【日本人の死生観が急変しつつある現象を読み解く】(上) 「人は死んだら全て終わり」でいいのか?

各種統計でも、日本人の大多数は年に1度はお墓参りをするという。ところが最近、そのお墓への思いが急変している。例えば、遺骨の葬法にも、肉親の死に対する営みにも予想外の変化が見える。それは何故なのか? (東北大学大学院教授 佐藤弘夫)

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新しい年を迎えて、三が日には多くの方が初詣に出かけられたのではないかと思います。今やすっかり国民的行事として定着した初詣ですが、それと並んで我が国を代表するもう1つの宗教行事が、お盆のお墓参りです。お盆は民俗宗教的要素がふんだんに入っていますが、元々は『盂蘭盆経』に由来する仏教行事です。釈迦の弟子の目連尊者が、餓鬼道に堕ちた母を救う為に行った法会に由来すると伝えられています。お盆というと、決まってニュースで取り上げられるのは、激しい帰省ラッシュや海外旅行の人々で混雑する空港ですが、それでも、その時期になると墓前には色取り取りの生け花が飾られ、墓地は線香の煙で満たされます。縁者の墓を訪れた人々はその前で合掌し、日頃の無沙汰を託びると共に、故人の安らかな眠りを祈ります。“お盆=先祖の墓参り”というイメージが、今でも大方の日本人の共通した認識となっているのです。しかし、そうした状況は今、劇的に変わりつつあります。遠い昔から続いてきて、これからもずっと続いていくと私たちが考えているお墓の在り方が、その根底において大きく揺らぎ始めているのです。例えば、お墓を作らない葬法の浸透です。1991年、安田睦彦氏に依って立ち上げられた『葬送の自由をすすめる会』は、従来の葬法とは全く異なる“自然葬”を提唱しました。遺骨をパウダー状にして、海や山に散布するというものです。この会では同年10月に、相模灘で第1回の自然葬を実施しました。自然豊かな場所に遺骨を撤くこの葬法は、“散骨”とも呼ばれます。墓地以外の場所に人骨を放置する為、“違法行為”というイメージを中々払拭できませんでした。また、散骨が行われる地域の住民の間からは、それを忌避しようとする動きも起こりました。そうした中で、この会の活動について、法務省が「節度を持って行われる限り、法律に抵触しない」という見解を出してからは、一気に全国に広がりをみせました。固定された墓を作らないもう1つの葬法が“樹木葬”です。これは、岩手県一関市の寺院が里山保全の目的をも兼ねて始めたもので、山林に遺骨を埋めて記念の植樹を行うという形を取ります。故人の名を記した木製の小さな標識を建てますが、遠からず朽ち果ててしまうことが前提になっています。「死者が草木となって生き続ける」というイメージが、折からの自然回帰のブームに乗って社会に受け入れられ、今や各地で同様の試みがなされるようになりました。自然回帰といえば、スウェーデンでは遺体をフリーズドライの方法で粉末化する“冷凍葬”が開発され、既に実行されています。インスタントコーヒーの製法と同じ原理で、遺体を超低温で凍結させて粉末化するものです。埋められた遺体は、短期間で完全に土に帰って肥料となります。「自然に負担をかけない」という点では、これ以上の葬法はありません。まさに、究極のエコと言えるでしょう。

