アメリカにとって“リベラル”と“保守”とは何か――日本が間口の広い“リベラル”を目指すのであれば、防衛安保はリアルになるべきだ

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アメリカ研究者にとって、“リベラリズム”と“リベラル”は似て非なる概念である。“リベラリズム”とは“自由主義”を指し、大英帝国の専制君主に反旗を翻して独立を勝ち取ったアメリカにとって、まさに国の根幹となる思想である。それは、ヨーロッパの政治的伝統を織りなしてきた3つの思想のうち、“貴族主義”と“社会主義”の2つを否定することを意味する。即ち、「特権階級や巨大政府に依る支配の何れをも拒み、政治的・経済的に独立した自由な市民(デモス)に依る統治を重んじる」ということである。そして、その自由主義の枠の中で、より強固な自由を求めるのがアメリカ流の“保守”であり、政府に依る一定の介入を求めるのがアメリカ流の“リベラル”ということになる。具体的に“保守”とは、

①自由な市場競争を重んじること(=規制緩和・減税・民営化・自由貿易の促進等)
②地域や教会を中心とした自治の伝統を重んじること(=政府主導に依る制度や規範の形成を拒むこと)
③国際社会における自国の行動の自由を重んじること(=国際機関や他国に依ってアメリカの利益を左右されないこと)

の3つを意味する。順に、①経済保守②社会保守③安保保守とも称され、“ティーパーティー(茶会)”・“エヴァンジェリカル(福音派)”・ネオコン等は①~③の中の強硬派として日本でもよく知られている。逆に、“保守”の合わせ鏡である“リベラル”とは、

①政府に依る一定の市場介入を是とすること(=規制や監査&監督・累進課税・公共事業・社会福祉・環境保護・保護貿易への指向性が高いこと)
②社会的な少数派や弱者の権利・支援を是とすること(=積極的な差別是正措置の推進等)
③国際社会や他国との協調を是とすること(=対話や交渉を重んじること)

の3つを意味する。繰り返すが、これらの違いは、ヨーロッパの政治的伝統からすれば、飽く迄も“自由主義”の枠の中での“右”と“左”の違い、謂わば“コーク”か“ペプシ”の違いに過ぎない。

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“リベラル”の根底にあるのは、「自由は尊いが、自由放任主義は人々を却って不自由にしてしまう。それ故に、公権力に依る一定の介入は認められる」とする考え方である。それは、“保守”の側からすれば「そうした介入は公権力の肥大化を助長し、人々を不自由に陥れる。まさに社会主義であり、極めて非アメリカ的だ」ということになる。実際には、こうした図式に綺麗に整理できない事例や政治家が多いのは確かだが、この対立軸を基本に考えていけば、それなりに理解可能だ。アメリカ政治の現実には幻滅する面も多々あるが、“自由主義”という共通の土俵の上で、“保守”と“リベラル”が如何に言説を支配していくかというゲームそのものは、宛ら生きた哲学の教材に触れているようで面白い。このようなアメリカの政治文化に接していると、「日本の“リベラル”は恐らくアメリカの“リベラル”の中の“左”、所謂“リベラル左派”の立場に近いのでは」という印象を受ける。アメリカにも『アメリカ共産党(CPA)』や『アメリカ社会党(SPA)』は存在するが、規模の点では“政党”というより“サークル”に近く、政治的影響力は皆無に等しい。それ故、社会主義的な指向の持ち主は寧ろ民主党に所属し、その中で発言力や影響力を高めようとする。その割合は民主党内の約3分の1である。今回のアメリカ大統領選の民主党候補の1人であるバーニー・サンダース上院議員(バーモント州選出・右写真)は、自らを“民主社会主義者(democratic socialist)”と公言しており、党内の“リベラル左派”からの支持を集めている。党内の大本命は“リベラル中道派”のヒラリー・クリントン元国務長官だが、党内ではサンダース氏の支持率は軒並み30%を超えている。それ故、クリントン氏としても“リベラル左派”の声は無視する訳にいかず、逆に“リベラル左派”にとっては自らの存在感を示す格好の機会となっている。日本の“リベラル”の大きな特徴の1つは、憲法9条に象徴される反戦・平和主義を重視している点だが、サンダース氏は反戦主義者としても知られる。同氏はまた、巨大金融機関解体・富裕層への大幅増税・選挙資金制度改革・公立大学無償化・脱原発・反TPPの立場を明確にしている。因みにユダヤ系ではあるが、宗教的には不可知論者(神の存在は立証も否定もできないとする者で、全米の約4%を占める)である。




