【こころの玉手箱】フリーキャスター・小倉智昭(02) ヤマハのベースギター…バンドに熱中、生演奏で稼ぐ

入試や就職試験では“一発合格”と縁が無い。中学校では陸上競技を目一杯やって、塾に行ったことも無い。1つ上の先輩が通っていた陸上の名門、中央大学付属高校をスポーツ推薦で受けるが、問題が矢鱈難しくて不合格。補欠で滑り込んだ。中大付属はバレーボール・バスケットボール・卓球とスポーツは何でも強い。陸上部でも、周りは僕より足が速い人ばかりだった。練習はきつく、上下関係が厳しい。3ヵ月で「辛い」と父に言うと、「じゃあ、高校を辞めるか」。辞めさせない為の脅し文句だと後で知ったが、歯を食い縛って続け、400m走では東京大会優勝。1600mリレーでは全国制覇を目指すようになった。ただ、男臭い寮生活も五厘刈りも嫌で、中大進学の道は選ばなかった。当時、陸上界で目立っていた格好いい先輩が通う上智大学に憧れ、受験して不合格に。1浪して再挑戦して又もや失敗。運良く、受験雑誌『蛍雪時代』で独協大学の2次募集広告を見つけ、やっと合格したが、これも補欠だ。入学して何より熱中したのが音楽だった。2年生でロックバンド『ザ・メモリー・オブ・フューチャー』を結成。結構人気があって、銀座のビアガーデンやキャバレーからお呼びがかかり、大卒初任給が3万4000円くらいの当時、4人で月30万~50万円を稼いだ。バイト代で買ったのが『ヤマハ』のベース。5万円ほどと学生には贅沢だったけれど、月賦で買った。社会人になり、金に困った時には何度も質に入れ、2万円は貸してくれたかなぁ。ビアガーデンは生演奏が全盛で、和田アキ子さんや松崎しげるさんも歌っていた。プロから誘いもあった。僕は『クレージーキャッツ』が大好きで、歌って司会もできるコミックバンドをやりたかったけれど、メンバーは賛同してくれない。そのうち1人、2人と就職し、自分だけが取り残された。「喋る職業に就きたい」とアナウンサーを志願して、『文化放送』『フジテレビ』を受けたけど駄目。諦めかけていた9月、朝日新聞の小さな広告が目に留まった。「日本科学技術振興財団テレビ事業本部(現在のテレビ東京)アナウンサー募集」。


小倉智昭(おぐら・ともあき) フリーアナウンサー。1947年、秋田県生まれ。独協大学フランス語学科卒業後、1971年に『日本科学技術振興財団テレビ事業本部』(現在の『テレビ東京』)に入社。1977年にフリーとなり、『世界まるごとHOWマッチ』(毎日放送/TBSテレビ系)のナレーションが話題に。1秒で18文字話す早口。現在は『とくダネ!』(フジテレビ系)キャスター。


≡日本経済新聞 2016年3月1日付夕刊掲載≡
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