自然葬や樹木葬が従来の一般的な日本の葬制と決定的に異なるのは、この世の特定の地に死者の本籍を設定しないところにあります。私たちが知っている墓地の風景を思い起こしてください。一部の真宗地帯や両墓制の村落を除いて、大方の地域では“○○家の墓”と刻んだ墓標が建てられています。誰かが亡くなった場合には、遺体を火葬した後、その下に設けられた空間(カロート)に遺骨を納めるという葬法が取られます。死者と生者との関係は、墓地への納骨に依って終わりを告げるものではありません。冒頭で述べたお盆の光景のように、遺族は折ある毎に故人のもとを訪れてはその様子を尋ね、残された人々の近況を報告します。納骨が世代を超えて継続される為、代替わりをしても墓参が途切れることはありません。墓地では、墓を取り違えることは決して許されません。墓碑に刻まれた文字や戒名は、訪問者が迷わない為の表札の役割を果たします。生者はその案内に導かれて死者の許を訪れ、恰もそこに故人が実在するかの如く、その視線を感じながら亡き人々に語りかけるのです。死者は既にこの世を去った人物です。常識的に考えれば、肉体を失った死者が私たちに語りかけてくることはありません。にも拘らず、私たちは何故お墓の中に死者の存在を感じ取るのでしょうか? そこに、故人の骨があることが理由の1つであることは間違いありません。1985年の日航ジャンボ機御巣鷹山墜落事故や、1994年にバルト海で起こった国際線フェリー沈没事故の際、国毎に遺族がどのような態度を取ったかを比較した研究があります。日本人の場合、遺族の生存が絶望視された段階でも、「せめて遺骨の一部だけでも持ち帰りたい」という強い願望が見られることが指摘されています。戦後70年を経た今日でさえ、戦地で遺骨の収集は続けられています。日本人が骨を大事にする民族であることは屡々言われることですが、学問的なレベルでもそれは実証されているのです。遺骨が眠る墓標を死者の終の住処と捉える伝統的な死生観と対比した時、自然葬や樹木葬のそれは著しく異質です。自然葬では、散骨が終わった瞬間に、死者は固定化された居場所を失ってしまいます。樹木葬の場合、埋葬後にその場所を示すプレートが設置されたとしても、墓石のように永久に名前を保存することは意図されていません。それらは軈て朽ち果て、或いは移動するものであり、遺骨の所在地がわからなくなってしまうことが前提となっています。「凡そ、あの辺りが埋葬の地である」と指し示すことはできても、一般的なお墓のように死者の居場所の前で語りかけるという行為は取りようがありません。そこには、「死者と生者の交流に、それを介在する特定の場が必要不可欠である」という発想が決定的に抜け落ちているのです。




今日、変化しつつあるのは葬送儀礼と墓制だけではありません。新しい死者供養の形態も生まれています。近年よく見られるものに、故人の写真を部屋に飾るというものがあります。これは従来のように、仏壇を構えてその中に位牌と共に写真を安置する形式ではありません。宗教色を完全に排除した形で、室内装飾の一環のようにして個人の写真を置き、花等を手向けるのです。近年流行しているもう1つの死者供養の作法に、“手元供養”と呼ばれるものがあります。これは、遺骨を陶土やガラスと一緒に焼き上げ、ペンダントや置物にして身に付けたり身近に置いたりするものです。ここでも宗教色は殆どありません。この手元供養は、一見すると“骨を大切にする日本人”の伝統を大切に受け継いでいるかのようです。しかし、それが一方では墓参の軽視に結び付いていることは見逃せません。遺影を飾る場合もそうですが、態々お墓に行かなくても想いを寄せる人とはいつでも会えるのです。新たな葬法や供養方法の出現とどこかで関連していると推定されるのですが、近年の火葬場では、火葬が終わっても骨を受け取らずに「適宜処分してほしい」と頼む人が増えているという話を聞きます。骨を故人と結び付け、その所在地である墓を特別視する風潮は明らかに変化を見せ始めているのです。これは、極めて重要な問題を孕んでいます。可視化された儀礼だけではなく、その背後にある世界観と死生観そのものが、大きな変容のプロセスに突入していると推定されるのです。日本人が長い間育んできた“墓地を媒介とする生者と死者の交渉”という常識が今、転換期に差しかかっています。死者は次第に墓地から離脱しているのです。

