆便所の女子トイレで、証拠隠滅を図る為に燃やした。上村君が死んでいないと見せかける為、携帯電話のアプリ『LINE』からメッセージを発信する等して、然も生きているように工作する等、悪質極まりない事件だった。何故、このような凄惨な事件が起きたのか? 抑々、主犯のAと上村君は、事件が発生する3ヵ月前の2014年11月に知り合った。事件を起こした少年3人と上村君は、不良グループというよりは、深夜まで公園でゲームをしたり、カラオケ店に集まりアニメソングを歌うような仲で、どちらかというとオタクのグループのようだったという。事件当初、Aが凶暴で恒常的に上村君に暴力を振っていたような報道がされていたが、「実際には違う」と上村君と同じ中学に通っていた少年が言う。「犯人のA君は全然怖くないですよ。お酒を飲むと凶暴になって、上村君をぶん殴ったことは間違いないです。だけどその後、上村君に謝って2人は仲直りしているんです。夜遅くなったりすると上村君を家に送ってあげたりと、優しい面もありました」。

出会ってから2ヵ月後、酒を飲んでいたAは上村君を殴り、目の周りに痣ができるほどの怪我を負わせている。その件に関して、Aが謝ることに依って2人の間では遺恨は無かったというが、黙っていなかったのは上村君が通う中学の先輩たちだった。彼らはAの家に押し掛けて謝罪を要求。Aは彼らに土下座したという。その後も、上村君と同じ中学の卒業生までがAの家に押し掛けてきて、謝罪を要求するような事態になった。当事者の間では収まっていた問題が、第三者が介入してくることに依って複雑な展開を見せるようになったのだった。事件を取材した週刊誌記者が言う。「Aは酒が入ると凶暴になるのは間違いないのですが、地元で恐れられているような不良ではありませんでした。上村君と彼の間でも殴った後に仲直りしているので、そのままにしておいても何の問題もありませんでした。ただ、先輩グループがAを追いかけ回すようになると、Aは彼らを恐れて家に閉じ籠るようになり、上村君に不信感を持つようになったんです」。それでも、上村君と少年たちは付き合いを続けた。上村君は「少年たちに殺されるかもしれない」と洩らしたという証言もあるが、実際には事件を起こしたCと非常に仲が良く、殺害される前日に、上村君のほうからCに「遊びましょう」と連絡を入れている。上村君を知る仲間たちの証言には食い違いが見られる。Aに対する上村君の先輩たちの謝罪要求はエスカレートしていき、警察が出動するような事態にまで発展。「外出することもままならない状態になっていった」と前述の週刊誌記者は言う。「Aは上村君の先輩たちのグループから謝罪を要求され続け、家にずっと籠っていました。その当時はLINEもブロックしていて、親しい人間以外とは連絡も取らなかったそうです。上村君を殴ったことを謝り、上村君は許してくれたにも拘らず、何で先輩のグループは執拗に追いかけ回してくるのかと、追い詰められたという見方もできる訳です。事件の日は仲間たちと酒を飲んでいたこともあり、上村君への逆恨みが事件の引き金になったことも十分考えられるのです」。植村君の先輩らに依る包囲網が、事件を起こした一端にあるのではないかというのだ。事実、警察への供述の中でAは、こう述べている。「彼が、友人たちに慕われていることがムカついた」。その発言を噛み砕いてみると、上村君の先輩たちの影を見て、上村君の友人の多さに嫉妬するという孤独感を抱えていたということだろうか。そこに、Aの心の闇が透けて見えるのである。




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先にも述べたように、AとCはフィリピン人と日本人のハーフである。両者共に、母親がフィリピン人である。「A君は見た目がカッコいいし、目立つ存在だったから、中学校の時にすごく苛められたと聞いていますよ」。川崎市内に暮らすフィリピン人の女性が言う。彼女も日本人と結婚し、3人の子供を持ち、Aの母親と同じ教会に通っていた。「Aのお母さんは、事件の前には教会に来ていました。フィリピンの子供たちに伝統的な踊りを教えるボランティアもやっていたんです」。毎週日曜日、敬虔なカトリックが多いフィリピンの人々は、ここ日本でも身近な場所にある教会へと足を運ぶ。Aの母親も、そうした一般的なフィリピン人であった。母親は10年以上前に、Aの父親である男性と結婚。川崎市内に一軒家を購入し、取材時もそこに暮らしていた。Aは、経済的に不自由な生活を送ってきた訳ではなかったが、中学入学と共に苛めに遭い、学校から足が遠のくようになる。結果的に入学が容易な定時制高校に進むが、事件の前には中退。同じく、定職に就いていなかったCらとつるむようになるのである。Cの母親もフィリピン人だが、Aの家庭とは違って生活は厳しく、貧乏で有名だったという。前述の週刊誌記者が言う。「生活費にも事欠く有様で、Cは小遣いは勿論、食事にも満足にありつけない時もあったと聞いています。そのた為、Cは棒の先に両面テープを付けて、神社の賽銭泥棒をしてパン等を買っていたそうです。そんな厳しい生活状況でしたが、上村君とは大変仲が良く、“お兄ちゃん”と呼ばれ慕われていたようです」。Cばかりでなく、フィリピン人の家庭では生活が厳しい家庭が多いという。事件現場に毎日のように通っているフィリピン人の下地愛さんは18歳で来日し、以来30年近く日本で暮らしている。「私は旦那と離婚して、3人の子供を育てましたが、周りのフィリピン人は生活保護を貰っている家庭が多いですね。そのお金でパチンコをやったりドラッグを買ったりして、同じフィリピン人として恥ずかしいです。日本で生活するのは本当に大変です。うちの息子も中学生の時に殴られたことがあって、今回の事件をニュースで見た時、全然他人事に思えなかったんです。生活がちゃんとしていないから、ドロップアウトしちゃう人が多いんですね」。

