【言論の不自由】(09) 食通はワサビを溶かさないんだってさ

20160302 05
「人、飲食せざるなし、而して味を知るもの鮮し」――。孟子の言う通りである。人と生れて食わぬ者なしだが、真に味の解る者は少ない。北大路魯山人は、「ものを美味く食う術や如何に」との問いに、「空腹にするのが一番」と人を喰った回答を寄せている。拙者に言わせるなら、大概の自称“食通”は只、腹を空かせた“知ったかぶり”に過ぎず、美味いもの知らずであり、傍で見ていて気色悪さが際立つものである。この手合いは、行った店の数を誇るが、彼らの論評など聞くに堪えない。自称“映画通”にも共通するのだが、本数を観て味が解るなら苦労は無い。それなら、街場のレンタル屋で鼻糞をほじりながら日がな画面に見入っている親爺風情でも素晴らしい評論家になる道理である。「少し極端な言い方かも知れませんが、料理に“美”を求めぬ人は、当てがい扶持に満足する犬猫の類と同じだと言っても差支えないでしょう」という魯山人は、如何にも正しい。才能の無い者に努力は意味をなさないのが世の現実である。「だが、そう言ってしまっては話にならぬ。また味を解する者はないと言っても、まるっきり味が分らぬということは実際にはないのだから、一応は腹を減らせと言ってみるが、そこにはだんだんと道がある。味が分らねば分らないなりに、やはり好き嫌いがあり、嗜好があり、まるっきり打ち捨てたものでもない」(魯山人)。拙者の駄弁も無論、この前提に立つ。

世に馬鹿は多いが、フランス料理馬鹿には際立った味わいがある。料理の一口、葡萄酒の一口毎に相好を崩し、感に堪えぬといった風情で溜息を吐くが、大抵、東京のフランス料理屋で供される皿の上では、鴨も鳩も鶉も鹿も猪も、折角の上等の食材が甘ったるいソースで台無しになっている。料理人が「フランス料理はソースで食わせるもので、これが王道である」と高を括っているから、グルメ雑誌に紹介されるような“名店”はどこもかしこも「右へ倣え」である。そう思い込まされたフランス馬鹿の食客は、喰わぬうちから「美味い」のであるし、喰えば喰ったで「美味い」のである。「だいたいうめえと思ったのはないし、食ったこともねえような料理で、見たこともないようなソースがかかってて、うわあっという感じで、ちっともおいしいと思わない。一度もうまいと思ったことがない」(『吉本隆明“食”を語る』・朝日文庫)と正直な感想を述べられる者にこそ幸いあれ、である。無論、本場ではそんな愚ばかり犯してはいないし、日本でも札幌の『モリエール』辺りになると話は別である。扨て、フランス料理馬鹿の淵源を辿れば、又も魯山人の言葉に行き当たる。「フランス料理の声価は、世界第一のごとく誇大に評判され、半世紀以上に渉って、われわれ日本人を信じさせてきた。フランスに派遣された役人たちによってである。考えてみると、だいたい皆が皆若輩で、【中略】上は大使・公使、下は貧乏画家青年、その皆が日本美食を通暁するはずのないことはいうまでもない。日本料理の真価というものがどこにあるか、ぶつかったことも【中略】なさそうな人たちばかりである。その若人によって、無暗と誇大に、フランス料理は日本人に喧伝されてしまったらしい。いわゆる若気の至りというやつである。それが今回の私の外遊によって、憚りながらほぼ明らかになった」(『フランス料理について』・昭和29年『芸術新潮』9~10月号)。元来、料理の良否は素材の良否がものを言う。当時のチルド技術では、肉も魚もパリの“素材”が美味かろう筈もない。古来、不味い素材を美味く直すことは絶対不可能である。あるのは“誤魔化す”技巧だけであり、それがソースである。




では、厨房の中にいる料理人から見た“食通知ったかぶり”は、如何様に見えるものであるか? これも、興趣の尽きぬ話題である。東京で某出版社が“B級グルメ”なる言葉を流行らせた時期がある。1980年代の昔である。その頃から、刺身を食う時に、醤油にワサビを溶くか、刺身にワサビを直に置いてそれを醤油につけて食すかで、2派に分かれるようになった。時が経ち、“溶かない”一派は自ら“食の通”を自任する者として振る舞い、醤油に“溶く人々”を「ワサビで汚れた醤油を好む味の解らぬ者たち」と白眼視する気配が醸成されるに至る。実際、読者諸賢の内にも“溶かない”派は多いのではあるまいか。京都は祇園で店を構える日本料理の主が、ある客人にその正否を問われて、カウンターの中からこう言ったことがある。「訊かれたから敢えてお答えしますが、そりゃ、ワサビは醤油に溶かれたほうが美味いに決まっておりますな。ワサビを刺身に直に付ける摩訶不思議な仕草はよく目にしますが、まあ、人様の好みですから黙って見ていますが、内心は可笑しいですな。ならいっそ、舌の上にワサビを置かれるが宜し。もっと美味くなる筈ですな。B級グルメのなさりようで、所詮はB級の振る舞いでしょう」。そう言われた客人とは、何を隠そう拙者のことで、だからこそ拙文は斯くの如し。彼ら俗物どもの“食通知ったかぶり”の醜悪な行状が手に取るように解った次第である。鳴呼、合掌。


轟狂太郎(とどろき・きょうたろう) 著述家。1945年、東京都生まれ。慶應義塾大学卒。出版社勤務を経て売文業。趣味はアマチュアオーケストラでのチェロ演奏・食道楽・1980年代までのイギリス靴蒐集。


キャプチャ  2015年12月号掲載


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