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墓にいないとすれば、死者はどこに向かっているのでしょうか? 自然葬と樹木葬に共通するのは、死者が永遠に記憶に留められることを前提にしていない点です。写真や手元供養の場合もそう言えますが、故人と供養者との関係は個人的なレベルに留まっています。供養者がこの世を去って被供養者と同じ世界に行ってしまえば、最早この世に故人を記憶する人間は存在しません。世代を超えて記憶され、訪問されることを願って墓石に戒名を刻むという従来の方法とは、根本的にコンセプトを異にしているのです。自然葬や樹木葬が定着していく背景には、山林を切り裂き、自然を破壊して大規模な墓地を開発することに対する批判意識の高まりがあることは否定できません。只管に効率を優先し、経済成長のみを追い求める姿勢に疑問の声が上がる中で、「死後自らも自然に帰り、それと一体化したい」という人々の願望が顕在化してきたのです。しかし、それ以上に重要な社会的要因は、伝統的な家制度の変容であると考えられます。日本列島では嘗て、高度成長期と呼ばれる社会の大変動の時期を体験しました。工業の発展に伴って、農村から都市部への人口の大移動が起こりました。その過程で、数世代が傍系親族を含めて同居する嘗ての大家族制度は解体し、夫婦とその子供からなる単婚小家族が世帯の単位となりました。それに加えて、近年は生涯を通じて未婚を通す男女が増え、死後を弔ってくれる親族を持たない人間が大量に出現するに至っています。自然葬や樹木葬を選択する人々の多くは、次世代の後継者を持っていません。それらの人々は、自身の永続した供養を望むべくもありません。せめて配偶者や友人が細やかな遺品を身近に置き、折に触れて自分を思い起こしてくれることを望んでいるのです。「知っている人を記憶できればいい」「知っている人に記憶されればそれでいい」という意識がその根底にはあります。これは、死者と生者の関係の個人化に他なりません。嘗てのように、生者と死者の関係は家を媒介とした関係・社会的な関係ではなくなり、何らかの繋がりを持つ個人同士の1対1の関係へと変化しているのです。自然葬や樹木葬が選択肢に上がるようになった背景には、自分を記憶する周囲の人々が誰もいなくなった時、自然と一体化して、この地球の片隅に存在し続けるというイメージで、死が捉えられることになったのです。

死者は骨といった形あるもの、墓といった具体的な場所から解放され、自身を想起する人物がいれば、自在にそこに出現することが可能になりました。死者が墓地を離れ、風になって空中を自由に飛翔する様子を歌った『千の風になって』が流行したのは、こうした新たな世界観と死生観の浸透に対応する現象に他なりません。写真や遺骨のペンダントは死者の依り代ではなく、記憶を呼び覚ます装置です。死者は、「どこ、ここ」と指し示すことのできるような具体的な場所にいるのではありません。コンピュータを起動してアプリを立ち上げると初音ミクが登場するように、バーチャルな空間にいるバーチャルなキャラクターです。遺品は、その起動の為のスイッチなのです。こうした現実感の薄い死者のイメージが生まれてくる背景に、家制度の変容があることは既に述べた通りですが、今日、実際に死体に接する機会が殆ど無くなったことも大きな原因となっているように思われます。今は、親族の遺体の処理でさえも葬儀業者が代行してくれて、遺族が直接手を下さなくても済むようなシステムが出来上がっています。どのような死に方をしても、葬儀で対面するのは清められ整えられた美しい死に顔です。それは恰も職人形を見るかのようで、死体が一面で持つ悍ましさを全く感じ取ることができません。私たちは死を宿命付けられた存在であるにも拘らず、水からの死に直面するまで、容易にそのリアリティーを感じられないのが現代社会の実情なのです。

