【震災5年・あの時】(02) 濁流「もう終わりだよ」

20160305 05

「早く地震が収まればいいね」――。2011年3月11日、岩手県釜石市鵜住居町の駒林ユウ子さん(66)は大きな揺れの後、海岸線から1.2kmの駅前地区にある『釜石市鵜住居地区防災センター』まで歩き、2階の避難室で顔見知りの人たちと談笑していた。センターは本来の避難場所ではない。だが、住宅地の中にあり、屋内で寒さを凌げる。地元住民の避難訓練は、参加者を増やす為にここを利用し、市も容認していた。「津波だ!」。男性が叫んだ。駒林さんが窓の外を見ると、真っ黒な水がうねりながら自宅に襲いかかっていた。咄嗟に室内のステージ台に向かって走った。濁流は一気に窓を突き抜け、体が呑み込まれた。三重県で暮らしていた長女に、心の中で呼びかけた。「お姉ちゃん、お母さんはもう終わりだよ」。この日、センターに避難した130人超のうち、100人以上が死亡した。

現場①…階段 15:00
鵜住居町の小林庸子さん(78)は、この日の午後1時から防災センター2階の活動支援室で、20人程でパソコンソフトの使い方を教え合っていた。午後2時46分、揺れ始めて本棚から本が落ちた。廊下に出て、近くの女性と抱き合ってしゃがみ込んだ。2回目の大きな揺れが収まってから部屋に戻った。「今日は、もう活動を止めましょう」。参加者で話し合い、小林さんが1次避難場所の常楽寺の裏山に向かおうと階段を下りていくと、近所の藤原チヨさん(当時70)と柴田ミンさん(同78)が手を繋いで階段を上ってきた。「随分早いね」。小林さんが声をかけると、藤原さんは頷いた。藤原さんは2010年5月、センターを利用した避難訓練に参加。2日前の地震でもセンターに逃げ、長男の新一さん(50)に「私はもしもの時には防災センターに避難と決めてるよ」とメールをしていた。この日、藤原さんは午前中、長女と一緒に大槌町のショッピングセンターに行き、もうすぐ小学4年生になる女の子の孫の為、黄色のスニーカーを買った。「喜ぶといいな」。長女との昼食の間、藤原さんは何度もそう言った。地震が起きたのは帰宅後だった。小林さんには、藤原さんは安心し切った様子に見えた。「私はお寺のほうに行くね」。小林さんは藤原さんたちと別れ、一旦は自転車で自宅に戻ったあと、常楽寺に向かった。




現場②…避難室 15:20
駒林ユウ子さん(66)は、自宅から徒歩で2~3分のところにあるセンターを使った避難訓練に、全て参加していた。1次避難場所は常楽寺の裏山だと知っていたが、大きな津波が来るとは思わず、この日もセンターに向かった。2階の避難室には、1歳と2歳の娘、それに母親の家族4人で避難してきた佐野梢さん(当時29)がいた。佐野さんは怯える娘を抱き、あやしていた。佐野さんの父は2008年7月に亡くなっていた。「お父さんから『何かあったら常楽寺に逃げろよ』と言われていた。本当に、ここに逃げてよかったのかな」。佐野さんがそう呟くのを、駒林さんは聞いた。窓から津波が見えると、室内の人たちが散り散りに走り出した。駒林さんはステージ台の上に乗り、壁を背に身構えた。「気付いた時には、プールの中に沈んだような状態だった」という。水を少し飲んだ。天井から僅か15㎝ほどの隙間で息ができた時、水面に浮かんだステージが目の前に来て、掴まった。藤原さんも同じステージに手をかけていた。近所同士で、会えば挨拶する仲だった。水が次第に引き、ステージが一度は床に着いた。傍にいた知り合いの沢正子さん(同71)が指を怪我していた。駒林さんはバッグからハンカチを取り出し、指に巻いてあげた。「頑張ろうね」。ステージの上で藤原さん・沢さんと手を取り合ったが、沢さんの顔は青褪めていた。「2回目が来るぞ!」。また、どこからか男性の声が聞こえた。再び部屋の中が黒い水で満たされ、駒林さんは天井からぶら下がっていた配線コードのようなものに掴まり、下駄箱の上に上がった。水が引くと、生き残った約20人が備蓄倉庫に集まった。藤原さんや沢さん、佐野さん親子の姿は無かった。「ああ、うちのお袋だ」。母親の遺体を見つけた男性が、声を上げた。

