【こころの玉手箱】フリーキャスター・小倉智昭(01) 父の教えは「夢は持つな。目標を持て」、吃音は自分で治すと誓う

小学2年生の時から毎年、七夕の短冊にこう書いた。「どもりがなおりますように」。父は『帝国石油』(現在の『国際石油開発帝石』)の技術者だった。戦後、母や姉と共に台湾から引き揚げて、秋田の鉱業所に着任し、翌年に僕が生まれた。社宅が足りず、割り当てられた住まいは旅館や改築した動物園の管理棟。何しろ寒くて朝、家の中に雪が吹き込んでいることもある。物心ついた頃から、栄養失調のせいで脚気、そして吃音があった。親や先生は心配したけれど、僕はお喋りで駆けっこが速く、秋田ではお山の大将でいられた。「吃音を克服したい」と意識するようになったのは、小学2年生で東京に転校した時だ。初登校の日、秋田弁のたどたどしい自己紹介に皆がどっと笑った。放送劇で『マッチ売りの少女』をやる時、「このマッチ、いくらですか?」という短いセリフを貰ったが、口をついて出てこない。悔しかったね。その僕を後に有名にしてくれたナレーションが“HOWマッチ”だなんて、何か因縁めいている。5年生の時、秋田に戻った。未だ吃音は治らない。「七夕で願い事が叶うなんて嘘だ」と父に訴えた。すると、こんな風に諭された。「智昭、夢は持つな。目標を持て」と。「夢は夢で終わる。目標は到達できなきゃ下げ、達成できたら更に上を目指せるんだ」。その時、「吃音は自分で治す」と心に決めた。この父の教えは、今も自分の心の奥底にある。毎日、河原で犬の散歩をしながら発声を研究した。そして発見した。独り言ではどもらない。歌も大丈夫。リズムに乗るとすっと言葉が出る。高い声の出し方もわかった。それからは、教科書・新聞と朗読をしまくって声を出す練習をし、給食時間には落語を披露した。担任が「小倉は芝居っ気があるなあ」とNHKの児童劇団に連れて行ってくれて、演劇好きにもなった。「喋るのが上手かもしれない」と自信が持てるようになったのは、再び転校、入学した世田谷の梅丘中学校のおかげ。修学旅行先も体育祭の種目も生徒が決めるという自主性重視の教育方針に依って、生まれて初めて積極的になれた。陸上競技に没頭して記録を塗り替え、学校を代表する選手になった。演劇部を立ち上げ、生徒会の役員を務めた。僕は、人前で話すことが好きになっていた。


小倉智昭(おぐら・ともあき) フリーアナウンサー。1947年、秋田県生まれ。独協大学フランス語学科卒業後、1971年に『日本科学技術振興財団テレビ事業本部』(現在の『テレビ東京』)に入社。1977年にフリーとなり、『世界まるごとHOWマッチ』(毎日放送/TBSテレビ系)のナレーションが話題に。1秒で18文字話す早口。現在は『とくダネ!』(フジテレビ系)キャスター。


≡日本経済新聞 2016年2月29日付夕刊掲載≡
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