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これからも日本列島では、死者が生々しい遺骸を離れて、死のリアリティーが希薄な仮想空間に住まいを移していく傾向は変わることはないでしょう。だが、それが一方的に進展するとは考えられません。東日本大震災では火葬し切れない大量の遺体を前にして、それをどう処理するかが喫緊の課題となりました。被災地では、夥しい数の幽霊の目撃情報が寄せられています。死を周到に包装紙に包み、社会から遠ざけた現代日本でも、一度想定を越えた災禍が出現すれば、忽ち包装が剥がれ落ちて、剥き出しの死の現実が目の前に現れるのです。嘗て、この列島では、生と死が交わる領域は呼吸が停止してからの限られた期間だけではありませんでした。民俗学者の柳田國男が論じたように、「死者の霊は長い期間を経て浄化されながら、次第に個性を失い、軈ては祖霊と一体化する」と信じられていました。生と死の間に一定の幅があるだけではなく、その前後に生者の世界と死者の世界が重なり合う長い期間があるというのが、前近代の人々の一般的な感覚でした。生者と死者は、交流を続けながら同じ空間を共有していました。生と死そのものが、決して本質的に異なる状態とは考えられていなかったのです。人々は、死後も縁者と長い交流を継続しました。それは、自分自身もいつかはお墓の中から子孫の行く末を見守り、お盆には懐かしい家に帰って寛ぐことができるという感覚の共有に他なりませんでした。「死後も縁者と交歓できる」という安心感が社会の隅々まで行き渡ることに依って、人は死の恐怖を乗り越えることが可能となったのです。死は全ての終焉ではなく、生者と死者との新しい関係の始まりでした。お墓を介在した生者と死者の交流は、そうした死生観を端的に示すものでした。社会構造の変容に伴って、死に対する意識と死者供養の形態が変わることは、避けることのできない大きな流れです。大家族制度が崩壊した高度成長期以降の社会において、家の墓を軸とする葬制が変化することは時代の必然と言っていいでしょう。しかし、まさにそれ故に、「この列島の人々が育んできた生と死を、生者と死者の世界を連続して捉える世界観の重要性を今、再認識すべきである」と私は考えています。

現代社会に暮らす多くの人々は、「人間の生は此の世だけで完結するものであり、一度死の世界に足を踏み入れてしまえば、二度と我が家に帰ることはできない」と考えるようになっています。宮城県で長年に亘って緩和ケアの仕事に従事し、2000名の患者を看取った故・岡部健医師は、自らが癌になって死を意識した時の心境を、こう語りました。「がん患者になったとき、痩せた山の尾根を歩いている気分だった。【中略】晴れ渡った右の生の世界には、やれ化学療法だ、やれ緩和医療だ、やれ疼痛管理だとか、数えきれないほどの道しるべが煌煌と輝いていた。ところが、反対側の死の世界に降りていく斜面は、黒々とした闇に包まれ、道しるべが1つもないのだ」。現代人にとって、死はどこまでも暗い孤独の世界です。死が未知の暗黒世界である故に、人は生死の一線を越えることを極度に恐れるようになりました。今の日本人が生の質を問うこと無く、1分1秒でも長い命の継続を至上視する背景には、こうした近現代に固有の死生観があるのです。私は昨年、“介護と看取り”をテーマとするシンポジウムに参加する為、北京を訪れました。終了後に、中国のホスピスの現状を見せて頂く為に『万明医院』という病院を訪問し、スタッフと懇談する機会を持つことができました。万明医院では、病院の内部に“往生堂”という名称の一室が設けられ、重篤な病状に陥った患者がそこに運ばれて、親族の介護を受けながら念仏の声に送られて、あの世に旅立つシステムが作り上げられていました。敷地内の別の一室では、故人の遺体を前に、僧侶を導師として沢山の人々が念仏を称えていました。その儀式は数日間続けられるという話でした。霊安室と死者の退出口を人目のつかないように設けることに依って、生と死の空間をはっきりと区別する日本の病院を見慣れていた私にとって、中国でさえも、病院内に生の世界と死の世界が混在するこの光景は、大変衝撃的なものでした。人類の歴史を振り返れば、生者は常に死者を自らの世界に招き入れ、両者のあるべき関係を模索してきました。死者がいなければ社会そのものが成り立たない時代が長く続きました。死者と如何なる関係を築いていくべきか――。その模索は、未だに終わりを告げていないのです。


佐藤弘夫(さとう・ひろお) 宗教学者・東北大学大学院教授。1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部史学科卒。同大学大学院文学研究科博士前期課程修了。博士(文学)。盛岡大学助教授等を経て現職。専攻は日本思想史。著書に『死者のゆくえ』(岩田書院)・『死者の花嫁 葬送と追想の列島史』(幻戯書房)等。


キャプチャ  2016年1月号掲載


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