現場③…翌日救出
備蓄倉庫には、真空パックに入った毛布が数枚あった。駒林さんたちは、全員で濡れた体を寄せ合い、毛布に包まった。誰かが持っていたペットボトルの水をキャップに入れて、皆で1口ずつ飲み、お菓子を分け合って食べた。周囲は真っ暗で、時折、呻き声が聞こえた。「これからどうなるんだろう」。寒さと不安で一睡もせずに一晩を過ごした。呻き声は、朝方には聞こえなくなっていた。センターの上空に自衛隊のヘリコプターが到着したのは、翌12日の昼。屋上から、お年寄りや子供が先に吊り上げられた。順番を待つ間、「大変でしたね。これから暖かいところに行きましょう」と自衛隊員が声をかけてくれ、初めて安心できた。駒林さんも夕方近くに救助され、大槌町の避難所に運ばれた。藤原さん・沢さん・柴田さんはその後、死亡が確認された。藤原さんの長男・新一さんは、「母は、普段から直ぐに避難できるよう、リュックに大事なものを詰めていた。震災の時も訓練通りにセンターに逃げたが、津波が大き過ぎた」と無念そうに語る。「足が悪かったから、(1次避難場所の)常楽寺まで逃げられたかわからない。仕方ない」とも話す。避難室にいた佐野さん家族4人も犠牲になった。佐野さんの義父・巌さん(73)は、約1週間後に孫娘2人の遺体と対面した。「可愛い盛りだった。上の子は幼稚園の下見にも行っていたのに」と涙ぐむ。「“防災センター”という名前だけで、普通は安心して避難する。それなのに天井近くまで水が来て、どんな思いをしたのか…」。巌さんは悔しげに言う。釜石市での死亡・行方不明は、センターの死亡者100人超を含めて1040人に上った。