こうしたアメリカの“リベラル”を念頭に置いた場合、日本の“リベラル”が自問自答すべき点は2つあると思われる。第1に、日本の“リベラル”が目指すのは、ヨーロッパ流の“社会主義”か、アメリカ流の“リベラル左派”か、或いはより包括的な“リベラル”かである。先ず、ヨーロッパ流の“社会主義”といっても一党独裁が容認される時代ではない。ヨーロッパ各国に存在する『緑の党』のように、政治的な影響力は限定的ながらも、独立した政党の道を歩むという選択肢だ。次に、アメリカ流の“リベラル左派”のように、巨大政党の中に入り、その内側から自らの発言力や影響力を行使する選択肢もある。更には、“リベラル”の間口をより右側に拡張し、アメリカの民主党のように、“リベラル左派”と“リベラル中道派”を束ねるような、より緩やかな政治的連合を模索する選択肢が考えられる。アメリカの民主党は、1990年代のクリントン政権時代に「“大きな政府”の時代は終わった」と宣言し、福祉政策の見直しや『北米自由貿易協定(NAFTA)』の締結を進めた。つまり、“右旋回”し“第3の道”を積極的に切り開くことで、“保守”政党である共和党に抗う活路を見出したのである。これらの点を日本の政治状況に照らし合わせて、稍乱暴に当て嵌めれば、ヨーロッパ流の“社会主義”は現状維持を意味する。つまり、『日本共産党』や『社会民主党』等を受け皿とし続けることだ。但し、(余程のことが起こらない限り)粗恒久的に少数野党のままであり続ける可能性が高い。アメリカ流の“リベラル左派”は、例えば、最大野党である民主党(或いは目下、連携可能性の模索が報じられる“野党大連合”)に合流し、その内側から日本版“リベラル左派”として発言力や影響力を高めようとすることを意味する。但し、“安保法制廃案”や“憲法改正阻止”といったピンポイントの合従連衡である限り、それ以外の政策課題を巡って対立する可能性、或いはその過程で“リベラル”色を失ってしまう可能性もある。包括的な“リベラル”は、日本の“リベラル”が“右旋回”に舵を切り、無党派層を取り込み、更には自民党や公明党の穏健派を切り崩すべく、自らのアイデンティティーを変革することを意味する。アメリカの“保守”や“リベラル”のように、思想的な対立軸をより明確にするという点では望ましいかもしれない。少なくとも、シングルイシュー化した選挙や党利党略に満ちた政局を見るよりは、生きた哲学の教材としての面白みを感じられると思う。但し、この場合、右側に拡張した“リベラル”のアイデンティティーの核をどこに求めるか(つまり、何を妥協して何を放棄するか)が課題となる。

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上述したように、アメリカの場合は先ず、建国の思想的基盤として“リベラリズム”があり、“自由”を実現する手法として“保守”と“リベラル”の2つが存在している。細かく見れば、其々の内部に不協和音や矛盾を抱えてはいるが、基本的な参照点(point of reference)となる思想なり考え方が存在することは確かである。そうした参照点が無ければ、“リベラル”とは名ばかりになってしまう可能性がある。アメリカの“リベラル”を念頭に置いた場合、日本の“リベラル”が自問自答すべきもう1つの点は、防衛・安全保障への向き合い方であろう。アメリカでは、軍事力の行使は選択肢の1つとして“リベラル”の側でも広く容認されており、軍隊や退役軍人への敬意の念は実に深い。国旗掲揚や国歌斉唱に象徴される愛国心には揺るぎがない。反戦・平和主義の主張は、国際政治の現実から目を背けたユートピア的空想と見做されがちだ。周知の通り、オバマ大統領は2009年のプラハ演説で“核兵器なき世界”を説き、同年にノーベル平和賞を受賞したが、同賞の受賞演説では「世界には確かに悪が存在する」として正戦論(世の中には“正しい戦争”もあるとする考え)を展開している。ロシアがクリミアを併合し、中国が南シナ海の軍事拠点化を進め、北朝鮮が核実験を繰り返し、テロが頻発する世界の現実に対して、日本の“リベラル”は如何なる防衛・安全保障上の代替案や処方箋を提示できるのか。アメリカからすれば、「戦後の日本が平和を維持できたのは、憲法9条のおかげではなく、日米安保の“核の傘”の下にあったから」「憲法9条が世界平和を齎すなら、何故中国が尖閣諸島に迫り、北朝鮮が拉致被害者を解放しないのか」「『自衛隊は軍隊ではない』と本気で思っているのか」等と考えるであろう。屡々、日本の“リベラル”は日米安保そのものに否定的・懐疑的な姿勢を示す傾向がある。それはそれで構わないが、その場合、如何にして自国を防衛するのか(非武装中立なのか、武装中立なのか、自主防衛なのか、核武装なのか、或いは日英同盟なのか、日豪同盟なのか、日中同盟なのか等)、具体的で現実的な処方箋が示す必要がある。これは、安全保障環境に不安を抱く日本国民のみならず、国際社会の安心と信頼を得る上でも大切な課題である。日本の“リベラル”が“社会主義”乃至“リベラル左派”という少数派としての立ち位置を辛うじて守っていくのであれば、反戦・平和主義のままでも良いのかもしれない。しかし、より間口の広い“リベラル”を目指すのであれば、防衛・安全保障に関しても、より地政学的乃至リアリスト的に現実と向き合う時期に来ていると思われる。


渡辺靖(わたなべ・やすし) 慶應義塾大学SFC教授・ハーバード大学教授。1967年、北海道生まれ。ハーバード大学国際問題研究所アソシエート・パリ政治学院客員教授等を経て現職。専攻は文化人類学・文化政策論・アメリカ研究。著書に『アフター・アメリカ』(慶應義塾大学出版会)・『文化と外交』(中公新書)・『沈まぬアメリカ』(新潮社)・『“文化”を捉え直す』(岩波新書)等。


キャプチャ  2016年2月26日付掲載
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