精神的にも経済的にも日本社会に馴染めず、疎外感を感じてしまう人々は、必然的にグループを作るようになる。そうしてつるむようになったのがAやCだった。京浜工業地帯の埋め立て地である川崎は元々、工場労働者としてやって来た朝鮮半島や沖縄の人々が多かった。明治から戦前にかけては、安い労働力としてそうした人々が必要とされたのである。明治国家が立ち上がり、近代資本主義が産声を上げると、労働者だけでなく、それを目当てにした女たちもこの街に集まり始め、川崎には色街もできた。売防法に依って赤線は消えたが、現在、川崎の駅前周辺の繁華街にはフィリピンパブ等が軒を連ねている。常に安い労働力を求める工場等の2次産業には、経済的な成功を求めて移民たちがやって来る。戦前から戦後直ぐにかけて経済を下支えしたのが朝鮮半島や沖縄の人々であり、その後、日本経済が上向くと、フィリピン人の女性たちがショーパブ等で働くようになった。日本やアジアの各所からやって来た人々が築いたのが、事件現場周辺の風土なのである。この土地の洗礼を受けて生まれ育ったのがAやCだった。川崎在住で、日本人男性との間に子供を持つフィリピン人女性たちに話を聞いてみると、どの女性も「子供たちが学校で苛めを受けた」と告白した。冒頭の平沢さんが言う。「小学校までは、あまり苛めは無いんです。中学に入ったぐらいですかね。いつも元気で学校に行っていた子が『行きたくない』と言い出したんです。問い詰めてみたら、『フィリピン人だからとイジメを受けた』と言うんです」。ハーフの子供たちは、日本人の子供たちとは違ったストレスを感じながら、この日本で生きていることは間違いない。結果的に日本社会と馴染めず、孤立してしまう。主犯のAも高校には通わず、街を徘徊し続けていた。今回の事件が明るみに出た時に思い出したのは、元恋人を殺害し、その画像をインターネット上に撒き散らした池永チャールス・トーマス被告のことである。その事件では“リベンジポルノ”という彼の卑劣な行為に世間の目が向いたが、筆者が注目したのは、フィリピン人と日本人のハーフであるという出自であった。

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初公判が始まる前に、筆者は何度か彼と手紙のやり取りをしたことがあった。その中で彼は、「事件を起こしたことと、ハーフであるという出自は関係無い」ということを手紙に認めてきた。裁判において彼の弁護士は、池永被告が幼少時の貧しい生活の中で、母親の交際相手から煙草を押し付けられたりと激しい暴力を受け、児童相談所に保護されていたこと等を明らかにし、「過酷な経験が今回の事件の引き金になった」と情状酌量を訴えている。裁判での戦術といった見方もできるが、彼は自分が生まれ育った背景が犯罪の一端となったと、裁判では認めたのである。池永被告のケースばかりでなく、今回の事件に関しても、事件を引き起こした当人たちが自覚しているかは扨て置き、やはりハーフということが理由の1つに挙げられると筆者は思う。ハーフということで地域社会に馴染めず、小さなグループを形成し、自分より年下に暴力を振るうことに依って己の鬱憤を解消させる――。どんな理由があれ、許されない行為であることは間違いない。ただ、今後の日本社会は高齢化が進み、移民を受け入れざるを得ない状況が目の前に迫っている。更に、厚生労働省の統計に依れば、日本で生まれる新生児の30人に1人が外国人である。益々、この国で暮らすハーフの割合は増えていくことだろう。何らかの対策を取らなければ、外国人のハーフに依る犯罪が増えていくことは目に見えている。事件の舞台となった川崎市川崎区周辺を歩いた。少し街を歩いただけで、フィリピン人等の外国人たちの姿が目に付く。上村君が殺害された多摩川の河原から、犯人の自宅へと向かった。途中、彼らが上村君の衣服を燃やしたトイレの前を通り過ぎ、起伏の無い埋め立て地特有の区画を歩いていくと、Aの暮らしていた家の前に着いた。家の壁には赤いスプレーで「フィリピンに帰りたい」と書かれていた。玄関のガラス製のドアも何者かに依って傷付けられたのか、罅が入っていた。一戸建ての家は、この国で体を張って生きてきたフィリピン人の母親にとって、幸せに包まれた御殿であったに違いない。それが少しずつ歯車が狂っていき、Aに依る家庭内暴力に依って、彼女は歩くのに杖が必要な体になってしまったという。この家を見ながら、フィリピン人の平沢さんが言った言葉を思い出した。「あの子だって、辛かったと思う」。当然、罪は認めた上で、Aのこれまでの人生に思いを馳せた言葉である。この国で生を受けた少し肌や毛の色が違う人々に、もう少し寛容になる必要があるのではないだろうか――。その言葉は、筆者にそう思わせたのだった。


八木澤高明(やぎさわ・たかあき) ノンフィクションライター。1972年、神奈川県生まれ。写真週刊誌『FRIDAY』専属カメラマンを経て、2004年からフリーに。著書に『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』(小学館)・『娼婦たちから見た日本』(KADOKAWA)・『青線 売春の記憶を刻む旅』(スコラマガジン)等。


キャプチャ  第17号掲載


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