【こころの玉手箱】フリーキャスター・小倉智昭(03) 競馬中継…入社と活躍のきっかけに

僕はテレビ局志望の他の学生と違い、放送研究会にも所属せず専門学校にも通っていない。「これでは駄目だ」と『フジテレビ』不合格後2ヵ月間、1冊の本で発声等を特訓していた。「どうしてアナウンサーになりたいの?」。面接官に聞かれた。「僕は吃音です。小さい時に皆に馬鹿にされたので、喋る仕事に就きたいと勉強しました」。大きい声が出て、独学で身につけた読みも上手くいった。合格の決定打が3分間のフリートークだった。マイクの前で与えられたお題は“競馬”。「よし」と思った。高校時代から府中住まい。トラック代わりに競馬場で走っていた。馬が可愛くてどんどん好きになり、ジョッキーと馬名を完璧に覚えていた。試験のフリートークの出だしは今でも覚えている。「競馬の上がり3ハロン(ゴール前)は600mですが、僕はその半分の300mを上がり時計と同じスピードで走れます」――。知識をフル動員して喋り切った。入社2ヵ月目に競馬の研修があった。競馬はスポーツアナの花形。だけど、視聴者はお金をかけているから間違いは許されない。当時は「デビューまで2年はかかる」と言われた。実況アナは、馬名を馬主毎の色で塗り分けた資料を手作りし、暗記して臨むものだった。研修中に先輩が面白がって「次のレース、やってみて」と言ってきた。十数頭の未勝利戦。僕が平然と熟したら、「どこで馬の名前を勉強したの?」と驚かれた。「好きだから全部わかります」と言うと、「じゃあ来週からやって」。その頃、僕は“ア”“カ”で始まる言葉が苦手だった。馬名の頭文字は、その2つが多い。そこで、「右鞭飛んだカネミノブ」「郷原の手が動いたカネイコマ」なんて修飾語を付けることを考えた。実況では、「この馬はここがいい」と強調してウケた。競馬場に出入りしていた大橋巨泉さんが、そんな僕を目に留めたらしい。実況は評価されたけれど、“競馬の小倉”で終わりたくはなかった。入社5年目、土曜夜に『独占!男の時間』が始まった。山城新伍さん司会のお色気番組。この人気番組に出演したことが、僕の運命を決定付けた。


小倉智昭(おぐら・ともあき) フリーアナウンサー。1947年、秋田県生まれ。独協大学フランス語学科卒業後、1971年に『日本科学技術振興財団テレビ事業本部』(現在の『テレビ東京』)に入社。1977年にフリーとなり、『世界まるごとHOWマッチ』(毎日放送/TBSテレビ系)のナレーションが話題に。1秒で18文字話す早口。現在は『とくダネ!』(フジテレビ系)キャスター。


≡日本経済新聞 2016年3月2日付夕刊掲載≡


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