■釜石東中学校、上へ上へ
【海抜2m】放課後だった。釜石東中学校1年の沢口栞子さん(17)は3階の教室にいた。揺れが徐々に強くなっていくのを机の下で感じ、“津波”が頭に浮かんだ。小学校の時から、「この地域が昔の津波で被害を受けた」と学校で教えられてきた。揺れが収まると、非常階段を速足で下りた。佐々木良一教論(46)は、1階の教室で卒業記念の寄せ書きを書かせていた。揺れで悲鳴を上げる生徒たち。中庭に面したドアを開け、「直ぐ外に出ろ!」と声を張り上げた。平野憲校長(58)は仕事で学校にいなかった。1階の職員室では、村上洋子副校長(58)が校内放送で避難を指示しようとしたが、停電で使えない。生徒がグラウンドで整列しようとしているのが窓から見え、「避難訓練と同じように点呼をしていたら遅れる」と判断して、臼井省悟教論(29)に伝えた。「ございしょの里まで全力で走って!」。グラウンドでは地割れが起き、中庭の池から水しぶきが上がっていた。「ございしょの里まで逃げろ!」。臼井教論が繰り返し叫んで走り出すと、グラウンドにいた生徒たちが真っ先に逃げ始め、校舎からも続々と生徒たちが出てきた。沢口さんは、濁流がうねりながら迫ってくる光景を想像して、急に脚が重たくなった。セカンドバッグが邪魔だった。道端に置き捨て、走った。
【海抜7m】介護福祉施設『ございしょの里』の駐車場は、東中学校の生徒たちの後を追うように避難してきた鵜住居小学校の児童や付近の住民も集まり、ごった返していた。近くの崖が崩れていることに生徒や住民が気付いた。村上副校長は、更に高台へ生徒たちを避難させようと、臼井教論を『やまざき機能訓練デイサービスホーム』へ走らせた。施設の職員に避難の許可を取った臼井教論は両腕で頭上に円を描き、「オッケー!」と叫んだ。「小学生と手を繋いで逃げるよ」。村上副校長は生徒たちに伝えた。沢口さんも崖を見て「これは拙い」と思い、児童2人の手を取った。男の子と女の子だった気がするが、必死だった為か覚えていない。「自分の命は自分で守るんだよ!」。村上副校長は、坂を駆け上がっていく生徒たちの最後尾を走りながら、声をかけた。
【海抜16m】生徒たちは『やまざきデイサービス』まで辿り着いたが、津波は家々を押し流しながら土煙を上げて迫ってきていた。沢口さんは「死んでしまうかもしれない」と思った。「てんでに逃げろ!」。佐々木教諭は叫んだ。祖父は漁師で、昭和三陸地震津波を経験していた。「津波の時に振り向くと転ぶ。1人転ぶと他も転ぶ」という祖父の生前の教えを思い出し、「後ろを振り向くな!」と何度も大声で伝えた。沢口さんは前だけを見て、全力で走った。
【海抜44m】生徒と教員は、“恋の峠”と呼ばれる国道まで辿り着いた。生徒たちは道路にしゃがみ込んだり、泣いたりしていた。近くの山へ逃げた生徒もいた。佐々木教論は山を登っていった。生徒たちがいた場所からは、津波に呑み込まれた街が見えた。「これからどうなるんですか、先生」。男子生徒が佐々木教論に聞いた。「今よりは悪くならない」。そう答えるしかなかった。生ぬるい風が吹いていた。祖父が言っていた“津波の時の風”だった。 (肩書は当時)――校舎にいた212人の生徒と約20人の教職員は全員無事。沢口さんは、「逃げ切れたのは訓練のおかげ。『先ず逃げる』という意識が身に付いていた」と話す。ばらばらに避難を始める“津波てんでんこ”の言い伝えが生徒の避難に生かされた事例として、全国に知られることになった。東中学校は現在、市内の仮設校舎を使っている。跡地には、2019年ラグビーワールドカップの会場となる『釜石鵜住居復興スタジアム』(仮称)が建設予定だ。

20160305 06
■学校・住民、広がる連携
震災前の釜石東中学校が避難訓練と共に力を入れていたのが、学校と地域住民の連携だった。東中学校は、群馬大学の片田敏孝教授(災害社会工学)の協力を得て津波防災に取り組んでいた。その1つが、各戸のドア等に掲げる為の“安否札”。自分が既に避難したことを知らせ、家族が家に留まって津波に呑まれるのを防ぐ目的で、生徒たちが作成して近隣住民に配布していた。震災後、被災地だけでなく、首都圏や南海トラフ巨大地震の被害が想定される地域で、こうした連携が進められている。仙台市立南吉成中学校では2012年度から、地域住民が参加する避難所の運営訓練を年1回実施。被災者役の住民から名前や連絡先を聞いて名簿を作る受け付け作業や、炊き出しの調理・配給等を町内会等と実践している。2014年度からは地域の老人会・消防団・小学生にも参加を呼びかけ、今年度は住民の参加者が約250人に上った。震災で校庭が液状化し、校舎が建て替えられた千葉県船橋市立湊中学校は2012年9月、気象台の専門家が液状化の仕組みを解説する講演会を開催した。回覧板で地域住民にも参加を呼びかけたところ、約60人が参加。2013年からは毎年冬、地域住民と合同防災訓練を実施し、簡易トイレや非常用照明設備の組み立て方等を一緒に学んでいる。南海トラフ巨大地震で最大31mの津波が予想される高知県四万十町の興津地区。同町立興津小学校では、児童が地域の避難訓練の様子をビデオカメラで撮影し、改善点を記した防災マップを作成して住民に配っている。日中と夜の避難の映像を比較したところ、夜間は街灯が無く、道が見え辛い場所が多いことがわかった。児童たちは、防災マップに昼と夜の同じ場所の写真も入れることで、高齢者が迷わないよう工夫した。片田教授は、「大人が真剣に防災に取り組む姿を見れば、子供も熱心になる。防災での学校と地域の連携は、次世代の安全を確保する為にも重要だ」と話している。

■“てんでんこ”、信頼感が大事
釜石東中学校の避難行動で注目された“てんでんこ”は、津波被害が多い岩手県三陸地方等の方言で“各自”“其々”の意味がある。大船渡市出身の津波史研究家・山下文男さん(2011年死去)が1990年、田老町(現在の宮古市)で開かれた『全国沿岸市町村津波サミット』で、昭和三陸地震津波(1933年)の体験談を語ったこと等から知られるようになった。山下さんの著書に依ると、昭和三陸地震津波の発生時、父親は当時、小学3年生だった山下さんを連れずに、自分だけ一目散に高台に逃げた。母親に非難された父親は、「何っ! てんでんこだ」と言い返したという。その理由は、父親が経験した1896年の明治三陸地震津波にあった。宮古市田老地区で1859人が亡くなる等、県沿岸部で大きな被害があり、父親は自分の母親や妹を亡くしていた。山下さんは、津波てんでんこの「自分の命は自分で守る」という行動規範は防災教育に役立つと考えて普及に努めたが、「高齢者や障害者などの“災害弱者”の避難はどうするのか、という、心情的に割り切れない問題が残る」とも記している。震災後、津波てんでんこの意味を改めて考察し、論文にまとめた京都大学防災研究所の矢守克也教授(防災心理学)は、「“津波てんでんこ”には、自分が率先して避難する姿を見せることで、他人の避難行動を促す効果もある」と指摘する。その上で矢守教授は、周りの人と普段から信頼関係を築いておくことの重要性を訴える。「自分が逃げて助かるという“自助”だけでなく、家族や地域で避難方法をきちんと話し合っておけば、津波が来た時に『皆も逃げている筈だ』と信じて、自分も逃げることができる」

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■「建物名が誤解を与えた」…調査委が指摘
震災後、鵜住居地区防災センターで多数の犠牲者が出たことについて、遺族が第三者に依る検証を要請。釜石市は2013年4月、大学教授・弁護士・市の防災担当幹部ら7人で構成する調査委員会を設置した。調査委は市職員や生存者からの聞き取り、広報誌や津波浸水予測図の調査等を踏まえて、2014年3月、報告書を公表した。それに依ると、2010年に開所したセンターは、防災名目で起債し、補助金も利用することで財源不足を補おうとした経緯があり、“防災センター”という名称もその為だった。また、予算の制約で2階建てに留まったことで津波避難ビルの指定ができなかった。報告書では、「センターが津波の1次避難場所ではないことが住民に周知されていなかった」と指摘。名称も「住民に避難場所だという誤解を与えた」とし、「事態の回避は可能だった。市の責任は重い」と総括した。センターに避難した孫(当時6)と長男の妻(同34)を亡くした菊池通幸さん(68)は、「センターを使った避難訓練を市が何故認めたのか等、検証されていないことは多く、市の説明責任は果たされていない」と憤る。一方、救出された駒林さんは、「誰もあんな大きな津波が来るとは思っていなかった。市を責める気持ちは無い」と話す。悲劇を伝える為、センターの保存を求める遺族の声もあったが、2014年2月に取り壊しが完了した。市は、跡地に慰霊碑の建立を検討している。


≡読売新聞 2016年2月17日付掲載≡


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テーマ : 東日本大震災
ジャンル : 政治・経済

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